歌姫は慈悲深く生きる
ここ数日、ジュシェたちがどこに行くにもついてくる。
シェーナは不思議に思って何度か尋ねたが、この間の襲撃騒ぎがあったので王宮全体の警護が厳しくなっているのだと同じ答えばかりが返ってきた。
「でも、ここは安全なのではないのですか?」
「もちろんです。けれど、カナスさまはシェーナさまを大層心配しておりますから、特にと言い付かっております」
「私のことよりもカナス様自身の方が・・・」
「大丈夫ですよ。あの方の周りにはそれは優秀な者がそろっておりますから。それよりも、シェーナさまのご無事が確認できないと精神的に落ち着かないのだそうです。シェーナ様は愛されていますからね」
「・・・そんなことはないです、この間、私のせいで・・・」
あのときの身のすくむ思いを思い出して、シェーナはぶるりと震えた。
風に羽の飾りがさらわれ、愚かなことにほんの少し傍を離れた。
それがあんなことになるなんて・・・とシェーナの瞳に涙がにじむ。
「シェーナさま、お忘れください。あのような恐ろしいことは、忘れてしまえばよいのです」
「そうですよ。お二人とも無事だったのですから、もう思い出す必要もありません」
「でも・・・」
「今度そのような不忠の輩が現れましたら、ジュシェたちがすぐに返り討ちにしてみせます」
「だから安心していてくださいませ。さ、本日は新しい本が届いています。外に出られず退屈でしょうが、我慢くださいませ」
「けれど、その本はシェーナさまがこの間読みたがっていらした書物の続きですよ。それでも読みながらお茶にいたしましょう」
「・・・・はい」
気遣いを感じて、シェーナは頷いた。
恐怖がなくなったわけではないが、いつまでも震えていても仕方がない。
勿論、うかつな行動を再びとるわけにはいかないと自分を戒めておくが。
3人で部屋に戻る途中で、ふとシェーナは知った姿を見つけた。
「・・・リア様?」
珍しくリアが一人で、庭にたたずんでいた。
こんな危ないと言われているときに、誰も彼女の傍にはいない。
「あの、ジュシェ、ニーシェ。リア様がおひとり・・・」
「行きましょう、シェーナさま」
「関わる必要はありません」
それなのに、ジュシェたちは見て見ぬふりを貫こうとする。
「でも、危ないのではないのですか?教えてあげなくてよいのですか?」
「あの方は招かれざるお客様です。私たちが気にかける必要はありません」
「私たちが仰せつかっているのはシェーナさまをお守りすることだけです。そして、私たちが遂行しようと思うのもシェーナさまをお守りすることだけです」
「でも・・・」
「大体、あの方をシェーナさまがお気になさる必要はありません」
「どれほどシェーナさまに失礼な発言をしていることか」
確かに、リアには好かれていないと思うし、はっきりいって怖い。
けれど、もう一度振り返ったリアは、いつものような覇気がなく見えた。
そして何度も手で頬をこすっている。
(・・・泣いているのでは?)
気になってシェーナは、結局双子の助言を聞き入れずにリアの傍に寄っていった。
「あの・・・、どうかなさったんですか?」
背中に声をかけると、明らかにびくりと彼女の肩が震えた。
「・・・歌姫・・・」
「あの・・・、シェーナです。“歌姫”というのは名前ではないです。・・・泣いて、いらっしゃったのですか?大丈夫ですか?」
振り返った彼女の頬には確かに涙の痕があった。
リアは慌ててそれを隠す。彼女は他の姫たちと違い扇をもっていないので、左腕を顔の前に出し、垂れ下げていた薄いストールで顔を隠そうとした。
「泣いてなどいないわ。たとえそうだとしても、アナタには関係のないこと」
「なんて口を!せっかくシェーナさまがご心配くださったというのに」
「シェーナさま、行きましょう。気にすることはありません」
「ええ、さっさと行くがいいわ。小さなお姫様」
「・・・・・あの」
しかし、憎まれ口をたたかれて怒っているのは姉妹だけで、シェーナはその場を離れようとはしなかった。
「つらいことが、ありますか?私にできることはないですか?」
「「シェーナさま!?」」
「リア様は・・・とても、悲しそうに見えます。どうしてそんなにも悲しそうなのですか?どうすれば、元気がでますか?」
シェーナは鈍いほうかもしれない。けれど、自分がつらいことを知っている分、そして、つらさや悲しみを抱えた人たちのために歌っていた分、そういった負の感情には敏感に反応した。
「同情?こんな私にも同情してくれるの?噂どおり優しいのね、歌姫様は。でもおあいにく。私はつらくも悲しくもないわ。だって、こんなにも豪華で美しい宮殿にいられるのですもの」
皮肉気に笑うリアにひるまないではなかったが、いつもの彼女らしさがどこか欠けていた。
だから、あと一歩を踏みとどまる。
「その・・・、つらいときはつらいと言ったほうがいいとカナス様がおっしゃっていました。だから、そんなにも強がらなくていいと思います。悲しいときは、泣いても・・・泣いたほうがいいと思います。お話を聞いてもらったほうが、楽になると思います。それは、私ではなくていいですが・・・誰かに」
「・・・ッ!誰かって誰よ!?」
急にリアが声を荒げたので、シェーナはぎくりとその場で固まった。大声は苦手だ。
けれど固まったままのシェーナに、リアはそのまま憤りを浴びせる。
「いいご身分ね、歌姫様?そりゃあアンタはいいわ。ぬくぬくと親元で育って、売られた先では王子殿下に愛されて、民衆からは敬愛されて!だからそんなにも虫唾が走るようなことが言えるのよ!何でも持っているからそんなにも傲慢なことが言えるのよ!私には誰もいない!親に売られて、日もあたらないような場所で慰み者の一人にされて、それで今度は用済みとばかりに放り出されるの!?冗談じゃないわ!そんなの許すものですかっ!私から何もかもを奪っておいて、何自分たちだけ幸せになろうとしているのよっ!!」
リアがその勢いのままシェーナを殴ろうとしたため、シェーナはぎゅっと目をつぶる。
だが、振り下ろされる前にその手は、ニーシェが掴みあげた。
そしてジュシェがシェーナをかばって前に入っていた。
そして、二人そろってまるで唸るような低い声を絞り出す。
「何も知らないくせに」
「自分だけが不幸のような顔をするな」
双子は恐ろしいほどの目つきでリアをにらんだ。
リアの喉で小さく悲鳴が上がる。
「お前は、望まなくても何でも与えられてきた。自由の代わりに豪華な暮らしを手に入れた。お前たちは我侭をつくしてきた」
「どれだけの民が飢えようと。どれだけの民が血を流そうと。その犠牲の上の恩恵を当たり前の受けてきた」
「売られたといっても一度も飢えたことがないくせに」
「一度も泥水を飲んだことがないくせに」
「ひ・・・っ」
「シェーナさまは、それを知っている。汚れることだってかまわないで一生懸命に民のために尽くしてくださった」
「お前は何もしてこなかった。だから、カナスさまからも民からも嫌われる。当たり前だ」
「それを人のせいにするな」
「シェーナさまのご不幸もなにも知らないで、偉そうな口を聞くな」
「シェーナさまに害を加えるものは排除してかまわないと承っている」
「これ以上の無礼をするなら、お前を排除する」
すっかり敬語を忘れて、裏世界で生きていた頃の口調で双子は脅しをかけた。
脅しではない、彼女たちの懐から物騒なものがのぞいていた。本気だ。
「や・・・やめてくださいっ!」
シェーナが止めなければ、リアの恐怖はまだ続いていただろう。
けれど、静止をうけた双子は大人しく引き下がり、シェーナの傍に戻った。
「ジュシェもニーシェも・・・怖いことしないでください。私のためでも嬉しくないです」
「「・・・すみません」」
「リア様、申し訳ありません。二人が・・・」
リアは腰をぬかしたようで、へたりとその場に座り込んでいた。
シェーナが慌てて手を差し出すと、ぱちん、と振り払われる。
「さ・・・わらないで!」
「「シェーナさま!」」
「ひっ!こ、来ないで!来させないで、ほらっ!」
「あ・・・、待っていてください。すぐに、戻ります」
数歩の距離などどうにでもなると思ったのだろう。
双子はシェーナの命どおりにその場から動かなかった。
「リア様、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫に見えるのっ!?ゆ、許さないわ!こんな仕打ち・・・っ、言いつけて・・・」
「許さないとは誰に言いつけるのですか?」
「カナスさまのご命令は“何より優先してシェーナさまを守ること”です」
リアの強がりに、双子がくすくすと笑った。
リアの頬にさっと朱が走る。
「ふ、二人とも・・・。リア様、あの・・・ごめんなさい、二人も本気で言っているわけではないです」
「うるさいわね!さっさと行きなさい!ええ、どうせ私は一人よ!家族にすら見捨てられた女だわ、悪い?アナタみたいに守ってくれる人間なんて誰一人いないわよ。でもそれがどうしたの?」
「リア様・・・」
「その目、腹が立つわ。私、アナタなんて大嫌いだわ。さっさと消えて頂戴。目障りよ」
「あ・・・」
「シェーナさま、行きましょう」
「情けをかける価値もない方です」
双子が業を煮やして、シェーナの手を取った。
シェーナはもう一度だけ振り返ったが、リアはそっぽをむいたまま決してシェーナを見ようとはしなかった。
しかし、シェーナの脳裏には“家族に見捨てられた”と悲痛に叫んだリアの声が残っていた。
「まったく、何て人なのかしら」
「そうよ。あんな人のことはもう気になさる必要はないですから、シェーナさま」
「・・・あの、オルガンを弾いてはいけませんか?そうしたいです」
憤っている姉妹に、シェーナはおずおずと提案した。
すると双子は顔を見合わせて、上の階のオルガンのある部屋に案内してくれた。
シェーナは頼み込み、小さめのオルガンを窓の近くに移動させてもらう。その窓の下には、先ほどの庭があった。
「・・・まさかシェーナさま」
窓を開けたシェーナを見て、ジュシェが驚いた顔をした。
「あんな人のために歌うおつもりですか?もったいない」
「そうです、そんな必要はありません」
ニーシェもそれに賛同する。けれど、シェーナは首を振った。
「私が、今そうしたい気分のだけですから」
そう断ってシェーナはオルガンの鍵盤を小さな手で押す。
オルガンの音に乗せて“歌姫”と称される歌声が響いた。
歌は、誰かのために歌うとその力をより強く発揮する。かつて中庭でわびしく響いたその歌は、今は色鮮やかな音となって風に乗った。
一人ではない、と。そう伝えたくて。
周りに目を向ければ風も、木も、草も、動物も、空も、何もかもがそばにある。この世で一人ということはないのだ。一人と思ったら一人になる、でもそうじゃないと思えれば決してそうでないことに気が付く。この世界で生きているということは、それが神に許されたことだから。許されなければ、決して生きていないのだから。だから、あなたは一人ではない。確かに、愛されていたのだと。そう信じなければ、前に進めない。だから、信じなければならない。それが生きるということだから。生きていることを感謝しなければならない。
言葉では伝わらないかもしれない。
でも、シェーナはフィルカの言葉ではなく、標準語の歌詞を歌った。
「「シェーナさま・・・」」
双子の目に光るものがある。それはシェーナを哀れんだのかもしれなかったし、何かを思い出したのかもしれなかった。
「“希望”の歌です。私は、この歌が好きです。カナス様に出会って、好きだと思えるようになりました」
だから、リアにも何か伝わればいいとシェーナは思った。ほんの、ひとかけらでも。
「行きましょう」
シェーナはちらりと窓を振り返りはしたが、下のリアの様子を確かめることはしなかった。




