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前書きと本文編

 今回は、自分が過去に賞に応募してしまった駄作を悪例として、ミステリーとはどう書くべきかということを考察してみたいと思います。次に掲載するのは、賞に応募したものとほぼ同じものです。繰り返しますが、これは駄作です。何がいけないかという自己分析はこれからします……というかそれがテーマなので、無粋なツッコミは不要です。


 なお、駄文を読むのが面倒だ! という向きは、本文をすっ飛ばして分析編に進んでも良いかと思います。


――――――


 少女が死んだ。

 学び舎の最上階から飛び降りて。

 放課後の秋の夕日を浴びながら、目撃した生徒たちにその光景を焼き付けながら。

 生駒久美、N市立中学校二年C組。享年十四歳──。



「すみません先輩、わがまま言って」

 ピークを完全に外れて、人もまばらな某線の電車内。紫桃圭が、横に座っている相方につぶやく。短めにセットした髪が、健康的な美しさをかもし出している。その初々しさは、活きのいい雌鹿のようだ。


「気にするな。これも業務の内だ」

 立ち上がれば180センチは超えそうな長身の黒コートの男・佐藤一樹が紫桃に返す。まだ三十達にしていないで若さだが、ハーフグラスの奥から覗く猛禽のような鋭い眼光と物腰が、強い存在感を放っている。


 二人は、内閣府心理調査執行室の職員である。

 心理調査執行室は、年間三万件を超える異常な自殺を筆頭に、各種の国民の精神的な問題を憂える世論に後押しされて誕生した。無数にある国民の「心の問題」を実地に調査し、データ化し、解決策を提示するというのが彼らの仕事となる。

 "室"を末尾に持つ行政機関が、宮内庁や国家公安委員会などと並んで内閣府の下にあるのも奇妙な感じだが、この位置に収まるまでは、実に紆余曲折があった。とくに、同じく内閣府下に存在する自殺総合対策会議の面子を潰すのではないかと、水面下でひと悶着起きたこともある。


 紫桃は、元々児童相談所の人間であった。児童相談所には、実際のところ、あまり強い権限がない。このため、被虐待児童を見殺しにしなければいけない場面が多々発生している。

 彼女は、そんな現状に耐えるには、あまりに生真面目で優しすぎた。このままでは壊れてしまうのではないかというところを人づてに聞いた、心理調査執行室の美方室長にサルベージされ、現在こうして佐藤の部下となっている次第である。

 佐藤は、彼女に始めて会った日、目に涙を溜めて、『ここなら子供が救えますか?』と尋ねてきたときの顔を、今でも鮮明に思い出せる。

 紫桃の謝罪は、地方紙の片隅に掲載された、三日前の少女自殺事件の調査を優先したいという要求を聞き入れてもらったことに対するものである。


「この車内で一番心理学的なモノは何だと思う?」

 いきなり佐藤の話が切り替わった。唐突な話題振りだったが、紫桃は驚かなかった。この変わった先輩の奇行には慣れっこになっている。むしろ、彼なりの思いやりで、気分転換を施してくれているのだということを感じ取っていた。

 さて、この問題はどういうことだろうか。彼女は、今までの付き合いから、佐藤はクイズは出すが、なぞなぞは出さないタイプだと知っている。この問いには、かならず明確な答えがある。


 床面、座席、まばらな乗客、窓……。次々に視線を移していく。そして、これではないか、というものを見つけた。

「ひょっとして、あれですか?」

「当たり」

 紫桃が指差したおは、中吊り広告。


「人間にも、無意識の縄張り意識がある。その縄張りの中に誰かに入られると、人は緊張する。満員電車はその緊張感の塊だ。手も自由に動かせない中で、ああいった読み物は、緊張を紛らわせるいい手段になる。さらに言えば、この広告の中身そのものも心理学の塊だ。たとえば、紫桃が今指差したやつは、女性向けファッション雑誌の広告だが、白をベースにピンク基調と、女性が好む配色。デザインもすっきりと清潔なイメージで作ってある。一方、あっちの週刊誌の広告は、赤や黄色を織り交ぜけばけばしくして、俗物な助平根性を衝くように作られている。まったく、広告というのは心理学の見本市だな」

 佐藤先生の心理学講座終了と入れ替わるように、目的駅への停車を知らせるアナウンスが流れた。




「心理調査執行室の者です。亡くなられた生駒久美さんの件で、調査に伺いました」

 東京市部にある、N市立中学校。「何の変哲もない」という形容がとてもよく似合う事件現場。昼休みの最中で、だいぶ騒がしい。このあまりに日常的な光景を見ていると、自殺事件などなかったように思えてくる。

「はあ。しかし、急に来られてそのようなことを言われましても……」

 職員室で佐藤が教員に、警察手帳ならぬ心理調査執行官手帳を見せると、どうしたものかといった複雑な表情になる。学校にしてみたら、生徒の自殺についてほじくり返されたいわけがない。しかも、ノンアポである。ついでに言えば、心理調査執行室は設立をめぐる際に新聞の片隅を沸かせたぐらいで、メジャーとは言いがたい組織である。

 しかし、佐藤はひるまない。

「我々は調査の際に関係者の許可を必要としません。あくまでも、これから調査する旨をお伝えしたまでです。……じゃあ紫桃、始めようか。ええと先生、久美さんの教室まで案内していただけると助かるのですが」

 心理調査執行官は、独自の判断で家宅捜索を始めとした、各種の調査ができる。事前に裁判所などの許可を取る必要もない。さすがに逮捕のようなことは不可能だが、その気になれば、首相官邸だろうが、問答無用で突撃可能である。ある意味、警察以上に強力なこの権限は危険視され、また一方では欲望に晒され、調査以外の権限に大量の首輪をはめられて、あちこち引き回された挙句に内閣府下に落ち着いた次第である。

 教員は電話で心理調査執行室に確認を取ったが、佐藤の言葉がはったりでも何でもないことを理解すると、観念して先導を務めた。


 教室には、かなりの生徒が残っていた。突如来訪した二人の珍客によって沈黙に包まれたが、興味を強く持つ者、警戒心を見せる者、その反応はさまざまであった。佐藤は、教壇に立ち、その様子を一望する。教壇というのは、こうして立ってみると、生徒側で感じているより視界が存外に大きいのが実感できる。なるほど、漫画などをこっそり読んでるつもりでも、実はばればれなわけだ、などと他愛もないことを一瞬考えた。

「心理調査執行室の佐藤といいます。こちらは紫桃。亡くなられた生駒久美さんの調査にきました。皆さんには、放課後にひとりひとり、聞き取りをさせてもらいたいと思います。聞き取りに参加していただけない場合は、後ほどご自宅に訪問させていただきますので、よろしくお願いします」

 久美の名を出すと、さすがに動揺が走った。まだ生々しい話題だが、有無を言わせぬ口調で言い切る。なんとも強引であるが、これには、もしも新聞記事の語るようにクラスぐるみのいじめが真実であった場合、不意打ちをかけることで、結託する余裕を与えないという狙いがある。もし、放課後までに何らかのとりまとめをしたとしても、付け焼刃ならぼろが出る。また、聞き取りを個別にするのも、いわば内部告発を受け付けるわけだから、「裏切り者」扱いを恐れて、真実を話してくれないという事態を避けたかった。

 しかし、この聞き取りの狙いはそれだけではない。第二の狙いがある。

「それと、皆さん自身の悩み事があれば何でもいいので打ち明けてください。そちらが本来の仕事ですので。我々には、守秘義務があります。どんな話でもきちんと聞き、そして秘密を守ります。ですので、安心してご相談ください」

 この、いきなり急角度で方向性の変わった提案に、教室がざわついた。実際、これも業務のうちだ。悩み相談に乗ることで、生徒たちの信頼を得られればという考えもある。やるだけやって、損はない。




 面談には、進路相談室を貸してもらえることになった。放課後が訪れるまでの間、近所のコンビニで買ってきた弁当をかき込みながら、遺族に引き渡される直前だった課題の提出物などに目を通すことにした。作文を読んでいた紫桃が、不意に言った。

「なんだか、妙に寂しい内容ですね」

 彼女が手にしているのは、童話を作ろうというテーマの国語の作文だが、雪原を旅するひとりぼっちの猫が、旅の途中に覗く、暖かいかまくらに結局入ることが出来ず、最後に凍死してしまうという、救いのない内容だった。少女は、こんな心境で自らの命を絶ったのだろうか。紫桃の表情がやるせない。

「ずいぶんと肥満があるね」

 生前の写真を眺めていた佐藤がつぶやく。その眼光は鋭い。何か心に強く引っかかるものを得たようだ。

「あのへんが出てれば確定なんだがな……」

「あのへん?」

「ああ、まだ疑惑の段階だからな。先入観を与えないように黙っておく。まあ、おいおいわかる」

 佐藤の呟きが気になって尋ねてみたが、にべもない。確信のないことは語りたがらないのがこの先輩だ。紫桃は諦めて、資料の読み込みを再開する。次の資料は、「わたしと家族」というタイトルの作文。これも、彼女の心に、妙な空虚を感じさせた。

 まず、父親の存在感がない。いるという事実が書かれているだけで、人となりが伝わってこない。同様のことが母親にも言える。「お母さんは優しいです」と書かれているだけで、では何がどう優しいかというのがまったく書かれていない。文章の上手下手の問題ではないと思った。内容が虚ろなのだ。紫桃の背筋に、何か嫌なものが這った。

 そうこうしているうちに、放課後を知らせるチャイムが鳴った。


 面談は、一人目から十一人目まで、明確な手応えなし。この次点で逆説的に分かったことは、久美は明確ないじめを受けていたというわけではないが、存在感もなかったということだった。ぽつんと一人で、誰にも注目されず、クラスの隅っこにいる。そんな印象。

「なんか、自分から距離すごい置いてる感じだった」

 生徒の一人はそう言った。


 十二人目、ついに二人が手応えを感じる生徒が現れた。とはいっても、久美方面ではなく、悩み相談の方であったが。その女生徒は、まさにおずおずを絵に描く様子で入室し、ちょこんと着席した。

「えと、あの子のことはよく分からないんだけど……。関係ないことでもいいんだよね?」

「ええ。私たちは、いろんな人たちの悩みを聞くのが、本来の姿だから」

 面談は、紫桃をフォワードに立てて、佐藤が書記としてバックアップに回るスタイルを採っている。佐藤が前面に立つとどうしても威圧感が出てしまうことと、紫桃の児童相談所での経験への期待があるからだ。

「絶対に秘密にする?」

「大丈夫」

 少女はしばらくうつむいて逡巡していたが、やがてぼそぼそと切り出した。

「私の友達の話なんだけど……その、女なのに女の子が好きになっちゃって。やっぱそういうの、おかしいのかな……?」

 友達の話と言っているが、この態度はどう見ても自分自身の話だ。だが、なけなしの勇気を振り絞って話しているところにそんな指摘を浴びせるのは、握手しようと差し伸ばしてきた手をひっぱたくようなもので、紫桃は「おかしくないよ」と返した。

「あなたぐらいの歳だと、そういうこと多いから不思議なことじゃないの。たとえば、私の初恋が、学校の女の先生だって言ったら驚く?」

 驚いたようだ。目をまん丸にしている。

「私のは、十歳ごろの話だけど。やっぱりあれ、初恋だったと思うな」

「お姉さんは、今でも女の人好きなんですか?」

 ものすごい食いつきようである。ずっと一人で悩んでいたであろうところに、経験者が現れたのだから無理もない。

「んー……。私の場合は、それ以外には特に女の人に恋愛感情は持ったことないかなあ。でも、人を好きになるって素敵なことだから、そのお友達にはその気持ちを大事にするように伝えてあげてね? 人を好きになるのはおかしいことじゃないから」

 自分の恋心を肯定された少女は、深々と礼をすると、いそいそと出て行った。紫桃は、彼女の恋が実りますように、と内心祈る。ちらりと佐藤の様子を見てみたが、淡々と先ほどの話を書類にまとめている。こういうところがどうにも淡白なのは、ありがたいのやら物足りないのやら。


 その後も空振りが続く中、悩み相談方面では、親を殺したいと考えている少年や、クラスの人間関係で悩む少女、進路で悩む少年など、ぼちぼちリサーチが集まった。

 佐藤たち心理調査執行官は、こうして寄せられた声を、プライバシーに徹底配慮した上で、まとめ上げ、問題の分析と打開策といったか形で公表する。

 たとえば、親を殺したい少年というのがいたが、その気持ちを否定せずに、受け入れる形で対応した。これには相談した本人がむしろ驚いていたが、否定をしないというのは、カウンセリングの基本中の気歩であることがひとつ。そして何より、心理調査執行官は手に入れた秘密は、殺人計画だろうがテロ計画だろうが、これらを警察に尋ねられようが明かしてはならないという、きわめて強い守秘義務を与えられている。これが、強力すぎる権限を押さえ込むように心理調査執行室につけられた首輪である。

 唯一、最高裁の命令だけが公開を強制できるが、これがとんでもない手間がかかるように出来ている。情報公開を是とする世論に真っ向から反するような話だが、実は心理調査執行室自体は、すかすかというほど風通しよくされている。たとえば軽く資料を請求すれば、黒塗りなしで室内で消費されたお茶の明細まで出てくる。あくまで守られるのは、調査されたものの秘密だけなのだ。これもまた、首輪のひとつである。




 面談は進んで二十一人目、ついに久美方面で大きな手応えが訪れた。


「私が、あいつ……あの子を殺したんです」


 名を連雀由実というこの女生徒は、入室したときから顔面蒼白だった。そして、着席するや、こう言い放った。

 久美の死は、遺書があったことや、目撃証言、そして司法解剖結果から、他殺や事故死ではないことははっきりしていた。ということは、彼女は自殺に走らせてしまった原因は自分だという告白をしていることになる。

 ぶるぶると震えていて、目は虚ろ。見ていて実に危なっかしい。紫桃と佐藤はせかさず、彼女が落ち着くのをじっと待った。


「まさか、死んじゃうとか思わなくて。からかっただけで。まさか死ぬなんて……」

「落ち着いて、ね。ゆっくりで大丈夫」

 紫桃が、対面から彼女の隣に座り直し、優しく背中をさする。最初とまどった由実であったが、少しずつ落ち着きを取り戻してきたようだ。

「私、あの子嫌いだった。何がって言うわけじゃないけど、なんかよくわかないけどむかついて。でぶだったから、ピザ美って呼んで、からかってた」

 搾り出すように語り始める。

「クラスで浮いてたから、誰も止めないの分かってたし。あいつ、じっとうつむいてて。死ねっていったこともある。でも、あんなことになるなんて思わなかった! あそこまでやるつもりなかったの!」

 とうとう泣き出してしまった。少し様子が落ち着いたのを見ると、今までバックアップに徹していた佐藤が動いた。

「よく話してくれたね、ありがとう。あと、二つだけいいかな。そういうことを久美さんにしていたのは君だけ?」

 由実は首を縦に振る。

「私以外だと、連れの嘉子と良子が……。他の子は、見殺しっていうより、全然興味ない風だった」

 佐藤は頷いて続ける。

「あともうひとつ。久美さんって、給食とかよく吐いてた?」

「? よくかは知らないけど吐いてた。その……からかおうって思ったきっかけだからよく憶えてる」

 二つ目の奇妙な質問に不可解な表情をしたが、そうぼそりと答えた。佐藤は、再び由実にありがとうと述べると、バックアップに引っ込んだ。

「私、どうしたらいいのかな」

「まずは、少しずつでいいから元気になろう。それから考えよう、ね」

 どうしたらいいのか、という超難問に、紫桃は無難な答えしか返せなかった。しばしの沈黙の後、何とか落ち着きを取り戻した由実はぺこりと一礼して、進路相談室を退出した。


「あの子の家庭、乙島さんあたりに入ってもらったほうがいいね。嘉子と良子というのは……この子達か。聞き取りがこれからというのは助かる」

 再び二人きりになると、佐藤が溜め息混じりに言った。乙島は、二人の同僚である。由実たちが久美にやったことは、確かに許されざることかもしれない。しかし、少なくとも由実は自分の行いを理解し、壊れそうになっている。ここで必要なのは責めることではない。根本の問題を解決し、救うことだ。心理調査執行室は、裁くためではなく、救うために機関だ。

「久美さんの死の原因は、彼女たちだけではないんですね?」

 佐藤が、由実たちに調査の狙いを変えず、助っ人を求めた。ということは、久美の調査はまだ続くということだ。

「うん。もっと根深いよ、これは。あっちも気にかかるだろうが、君はこっちを引き続き頼む」

 ぽつりと佐藤はそう応えた。


 その後は、由実からの情報であることはおくびにも出さずに、嘉子と良子を要領よく問い詰めていくと、由実の発言の裏が取れた。ただし、吐いたのを直接知ったのは由実だけだった。他に、部活などで後回しにしていた生徒からの聞き取りは、由実の話、すなわち無関心を裏付ける結果となった。その代わりと言っては何だが、部活のスランプの悩みひとつを打ち明けられた。


 トリは担任教師の男性だ。秋だというのに、多量の汗をハンカチで拭いている。


「久美さんが、いじめを受けていた、というようなことはありませんでしたか?」

「いやあ、まったく聞かないですね。そのような噂が立つのは遺憾です。本校のモットーはですね、明るく健全な教育をですね、生徒」

「もう結構です。先生、嘘をつくのが下手ですね。」


 久美のいじめの話題になった途端、多弁になった教師を観察していた佐藤は、天を舞う隼が獲物に急降下で一気に襲いかかるように、ため息交じりにぴしゃりと制した。


「え? いや、私は嘘など…」

「ついています。冷や汗、多弁化、目線、声のトーン。これらでわかるんです」


 佐藤がとどめを刺すと、教師は押し黙ってしまった。


「先生、悩みがあるなら聞きますよ。秘密は守ります」



 二人は、この問題の箝口令で板挟みにあっていること、それと、最近娘にさけられていることなど家庭でのストレスについて聞かされた。




 日もすっかり傾いてきた頃、学校を後にした二人は、生駒家に向かうため河川敷を歩いていた。手持無沙汰な道中、紫桃が何気なく質問をする。


「さっきの嘘を見抜くのって、詳しいポイントがあるんですか?」

「ああ。まず、声のトーンが上がる。汗をかいてる位置もポイントだな。冷や汗と普通の脂汗は出る場所が違う。目線が横ではなく上に泳ぐ場合、話しながら作り話をしていることになる。そして男性は多弁に、逆に女性は寡黙になる傾向がある」

 はあ、と紫桃が関心のため息をつく。


「どんなご家庭なんでしょうね、久美さんのお家」

「……ごくありふれた家庭だと思うよ」

 佐藤は心の中で、「悪い意味で」と付け足した。



 生駒家は果たして、いかにも何十年のローンを組んでいますというたたずまいの、小さな庭の付いた二階建て住宅だった。佐藤が呼び鈴を押すと、少しして陰気な女性の声が応答した。


「内閣府心理調査執行室と申します。久美さんの調査に伺いました」

 佐藤がそう告げると、やや間があって、中から四十代後半と思われる女性が出てきた。実際はもうすこし若いのかもしれないが、くたびれた感じが実際より老けて見させているのだろうと思われた。


「心理調査執行室についてはご存じですか」

「はあ、確認してもいいですか……?」

 手帳を見せながら、佐藤は内心ため息をついた。常にといっていいほど、まず相手に不審に思われて調査室に確認を取られるというお約束がついて回る。つくづく、早く有名になってほしいものだと思った。


 ややあって、佐藤たちの身分を確認し終えた女性が戻ってきて、奥へ通してくれた。彼女は、予想通り久美の母で名は「波江」、夫はまだ仕事中。居間の仏壇で焼香を済ませる。こうして焼香をしていると、本当に死んでしまったのだな、と紫桃は改めて実感して悲しい気持ちになった。


「遺書を見せていただきたいのですが。それと、屋内を少し自由に見させていただきますがよろしいですね」

 焼香を済ませると、佐藤は早速切り出した。警察の判断では、遺書が校舎の屋上から発見されたことなどから、自殺と断定されている。遠慮会釈ない佐藤の態度にあっけにとられつつも、波江は遺書を取りに行った。佐藤は紫桃にこのままここで待つようにいい、別の部屋にさっさと行ってしまった。


「あの、こちらになります」

「ありがとうございます」

 波江が遺書を持ってきたので、礼を述べて受け取る。


「お連れの方は?」

「別の部屋を調べに行ったようです」

 応答しながら、遺書を読む。



 お母さん お父さん さようなら

 つかれた



 書かれているのはそれだけだった。

「あの……本当にこれだけですか?」

 波江は、「はい」とだけ答えて、うつむく。この、何も読み取ることができない遺言を前に、紫桃は途方に暮れてしまった。先輩が見たら、ここから何かを読むことができるのだろうか。


「奥さん、飲みすぎですよあれ」

 そんな折、デジカメ片手に佐藤がひょっこり戻ってきた。


「先輩、どこ行ってたんですか」

「台所。居間に来る前に見かけたんでね。もしやと思ったら大量の空瓶があったんで撮ってきた。それ遺書?」

 なんだか無暗に活き活きしている。つくづく天職なのだな、と紫桃は思った。


「あの、どうしてあれを私が飲んだと思ったのですか?」

 波江が素朴な疑問を口にする。


「飲み口の口紅ぐらい拭ったほうがいいですよ。ほとんどについてました」

 そういわれると、波江は俯いてしまった。佐藤は紫桃の横から遺書を覗き込むと、「なるほど」と一言だけ言った。何かをつかみ取ったらしい。


「久美さんのお部屋は上ですか?」

 佐藤は天井を指差した。



 久美の部屋は、きれいに整頓されていた。波江が言うには、死後そのままにしてあるという。その中で、ひときわ目立つものがあった。

 全長60センチぐらいの大きな猫のぬいぐるみ。その存在感に、佐藤が思わず「猫だ」とつぶやいた。


「『だねこっち』ですね、これ」

「だねこっち?」

「若い子の間で流行ってるんですよ。妹も持ってます。小さいのですけど」

 紫桃の解説に、「へえ」と気がないんだか、感心したんだかよくわからない相槌を打つ佐藤。


「先輩、これ……」

 紫桃が本棚を指差す。表情が険しい。佐藤が指差した先を見ると、そこには『かもめのジョナサン』があった。


「かもめのジョナサンがどうかしたか?」

「前の職場にいたとき、これが好きだと言ってた子がいたんです。その子も……自殺しました……」

 苦い記憶が蘇ったのだろう。最後を言いよどむ。かもめのジョナサン、確か孤独なカモメの話だ。有名な本なので特に持っていておかしいということもないが、久美もジョナサンの孤独に共感していたのだろうか。


「居間に戻りましょう。伺いたいことが数点浮かび上がりました」

 久美の部屋をあらかた調べ終わると、佐藤は波江に促した。




 居間に戻った一同は、ソファに腰かけた。佐藤が質問を開始する。


「まず、久美さんは大食漢で、よく食後吐いてましたか?」

 佐藤は、由実にぶつけたのとほぼ同じ質問をぶつけた。


「はい。でも、どうして吐いたことまでわかるんですか?」

「ひとつは、検死結果に吐きダコと思われるタコが指にできていたからです。もう一つは、知識とカンです。次、いいでしょうか。久美さんは、おままごとってありますよね。あれで、ひょっとして、猫をやりたがってませんでしたか?」

「はい、幼稚園の先生から、そういう話を聞かされたことがあります。本当に、どうしてわかるんですか?」

 波江が目を丸くする。預言者か何かを見るような目だ。


「そこまで確信があったわけではないのですが。カンが八割といったところです。では次に。最近、久美さんとの約束を、何か破りませんでしたか? どんなささやかなことでも、あれば」


 波江は少し思案していたが、やがてぽつりと言った。


「遊園地に行く約束をしていました。ただ、主人の仕事の都合で駄目になってしまって……」

「なるほど。最後に、久美さんがいじめにあっていたことはご存じでしたか?」

 これには波江がたいそう驚いた。この反応を見るに、どうやら知らなかったらしい。


「よくわかりました。質問は以上です。後日改めて伺うこともあるかと思いますが、これで報告書が作れます。ご協力感謝します」

 佐藤が一礼を述べ、立ち上がる。紫桃も、あわててそれに続く。


「待ってください! なぜ久美は死ななければいけなかったんですか? いじめのせいですか!?」

 今まで感情を押し殺すように振る舞っていた波江が、涙を流し、すがらんばかりの勢いで佐藤に問うた。


「知りたいですか? 残酷な結果をお話しすることになりますが」

「……お願いします」

 波江が決意を示す。佐藤がソファに座り直した。




「久美さんの死は拳銃に例えれば、いじめは弾丸の火薬の成分のひとつ、というところです。残りの火薬と、引き金を引いてしまったのは、お母さん、あなた方親御さんです」

 佐藤の冷徹ともいえる語りに、波江は「そんな……」といって震えた。


「久美さんには、過食症があったと、大食と嘔吐で確信しました。また、副次的な確定要素として、あの大きな猫のぬいぐるみが挙げられます。摂食障害を患う人は、ああいった大きなぬいぐるみを大事にすることが多いのです。過食症は、幼児期の愛情不足から起こります。孤独は、人を死に追いやります。久美さんは孤独を感じ、人生に疲れていました。人生に疲労した幼児は、おままごとで猫をやりたがるというデータがあります」

「そんな! うちは特に問題のない家庭だったはずです。毎日一緒にいたのに、孤独を感じてたはずがありません!」

「多いんです、一見何も問題ない家庭は。でも、そういう家庭にこそ機能不全が往々にしてある。街の人ごみの中でも孤独は感じることができます。ただ物理的な距離が近ければいいというものではないのです」

 佐藤の言葉に、紫桃は学校で見た孤独な猫の作文と、かもめのジョナサンを思い出していた。


「そして、遊園地の約束を破ってしまったのがいけなかった。約束が破られたショックもあるわけですが、約束というのは、自殺を考えている人間の意志をつなぎとめる効果があるんです。死を考えている人は、サインを発しています。それに気づいてあげるべきでした」

「私たちは、どこで間違えてしまったのでしょうか……」

「再養育療法という、幼児期から愛情を受け直す治療法があります。それを久美さんに与えるべきでした。もっとも、今の日本の精神医学は、再養育自体を知らない、いや、理解しないというお粗末な状態なので、医学の怠慢ではありますが。福祉の恥でもあります」

 佐藤が、やや感情的な言葉を口にする。再養育療法という特効薬で救われる人が救われない。それは、彼にとって、我慢のならないことであった。


「厳しい言葉をかけてしまいましたが、救われるべきは子供だけではありません。大人も、いや大人こそがまず救われるべきなのです。大人が変われば子供も変わります。よければ、我々に悩みを打ち明けてください。人々の精神にとって、よい世の中を作るのが我々の仕事です。それでは、本日はこれで」


 佐藤たちは、生駒家を発った。


 生駒久美自殺の一件は、心理調査執行室の数ある事件の一つとしてファイルされ、国政への提言の礎となる。

 日本の福祉と精神医療は、先進国としては百年遅れといわれるほどに立ち遅れている。この遅れた時計の針を、二百年進めるまで、心理調査執行室の挑戦は続く──。



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