腹ペコ魔法使いの準備
「さて、そろそろ帰ろうかな」
森の中での採集を終えて川辺の作業小屋に帰ってきた俺は今日の収穫を眺めてそう呟いた。ソリの上には熊脂の瓶がぎっしり詰まった木箱と数種類のベリー類がカゴいっぱいに入った笊、束になったハーブや食べられる野草、樹木の若葉などが積み上がっている。
森林の一部の木の春の新芽や若葉はサラダにしたりして食べることができる。本来なら木から直接採集すると樹木の成長に悪影響を与える可能性があるので許可が下りないがこの森はアモンテル大森林に繋がっているせいなのか魔物も多く、ほとんど人の手が入っていない。だから剪定がてら多めに新芽や若葉を採集しても問題ないのだ。
「夏になったら茸集めが始まるし、春の作業もどんどん進めないとな」
家に帰る前に持ち帰る荷物をチェックして、忘れ物がないことを確認する。しっかり紐や釘などで固定されているのを確認したら俺はソリを引くための曳縄を肩に担ぎ、身体強化の魔法をかけて森の中を歩いていった。
辺境伯が帰ったあと俺は特段変わらない日常を過ごしていた。流氷グマの解体も、肉の処理やあのまま埋めておいた内臓の処理も全て終わらせてそれぞれ適切な管理をしている。
俺は変わらず自分の食い扶持を自分で用意しつつ、余裕があれば家族の分も狩りをしたり、肉以外のものを兄さんに預けて、売りさばいてもらった売上を貯金したりとやっていることは今までと変わらないまま。
辺境伯が自分の領地に帰ってから数ヶ月たった現在でもなんの音沙汰もないのでそのうち辺境伯の話は気まぐれだったのかな、なんて思いながら過ごしていた。
ちなみに薬液に漬け込んでいた流氷ベアの毛皮はうまくなめし加工が出来たので丁寧に保存処理を施し、倉庫にしまってある。大人になったらコートか何かに加工する予定だけどそのために使う部分を残しても十分な量の毛皮が残ったので一部を兄さんや姉さんたちの婚礼衣装に使うことにした。
そんなふうに日常を過ごしていたある日、いつものように森の中に狩りに行き、何羽かのうさぎと牧場で絞めてきたブルフロッグの肉を持って帰った俺はうさぎなどを氷室にしまうとそのまま裏口から台所に顔をだした。すると調理場には夕食の仕込中なのか使用人たちに指示を出すエレナ姉さんがいた。
「あら、ウォル。帰ってきてたのね。おかえりなさい。怪我はない?」
「うん、ただいまエレナ姉さん。怪我はしてないよ。今日の夕飯の仕込み中?なにか手伝おうか」
「大丈夫よ、あとは煮込むだけだから。そうそう、今日の夕食はコッタシチーよ。ウォルの分にはとびきり大きいお肉を入れてあげるわね」
「ありがとう姉さん」
俺の大好物の一つである大きめに切った熊肉と根菜をハッシという発酵調味料で煮込んだコッタ・シチ―という熊のシチューは本当に美味しい。熊肉や根菜がごろごろと入っていて脂とハッシの塩気が混ざり合ってコクと旨みが強いご馳走みたいなシチュー。
じっくりと煮込んだ根菜が崩れてとろみがつき、熊肉は肉が柔らかくなるように事前に特別なマリネ液に漬け込んでいて、匙でつついただけでホロホロに崩れるくらい柔らかく、旨味をたっぷりと吸い込む。
野菜と肉と脂の旨みが全部まぜこぜに溶け込んだシチューにちょっと表面を炙った白パンを浸して食べるとカリカリの表面と生地にたっぷりと吸い込んだシチューがじゅわっと広がる感覚が味わえる。
「ウォルはコッタシチーが昔から好きね。大鍋いっぱいに作るから遠慮しないであなたが食べたいだけおかわりしなさいな」
「うん。ありがとう姉さん!」
ちなみにハッシは大抵各家庭で作られる発酵調味料だ。つくり方は家庭によって少しずつ違うが基本は変わらない。
ハーブ、塩、ライ麦の胚珠をすり潰して粉にしたものを、茹でた豆に振りかけながら加えて豆を潰しながら良く練る。それをいくつかの塊に分けて表面を乾燥させるために涼しいところで2,3日置いておく。今度は大き目の樽に乾かしておいた塊を崩しながら塩とハーブを交互に重ねて押し固める。後は表面が乾かないように布を被せて蓋をして地下の貯蔵庫で半年から一年寝かせたら完成する。
この地方の伝統的な調味料で乾燥させて粉末にしておけば持ち運びも簡単で野外調理の時に重宝するから家のハッシをよく分けて貰って乾燥粉末加工して森の小屋に備蓄したりしている。
上機嫌になった俺を見て姉さんが笑う。調理場で働いていた使用人たちも微笑ましそうな顔で俺を見ていた。そんな彼らの視線に恥ずかしくなった俺は「魔法の勉強してくるから」と言って夕食まで部屋に戻ることにした。
大鍋いっぱいのコッタシチーをすべて平らげて大満足の夕食後、父さんに呼ばれて執務室に向かうと部屋の中には父さんだけではなく兄さんもいた。
「お呼びですか。父さん、兄さん」
「ああ、、ちょっと話があってな。まぁそこに座りなさい」
父さんに促されて執務室に新しく用意されたソファに腰掛ける。父さんは俺の目の前に座り、兄さんは手紙を持って俺の斜め前に座った。
「それで話ってなんですか?」
「ああ、ウォルにとって良い知らせだぞ。ベルダン辺境伯から手紙が来た。お前の魔法学院入学についてと報奨について話があるそうだ」
父さんがそう言うと兄さんが俺に手紙を差し出した。渡された手紙にはベルダン辺境伯家の紋章らしい封蝋と父さんが言った内容が丁寧な貴族的な言い回しで書かれており、学院への入学手続きや報奨についての打ち合わせと命を救ってくれたことに関してお礼も兼ねてベルダン辺境伯の領都本邸に招待すると言った内容が追記されていた。
「ベルダン辺境伯家に招待すると書かれていますけどベルダン辺境伯の領都はここから随分離れていますよね。領都までの旅費はどれくらいでしたっけ」
「その点は気にしなくていい。辺境伯家から迎えが来る。荷物も身の回りの貴重品程度で構わないそうだ。……まぁ我が家の経済状況では辺境伯家にふさわしい衣類も用意できないからな」
父さんは諦めたような悲しそうな声でそんな事を言うので兄さんは苦笑いしている。そんな経済状況の家を継ぐのは兄さんなんだけどなあ……。
兄さんは算術の才能があるから父さんも兄さんを帝都の学校に行かせい気持ちはあったみたいだけど度重なる領地のトラブルや、子供が増えることで生まれる生活費の増加のせいでとてもじゃないけれどそんな余裕もなくなってしまった。
最悪、兄さんだけなら学校に行かなくてもこのグランド騎士爵と領地を継いで生活していくことができる。父さんにそう判断された兄さんの学費はそのままルード兄さんの騎士学校の入学金や学費などに消えてしまった。
「そうはいっても礼服一つ持たせないわけにも行かないだろう。今フェルナにお前の礼服を仕立ててもらっている。それだけは持って行きなさい」
「わかりました。ありがとうございます父さん」
父さんにお礼を言うと父さんは黙ったまま頷き、今度は兄さんが口を開いた。
「ベルダン辺境伯家から迎えが来る日に関してはだいたいこの手紙が届いてから2.3日後だと聞いている。それまでにお前も身の回りの物を纏めておくんだよ。それとせっかく都会に行くのだからちょっと頼まれ事をしてほしい」
「頼みですか?」
「ああ、辺境伯からの迎えが来たときにいくらか資金を渡すからエレナとフェルナの嫁入り道具を買ってきてほしい」
「え?嫁入り道具って、姉さん達は今まで母さんと用意していたんじゃないんですか?」
びっくりして父さんと兄さんの顔を見つめる。姉さん達の嫁入り道具はそれこそ俺が生まれるより前から母さんが自分の嫁入り道具の中から継がせたいものを選んだり、一生懸命針仕事や機織りなんかをしながら稼いだお金で将来の花嫁衣装を作るための高価な生地を買い揃えたりとこつこつ準備していたはず。
母さんだけじゃなくて姉さん達も物心ついた頃から手伝える範囲で色々と準備していた。数年前には二人ともすべての花嫁道具が揃っていたはずなのにどうしたんだろうか。もしかして追加の分を買ってきてほしいってことだろうか。
そう思っていたら兄さんはため息をついて首を横に振った。父さんはどこか気まずそうな顔で黙り込んでいる。
「二人の嫁入り道具は……ミレーネが病気になった年にすべて売ってしまったんだ」
「えぇ!?二人分すべてを!?」
体調の悪化のため週一回の更新になります。よろしくお願いします。




