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歌姫は現実を突きつけられる

「ご、ごめんなさい・・・」


やはりいけないことだったとシェーナは消え入りそうな声で謝罪する。ついてきただけの侍女姉妹も頭を下げた。


「何で、お前・・・」


カナスは戸惑った様子で、シェーナを見、それからちらりとシェーナの近くに来たラビネへ視線を送った。

その仕草に追い出されると思い、シェーナは慌てて口を開く。


「私、あの、カナス様に、お話・・・したいことがあって」

「後で聞く。今は取り込み中だ」

「でもあの!リア様・・・を、許してあげてください」


取り付く島のないカナスに向かって、シェーナは咄嗟にそう言った。

視線をそらせていたカナスがぎょっとして振り返る。


「お前、聞いて・・・」

「あの、リア様を許してさしあげてください。その・・・ご、拷問、など・・・いくら、なんでもひどいことは・・・」

「そういうことじゃない」


一瞬顔を歪めた彼は、だが、すぐにぴしゃりとシェーナの願いを跳ね除ける。


「この女はお前が思っているような奴じゃない。お前だってよく分かっただろう?」


探るようなカナスの眼差しを受けて、シェーナの脳裏に、突き落とされそうになったときの恐怖がよみがえった。

顔色をなくしたのが分かったのだろう。

彼は小さなため息をついて、大人しく戻るようにシェーナに言った。


「お前は関わらなくていいんだ。もう、この女のことは忘れろ」

「・・・っでも・・・」


何か言いたいのに言えない。

言葉が喉で詰まってしまって、気ばかりが急いた。


「どんな目にあってもこの女の自業自得だ。それをお前が気にする必要はない。さあ・・・」

「ご・・・ごめ、ごめんなさいっ!」

「シェーナ?」


結局シェーナの桜色の唇から出てきたのは、つたない謝罪の言葉だった。


「何を言い出す?」

「あの、私・・・謝ります。リア様がいけないことをしたのだったら、私も謝りますから。だから、怒らないであげてください」

「・・・シェーナ」


困った響きが、いつもの彼の声のトーンで耳に届いた。


「だから、そういう問題じゃねえんだよ。こいつには聞かなきゃならないことがあるんだ」


どうしてもな、とカナスが強調する。それでもシェーナは首を振った。


「だ、だったら、待ってあげてください。リア様がお話してくれるまで、待ってあげてください」

「何でそんなにもかばうんだよ。お前こそ、こいつに散々な目に合わされたじゃねえか」

「でも・・・それは、私が至らないから・・・」

「ふざけんなよ」


苛立った声にシェーナはびくっと肩を震わせた。


「お前が至らない?お前にそう思わせただけで、俺はこの女に憎悪すら抱く」

「そんな・・・、いいんです、そんなことは。本当だから」

「シェーナ!」

「・・・っ・・・お、お願いです、怒らないであげてください。私に、怒ってくださるのはいいですから、リア様に乱暴なことはしないであげてください」

「何でお前はそこまで・・・」


心底不思議そうにカナスが尋ねた。


その答えは合っているのかどうなのかよく分からない。

けれど、シェーナは自分の想像を信じた。


「だって、リア様は、私を助けてくださいました」

「は?」

「あの、“借りは返した”とそうやって、おっしゃって・・・、花瓶を割ったときに」


それはもしかしたら、シェーナを一度信用させるための嘘だったのかもしれない。

あの花はリア自身が目障りなシェーナに贈ったのかもしれない。

けれど、シェーナはリアのその言葉を疑う気にはどうしてもなれなかったのだ。

だから、リアは自分を助けてくれたのだと信じる。


「花瓶?」


しかし、その話をカナスに伝えていなかったせいで、彼は眉を寄せただけだった。

その反応にシェーナは慌てて経過を説明しようとしたが、その前に黙って成り行きを見ていたリアが嫌悪する声音で言った。


「馬鹿じゃないの?」

「・・・え?」

「何故、私を憎まないで助けようとするの?私が何をしたか、何を言ったか忘れたの?私がアナタを好いているとでも思っているの?」

「ち、違います!でも、リア様が・・・知り合いの方が、話したこともある方が、ひどい目に、苦痛を覚えるような目にあうのは放っておけないです」


必死に言い募るシェーナに、リアは一度黙り込んだ。


「リア様、私は事情を知りませんが・・・それでも、カナス様はお優しいから、謝ったら許してくださいます。きっと助けてくださいます。だから、何か隠していらっしゃるのでしたら、カナス様にお話を・・・」

「アナタ、おかしいんじゃないの?」


今度こそ、リアはひるむことなくシェーナに侮蔑を投げつけた。

もうシェーナの話はうんざりだという様子で。


「どうしたらそこまでお人よしになれるのか分からないわ。お優しい歌姫様は、人を嫌いになるということを知らないの?」


嫌ってくれたほうがいっそマシだとリアは唇を歪めた。


「アナタは自分の感情ってものがないの?他人ばかり気にして・・・変よ。気味が悪い」


辛辣な言葉にシェーナは息を呑んだ。

怒るというよりも、むしろ悲しさで胸が一杯になる。


しかし、そんなシェーナの代わりにいつも怒ってくれる人がいた。

そう、今も。


「黙れ、女狐」

「・・・っ」


今までとは比べ物にならないほどの剣呑さで、カナスがリアの胸倉を掴み上げた。


「それ以上くだらねえこと言ったら、今すぐ殺すぞ。いや、それじゃ生温い。死んだほうがマシだという目をいくらでも見せてやる」

「カ、カナス様っ?」


打ちひしがれていたシェーナだったが、カナスのその様子に誰よりも慌てた。


「あの、暴力はやめ・・・ニーシェ?」


しかし彼に近づこうとしたシェーナを、ニーシェが止めた。反対側に立っていたジュシェを見上げると、彼女もまた首を振る。

二人ともが、またしても瞳に剣呑な光を浮かべていた。

リアに対する怒りをどうにか押さえ込んでいるように見える。

シェーナは瞳を左右に動かして、それからカナスに声だけで精一杯に伝えた。


「カナス様、離して差し上げてください!リア様が苦しがっています」


ニーシェだけでなく、ジュシェの腕も絡められて前に進むことはできないシェーナの瞳に、どんどんリアの息が上がっていくのが見える。

当然だ。座っていたはずのリアの体は、カナスの強い力のせいで半分以上持ち上げられているのだから。


「カナス様、お願いです。やめて差し上げてください!」

「何故お前が気にする。何を言われたのか分かってるのか」

「・・・っ、ただ、言われただけです。大丈夫です。私がおかしいことくらい、知っています。だから、それくらいのことでリア様をそんなに責めないでください。乱暴はよくないと思います」

「それくらい?それくらい、で済むわけねえだろ!」


カナスに怒鳴られ、シェーナは誰にも分かるほどにびくり!と震え上がった。

けれど、彼はそんなシェーナにさらに容赦なく切り込んでくる。


「お前がおかしい?おかしいのはお前じゃねえっていつも言ってんだろ!そんな泣きそうな顔をするくらい傷つくくせに、どうしていつも他人ばかりを許そうとする?」

「っこれは・・・、私が、ただ至らないだけです。本当に大丈夫なんです。だからもう怒らないでください。もし私のためにだったら、もう怒らないで下さい。許して差し上げてください」


表情が歪んだことを指摘され、シェーナは頬を赤らめたが、それでも首を振った。

すると、ようやくカナスの手がリアの服から離れる。

どさりとリアの体が人形のように弾んで、椅子に戻った。


けれど、彼は決してその怒りを納めたわけではなかったようだ。

ほっと息を吐いたシェーナを青い瞳が怒りを湛えて見つめた。


「許せと、お前はそう言うが・・・俺の気持ちはどうなる?」

「・・・カナス様?」

「お前が傷つくのを見て、俺が何も感じないと思うのか?自分が大切にしている奴を傷つけられて、それでもお前は怒るなと言う。でもな、そんなの無理に決まってるだろ。何で俺が、お前を傷つけるような輩を許さなければならないんだ!」


悔しさの混じった憤りを、シェーナは驚いて受け止めた。

カナスは怒っているというのに、“大切な奴”と言われて、胸がとくりと嬉しい音を立てる。

けれど、そのささやかな幸せの気持ちに水を指したのは、またしてもリアだった。


「陛下は、本当に歌姫のお心を掴むのがお上手なようですこと。そこまでして、歌姫のお力添えを得ていたいのね」


割れた声で、しかし、はっきりとリアはそう言った。蔑んだ嘲笑まで浮かべて。


「目的のためならば、人の心を利用することさえも厭わない。アキューラ人らしい残酷なお方」

「何だと?」

「歌姫様が大切?教えてさしあげるわ、歌姫様。この方の仮面の下がどれほど冷酷なのか」


リアは、くすくすと笑みをこぼしながら続けた。


「歌姫様、アナタはずっと囮にされていたこと、ご存知でした?何故、今もこの方がアナタを側に寄せないのか、その理由をご存知?」

「え?」

「っ黙れ!」


きょとんとしたシェーナとは対照的に、カナスは狼狽の色を浮かべてリアの腕をきつく掴んだ。しかし、彼女は暗い、憎しみすら浮かべたような目をしながら、高らかに笑う。


「図星だとお認めになられるの。知られたくないものね、大切な大切な歌姫様を実は、自分の命を守るために危険にさらし続けたことなど。この国の安寧のために、国王に歯向かう者を見つけるために、歌姫を犠牲にしようとしたことなど!」

「貴様・・・っ」

「よくその口で、歌姫を大切だと言えるものね。笑わせないで頂戴。あなたもあの男と同じ、結局自分が一番大切で、誰も愛してなどいないのよ。歌姫ですら、その力を自分のために利用しようとしているだけのくせに」


―――ぱん!


その乾いた音が響いた瞬間、シェーナは凍りついた。

カナスが感情のままに、リアを平手で殴りつけたからだ。


「黙れ。お前に・・・何が分かる」


苦しげなカナスの声が聞こえた。

けれど、それすらも馬鹿にするかのように、リアはふっと笑う。


「何が?確かなことはただ、陛下、あなた様が歌姫の命すら大して惜しいと思っていないことでしょう。たとえ歌姫が犠牲になったとしても、仕方ないと簡単にあきらめられるということでしょう」

「この・・・!」

「カナス様、落ち着いてください!」


ついに拳を握りこんだカナスを、グィンが止めた。


「この方にはお尋ねしなくてはならないことがたくさんあるはずです。でなければ何のために今まで・・・」


まるで殴り殺そうとするほどの勢いを感じ取ったのだろう。

グィンは両手でカナスの腕を後ろから力いっぱいにつかんでいた。


それを見て、リアが今までで一番妖艶な微笑みをシェーナに向けた。


「ねえ、歌姫。これが現実よ。アナタを大切だという陛下は、アナタが狙われていることを知っていても、自分の命を狙う者を、それと通じる者を探すために、アナタに何も知らせずにただ危険にさらし続けた。この方はそういう人間。たとえ、アナタがここで亡くなろうと、いくらでも替えがきくと思ったのでしょうね」

「ふざけたことを言うな!」

「ふざけてなどいないわ。だって、アナタは私たちを追い出そうとしなかった。いくらでも歌姫を守ることができたのに、一番にその選択をしなかった。そのアナタが何の弁解をするというの?すべて事実じゃない。歌姫が誰かの手にかかることよりも、まずは自分を、国を守ることを考えたのでしょう?たいした王ね、国民は幸せだわ」


ふと、笑みを消したリアは、憎々しげにカナスをにらみつけた。

その言葉とその視線に、カナスが反論の言葉を失ったように見えた。

唇を一度だけ小さく開き、その後で強くかみ締めていた。


「歌姫、これで分かったでしょう?アナタはただ利用されているだけということが。アナタが散々に優しいとのたまうこのお方が、その歌声が欲しいだけの、信じるに値しない男性ということが」


あははは、と天井を見上げ、狂ったようにリアが笑い出す。

シェーナはそれを黒い瞳に写し、その場に氷付けになったように固まっていた。


物語も佳境になってきました…長かったですが、あと5話くらいで終わる予定です。

ブックマーク、評価ありがとうございます。応援いただけるととても嬉しく、番外編も掲載しようかを検討中です。

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