世界は5分前に始まった
「意図的な子供時代」「リボン」「(忘れました)」でお話を作りました。
ジャンルは指定がなかったので魔法少女的な話にしてみました。
真っ暗な世界で、彼女は片膝をついていた。天使を思わせる羽とピンク色の服は所々小さな傷がつき、肌が露出している。顔を上げた彼女は目の前の異形の怪物を見据え、口の端の血を拭う。
「カナ! これ以上は危険だよ!」
彼女の握りしめるステッキから声がする。しかし彼女の意思を思いとどまらせるには至らない。
「大丈夫。私は負けない! ここで一気に決めるよ!」
ステッキが光り輝き、幅の広い剣が姿を現す。刀身は光を増し、怪物はその眩さに手をかざし、たじろぐ。
「今だ! ホーリークロスブレイク!」
上段から振り下ろされた光の塊が闇を真っ二つに引き裂き、世界は平和を取り戻した。闇の眷属の企みは今日もピュアエンジェルこと棗夏奈によって粉砕されたのだ。彼女は剣の姿から元に戻ったリボンを髪にくくり、いつものポニーテールに戻す。
「おつかれ、カナ! 今日は危なかったね」
「ほんとじゃん。最近敵強くなってきてない?」
彼女はカバンを拾い上げると、帰り道につく。先ほどまで闇の眷属が張っていた結界は消え去り、人通りが戻りつつあった。
「どうして毎回敵の結界で戦わなきゃならないのよ」
不満げにつぶやく彼女に頭のリボンが答える。
「簡単なことだよ。君は自分の部屋と初めて行く友達の家、どちらが緊張する?」
「それは、友達の家じゃん」
「そうだよね。彼らも地球より自分たちの住んでいる所が好きなのさ」
彼女の顔は全く晴れない。
「ならこんなところ来なければいいのに。悪さしかしないし、怪我するだけなのにさ」
呆れたように呟く。彼女はまだ中学生なのだ。自分の命をかけている自覚も相手の境遇を考えることをできるほど人生を歩んでいない。リボンを髪に飾っている理由も口では町を守るためだと言っているが、そんな殊勝な心構えの持ち主でない。いつも能天気で自分の欲を満たすために行動する彼女が思っていることは、親からテストの点数が悪くて怒られたとか、先生に授業中に寝て怒られたとか、そんな小さいことへの不満を晴らすためだろう。付き合いの短いリボンにもわかるほど彼女は単純だった。
「よっ! ナッチ」
後ろから声をかけられる。夏奈をあだ名で呼ぶ同級生は多いが、ここまで元の名前の成分が少ない呼び方をする友人はひとりしかいない。
「お、アズッチ今かえり?」
茅場梓はカナと同じクラスのメガネ女子だ。いつもフワフワしているカナと違って、将来は理系に進んで医者になりたいと勉強しているしっかりした子だ。ところが真反対の性格の彼女たちはよほど気が合うらしく。休日はよく一緒に出かけたり、家で一緒に勉強をしたりと、二人が友達であることを否定するものはいないだろう。
「アズッチ膝どうしたの?」
梓に指摘されて初めて夏奈は自分の膝小僧に擦り傷があることに気づいた。
「あれ、いつの間にできたんだろう」
「もう、ちょっと待ってて」
梓は鞄から消毒液とティッシュを取り出し、きれいに彼女の傷口を洗う。テキパキと処置を終え、後には肌色の絆創膏が残った。
「すごい、アズッチ。ママよりうまい」
「私よく転んじゃうから慣れちゃって」
そういって照れ笑いを浮かべる彼女に夏奈は
「よし、じゃあ今日は何をしよっか」
と満面の笑みを浮かべた。
彼女が最後に笑ったのはいつだっただろうか。病院の一室、ベッドに横たわった少女は目を開かない。そのそばで丸椅子に座った少女も表情が見えないほどうつむいている。
「アズッチ、何ふざけてんのよ。今日駅前のクレープ一緒に食べる約束だったでしょ」
彼女のか細い声は誰の耳にも入らない。ベッドの住人の心電図は正常だが、意識だけ闇の中をさまよっている。
「カナ。もう行こう。彼女はすぐには回復しない」
「なんでそんなことわかるんだよ」
彼女の声は明らかに怒気をはらんでいる。お前に何がわかるのか、と言っている。
「昨日までファミレスで一緒に勉強してたじゃん。ジーユーとかしまむら行ってたじゃん」
昨日のことだ。いつものようにふたりで帰っていた彼女たちはフォールデビルの結界に囚われてしまった。梓は夏奈が変身したことに驚いていたものの、普段の怪我の多さに納得がいったようだった。一般人をかばいながらの戦闘に夏奈は苦戦していたが、なんとか元凶の闇の眷属を撃破することに成功した。
だが、話はそこでは終わらない。千切れ散った敵の体の一部が梓の体にかかり、彼女は闇に浸食されてしまったのだ。異形化しつつあった梓は夏奈を手でふりはらいつつ、ただ
「生きたい」
「死にたくない」
それだけつぶやいていた。リボンは彼女が闇に乗っ取られているだけだと諭し、ピュアエンジェルの力によって浄化される。そう言って夏奈に剣を振らせた。だがどうだろうか。二日経っても彼女は目を覚まさない。あの怯えた表情は夏奈の脳裏に強く焼き付いていた。
「リボンさ。前言ってたよね。デビルの結界だけじゃなくてエンジェルも結界を張ってる、って」
膝の上に置いた握りこぶしは音をたてる。声はかすれており、いつもの突き抜けた明るさはなかった。
「人が来ないように、って言ってたけど。私が敵の結界に入った時、いつも人がいないじゃん」
もうすでに人が飲み込まれた、そういうことじゃん。彼女の指摘は確かに真理をついていた。リボンの返事はない。相手の表情も見えないものに彼女は独り言を漏らす。
フォールデビルとは何なのか。親友が病院に運ばれてから二日間で彼女が考えて出した結論としては、誰かに無理やり連れてこられた存在である、ということ。彼らはすべからく意思疎通ができない。そのような前例に反して、たまたま乗っ取られた梓は異形化する途中で生への渇望を口にしていた。もちろんそれを彼女本人の言葉であると捉えることはできる。しかし夏奈の姿に対して過剰反応しており、乗っ取られていなければ彼女の攻撃するような手の動きはおかしい。反対に乗っ取られていたとすれば生への渇望は敵の本心となる。彼らがどこか別の場所から来るなら帰る場所があるはずだ。しかしあの時の行動は逃げ場がないようにしか見えなかった。つまり彼らは猛獣の住む檻に入れられる生餌のようなものだろう。
「だから本当は敵がやってくるんじゃなくてお前が呼び寄せてんだろ、リボン」
「違うよ。君の考えは途中まではあっている。当てずっぽうにしてはよく考えてるね」
でも違うよ。可愛らしい天使の声はこの日に限っては無機質に響いた。
「ぼくは猛獣なんかじゃない。そんなに強ければこんなところにいないよ」
彼の声はどこか悔しげだ。その本心をつかみ損ねた彼女に重ねてつぶやく。
「この会話は僕たち以外は聞いていない。でも君は次からまともに戦えないだろうね。多分次回で終わりかなあ」
彼の言葉の真意をくみ取ることはできなかったが、彼女とベッドに横たわる親友と無関係であることは確かだろう。夏奈はうつむいたまま奥歯をかみしめる。
世界が暗く塗りつぶされていく。オフィス街での失踪事件が相次ぎ、夏奈はリボンからの情報をもとに捜索をしていた。その最中に敵は姿を表したのだ。その威容は今までより巨大に感じた。ショッピングモールの吹き抜けに鎮座するそれはうごめく世界樹であり、世界の先駆者を倒さんとする意思の集合である。買い物をしていた多数の人を結界に巻き込み、それは満足げに雄叫びを上げる。今までそこにいた人たちはどこに行くのだろうか? 夏奈はぼんやりと考えながらリボンを解く。地面に垂れ下がったそれは光を帯びて短く、太くなる。
「私に力を貸して! フォーリンピュアエンジェル!」
交戦開始から十数分は互角に戦うが、徐々に傷が多くなる。この流れはいつものことだし、わざとやっているのかと思われるくらいだ。
「カナ! これ以上は危険だよ!」
これもいつもの流れ。彼女は苛ついたように歯を噛み締め、
「うるっさい! お前のせいで、お前のせいで人が死ぬんだろ!」
ステッキを真上に掲げる。光の奔流が彼女を包み、そこには剣を携えた天使がいた。柄を握りしめ、右足で地面を蹴る。一度の羽ばたきで化け物の仮面のような顔めがけて肉迫する。
「くらえ! ホーリークロスブレイクッ!」
気迫、そして光の残像とともに振り下ろされたそれは果たして枝のような腕によって阻まれた。そして反撃の鋭い蔦が一直線に飛び出し、彼女の腹部を貫く。剣は欠けて地面に落ち、ピンクの服と白い羽には赤黒いシミがついた。ぼやけた視界の中、彼女は思い出した。初めて変身したときも、同じような感覚だった。気がつけばリボンに急かされるままピュアエンジェルになっていた。あとになって下校中にたまたま巻き込まれた、と思いだしたが、本当にそうだったのだろうか。誰かが設定付けのために、脳天気な少女としての彼女を演出するために思い出させたのではないか。彼女は薄れゆく意識の中で走馬灯のように思考を巡らせた。
そうか。世界はあのときの五分前に始まったのだ。そしていま終わろうとしている。
「まち、が、えた」
切れ切れに呟くリボンを握り、彼女は目を閉じた。
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