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歌姫は裏切りと策略の中

次の朝、起きたら隣に人影はなかった。

そのことに少しがっかりしながらも、自分の上にやたら毛布が重ねられているのを知ってくすぐったいような気持ちになる。

吐く息が白くなるほど寒い朝だったので、きっと体の弱いシェーナを心配してくれたのだろう。


(やっぱりお優しい・・・)


いつも彼はシェーナのことをとても気遣ってくれる。大切に扱ってくれる。何を返せばいいのかわからないほど。


(カナス様がお望みなことって何だろう?昨日何かおっしゃっていた気もするけれど・・・)


少しの疑問を抱えつつもとても幸せな気分で起きだしたシェーナは、昼過ぎにまたしても思いがけない幸福に出会った。



「シェーナ様、プレゼントが届いておりますよ」


母親ほど年の女官が満面の笑顔で届けてくれたのは両手一杯の花束だった。

大輪のピンクの牡丹に、小さな白いヒナゲシ、名前をしらない米粒サイズ黄色の鈴なりについた花、そして大ぶりの葉が花束の形を整えている。

「わぁ、綺麗です!見たことがないお花もあります」


しかし、花束は顔を輝かせて受け取ろうとしたシェーナではなく、先に進み出たニーシェに渡された。シェーナはそれを不思議に思ったが、ジュシェがぽんぽんと肩を叩いたのでそちらに気を取られる。ジュシェがいつもよりも少し尖った声で女官に尋ねた。


「イザリエさん、これはどなたから?」

「あら、シェーナ様に贈り物をなさる方などお一人しかいらっしゃいませんでしょう?」


イザリエは、ふふっとからかうような微笑みを浮かべて答える。

頻繁にシェーナに物が贈られることが、目の前の小さな姫を主がひどく愛している証のようで微笑ましいと思っているのだ。

しかし、ジュシェの不審そうな調子は変わらなかった。


「・・・カナ・・・いえ、陛下から?そのようなお話は聞いておりませんが」

「本日はこちらへ戻ることができないだろうとおっしゃられていたそうですよ。そのお詫びではないですか?」

「お詫び、ですか?」

「あの方が?」


ニーシェもかすかに眉を寄せている。


「申し訳ありません。イザリエさん、少しいいでしょうか?」


そしてニーシェはイザリエと共に、隣の部屋へ移ってしまった。

一体どういうことかとシェーナはジュシェに尋ねたが、曖昧な笑みを返されただけである。


やがて戻ってきたニーシェは、金を練りこんだ紙に包んであったはずの花束を、むきだしにして持って帰ってきた。


「特に何も見つからなかった」

「そう。それでもカナスさまに直接確かめておいたほうがいいわ」

「捨ててしまうのが一番安全だけど」

「・・・でも、本当だったら困るもの。お部屋に置くのだけはやめましょう」


姉妹はシェーナに聞こえないようにそんな会話をしたあと、いつもの笑顔を張り付かせてシェーナを振り返った。


「シェーナさま、これは大きな花瓶でお部屋の外に活けましょう。これ以上花瓶を置いてはお部屋が狭くなってしまいますから」


しかし、シェーナはその理由に納得できずにすぐには頷かなかった。

せっかくもらった花がベランダや廊下ではかわいそうだと主張する。

そこで双子はシェーナのオルガンのある部屋に飾ることを提案し、それが実行された。


「あの黄色いお花は、なんと言う名前でしょうか?」

「お部屋に戻ったら調べましょう」


部屋への帰りがてらそんなことを話していて、やはり一本だけでも本物があったほうがいいということで、再びオルガンの元へ戻った。


だがそこで、ガシャーン!というけたたましい音と、思いもかけない人に出会った。

入り口で立ち尽くしたシェーナに向かって、その人影がゆっくりと振り返る。薄茶の髪を揺らしたのは、ほとんど無表情のリアだった。


「何をするんですかっ!」

「シェーナさまの花瓶にっ!」


双子たちが怒りを露にして、シェーナを背にかばうように立った。

リアは恐ろしいほど静かに答える。


「ごめんなさいね、先ほどあなた方が大きな花瓶を抱えているのを見ていたのよ。綺麗な花だったから近くで見ようとしたら、つい肘をぶつけてしまって。悪かったわ。でも、私も痛かったのよ」


赤い唇は、ちっとも悪びれずに、笑みの形を刻んでいた。


「それにしても、いいわねェ。こんな不毛な土地で高価な花を惜しげもなく戴けるなど・・・さすが、ご寵姫はちがうこと」


そう言ってリアは、あの小さな黄色の花をつま先で踏み潰した。

それを見たシェーナは、息が止まるほどの悲しみを覚える。

大好きな花を、それもカナスがくれた花を踏みつけられることほど悲しいことはない。

カナスにリアはそんなにもひどい人ではないと言ったのは自分であったが、その希望的な予想を粉々に砕かれた衝撃はかなりのものだった。


「・・・リアさ、ま・・・ど・・・うして・・・」


ほんのかすれた声しか出なくなるほどに、胸が痛む。

それを知ったジュシェとニーシェは、敵意丸出しにリアをにらんだ。


「無断でお部屋に入られるなど、一国の姫君ともあろうものが随分無礼な真似をなさるのですね」

「あら、ここは誰でも入ってよい場所ではないの?歌姫様だけのお部屋ならば、そのように書いておいてほしいわね。そうしたら入らなかったのに。これからは気をつけるわ」

「あなたは・・・!」

「ああ、怖い、怖い。野蛮さだけでなくて、少しは学を身につけたらどう?優秀なルナード族の侍女が聞いてあきれるわ」

「「何ですって?!」」

「学がないばかりに、大切な主様を危険にさらすことのないようにという忠告よ。ありがたく受け取っておきなさいな」


双子は唇をかみ締めて、燃えるような瞳でリアを見ていたが、彼女はふんと小さく鼻を鳴らしただけだった。

そしてリアはばさりと肩にかかっていた自分の髪を掻き揚げて、颯爽と出て行こうとした。

当然、入り口に立つシェーナの隣をすり抜けることになる。


二人が交差するほんの一瞬、シェーナの耳にリアの小さな呟きが届いた。


「これで、借りは返したわよ」

(・・・え?)


反応の遅いシェーナが問い返そうと振り返ったときには、リアの姿はもう廊下の向こうで小さくなり始めていた。


「今・・・」

「あの女!許さない・・・っ」

「ニーシェ、落ち着きなさい。お礼ならあの方がここから出て行くときにしっかりとすればいいのよ」


侮辱されたことで頭に血が上っている双子は、シェーナがいつまでもリアの消えた方向を見つめているのをショックのためだけだと思い込み、「何も気にすることはない」とシェーナに繰り返し言い聞かせる。

そして、シェーナを部屋に連れ帰ると共に、床に散らばり無残に踏まれた花を早々に片付けた。


**


月も見えぬ暗闇の中、2階のある白いバルコニーに1つの黒い影が下りた。

小柄なその影は、鍵のかかっているはずの窓を開け、夜風を静かな室内に招き入れる。

すると、寝台の上にあったはずの女性の影が、その窓に向かって動いた。


「夜分に女性の寝室を尋ねるとはどういうつもりかしら?」

「ご無礼は承知でしたが、貴女様のご真意を確かめに」

「こんなところにいてはお仲間に気づかれるのではなくて?」

「そのあたりはご安心を。ぬかりなく手配しておりますから」


それよりも、と男は一段声をひそめた。


「貴女様はわたくしどもへご協力いただけるものと思っておりましたが?」


女は答えなかった。すると侵入者は一歩女に近づく。


「邪魔をするのでしたら、貴女様とて容赦はいたしませんよ」

「邪魔?そんなものした覚えはないわ。あれは私が腹が立ったからやっただけ。結果論よ。私には事前に何の情報もなかったのよ?それを邪魔したと言われても」

「・・・・・」

「そもそも私は積極的に協力する気はないの。何でも秘密主義の相手を盲目的に信用するほど愚かではないわ。私はただ、自分の望みがかなえばそれだけでいい。その利害が一致する限りでは、あなたたちのすることに口を出すつもりがないというだけ」


間近で腹をさぐりあう視線が絡み合う。先に微笑を浮かべたのは男の方だった。


「いいでしょう。あなたを信じましょう。一つ、情報をお渡ししておきますよ」


そして、ひとさし指を立てて、自分の口元に持っていく。短い単語をいくつか並べ、月にかかった雲が晴れる前にベランダからその姿を消す。


細く弱々しい月の光が、その場に残った薄茶の長い髪を一瞬だけ光らせた。

冷めた目をした彼女は、くるりと踵を返して元のように窓を閉め、厚いカーテンを引く。

再びの暗闇の中、淡く瞬く黄緑の瞳が離れたところからそれをじっと見つめていた。



**


「きゃあ・・・っ」

「シェーナさま!!」

日に干しておいたシェーナの膝掛けの中から、突然蜂が飛んできて、シェーナは驚いてすとんと転んでしまった。

幸いにも蜂は針を向けることなく、ぶんぶんと飛び回った後で外へ逃げていく。ニーシェの手につかまって立ち上がったシェーナの耳に、くすっという笑い声が届いた。


「シェーナ様、大丈夫かしら?せっかくの白いご衣裳に汚れが付いてしまっていますわ」

「蜂一つでそんなに驚かれなくても。小心であらせられますのね。猛禽類の鳥をも懐かせると噂の歌は蜂には通用しないようで」

「・・・・姫君方、シェーナさまのご衣裳に果実水がこぼしてあったのですが、ご存知で?」


シェーナの膝掛けを拾ったジュシェが、視線をきつくしながら尋ねる。

ラーラとキルベナは「何のことやら」と疑ったジュシェを罰するように厳しい声を上げた。


「身分もないルナードの侍女が、理由なく生意気な口を」

「仕える主の器量が知れますわね」


自分たちのことならばいざ知らず、シェーナの評価を下げることになると知ったジュシェはぐっと黙り込んだ。


「わたくしが正式に王宮で暮らすことになりましたら、まずあなた方のような口の聞き方のなっていない侍女の教育をやりなおさせますわ」

「その前に、追い出されないといいですわねえ」

「な・・・私たちはずっとカナスさまにお仕えしています。カナスさまは信頼をくださっています」

「どうかしら?陛下もご寵姫の願いには弱いのではなくて?」


この場合の“ご寵姫”がラーラ本人を指していることを知り、ニーシェが嫌悪感を露にした。

そしてわざとその意味を理解できなかったふりをする。


「シェーナさまはそのようなことをカナスさまにおっしゃりません」

「そうね、心優しいと評判の歌姫様がそのようなことをおっしゃっては、陛下にも愛想をつかされるというものですものね」

「これ以上避けられないようにお気をつけになられて」


悪意のある言葉ばかりを残して去っていく二人に、双子は唇をかみ締めた。


「シェーナさま、あんなの気になさる必要はございません」

「そうです。まったく、やっかみもいい加減にしていただきたいものです」


しかし、二人に指摘されるとおり、ここ数日カナスの様子がおかしかった。

シェーナを見つけると、まるで避けるようにどこかへ行ってしまうのだ。

それは偶然が重なっただけだと思いたかったが、何度も続けてされれば、やはり嫌われたのかもしれないと落ち込む。

それを他の人たちに指摘されれば、余計に気分が滅入った。

姉妹は必死にシェーナの気を紛らわせようとしてくれたが、しょんぼりと肩を落としたまま、今日もシェーナは部屋に引きこもることになった。


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