3話
今回は実在の人物の実名が登場します。おそらくルール違反にはならないとは思いますが、何かありましたらお知らせ願います。
「すいません。隣の者なんですが……、大丈夫ですか?」
ドアを開けると、小さな女の子がいた。具体的に言えば、背は柳生の胸程しかない。見た目から判断すると、中学生くらいだろう。そんな少女が下から心配そうな顔をして覗き込んでくる。その顔にピンと来た。
そういや燃えるゴミの日に見たな、この子。よう出来た子供がおるなとは思っとったけど。
少なくとも中学生の頃のワイよりエライわ。と感心して顔が綻んでしまう。
「スマンな、嬢ちゃん。居眠りしたら悪夢見てもうて」
「いえ。私は全然……、なんかあったのかなって。余計なお節介でしたね」
誤魔化す様に笑う少女に、出来た子やと感動しながら、こんな良い子に気を遣わせてしまったことに罪悪感を覚える。
何かお詫びをしなくてはいけない。そう思い、何かなかったかと記憶を整理する。
「せや。ちと待ってーな」
少女が目をパチクリさせたのを流し見ながら、一旦部屋に戻り、目当てのモノを探して戸棚を開ける。ブツはすぐに見つけられた。
「あったあった。これ、気ぃ早いけど、コンドルスのオープン戦のチケット。2枚あげるから、よかったら彼氏と観に来てや」
「か、彼氏だなんてっ! 気になって見に来ただけで、こんな高価なもの受け取れません。それに野球はそんなに詳しくないですし……」
ダメです、と両手でチケットを軽く押し返す仕草をしながら、顔を真っ赤にして首をブンブン横に振ると、それに合わせてポニーテールがピョコピョコと揺れる。
「エエって。オープン戦やから大したもんやないし、どーせガラガラやから。こんな可愛らしい嬢ちゃんが応援してくれたら、ウチの選手も喜ぶわ」
そこからしばらく押し問答が続いたが、少女の方が折れておずおずと2枚のチケットを受け取った。
「えと、それじゃあ遠慮なく……。もしかして選手の方なんですか?」
その言葉で重要なことに気が付いた。
これ。下手なこと言ったらマズイんちゃう?
ここから情報が漏れて、週刊誌にスッパ抜かれる未来が容易に想像出来た。それと同時に、自分をコンドルス新監督と認識されていないのは、安堵と同時に寂しくなった。野球にはホントに関心がないのだろう。
「残念ながらただの球団職員や。世の中の大多数より、少しばかり野球を好いとる、な。本名は堪忍な。スカウトも少しやっとるから、あんまり情報漏らせんのよ」
下手に隠すと余計な誤解を招くので、嘘をつかない程度に答える。
「じゃあ野球のお兄さんですね。私は泉谷小春と言います。ぜひ小春って呼んでください」
ぺこりと頭を下げる小春に、「こりゃ、ご丁寧に」と返しながら、野球のお兄さんらしいことせなあかんな、と思った。
「折角や。ちょいと野球について教えたる。良ければ上がってや」
「結構モノありますね」とか「これ全部野球の資料ですか?」という言葉に適当に答えながら、コップに麦茶を注いでテーブルの上に置く。
「あ、ありがとうございます」
「ええって、ええって。付き合わせてるのはワイや。ちょうどええ試合はっと」
このあたりやな、と手元のリモコンを操作し、スターティングメンバーの発表場面を映す。
「これは見たことあります。打順とポジション、右は成績でしたっけ?」
「せや。なんや、結構知っとるやんけ」
「祖父が野球好きなんです。野球中継がある日は好きな番組が見れなくて、昔は球場がテレビに映るのが嫌で嫌でしょうがなかったな……」
今はそんなことありませんけど。
そう言う小春は、懐かしそうに画面を見ていた。
「ジイさん世代ってなると、『ON』の現役を知っとる世代か?」
普通の人間なら悪いことをしたかなと、気を遣うところだが、柳生は普通ではなかった。真っ先に思いついたのはプロ野球界のレジェンドである。
「それですそれです! あと『V9』とか『赤バット』とか言ってました」
「ええなー、ええなー。『ミスター』と『世界の本塁打王』の全盛期やろ? もしかしたら『鉄腕』や『怪童』も実際に見とったんやろか……」
心底羨ましそうに言う柳生が、不思議でたまらない小春がテレビから視線を外して尋ねた。
「そんなにすごいんですか? 随分昔の選手ですよね?」
「当たり前や。その時代の名選手と言えば伝説中の伝説。野球界における神話の時代よ。もう二度と現れないような選手、大記録がギョーさん生まれた時代やで」
お前こそ何を言っとるんや。と言わんばかりに柳生がまくし立てる。
「『868本塁打』、『400勝』、『シリーズ4連投4連勝』、『オールスター9者連続三振』、『シーズン106盗塁』……。冗談のような記録のオンパレードや」
矢継ぎ早に不滅の大記録を読み上げる姿に面食らいながらも、どこか楽しげに、感慨深げに語る彼を見て、小春は黙って話を聞いていた。
「沢村が投げ、景浦が打って始まったプロ野球。戦争が終わり、ボロボロだった日本人の心に灯を灯した、東の赤バット青バットに西の物干し竿。そしてON砲の誕生から天覧試合のサヨナラ本塁打……。今プロ野球があるのは、こうした偉大な先人達がいるからだ。忘れちゃいけない。絶対に、忘れては、いけないんだ」
ひとしきり語り終えると、ハッとした顔になり
「スマン! 喋りすぎたわ!」
両の手を合わせてゴメンのポーズをする柳生。それに対して小春は
「良いですよ。結構聞いてて楽しかったですし。野球、ホントに好きなんですね」
微笑みながら言われて、バツが悪そうに鼻をかく。何だか自分の方が子供になったみたいだ。
「まぁ。ボチボチな……」
「どこがそんなに好きなんですか?」
「んー。なんちゅーか、野球にゃロマンがあるんや」
「ロマン?」
「あぁ。サッカーとかバスケとか、他のスポーツにはあんまりない、こう独特の……。言葉にすんのはエラく難しいんやけどな」
ロマン、ですか。ロマン、や。
2人の間に暫くの沈黙。
「でもパッと見分かりにくいルールが、敷居を高くしとるんやけどな。今ゲッツーしたけど、どうしてアウトになったかわかるか?」
「正直全然分かりません」
画面を見ればコンドルスが、キレイな6ー4ー3のダブルプレーで、ワンナウトフルベースのピンチを凌ぐ。フォースアウトの概念を教えると、今度はサードランナーは本塁を踏んでいるのに、なんで点数が入らないのか、小春が柳生に質問していた。
「それはスリーアウト目がバッターだからや。逆にスリーアウト目が、他のランナーだった場合は点数入るで」
ややこしいルールの怪しい部分は、言葉濁しながら説明していくと、何となく試合の流れをつかんで行ったのか、徐々にルールよりも、選手個人に興味が向かっていく。
「うわ!今飛び込んで取ったよ」
「榎田さんは流石やね。その後の送球も早いわ」
続くバッターを平凡なサードゴロに打ち取り、コンドルスの攻撃に入る。先頭バッターの外川がライト前のシングルヒットで出塁。2番がバントを失敗、3番がキャッチャーフライを打ち上げて、ツーアウトで4番の榎田だ。左打席に入った榎田は、鋭い眼光をピッチャーに向ける。
「さっき飛び込んで取った人だよね」
「そうや。今、コンドルスで唯一、超一流と言っていい選手や」
ピッチャーがセットポジションに入る。が、投げない。その後も牽制、2回目のプレート外しを行って、ブーイング混じりの歓声を受けながら、再びセットポジションへ。解説者が「怖いバッターですから慎重になるのは当然ですね」とフォローするような解説をする。
「中々投げないなぁ」
ヤキモキする小春に、野球観戦あるあるやなぁと思って、状況を説明する。
「敬遠するにも一塁は詰まっとるし、ランナー溜めるのも躊躇われる場面やし……」
榎田さんは『怖い』と言うより、『やばい』バッターやから余計な……。と柳生が小声で呟いた次の瞬間だった。
右投げの投手が初球に選んだのは、外のボールゾーンからストライクゾーンに切れ込んで来るスライダー。決して甘くない、高さとしては膝上を掠めてミットに収まる軌道。だが、外角ギリギリからボール一個から一個半、内に入ってしまったボールを榎田のバットが拾い上げた。
「結果論やけど、安易と言えば安易やったね。しっかし、それにしてもなぁ」
強烈なライナーが右翼席に突き刺さった。歓声の中、榎田は淡々とダイヤモンドを回る。
やっぱり日本人の好打者にバックドアは危険やな。体起こすか、軸足動かさんと使えんな。
ブツブツ呟く柳生に対して、小春は素直に驚いていた。
「すごいすごい! ホームランだよ! ホームラン! こう、バットを振ったと思ったら、ボールがギューン! って!」
ピンと伸ばした指先を、打球に見立てて動かす姿は、先程の懐の広そうな微笑みと打って変わって、随分と子どもらしく、思わず柳生は笑ってしまった。
「うん。凄い打球やったな」
スローのリプレイを見て、膝の使い方を解説しようとした自分が馬鹿らしくなった。
初めて野球を見た時、果たして、自分はバッターの膝に注目しただろうか。
美しい放物線を描くホームラン、痛烈な打球を軽々捌く内野手、自由自在にボールを操るピッチャーに憧れたのだ。
説明不要の衝撃が、テレビの、球場の金網の向こうにあったのを、柳生は思い出した。
「まだまだ見所はあるで、気になるところがあれば遠慮なく質問してや」
頷いた小春を見た後、メモを畳の上に置いた。
試合は5番の今田がショートライナーに倒れ、攻守が入れ替わる。榎田のホームランがリプレイで流れると、解説者が膝の使い方を解説していた。
まずは故沢村氏、景浦氏に弔意を。他の亡くなられている方は実名を出していないので、今回は控えさせていただきます。
他、登場人物は実在選手を元にしている箇所があります。リスペクトを忘れずに書いていこうと思いますが、前書きにも書いたとおり、気になる点がありましたら言っていただければと思います。
なお、特に関係ありませんが、文中で最初に出した麦茶は未開封のものです。他意はありません。




