歌姫は花冠に幸福を夢見る
前作を読んでいただけた方が自分の想定よりもずっと多くてうれしくなり、さくっと続編を投稿し始めることにしました。更新頻度は前回よりも遅くなるかもしれませんが、最後までお付き合いをいただけるととっても嬉しいです♪
アキューラ王国。
トポル大陸の北から東のほとんどを治める軍事大国は、“狂王”とまで呼ばれた前国王スロンが即位以来、停戦協定を一方的に破棄し、数十年にもわたって侵略を繰り返していた。
スロンは、人を人とも思わず、少しでも欲しいと思ったものはすべてを力で手に入れた。末期には、美姫がいるとの噂を聞けばその姫を召し上げることを望み、拒否をされれば国を亡ぼすということさえ笑いながら命じた。
自身の言うことを聞く貴族のみを優遇し、支配地域から税を搾り取り、手に入れた美しい娘たちと血にまみれた富で享楽にふける国王。そして、私欲に溺れる腐敗した貴族たち。
各地の不満と反感は限界に達していた。
権力をむさぼり金と脂肪をため込んだ年嵩の王の下で、近年実際に軍務にあたっていたのは、唯一現存していた王子であったカナス=フェーレである。
強引に支配下におさめた地域での反乱や、侵略前の領土を取り戻そうとする諸国との小競り合いといった厳しい状況を一手に引き受け、そのすべてに勝利してきたやがて彼は“軍神”と呼ばれるまでになり、民衆からの人気も非常に高かった。
自ら前王を殺し、王位を簒奪した国王は、優秀な息子がいずれ同じことをすることを恐れ、彼を厭い、過酷な戦場を命じ続けるばかりか、その人物像すら貶め続けた。
いわく、冷徹な侵略ぶり、粗野な振る舞い、稀代の女好き。落とした国ごとに愛人を迎え、中には王女目当ての侵略すら平気で行う、と、自身の行為をカナスに転嫁し続けた。
そして実際にも、内通者を通じ、カナスを幾度となく、亡き者にしようとすらした。
しかし、そんな大国も、ほんの数か月前に体制が崩壊した。
スロンが恐れたとおり、カナスが反旗を翻し、自らの手で父を殺し、王位を簒奪したというものであった。
他国への侵略を繰り返していたアキューラはこれをもって方針を転換し、侵略ではなく融和的な外交政策への道を歩み始めた。
国の名を奪われた地区に順次自治権を与え、侵略ではなく共存を図るという道は、強引な徴兵と重度の税金に疲弊したアキューラ国内で強く歓迎された。
毎日、命に怯えなくてよい暮らし。
それこそが新王が求めたものだった。
最近のアキューラでは、こんな物語が流行っている。
若く見た目も麗しい王太子は、ある日、美しい姫君を手に入れた。
小さな国から売られた姫であったが、戦場のけが人や病人にすら自らいたわりの声をかけるたいそう心根の優しい姫を王太子は気に入り、いつでもそばに置いた。
そして姫の歌は不思議な力があった。
雨で戦場での火矢を消し、嵐で進行を妨げ、背後の敵を土砂で埋め、いつでも王太子を守ったという。
いつしか彼女は“歌姫”と呼ばれるようになった。
そして、先の国王との戦いで、混乱に陥った戦場をその歌声で止めた。喧騒にまみれた大地に、気高き大鷲の群れを呼び、どこまでも響く歌声で武器を持つ人々の手を止めた。
そうして、新王は歌姫を傍らに即位を宣言し、圧政は終結した。
徴兵されていた男たちが街へ戻り、村へ戻り、そうして語り継がれていく新たな時代の始まりの物語。
けれど、この物語で主人公となる“歌姫”が、アキューラ人からすれば子供とも見間違うほど小さく、痩せた黒髪の少女であり、一般的に“美しい”との表現が当てはまるわけではないことはあまり知られていない。
***
「シェーナさま、できましたか?」
「シェーナさま、お手伝いいたしましょうか?」
「・・・・・・すみません」
テーブルいっぱいに広げられた切花の山を前にして、黒い頭がうなだれた。
「お花、無駄にしてしまいました・・・」
か細い声で泣きそうに謝罪する少女の手の中からは、無残に本体から散らされた幾重もの花びらが落ちた。細い指が握っているのは、よれよれに編みこまれ、花を落してしまった茎の塊。
「シェ、シェーナさま!泣かないでくださいませ」
「そうですよ!こんなにもいっぱいあるのですから、また作り直せばいいです」
彼女付の侍女である双子・・・ジュシェとニーシェは、おろおろとの傍らに膝をつき、うつむいたままの彼女の両手いっぱいの花を差し出した。
けれど、シェーナと敬称をつけて呼ばれる少女はふるふるとまだ幼く見える顔を振る。
「もう、やめます・・・。お花がかわいそうです」
心根が優しいシェーナは、これ以上花を無駄にすることに耐え切れなかったようだ。
罪悪感いっぱいに人よりも小さな手を膝の上で握り締めているシェーナに、双子は顔を見合わせ、それから努めて明るい声で言った。
「でしたら、これはお部屋に飾りましょう」
「花瓶がたくさんいりますね。すぐにもらってきますから、シェーナさま、お好きな花をお活けになってくださいませ」
「・・・ジュシェとニーシェがやってください。私では、綺麗に飾れません。その方が、お花も喜びます。残り少ない命を、綺麗に飾ってもらえるほうが幸せです」
だが、すっかり落ち込みきったシェーナはそれだけを言い残してとぼとぼと部屋から出て行ってしまった。
「シェーナさま!」
「まってニーシェ。お一人にさせてあげましょう」
「どうして、ジュシェ?!お慰めしなきゃ・・・」
「上手くできなかったことを、上手くできる人間に慰められて元気になれると思うの?」
ジュシェの指摘に、シェーナの後を追おうとしていたニーシェが黙り込んだ。
自分たちが編んだ見事な花冠を見て、ふっと肩で息を吐く。
「そうね・・・余計に、惨めな気持ちになるだけだわ」
「まして、シェーナさまは私たちにですら、恐縮されるような方だもの。追いかけたりしたら、かえって気をお使いになって無理に笑われてしまうわ。そのほうがおつらいでしょうに」
「いつになったら、気にしないでいただけるようになるのかしら?」
「・・・シェーナさまの生い立ちは複雑ですもの。気長に待ちましょう。あら、なあに、その顔は。ニーシェはもうシェーナさまのおそばにいることは嫌になったの?お気を許してくれないから?」
「そんなわけないでしょう!大体、シェーナさまは私たちにお気を許してくれてるわよ。光栄すぎるほどに、気に入ってくださっているわよ。それくらいわかってるわ」
「なんだ、分かっているのね。嫌なら私ひとりでシェーナさまを独り占めできると思ったのに」
「冗談言わないで。だれが、ジュシェに独り占めさせるものですか。シェーナさまの一番の侍女は私なんですから。気の利かないジュシェより、私のほうが好かれているわ」
「む。なによ、それ!あんたなんて、いつもお願いされた以上のことやって、迷惑がられてるじゃない!」
「気遣いよ、気遣い。お世話する以上、言葉に出されなくとも先回りして用意するのが真の侍女ってものでしょ?」
「だからそれが、迷惑だっていってるでしょ?!後始末大変なんだからっ!おせっかい!」
「何ですって!何よ、ジュシェのくせに!」
「何よ、ニーシェのくせに!」
二人は正面からにらみ合い、それから同時にぷっと吹き出した。そして向かい合った手を握り合って、額をくっつける。
「いつか、シェーナさまが八つ当たりしてくれるといいね」
「いつか、シェーナさまが愚痴をこぼしてくれるといいね」
「楽しいことだけじゃなくて、つらいことも分けてくださる日が来てくれれば」
「きっと、あの方は誰にも気兼ねなく笑えるようになるから」
「そのときが来るまでしっかりお世話をしよう」
「できることを精一杯していこう」
シェーナが幸せになってくれるように。いつも心から笑っていてくれるように。
「「でも、一番は私だけど」」
だが、ぼそりと呟いたはずの台詞まで二人同じで、姉妹はまた目を吊り上げてばちばちと火花を散らした。
シェーナを守るためにと主に命じられシェーナのそばにいるようになってから、特別な教育を受けた本来は冷酷非情な側面もある侍女たちは、こうして日々、大好きなシェーナの一番を子供のように争っていた。
*
シェーナ=ロワイセルという名の少女は、神国と呼ばれる神を敬虔に信仰する古代国家フィルカの王女である。しかし、その生い立ちは複雑であった。
そもそもフィルカの王女は“歌使い”と呼ばれる。
その特別な歌声は人々を癒し、救うと神話の世界から言われてきた。神話では銀の姫君を“歌使い”の一方で、決して存在してはいけないといわれるのが黒髪に黒瞳の“神に見捨てられた子”。
不吉の象徴として生まれたときに秘密裏に処分をされてきた存在だった。
そしてシェーナはそのシャンリーナとして生まれた。王妃の命を犠牲にして。
父王(フィルカでは白の神官と呼ばれる)は“歌使い”であり“シャンリーナ”であるシェーナを公には出さないこととし、16年間塔に閉じ込めて育てた。
シェーナはただ、“歌使い”としての声だけを必要とされ、塔で歌うことを強要され続けた。
外に出ることも許されず、汚れた存在として誰かに触れることも許されず、何かあれば鞭を打たれ、焼き鏝を押し付けられ、逆らう気力と思考を奪われ続けた。
金の髪を持つ美しい侍女や塔の門番に食事すら横取りされ、とても不健康に、ただ生かされているだけだった。
そんなシェーナは、スロンが侍女と勘違いして“美姫”を求めたことで、アキューラに連れてこられた。美しい侍女は逃げ出し、たった一人で臨まなければならなかったシェーナは、もちろん、スロンに殺されそうになったが、それを助けたのがカナスだ。
そうして、なぜかいろいろと世話を焼かれ、アキューラ国内のクーデターに巻き込まれ、今も彼の隣にいることを許されている。
痩せていた頬はふっくらと以前にも増して柔らかくなり、青白かった顔色は色白ながら健康的な血色を維持している。日々双子に丁寧に手入れされている黒髪は艶やかで、くるりと柔らかいカーブを描いてシェーナの肩で揺れている。
身に着ける衣服はシェーナの信仰のため、肌が見えないようにゆったりとしたシルエットのワンピースと長いローブだが、いずれもつるつると肌触りがよく、繊細な刺繍が細部に施された上等なものだ。
そのすべてはカナスが与えてくれたものだった。
シェーナは、はぁ・・・っと地の底に沈みそうなため息をついて、展望台のようになっているバルコニーの手すりにつかまっていた。
相変わらず外の景色はシェーナの今まで知っている世界とは違い、人工的でなんとなく圧倒される。
それでも整然と整理された街並みや大きく荘厳な建造物を夕日が染めている景色はとても綺麗だった。
フィルカは痩せた大地に、それでも人々の営みとして古ぼけた家々と畑があった。
逃げられないようになった高い窓から覗き込んだことがあるたったそれだけの景色しか知らないけれど、たとえ街の中心であろうとも、この大国の王都と明らかに違うのだろうということは漠然と思っていた。
また、はあ、とため息が出た。
(なんで、私は何もできないんだろう・・・)
花の冠を作ることが、憧れだった。
一面の草原で、花を摘み、冠を作る。それを父や母にあげる。ありがとう、と子供のつたないプレゼントに両親が笑ってくれる。
そんな幸せな家族の光景を、シェーナは本の中だけで知った。
そうして憧れていた。
優しい母、たくましい父、自由に駆け回る子供たち・・・そこには全ての幸せがあるようだった。
もちろん、物語だからそれで終わりじゃない。
途中、つらくて、苦しいことがあって、主人公はたくさんの苦労をする。でも、最後はいつもハッピーエンド。
家族が、仲間が、恋人がそばにいてくれる。笑っていてくれる。
シェーナの物語は決してそんな終わりを迎えることはないはずだった。
生まれたときから愛情を向けられたこともなくて、ただ疎まれ、憎まれ続けた。ずっと一人だった。楽しいことなんて一度もなかった。幸せなんて分からなかった。
でも、本当に奇跡みたいなことが起きて。
終わるはずだった命を救ってくれて、外を見たいという願いを簡単に叶えてくれて、本当の笑い方を教えてくれた人と出会った。
そうして今、たくさんの人たちに囲まれている。
ここではシェーナを憎む人はいない。
むしろ“歌姫”と大切にしてくれる。毎日が穏やかで、どれほど幸せなことか。
何より、全てを変えてくれたその人が、好きだと言ってくれた。家族になってくれると言った。嘘じゃないかと思うくらい、嬉しくて幸せだ。・・・その、はず。
でも、シェーナはやっぱりどこかで信じられないのかもしれない。
何日かに一度、うなされて目が覚める。目を覚ましたら、やっぱりまだあの冷たい白い部屋の中なのじゃないかと疑ってしまう。
これは全部、都合のいい夢で、全部消えてしまうのではないかと怯える。
慣れない幸福からまるで心が逃げたがっているように。
いつか消えても絶望しないよう、幸せに浸りきらないよういつも不幸を探している。
それが、つらい。つらくて苦しい。幸せであればあるほど苦しい。
だから、花冠なんて子供っぽいものを作りたくなったのかもしれない。
憧れていた「幸せの象徴」を。この幸せを現実だと、そうやって感じるために。
(・・・でも、できなかった・・・)
そのことはまるで、幸せになる資格などないのだ、とそうやって言われているようだった。
幸せなどお前がつかめるわけがないのだ、と。
たった、花冠一つで、と思う。こんなことくらいで、と思う。
けれど、シェーナの臆病は、いつも些細なことでシェーナをあざ笑い、痛めつけるのだ。
(また、今日も眠れないかもしれない)
こんな風に落ち込んだ日は決まって父が夢に出る。
怖くて怖くてたまらない、あの鞭の音を響かせて。嫌悪し、憎悪する声音で“シャンリーナ”のくせに、と叱咤する。
ぶるっとシェーナは身を震わせ、手すりを掴んでいた手で肩を包んだ。
すると、突然ふわりと温かな上着がシェーナの肩に掛けられた。
「・・・え・・・?」
「寒いなら中に入れ」
驚いて振り返ると、そこに立っていたのはシェーナの運命を変えてくれたその人だった。
青年の栗色の綺麗な髪は襟足が肩につくくらいで、長めの前髪からのぞくアクアマリンの瞳は切れ長で冷ややかにも見えるが、今は穏やかな色を浮かべていた。
品のよい白いシャツと、僅かに金糸で刺繍をあしらった黒いズボンを身につけた彼は、シェーナの祖国より平均身長が高いこの国の中でも背が高い方で、そのうえ手足が長くスタイルもかなりよい。見かけは完璧な上流階級、野蛮なことなど一切せず、蝶よ花よと育てられたと優男風であるが、これでも各国に恐れられた、軍事大国アキューラの“軍神”。
上質なシルクに包まれた体は完璧に鍛えられていて、その戦跡も傷跡となって幾つも刻まれている。
その身に降りかかっていた不幸を自らの手で切り開き、大罪の名を背負って即位した、この大国の若き新王である。
「それとも何か面白いもんでも見えるのか?」
「カナス様・・・」
傍に寄られるだけで、どきりとする。身分不相応なのがよく分かっているからこそ、どうしてこんな人が自分を好きだといってくれたのか分からない。
でもシェーナが、カナスのことをとても慕っていることに変わりはない。
こんな風に姿をみているだけで鼓動が乱れてしまうほどに。
シェーナの隣に立ったカナスは、視線の先に夕日をみて、納得したように顎を引いた。
「夕日か。街の壁が白いから、その色に染まって見えるな」
「は、はい。綺麗です」
僅かに赤くなった頬を夕日がごまかしてくれていることを期待しつつも、シェーナはおどおどと視線を彼からそらしながら答えた。
「ああ、まあそりゃそうだが。だからって冷たくなるまでここにいんなよな」
けれどそんなシェーナの努力を無にするように、彼はシェーナの肩をつかんで自分の方へぐいと寄せた。
おまけに手を取って自分の手のひらで包み込む。
「日が沈むとまだ寒いぞ。お前はすぐに風邪を引くんだから気をつけろ。・・・ったく、冷えてんぞ」
シェーナの一回り小さな手を温めるように、腰をかがめたカナスがその白い手に唇をつけた。
そのまま、指先をくわえられ、冷え切った手には熱く感じる舌で舐められる。
「ひ・・・っ」
びっくりしたシェーナが手を引っ込めようとしたが、圧倒的な力の差の前には無謀な試みに終わった。
「カ・・・カナス様、やめてくださ・・・っ」
シェーナは真っ赤な顔で必死に懇願したが、目があったカナスはにいっと笑っただけだった。
シェーナに意地悪をすることも好きだと言ってはばからない男は、日常的にシェーナに些細な悪戯をする。
「少しはあったまっただろ」
「・・・・・・」
ようやく手を離してもらえたものの恥ずかしくて答えられないシェーナを、カナスがひょいと持ち上げた。
「カナス様?!」
突然体が浮いて、驚いたシェーナはぎゅっと彼の首にすがりつく。
するとかすかな笑い声の後、「こうしてりゃ見やすいし、体もあったかいだろ」とますます体を密着させられた。
前はこうして触れてくれるだけで嬉しいと思っていたのに、最近はなぜかひどく落ち着かない。
「あ、あの・・・おろ、下ろしてください・・・」
「やだね」
「ど、どうしてですか?」
「寒いから」
そう言われてシェーナは、自分が彼の上着を奪ってしまっていることを思い出した。
シェーナに掛けられているほとんど黒に近い深緑の襟高の上着は裏地に柔らかな毛皮があしらわれていてとても温かい。
カナスが中には白いシャツ一枚しか着ていなかったのもその温かさがあったからだろう。
それをシェーナに渡してしまえば寒いのは当たり前だ。
「これ、返します!」
シェーナは慌てて主張したが、カナスはあっさりと突っぱねた。
「いらん」
「でも、寒いと・・・」
「お前を抱えてたら十分だ」
「わ、私よりもこの上着を着たほうが温かいです」
「お前は体温が高いから、こっちのほうがいい」
「でも、重いです」
「重くねえよ。つか、もう少し重くなれ」
「ちゃんと食べてますよ」
「知ってる。俺の半分以下だろ」
「カナス様がたくさんなだけです」
「ちげえよ。お前の食はまだ普通にくらべて細いんだ」
「そういわれても・・・。あ、ち、違います。そうじゃなくて、下ろしてください。腕が疲れます」
「だから重くねえって言ってるだろ」
「でも・・・」
何を言っても下ろしてくれないカナスに、シェーナはへにゃっと眉を下げる。
すると、ため息が顔にかかった。
「嫌なのか?」
「ち、ちがいます。嫌なんて、そんなわけでは・・・」
ちっとも嫌じゃない。でも、恥ずかしいし落ち着かない。それだけだ。
もじもじと収まりが悪そうにしているシェーナに、カナスのため息が続く。
「・・・普通にしゃべれって言っただろ?」
「あ・・・え・・・・でも、カナス様は国王陛下ですから。恐れ多いです」
「・・・・・・」
「普通にしゃべったら失礼でしょう?・・・カナス様?どうかしたんですか?」
「お前は・・・」
「何でしょうか?」
なんともいえない表情を浮かべたカナスに、シェーナの表情も曇る。
だが、不安に駆られて瞳を揺らすシェーナに気がついたカナスは、ふっと息をつくとシェーナを腕から下ろした。
それを望んでいたはずなのに、シェーナはますます嫌な鼓動を感じてしまう。
すると、カナスが話題を変えて尋ねた。
「そういや、うるさい双子はどうした?一緒にいなかったのか?」
「あ・・・」
そこで、シェーナは自分の至らなさを思い出した。
「す、すみません・・・」
「どうした?喧嘩でもしたのか?あいつら、はっきり言わないとわかんねえからな。嫌なことは怒っていいんだぞ」
「え・・・ちが、ちがいます。二人はとても優しいです。何でもできて私なんかにはもったいないくらいです」
「シェーナ、自分をそういう風に言うなと・・・」
自己卑下癖が直らないシェーナに、カナスが眉をひそめた瞬間、シェーナは慌てて頭を下げた。
「・・・シェーナ?」
「ごめんなさい。せっかく、カナス様がお花をくださったのに・・・私・・・できなくて・・・」
「花?」
先ほどテーブルの上に並んでいた花はすべてカナスがくれたものだった。
土地が痩せているアキューラの首都レルベントには草原というものはない。
石畳で覆われた道の端に背丈の小さな雑草がまだらに生えているくらいなものだ。
それでも花が好きなシェーナのために、カナスは献上品として地方の花を貰ってたくさんもって帰ってきてくれたのだ。
「できないって何がだ?気に入らなかったのか?」
「そんなことないです!綺麗でたくさん、すごく嬉しかったです」
ぶんぶんと千切れんばかりに首を振るシェーナに瞳を和らげて、カナスはその頭を撫でた。
「じゃあどうしたんだ?」
「・・・お花の冠を作りたかったんです」
その優しい触れ方につられて、シェーナはぽつりと重い胸の内をこぼした。
「花の冠?って、あれか?子供がその辺の雑草で作るやつか?」
「はい。私、作ったことがなかったので、せっかくだから作ってみたくて・・・とても綺麗なお花だったから、きっと綺麗な冠ができると思って・・・。でも、私・・・私、ぐしゃぐしゃにしてしまって・・・ジュシェとニーシェはちゃんとできたのに・・・せっかく、綺麗なお花を戴いたのに・・・」
「それであいつらを置いて、拗ねていたのか?」
「拗ねて・・・、そう・・・かもしれないです。せっかくジュシェたちが綺麗に作っていたのに、褒めてあげませんでした。嫌な思いをさせてしまいました」
どことなく感じていた嫌な気持ちを言い当てられて、シェーナはますます肩を落とした。
「私、上手くできたら、カナス様にあげたかったんです。でも・・・・、あの、ジュシェたちは綺麗に作っていたので、もらってきましょうか?」
「いらん」
キッパリ断られて、シェーナはがっかりする。どうやらお好みではなかったようだ。
「そうですか・・・。だったら失敗してよかったかもしれなかったですね」
よく考えたらカナスに花というものが似合うとは思えない。
いくら見た目だけなら背景に花をしょっていそうではあっても、完全な軍人出身の彼はそんなものが好まないだろう。
ただ、シェーナは大切な人にそれをあげるということがしてみたかったのだ。
その夢を絶たれて、独りよがりとは知りつつも、シェーナは悲しい気持ちになった。
するとシェーナは、脇の下に手を入れられてまた宙に持ち上げられることになった。
いかにも軽々といった様子でカナスは、シェーナを自分の視線と同じ高さまで上げる。
「花に興味はねえからあいつらが作ったもんならいらねえけど、お前が作ったならもらうぜ」
「・・・え?」
「お前が俺のために作ってくれるんだろ。だったら、受け取る」
「で、でも・・・興味がないと・・・それに、よく考えたら・・・たぶん、皆に笑われる、かも・・・」
「ああ、ラビネとかグィンあたりは笑いそうだな。まあ、俺だって似合わねえこと分かってるけどよ」
彼が心から信頼している側近の名前を挙げて、いやそうな顔をした。
「だったら・・・」
「けどな、お前が俺にやろうと思ったものなら、どんなに似合わなくても貰う。お前がそう思った。それだけで俺にはすげえ価値があるからな」
「-----!」
シェーナは驚きに息を呑んだ。
「お前は今一歩わかっていねえ気がするんだが・・・俺はお前が好きなんだぞ。好きな奴がくれるもんならそれだけで嬉しいに決まってるだろうが」
「ほ・・・んと・・・ですか?」
「じゃあ、俺がお前がほとんど着ないような服とか宝石をやったらいらないものをもらったって迷惑に思うか?」
「思いません!どんなものでもカナス様から戴いたものなら大切にします!」
「そういうことだ」
大分薄暗くなってきた視界の中でカナスが丹精な顔に、にやっといたずらっぽい笑顔を浮かべたのがわかった。
どきん、と一際心臓が跳ねる。
「・・・話しているうちに、ほとんど沈んじまったな」
カナスは地平線に消え行くオレンジの光を見て、シェーナを横抱きに変えた。
そして今更慌てているシェーナを室内に運ぶ。
「部屋に戻るだろ。このまま連れてってやる」
「え!いいです、大丈夫です。一人で戻れますから」
「そういって、お前はいつも迷うだろうが」
「そ、それは・・・」
カナスが目を覚まして正式に王位についてから、シェーナが暮らす場所も王宮の裏に広がる王の居住スペースに移った。
その奥に後宮があるのだが、カナスにはかつて父に異母姉がそこにとらわれていたという嫌な思い出があるため、シェーナをそこに入れようとはせず、自分の隣の部屋に置いている。
そのうち、後宮はもっと開放的なところに作り直す、と彼は言っているが、国内の整備が先でまだまだ時間がかかりそうだとジュシェたちは言っている。
シェーナはどこに住んでもいいと思っているが、王宮側に女人が住むことをゆるされているのは、シェーナが“歌姫”として崇められていることのほかに、王の側女がシェーナしかおらず、他の女に通うということもなく寵愛をめぐる争いが起こらないからだ。
女人が何人もいればそれだけ混乱が生じやすく、使用人たち、そこに出入りする貴族たちへの悪影響が考えられ政治まで混乱する可能性がある。
そんな特別扱いを知らないシェーナは、ただっ広い宮でよく迷って周りを困らせていた。
「すみません。どこも同じような廊下の気がして・・・こんな広いところに、住んだことがないから」
「別に怒ってるわけじゃねえからそんな顔すんな。そうだな、何か目印とか置いておくといいかもな・・・何がいいかな」
「え・・・っと、じゃあ、お花はどうですか?廊下にあったら綺麗です」
「いや、枯れるだろ。それは」
そんな他愛のない話をしているうちに、シェーナは抱かれたまま部屋に到着していた。
その日、シェーナが悪夢を見ることはなかった。
前作「お伽話のそのあとで~虐げられた姫君は大国で自らを取り戻す~」はこちらとなります。
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