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歌姫は自分を貫く

それからまた何日か後。

シェーナは何故かリアからの手紙を受け取った。

どうしても伝えておきたいことがあるから、一人でオルガンの部屋のベランダまで来るようにとそこには書かれていた。

一人で、という部分にはひどく気がひけたが、そこに添えられていた言葉にシェーナはジュシェたちの目を潜り抜けて、のこのこと出かけていった。


「リア様・・・?」


そのベランダはあまり手入れされていないらしく、足を踏み出すと体重の軽いシェーナですらきしっと音がした。


「ようこそ、歌姫様。来てくれて嬉しいわ」


そのベランダの中央に、リアは一人立っていた。


「一人でちゃんと来たということは、あの花を調べてみたの?」


そう、手紙の最後に添えられていた言葉。それは、リアが割り、踏み潰したあの黄色い花を調べてみろということだった。

そしてシェーナはそのとおり、カナスに買ってもらった大きな植物図鑑で記憶に残っている黄色の小花を調べたのだ。そして、そこにあった結果は。


「毒の、お花なんですね・・・」

「そうよ、夜になると花粉を撒き散らすシベの花。その花粉には幻覚作用があるの。吸い込みすぎれば危険もあるわ。まあ、群生でもしていないかぎり命の危険まではないから、知らない人も多いみたいだけれど?」


だから、リアはジュシェたちの無学さを笑ったのだ。

そうすると、あの花瓶を割ったリアは、借りを返したと言う言葉通りシェーナを助けてくれたことになる。

嫌われていると思っていたのに、何故リアが助けてくれたのかわからず、シェーナはこの場に出てきた。


「あの、お話ってなんですか?」

「・・・そうね、さっさと本題に入りましょうか?」


リアは瞳をなごませもせずに、シェーナを手招いた。

シェーナは少しびくつきながらもリアの近くにまで足を進める。


「ねえ、歌姫?怖くなかった?」

「・・・・え?」

「自分へ害のある花が贈られたことを知ったとき、怖くなかったのかと聞いているのよ」

「でも、それは・・・知らなかったから、ですから」

「あら。誰もあの花が手違いで入れられていたなんて一言も言ってないわよ?」


え、とシェーナが口の中で戸惑いの声を上げた。

リアは唇で笑みの形を作って、先を続ける。


「たぶん、あれは陛下の名で、アナタが嫌いな誰かから贈られたものなんでしょうね?王宮ってそういうことも当たり前のようにあるのよ」


シェーナの脳裏に、膝掛けから蜂が出てきたことが思い出された。馬鹿にされたり、笑われたり、そういうことだけではなく、一歩間違えば怪我をする可能性があることだって平気でされることをもうシェーナは知っている。

顔色をなくしたシェーナを、リアはその不思議な目の色で覗き込んだ。

「怖いんでしょう、臆病者の歌姫様」

「・・・・リ、リア・・・さま・・・」


シェーナは一歩後ずさる。するとリアが一歩近づいてきて、またシェーナは一歩後退した。


「気に入らない者がいるならどんな手を使っても追い出そうとする。そういうものよ、世の中」

「・・・・・」

「早く出て行きなさい、ここを。アナタのための忠告よ」


リアの口調は強く、怖い。足が震え、喉に声が張り付いたようになる。

しかし、シェーナはぎゅっと両手を組むことで、その恐怖に耐えた。

どうしても譲れないもののために、必死で踏みとどまる。


「・・・・い、や・・・です・・・」

「アナタのためだと言っているでしょう!?」


怒鳴り声にシェーナはびくっと身をすくめた。それでも、首を縦には振らない。


「・・・・どうして、ですか?」

「何?」

「どうして、わ、私・・・のため・・・ですか?そ、それは怖いです。でも・・・私は、ここに・・・カナス様のお側にいたいです、ずっと」

「っ・・・・、ふさわしくないからに決まってるでしょッ!」

「そ、そんなこと分かっています。カナス様は偉い方で、強くて、優しくて・・・、私ではふさわしくありません。でも、私はあの方がいいとおっしゃってくださる限りはお側にいたい」


シェーナはその澄んだ黒い瞳でまっすぐにリアを見た。

逸らすことは逃げることと同じだと、絶対に逸らさない決意を胸において。

その思いの強さが伝わったのだろうか。リアが一瞬ひるんだように見えた。


しかし、次の瞬間。


「そう・・・これでも?強情を張るかしら?」


赤い爪のついた滑らかな手がシェーナの胸をとん、と押した。

バランスを崩したシェーナは、ととっと後ろに2、3歩後退する。

その踏みとどまりのはずの一歩が、ばきり!と下に抜けおちた。


「え・・・?」


すぅっと後ろから風が吹き抜け、白いローブが空に向かってはためいた。

だがシェーナは、珍しく俊敏に残った柵にすがりつくことで、地面に傾いだ体を支えて何とかその場に留まることができた。


そんなシェーナに、再びリアが近づいてくる。無表情の彼女を見て、ぞっと全身の血が冷たくなる感覚を覚えた。

いくら2階とはいえ、打ち所が悪ければ大怪我になることは間違いない。

けれど、体勢が悪いシェーナはそこから逃げる術を持っていなかった。


赤い爪先が自分に向かって伸ばされるのを見て、シェーナは身を固くしてぎゅっと目をつぶった。


「そこまでにしてもらおうか」


そのとき、思いもよらない声がリアの向こう側から聞こえた。そしてリアの小さな悲鳴も。

それらにひかれてこわごわと目をあけると、ラビネがリアの両手を後ろで一掴みにしていた。

そしてシェーナの前には別の手が差し出されている。


「シェーナ様、ご無事ですか?」

「・・・グィン様・・・」


あきらかにホッとした表情を見せる隻眼の青年は、恐縮しつつ、指先が白くなるほど柵を握り締めていたシェーナの肩を抱いて、安定した足場へと戻してくれた。

そのままへたりと座り込むシェーナの目に、バルコニーの入り口に険しい表情で立っているカナスの姿が映る。

青い瞳が、鋭い光を宿してリアを見つめていた。


「罪状は明らかだな。この女を連れて行け」


頷いたラビネがそのままリアを室内に引き連れて行く。

意外にもリアはそれにさしたる抵抗もしなかった。

ただ、一度だけちらりとシェーナをその珍しい色の目で見つめた。

すぐに気が付いたグィンがシェーナとの間に体を入れてかばったが、一瞬だけ見えたその表情は予想していた侮蔑でも憎悪でもなく、哀れみのような不思議なものだった。


「大丈夫か?」


その意味を考えることにとらわれていると、少し離れた場所からカナスの声が聞こえた。

顔を上げれば、彼はまだ厳しいままの顔をしている。それに少し怯えながらもシェーナは頷いた。


「だいじょうぶ・・・です」

「ならいい。グィン、双子を呼び戻して、こいつを休ませろ」

「はい」


それだけを指示すると、彼はそれ以上シェーナに近づくこともせず、ふいと部屋の奥に引っ込んでしまう。


(カナス様・・・?)


以前だったらば、いの一番にそばに来て、怪我はないかと無事を確かめてくれたのに。

避けられているのは、やはり間違いなかったようだ。

ずきりと胸が痛んだ。


「シェーナ様、参りましょう」


グィンが促すのにしたがって立ち上がりながらも、シェーナの視界は涙で半分以上歪んでいた。



廊下の途中で出会ったジュシェとニーシェはシェーナが無事なことを何度も確かめ、ぎゅうぎゅうと抱きしめて来た。

彼女たちはシェーナがあの部屋のバルコニーにいるのを知って、もし落ちたときのために地上で待機していたのだという。

それでも、気が気ではなかったと唇を震わせて何度も呟いた。


「さあ、落ち着くお茶でも淹れましょう」

「あとはカナスさまたちにお任せしてゆっくりお休みください」


二人はそう言ってシェーナを部屋に連れて行こうとしたけれど、どうにもカナスの態度が悲しくて、シェーナの足は止まってしまう。


「シェーナさま?」

「どうなさいましたか?」

「・・・私・・・、カナス様に・・・」


嫌われたのだろうか。

そう続けたかったのに、言葉が出てこなかった。

それを口にするのすら、悲しくて今にも泣き出してしまいそうだった。

何度双子に言われても反省せず、リアに勝手に会いに行き、挙句にこんなことになった。

彼は呆れて、嫌いになったのかもしれない。


“ふさわしくないからよ”


リアの言葉がよみがえった。そんなことは知っている。

ずっと自分で思ってきたことだ。けれど。


「・・・・・・私、カナス様に会いたいです」

「シェーナさま・・・」

「会いたいです。お話をさせてほしいです」

「シェーナさま、あとでお越しになっていただきましょう」

「今はお部屋で待っていてください」


シェーナのわがままに、姉妹は困った顔で微笑んだ。いつもならここで、あきらめる。

だが、今は譲りたくない気持ちで胸が一杯だった。


「今、会いたいです。嫌われているかもしれなくても、でも・・・っ」

「え?嫌われている?」

「何のことですか?」

「っいつも待っているだけは、もう嫌です!何も知らないのも、もう嫌です!」

「「シェーナさま?!」」


シェーナは自分の部屋とは反対の方向に駆け出した。

瞳一杯に涙の膜が張っていたけれど、必死になって逃げる。けれど俊敏な双子はすぐに追いついてきた。

さらに速く逃げようとしたシェーナだったが、かえって足がもつれてべしゃりと廊下に思い切りよく腹ばいに転がった。


「シェーナさまっ!」

「大丈夫ですか?!」

「う・・・」


のそりと起き上がったシェーナの側で、ジュシェたちが膝をついて覗き込んでくる。

その心配そうな顔を見ていたら、何故か泣き喚きたくなった。


だが、それを実行する前に、耳のいいシェーナはかすかな声を捉える。

苛立った怒鳴り声のようだ。

それに引き寄せられるようにシェーナは再び歩き出す。

姉妹も一度顔を見合わせた後は黙って付いて来る。

怒鳴り声はもうしなかったけれど、ある部屋の前でシェーナは足を止めた。


(・・・カナス様の声)


扉の向こうの声は、かすれるようにしか聞こえてこない。

実際双子は何故シェーナが足を止めたのか分かっていないようだった。

けれど、シェーナは目をつぶって耳に神経を集中させる。


「お前が加担していることはもう分かっているんだ。後ろで糸を引いている奴は誰だと聞いている」

「何のことでしょう。理解しかねますわ」

「いつまでも俺が紳士面してると思うなよ」


低く脅すようなカナスの声に重ね、かすかに笑うリアの声が聞こえる。


(どうして、リア様と?)


不安を覚えたが、しかし、室内はどう考えても穏やかな雰囲気とは思われない。


「前王はお前たちに甘かったようだが、俺は違う。素直に吐くほうが身のためだぞ」

「・・・知らぬものを吐けとおっしゃられても困ります」

「何故そんなにもそいつをかばう?」

「かばっている者など誰一人おりません」

「そんなにも拷問にかけられたいのか」


ついには物騒な言葉が飛び出してきてシェーナは驚き息を呑んだ。


「俺は敵には容赦しない。それにお前はあいつを傷つけた。俺としてもお前にかける情けは欠片もない」

「そう。好きになさればよろしいわ。何も得るものはないと思いますけれど」

「そこまで言うなら仕方がない。シェーナへの罪は明らかだしな。おい、こいつを地下に連れて・・・」

「お待ちを。そこにいるのは誰だ?」

「!」


しかし、ラビネが扉に向かってはっきりと尋ねてきたのを聞き、さらに驚く。

後ろで双子も目を丸くしていた。


「誰だと聞いている。姿を見せろ」


緊張し、鞭のように鋭さを秘めるラビネの声に、双子がシェーナを背にかばってドアを開けた。


「・・・お前たち・・・シェーナ様も?」

「シェーナ?」


カナスの声がひどくこわばった響きに変わったのを、シェーナは敏感に感じ取った。



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