たぶん日本最初のカブキ
たぶん日本最初のカブキに思い至ったのです。
今回もまた仮説です。
前回の外科手術の時のように、神話に記されている内容への違和感に対して、真剣に語ってみます。
根拠などは特にない推論です。
でも、ヒーローはヒーローであってほしいと思うのです。
「歌舞伎」とは。
説明不要と思われますが、Wikipediaさんからちょっと引っ張ってみます。
※歌舞伎
「かぶき者」の斬新な動きや派手な装いを取り入れた独特な「かぶき踊り」が慶長年間(1596年-1615年)に京で一世を風靡し、これが今日に連なる伝統芸能「かぶき」の語源となっている。
はい、では、「かぶき者」とは?
※歌舞伎
→かぶき者
戦国時代の終わりから江戸時代の初頭にかけて京で流行した、派手な衣装や一風変わった異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言った。
だ、そうです。
その語源は、「傾く」の古語にあたる「かぶく」になります。
私が歴史の授業で習い衝撃を受けたことは、
・歌舞伎とは、元々は「かぶき者」(男が女物の着物を着て奇行に走る者)が基になっている。ということ。
……つまり、女装してヒャッハーしていた若者たちのことが、世界に誇る日本の伝統芸能の祖になっていると。
私、子ども心に、ええー……。そんなぁ……。ってなりました。
まあ、そんな私のマインドクラッシュはどうでもよくてですね、日本神話においてのかぶき者。つまりは女装があったと思い至ったことを、推論を交えた仮説を中心に語っていこうと思います。
妻 イザナミ を亡くして気力を無くした イザナギ は、三貴人と呼ばれる アマテラス 、 ツクヨミ 、 スサノオ の三姉弟に実権を譲り隠居します。
貴き血の祖たる二柱のカリスマを無くした高天ヶ原は、引き継ぎのために若干の混乱を経て世代交代が完了。このまま上手くいくかと思われましたが……。
はい。ちょっと困ったことが起きました。
母を亡くした三貴人、父まで側から離れます。
するとなんと、お姉ちゃんである アマテラス の甘えん坊が発動します。
神事や祭事を担当する アマテラス は、今の天皇陛下のように稲を育て刈り取ることなどもします。
とっても忙しかったのでしょう。しかし、職場や公共の場では態度を表面化しなかったと思われます。
しかし、プライベートとなると、弟くんたちにべったり。
特に、末っ子の スサノオ がお気に入りのお姉ちゃん。
クールな ツクヨミ くんは、いつも華麗にスルー。
けれど、情熱的な スサノオ くんは、甘えてくるお姉ちゃんにいつも真剣に向き合い応えます。
そんな三貴人の様子に、ヤバくね? となった高天ヶ原の重臣たち。
至高の神 イザナギ の後を継いだ最高神にして太陽神にして神事を司る巫女でもある アマテラス お姉ちゃん。
……ちょっと、家族以外には見せられないグダグダっぷりを見てしまった高天ヶ原の重臣たちは、 イザナギ・イザナミ 夫婦を連想。
……いやこれ、マズくね? となり、対応を協議。
その結果、真面目な軍人たる スサノオ (注1)は、
「天の威光を地に知らしめるために、下界に下り災禍を祓うべし」
と、重臣たちの進言……という名の懇願……を聞き届けた イザナギ により命じられ、神剣の一振りを授かって単身下界へと下ることになった。
出陣の前に良くしてくれた姉たちに挨拶をと参じれば、 ツクヨミ は、月のようにクールに応じるにとどめることができたが、 アマテラス お姉ちゃんは、真夏の日照りの太陽のようにウザく激しく抵抗。自分が動かせる護衛の総力をもって取り押さえてでもスサノオ弟くんがよそに行くことを妨害しようとします。
困った スサノオ くん。ひとまず、 アマテラス お姉ちゃんを安心させるために誓約書を交わします。
お仕事終わったら、絶対に帰ってくるという内容の誓約書を。
そこでいちゃコラしつつも、長期の出張と思っていた アマテラス お姉ちゃんは、その場ではなんとか納得して、弟くんを送り出しました。
……ですが、少しの後に本当のことを聞かされた アマテラス お姉ちゃんは、もう二度と大好きな弟くんに会えないと、ショックで自室に引きこもってしまいます。
世界に闇が訪れて、困り果てた高天ヶ原の面々。
それを、 アメノウズメ が歌って踊ってどんちゃん騒ぎして(注2)、なんとか引きこもりお姉ちゃんを自室から引っ張り出すことに成功しますが、それはまた別の話。
さて、長い前振りでしたが、 スサノオ が下界、つまり、葦原中津国に降り立ち、最初に見つけた災禍、それが、「ヤマタノオロチ」と呼ばれる、毎年起きて甚大な被害をもたらす「川の氾濫」。(注3)
その土地に住む人たちは、生け贄という名の人柱(注4)を捧げることで、災禍が少しでも減るようにと祈りを捧げていたといいます。
わりと現実主義の スサノオ くん。頭を抱えたことでしょう。
しかも、今年生け贄に捧げる人物は、美少女の「クシナダヒメ」で、さらに頭痛がしたことでしょう。
わりとどうしようもない現実を、どうにかしないといけないということが分かった スサノオ くん。
まずは、治水対策の大規模な工事です。
とはいえ、長大な川の全域に一斉に手を加えようとしても無理筋。
なので、川の氾濫が起こりやすく、すぐに工事が完成するところから着手。
また、工事する箇所において、毎回神事を執り行い、酒を用意させ自らは アマテラス お姉ちゃん直伝の神事と アメノウズメ 直伝の奉納の舞を披露。
その際は、巫女として、女性用の着物を着て舞ったと思われます。
…… スサノオ が自ら。
「問題ない」
と自己申告するスサノオですが、困り果てた現地の人たちから見ても問題だらけです。
帯剣する細マッチョなイケメン軍人の スサノオ は、女装しても顔に白粉塗ってもあまり女性らしく見えなかったのでしょう。
しかし、他に誰も舞えないのだから仕方ありません。
けれど、そのまま舞ったら放送事故待ったなしの惨事になると判断した クシナダヒメ は、女装して白粉塗った スサノオ の服を整え髪を梳かし、白粉を塗り直し口に紅を引き、とどめに自身の髪に差している櫛を スサノオ の髪に差しました。
これでなんとか体裁を整えることができました。
本来であれば、歌い手や鼓の奏者なども必要ではありましょうが、無い物ねだりしたり1から育てたりする時間はありません。
流れ者でありながら色々知っていて、自信満々に振る舞う スサノオ に全てを託した現地の人たちが見た光景は……。
歌もなく、音もなく、ただ、静かに舞い、祈りを捧げる スサノオ の姿に、確かに神の威光を感じたことでしょう。
今にも雨が降りだしそうな曇天の空に、舞い終わり、剣を天に掲げるのに合わせて、晴れて光が差し込む様子は、
神の奇跡、そのものだったことでしょう。
あるいは、その時ばかりは アマテラス や アメノウズメ の神力が スサノオ に宿っていたのかもしれません。
神事が終われば、急ピッチで治水対策の工事です。
天の威光を目の当たりにしてやる気に満ち満ちた人たちは、長雨の時期に工事を間に合わせることができました。
そのため、その年からは水害とは無縁の生活が約束されることとなりました。
こうして、八つの首を持つ巨大な龍と称される水害は、 スサノオ の知識と技術と奉納の舞、人々の協力によって治めることができましたとさ。
その後は、 クシナダヒメ を妻に迎えて各地を渡り歩き、 オオヤマツミ の娘である神大市比売と結婚して子を残し、その後は妻や子や、たくさんの土産話を携えて、母 イザナミ の眠る根の国 (黄泉の国)に渡り、終の棲家としました。
そして、後に葦原中津国を統べる才能に満ち溢れたイケメンの青年に試練を課し、娘と青年、惚れ合った者同士が力を合わせて難事に挑む姿を見て決意。
父として複雑ではあるものの、大事な娘と オオクニヌシ の名、秘伝の医療知識・医療技術を託して送り出しましたとさ。
おしまい。
拙い仮説にお付き合いくださりありがとうございます。
(注1) : スサノオは乱暴者。職務放棄して泣きわめいた上、乱暴狼藉が過ぎたため、イザナギにより追放を命じられたとあります。
「追放&オレツエェ」でも、そう記してはいますが、そこに違和感を覚えていたため、仮説をたてます。
「スサノオの乱暴狼藉は、最高神であるアマテラスの名誉を守るため。そして、乱暴者が追放されて英雄となる話の方が、最初から英雄的な人物であるよりも盛り上がるのでは?」
という説を。
つまりは、「ギャップ萌え」を狙って改竄した文献を残したのではないかと。
(注2) : アメノウズメの舞は、華麗で優雅な舞や飛んだり跳ねたりの激しく見応えのあるダンスではなく、ストリップショーだったという説もどこかにありましたっけ。
鼻の下伸ばしたスケベおやじ共が騒ぐ様子を、なんかみんな楽しそう……。と若干勘違いして出てきたアマテラスお姉ちゃんは、怒っていいと思う。
(注3) : ダムや堤防のない神代の世では、台風などの豪雨で増水した場合は、川の氾濫は年に何度も起きていたものと思われます。
それも、現代の激甚災害に相当する被害が。
(注4) : 人柱は、橋などの重要建造物を建造する際に、建造物の安全や工事の完成を願い捧げられるもので、基本的に罪人を捧げるものですが、拡大解釈されたのか元々はそうだったのか創作によるものか、権力者の子どもや女性などの「特定の人物」を生け贄に捧げるケースもあった模様です。
(注5) : 天叢雲剣の出所は不明ではありますが、鍛冶が盛んな村を攻めた際、その村から押収したもっとも優れた鉄の剣がそうだという説もあるようです。
熱して溶かした青銅を型に流し込んで造る鋳造の青銅剣が主流だった時代において、熱して叩いて鍛える鍛造によって造られた鉄の剣は、当時は武器というよりは兵器に相当したことでしょう。
あるいは、技術を独占していたその鍛冶の村は現代でいう武器商人、つまり「死の商人」であったとも考えられます。