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歌姫は労りを与える

「どうした?やけに機嫌がいいな」


夜、ジュシェたちを相手に新しく作った歌を歌っていたシェーナの耳に、心地よい響きの声が届いた。姿を見るのは2日ぶり程度だが、それでも嬉しくてぱっとシェーナは顔を輝かせる。


「カナス様、今日はお仕事はもういいのですか?」


子犬のように喜びを全身で表して、シェーナはカナスの側に寄った。

すると、大きな手が頭を撫でてくれる。


「ああ。いい加減疲れたから、今日はもう休む」


彼は手で双子を下がらせると、滑らかな黒檀の木の椅子にどかりと座る。

言葉通り疲れているのだろう、腰を折りふぅっと大きなため息をついた。


「大丈夫・・・ですか?」

「ん?ああ、たいしたことはない」


シェーナが声をかけると、顔を上げ小さく唇の端をあげたが、いつものはつらつとした様子では決してなかった。

心配でシェーナはちょこんと膝をつき、彼の膝に手を乗せる。

それがますます飼い主に甘える子犬のように見える。

カナスが内心笑ってしまったことには気が付かず、ただくしゃくしゃと黒髪に指が絡まる感触に瞬いた。


「あの・・・?」


彼がほっと息を吐いたようにも見えて、シェーナは何だか不思議だった。

けれど、尋ねる前に、別のことを尋ねられてしまう。


「今日、いいことでもあったのか?」


頭をすぐには切り替えられなかったシェーナはほんの少し間を置いて、「はい」と頷いた。


「リア様に名前を呼んでいただけました。それに、お礼も言ってくださいました」

「リア?あの女と何かあったのか?」


嬉しそうに語るシェーナとは対照的に、カナスは表情を固くした。

それを不思議に思いながらも、シェーナはありのままを話す。


「リア様がペンダントを落されたので、探してお渡ししました。とても困っていらっしゃったご様子でしたので、見つかってよかったです」

「探して・・・って、お前な。何でそんなことを・・・」

「何で、ですか?リア様はそのペンダントをとても大切にしていらっしゃるようだったので・・・落されたときもとても慌てていらっしゃいましたし」

「だから、何故お前がそんなことをする必要がある」

「大切なものを失くすのはとても悲しいことです。私も昔、母様のペンダントを落してしまったときは、本当に悲しくて、たくさん泣いて、一生懸命に探しました」


そのときは、見知らぬ人が拾ってくれ、その上新しい鎖までくれた。

フィルカでのたった一つの大切な思い出。

嬉しくて、嬉しくて、ただ思い出すだけでもほわりと心が温かくなる。


けれどその話をすると、カナスはいつも無表情になってしまう。

それが怒っているように見えるので、シェーナはすぐに話を変えた。


「あの、リア様もきっと悲しかったと思うんです。だから見つけて差し上げたいと思いました・・・」


段々声が小さくなってしまうのは、カナスの表情が戻らないからだ。

実際は、シェーナのその“大切な誰か”に嫉妬しているだけなのだが、シェーナにしてみれば悲しくてたまらない。


小さな声で、ごめんなさい、と謝るのが精一杯だった。


「謝らなくていいだろ」


カナスがようやく苦笑めいたものを浮かべて、シェーナの頭を撫でてくれた。すると、奇妙なデジャヴに襲われる。あの、塔の下での本当におぼろげな記憶がちらつく。ここ最近それが多くなってきていた。その理由を考えることに捕らわれていると、カナスがシェーナの額をぴんと弾いた。


「お前は本当にお人よしだな」

「はい。ジュシェたちにも言われてしまいました。私はやっぱりおかしいのでしょうか?」

「おかしくはねえよ。まあ、でももどかしいよな」

「もどかしい・・・?」

「お前のそういう性根の綺麗なところは好ましいと思うが、だからといって無防備すぎる。自分本位になってしまえと言いたいのに、そのままでいて欲しい気もする。そういうことだ」


どういう意味かよくわからず、シェーナはじっとカナスを見上げた。

けれど、彼は相変わらずの苦笑を浮かべているだけで、答えはそこにない。


「カナス様、ごめんなさい。よく・・・わからないです」

「わからなくていい。お前はお前の好きなように、正しいと思うことをしろ」

「正しいと思うこと・・・」


鸚鵡返しに呟くシェーナに頷いて、今度カナスは椅子の背もたれに思い切り背中を預けた。

首を背もたれに伸ばし視線を天井へ向ける。

何かを思い起こしているようだった。


「まあ、できるだけあの姫君たちとは深く関わらないでもらいたいがな。お前が傷つくのは見たくない。リア=バースはお前に対する態度がもっとも悪いと双子が憤っていたぞ。報告でも自尊心と虚栄心が異常に高く、使用人に対する扱いも悪くて、気の強い鼻持ちならない女だと・・・」

「それは違うと思います」


思わずカナスの言葉をさえぎってしまってから、シェーナははっと口を押さえた。


「シェーナ?」

「あ、あの・・・私・・・すみません、生意気を・・・」

「いや、別にいいが。それよりどういうことだ?被害にあっているのはお前だろう?何故かばう?」


カナスが体を起こして、興味深そうにシェーナを見つめてくる。

探るような視線にシェーナは、おどおどとしながらも精一杯説明をした。


「リア様は・・・寂しい方なのではないかと思います。知らない場所で、ご家族もご友人もいらっしゃらずに一人きりで・・・だから、きっとそれを他の人に知られたくなくて、他の方にもひどくあたってしまうのではないでしょうか?」

「・・・どうしてそう思う?」

「リア様は、お一人で泣いておられました。家族に捨てられたと、帰る場所がない、とおっしゃっていました。でも、ペンダントの・・・仕組みはよくわかりませんが、蓋が開いてその中にはご夫婦と、もう一つ少年の絵が入っていました。きっとご家族の肖像画だと思います。リア様はそれをとてもとても大切にしていらっしゃったんだと思います。だから、一人でとてもお寂しいんだと思います」

「・・・・だったら、家族の下に帰ればいい。リア=バースの出身の国はギマ。アキューラに朝貢して珍しくまだ王家が残っているはずだ。家族もそこにいるだろう。父親はもう亡くなっているだろうが・・・」

「そうなのですか?」

「弟が王位を継いだと聞いているがな。戻らないのは結局、自分をアキューラに差し出した家族よりもここの方が居心地がいいんじゃないのか。俺には、あの女がそんな愁傷とはどうしても思えないんだが」


シェーナはすぐに答えられなかった。

シェーナだってリアの気持ちを知っているわけじゃない。

ただ、シェーナが思っただけのことだ。

黙り込んだシェーナの肩をカナスはぽんっと叩いた。


「お前を否定するつもりはないが・・・お前は物事をよく捉えすぎるところがある。それがいいところでもあるが、あまり気を許しすぎないほうがいいぞ。女ってのは何を考えているか分らん」


ふっと息を吐き憂いた表情を浮かべたカナスは、その手をシェーナの頬に滑らせてくすぐった後にようやく立ち上がった。


「この話は終わりにするか。何か飲む・・・」

「それでも私はリア様が悪い方とは思えません」


だが、珍しくシェーナはその背に追いすがるように声をかけた。


「リア様は、私の歌を聞いてくださいました。私のことがお好きではないと思いますが、“希望”の歌なら、聞いてもいいとおっしゃってくださいました。あれは・・・あの歌は、寂しい人の心に一番届きます。寂しく報われぬ人のために作られた歌だからです。幸せで、不満のない人は、つまらないとおっしゃいます。だから、リア様は・・・」


それ以上上手く言葉にできなくてシェーナは視線をさまよわせた。

するとカナスは数歩戻ってシェーナの前にかがむ。


「お前の“歌”はそういうもんなのか?」

「・・・たぶんそうだと思います。あの歌で泣く人は、悲しいことがあったことがある人です。傷が深ければ深いほど、あの歌を望みます。あの歌で幸せだと感じる人は、何かつらいことを抱えていた記憶がある人です。そうだと思います」


シェーナの歌は、その人の心の状態に合わなければそれほど響かないのだ。

だからこそ、リアはシェーナが楽しげな歌を歌ったときに、ささくれた心を刺激されて怒ったのだろう。耳障りに聞こえてしまったのだろう。


シェーナの脳裏に、そっぽを向きながらも礼を言ったリアの姿がよみがえった。

それから、先日のリアの悲痛な叫びも思い出される。


「私には、やっぱりリア様はそんなに冷たい人ではないと思います。確かに・・・少し、怖いです。でも、はっきりとした方だから、私にイライラするだけで、悪い人じゃないと・・・そうやって、思います」


言葉にしてシェーナははっきりと分かった。

リアを、カナスが言うほどに否定的に捉えられないのは、リアにはごまかしがないからだ。

シェーナを嫌いだと、目障りだと、そうやってはっきり言われることに傷つかないわけではないけれど、でも感情が素直に分かる。

シェーナの経験上、本当に怖いのは本音を見せない人だ。

それは悪意がどの程度か分からなくて、怖い。

他の人を隠れ蓑にしてそれに便乗するだけして、決して本音を見せない人が一番真っ黒で怖いのだ。だから。


「リア様より・・・、リナリー様やキルベナ様のほうが怖い・・・」


ぽそりと呟いたシェーナの声をカナスは聞き取ったらしい。

僅かに目を見張って、「どういうことだ」と尋ねてきた。


「え・・・わからない、ですけれど・・・」


リナリーやキルベナは年上の二人について回っている。

リアが中心のときはリアに、ラーラが中心になればラーラに。

ただ、表に主張しきらず、便乗してシェーナを笑う。

時にはそこまで言ったら可哀想、とかばう。

その怖さをシェーナは知っている。ルーナがそうだったからだ。

時折かばうふりを見せ、けれど何よりシェーナを憎み嘲っていたかつての侍女。

彼女たちはルーナと同じ目をしている。だから、彼女たちは怖いとシェーナは肩を震わせた。


「・・・ごめんなさい。お二人は、ルーナとは・・・ち、違う・・・のに・・・こんなこと、いけない・・・ですけど・・・」


たくさん怒鳴られた。たくさん裏切られた。たくさん疎まれた。


思いだすだけで、黒い瞳に涙が浮かぶほど。

そんなシェーナをカナスは横抱きにして持ち上げた。


「・・・カナス様・・・?」

「忘れろ。悪かった、嫌なことを思い出させたな」


彼は震えが止まらないシェーナの体を隣室のベッドに座らせると、温かい腕で抱えこんでくれた。


「全部忘れろ。もう、忘れちまえ」


頬をくっつけた胸から、とくんとくんと心臓の音が聞こえる。

それは温かな音だった。


シェーナは自分からもっとというように彼の胸に体を寄せる。

すっぽりと包まれる感覚はとても気持ちがよかった。


「・・・あったかいです」

「そうか?」

「こうしていると、怖くないです。安心します」


ぽやんとした気持ちを、素直に伝えると、頭上でくっと笑う気配があった。

そして、ぽんぽんと背中を撫でられる。


「そりゃよかった。枕くらいにはなってやるから、このまま寝るか?」


どうやら眠いのだと思われたらしい。

確かにシェーナは寝つきが早いほうだが、さすがにこんな状況で寝かかるなど申し訳なかった。


「枕なんて・・・そんなつもりじゃ」

「かまわねえぜ。お前を抱えているのはあったかいからな」

「でも、カナス様はお疲れで・・・あ、そうです。お疲れなのに、こんなことしていたらもっと疲れてしまいます。離してください」


はっと気が付いたシェーナが顔をあげようとしたが、逆に頭の後ろを押さえ込まれてしまった。


「気にするな。俺も少しこうしていたい気分だ」


それはシェーナを思いやっての言葉だろう。

鈍いシェーナでもすぐにわかった。

でも、と駄々をこねても言いくるめられるのはもう分かっているので、シェーナは素直に重みを預ける。

すると、頭を撫でてくれる手がとても優しいものになった。

自分とは違う体温に安堵する日が来るとは思わなかった。

この幸福を与えてくれた神様にはどれだけ感謝しても足りない。

そしてカナスにも。


(カナス様は本当に優しい・・・)


何もできない自分には本当にもったいないほどの、優しい人。

せめて何か返せないかとシェーナは少し考えて、やっぱりできることは歌うことだけだった。

カナスが褒めてくれたものだから。


腕の中に抱え込まれたまま、シェーナは子守歌を歌った。

傍からみればおかしな状態だったのかもしれないが、カナスは息だけで小さく笑ってシェーナを撫で続けていてくれる。

しかし、しばらくそうしているとふとその手が止まった。


「・・・・?カナス様・・・?」


怪訝に思いそろりと顔を上げると、額に栗色の髪がかかった。

びっくりして後ずさろうとしたが、その前に長いまつげが伏せられていることに気が付く。


(寝・・・てる・・・?)


身じろぎするのをやめると、ことりと肩に彼の頭が落ちてきた。

無防備な寝息が首筋にかかって、それがなんだかくすぐったく、恥ずかしかった。

シェーナは必死で動かないように全身を緊張させる。

こんな風に意図せず眠りに落ちてしまう彼の姿を見るのは初めてだった。カナスはいつも活力にあふれているから。


(疲れてるって、本当だったん、だ。あ・・・う、嘘とか思ってたわけじゃないけど、本当に、すごくお疲れで・・・)


クーデターで王が交代したため、国は統一性を欠き、崩壊しやすい状態にある。

あちこちに不満がくすぶっているのだと聞いた。

それを上手くまとめているのはカナスが努力しているから。


その多忙ぶりはシェーナが思う以上なのだろう。


(何か・・・私もできればいいのに)


何も手伝えない自分が悔しい。そう思うようになったのは、いつごろだっただろう。

「何かをしたい」とすら思うことができなかったシェーナをここまで変えたのは間違いなくカナスだった。

シェーナは自分に体を預けてくる彼が、慕わしくてたまらなかった。


(せめて歌っていれば、ほんの少しでもカナス様のお疲れを減らせるかも?)


そう思って、再び歌い始めようとしたとき。

息を吸った影響で肩が揺れてしまったのだかなんだか、ぐらりとカナスの体のバランスが崩れた。


(え・・・わ・・・っ!?)


シェーナは必死に支えようとしたが、勿論体格差により支えきれるはずもなく・・・。


「・・・っ!」

「ん?」


背中から思い切りよく倒れたシェーナの上に、カナスの体が乗った。

その衝撃で彼がぱちりと目を覚ます。そして、不思議そうな表情になった。


「シェーナ?・・・どうした?」

「ご、ごめんなさい」

「あ、悪い」


とっさに状況が分からなかったカナスだったが、シェーナの声が苦しそうなのに気が付いてすぐに肘で自分の体を支え、体重を減らしてくれた。

重さに苦しいということはなくなったが、いつにはない角度で真上から見下ろされていることへの奇妙な緊張感もあって、シェーナの顔は朱に染まりこわばっていた。


「シェーナ?・・・俺が何かしたか?」

「え、いえ!違います・・・けど、その、カナス様はお疲れですから、もうお休みになったらいかがかと・・・」


青く綺麗な瞳に見つめられ続けるのが耐えられなくて、シェーナはぎゅっと目をつぶってしまった。


「あ?・・・もしかして、俺は、寝ていたのか。・・・そうか、悪かったな」


カナスはようやく自分が眠りに落ちていたことに気が付いたらしい。

気まずそうな顔で起き上がり、上からどいてくれた。

シェーナものろのろと起き上がる。彼を見上げると、小さく咳払いをして横を向いてしまった。


(何か、悪いことをしてしまったのかな?)


しゅん、とシェーナはうつむく。

だが、それを知ったカナスはシェーナの腕を引っ張って引き寄せた挙句に、額をぴん、と弾いた。


「カナス様?」

「そんな顔するんじゃねえよ。お前は何も悪くねえってのに。ただ、俺が情けねえっていうか、緊張感がねえっていうか・・・とにかくお前が落ち込むようなことは何もない」


カナスが苦笑しているのを見て、シェーナは目をぱちぱちとさせる。


「あの・・・?」

「気にすんな」


そう言われてしまってはなんと返していいかわからなくなる。

はあ、と間の抜けた返事しかできなかったら、彼は突然シェーナの頭をぐいと自分の肩口に埋もれさせた。

埋もれてしまうのではないかと思うほどの力の強さで引き寄せられて、どきん、と心臓が跳ねたのがわかる。


「・・・お前を、ポケットにでもいれておければいいのにな。いつも連れて歩いていれば少しは・・・」

「え?ポ、ポケットですか?私そんなには小さくないです」


突拍子もない言葉に、うるさい心臓の音が聞こえてしまいはしないかと焦っていたシェーナは、驚いて顔を上げようとした。

だが、肩口に押さえつける手のひらのせいで、頭が動かない。

まるで離すまいとするように。


「カ・・・カナス様?どうかなさったんですか?何でそんなことを・・・」


少しの間、返答はなかった。けれど、ようやく聞けた彼の声はいつもの笑み交じりのもの。


「お前はあったかいから、懐に入れておけたら、と思っただけだ。春というのに最近は冷えるしな」


いくらシェーナでもその答えに納得はできなかった。

やはり彼はどこか、おかしい。


「あの、お疲れですか?」


けれど、それをどう伝えればいいのか分からなくて、とっさに出てきた言葉がそれだった。

するとシェーナの髪に触れる指がぴくりと不自然に固まる。

しかし、すぐに耳に届いたのは、吹き出す音だった。


「そうか、俺は疲れてるんだな。だから変なことを思ったんだ」


カナスはシェーナの頭の上で笑い続けている。とはいえ、シェーナは笑えない。


「だったら、早くお休みになったほうがいいです。ちゃんと、体を休めてください」

「そうだな」


心配で必死に言ったのに、何故かカナスはシェーナを腕に寄せたまま、ごろりとその場に横になった。シェーナはカナスの胸に頭を乗せる格好になる。


「えっと・・・あの、離してください」

「いいだろ。お前も一緒に寝ろ」

「ここで寝るんですか?」

「駄目なのか?」


驚きに目を見張れば、あっさりと切り替えされた。


「狭くないですか?それに、私がいたらゆっくりお休みになれないかも・・・」

「このベッドは広いから大丈夫だろう。大体、お前がいたほうがよく眠れる」


杞憂を跳ね除けられてしまうと、シェーナはそれ以上の返答に困ってしまった。


「嫌か?」

「いいえ、そうじゃないです。カナス様がいてくださるなら嬉しいですけど」


それにもともと寝着にガウンを羽織っていただけだったから、このまま寝ても問題はない。


「ならいいだろ」

「でも、この体勢だと歌えないです」

「歌?」

「あっ、歌わないほうがいいですか?静かにしていたほうがいいですか?」


寝るというので、当然のように、子守唄を歌うつもりだったシェーナは、カナスの不思議そうな声にかあっと頬を染めた。

邪魔になるのだということを考えていなかったのだ。


「ごめんなさい、黙ります」

「いや、黙らなくていい。そうか、歌ってくれるつもりだったのか。お前は優しいな。“歌姫”の歌を独り占めできるというのは光栄だ」

「そう言われるほどたいした歌ではないです・・・けど」

「じゃあ、こうすればいいか」


褒められて今度は面映くなったシェーナがもごもごと口の中で呟いている間に、カナスは仰向きだった体を横向きにして、シェーナと向かいあう形になった。

頬に触れるのが、今まで温かかったカナスの絹のシャツではなく、ひやりとするシーツに変わる。

それでも彼の腕が背中に回されているので遠ざかった感覚はない。

どうにも落ち着かなかった。

もぞもぞ動いて少し距離をとろうとすると、すかさずに引き戻されてしまう。


「何だ?これでも駄目か?」

「いえ、歌えますけど、あの・・・お邪魔ではないですか?せっかく広いのに・・・」

「いいんだよ、これが一番落ち着くから」


意外な答えだった。


「え?落ち着きますか?」


「ああ。お前がいると、安心して眠れる」

「そうなんですか?」


意外な言葉は続いた。てっきり邪魔になるしかないと思っていたのに。

けれどカナスは迷いなく頷く。


「そうだ。言っとくけどな、確かにお前の歌はすげえし、ありがたいと思う。でもな、どんなに綺麗な歌だったとしても、その歌があるだけだったら俺は安心して寝れねえ」


え、とシェーナは目を見張った。


「お前がいなくてただ歌だけが聞こえるのと、歌がなくてもお前が側にいるの、どっちがいいと聞かれたら、俺は後者を選ぶ。こうして、お前が近くに、俺の腕ん中にいてくれるほうがいい」

「・・・どうしてですか?」

「どうして?くだらないことを聞くな。お前が大切だからだ」


分かりきったことを、と頬をつままれる。


「お前が大切だから、心配なんだろ。でも、目の前にいるなら安心できる。それにお前の側はほっとするんだよ。嫌なことがどれだけあっても、お前の顔をみると許せる気になる」


それはシェーナに邪気がないから。

ずるさもしたたかさも、何もなくて、ただ素直に慕ってくれているのがわかるから。

それをシェーナ自身は自覚していないけれど。


「それは・・・えっと、私でもほんの少しは・・・カナス様のお役にたてることもあるということでしょうか?歌うこと以外にも?」

「そうだ。わかってるじゃねえか」

「ほんとうに?」

「ああ、本当だ」


自信なく尋ねた問いかけに迷いのない答えが返ってきて、シェーナの胸にじわじわと歓喜がせりあがってくる。

シェーナは頬を紅潮させたまま、心から幸せそうに微笑んだ。


「だったら、とても嬉しいです」


すると、カナスが突然強い力でシェーナの頭をまた自分の胸元に押し付ける。

突然のことに驚いたのと、息苦しさでシェーナが目を白黒させていると、苦い声がかすかに聞こえてきた。


「だからあんまりそういう顔するなって・・・」

「あの・・・カナス様?」

「もういいから大人しく収まってろ。俺はまたあいつらに節操なしと罵られたくない」

「“節操なし”ですか?どういう意味ですか?」

「・・・知らなくていい」


無邪気に尋ねたシェーナへの返答は、一層苦々しい響きを帯びていた。

もはや、ため息に近い。

それで、聞いてはならないことなのかとシェーナは大人しく口を閉じた。

黙り込むと聞こえてくるのは、いつもより速いカナスの心臓の音だけだ。

けれどその力強い音には、何故か眠りを誘われる。

「生きている」という音に安堵するのだろうか。

くっついているのが温かいというのもあるかもしれない。


「・・・すみません、歌う・・・と言った、のに・・・」


眠いです、と小さな声で呟くと、まるで寝ろというかのように背中を撫でる手が一定のリズムになる。ますます眠気が増し、引きずり込まれそうになった。


「ごめ・・・なさ・・・」

「いいから、もう寝てろ。そのほうが、お前のためだ。たぶんな」

「・・・私のため・・・?」

「俺だっていくらなんでも寝てる奴には・・・・・」

「・・・・?」


まだカナスが何かを呟いていた気がしたけれど、シェーナはそれを最後まで聞くことなくすとんと眠りに落ちていた。

とても穏やかな気持ちのまま。

だから眠ってしまったシェーナを見下ろして一度は笑ったカナスが、すぐに剣呑な目つきで虚空をにらんだこともちっとも知らなかった。


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