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中編

 月ノ介さんの隣に越してきた女性は、名前を教えてくれなかったが、和菓子屋でよもぎまんじゅうを買っていたので、よもぎさんと呼ぶことにした。


「栗もなかもおいしいですよ」

「そうね。でも一番のおすすめはたい焼きだわ」


 よもぎさんは振り向いた。りん子と月ノ介さんが取ってつけたような笑顔を浮かべると、おぞましいものでも見たかのようにそそくさと逃げようとする。


「ほかにもいい場所がたくさんあるのよ。あなた越してきたばっかりだから知らないでしょ?」

「そうそう、先日の失礼のお詫びに案内させてください」


 二人に両隣を挟まれ、よもぎさんは観念したようについてきた。下手に逃げれば帰り道がわからなくなると思ったのだろう。


 商店街から脇道に逸れ、静かな通りに出る。ハゼランやランタナがあちこちに生え、秋の色が少しずつ濃くなる中、ぽつんと一つ、夏の置き土産のようにスイカがあった。


「こんなところに……?」


 空き地の片隅に、長い蔓を横たえて大きなスイカがなっている。よもぎさんはかがみこみ、そっと手でさわった。

 その途端、スイカが跳ねた。地面から三十センチほど飛び上がり、ばっくり割れて赤い中身が見えたかと思うと、よもぎさんの腕に噛みついた。


「ぎゃっ!」


 よもぎさんはスイカを振り払い、後ずさった。スイカはころころと揺れ、頭と手足を出した。丸い体を一瞬で伸ばし、可憐な少女の姿になる。


「おどかさないでよ、スイカの姫君」


 りん子は腰に手を当てて言った。少女は立ち上がり、長い髪と赤いワンピースの裾を風にはためかせる。


「久しぶりね、りん子。今、肥料をもらったような気がしたんだけど」


 よもぎさんはスイカの姫君を指さし、歯を震わせた。


「化け物……!」

「え、何?」

「化け物よ、あなたは化け物!」

「ふーん。誰に向かってものを言ってるか、わかっていないようね」


 スイカの姫君はよもぎさんにつかみかかり、今度は顔に噛みつこうとする。月ノ介さんが間に入り、どうにか阻止した。


「化け物のように美しいと、そう言いたかったのでしょう」

「そういうことよ。じゃあね、姫」


 りん子はよもぎさんを引きずるようにしてその場を去った。月ノ介さんはしばらく姫君と話していたが、やがて嬉しそうに追いついてきた。


「りん子さん、今日はカキが降るそうですよ」

「えっ、カキ? そういえば、空が……」


 りん子は目線を上げた。ドーナツ型の大きな雲が低く垂れ込め、中心の穴から見える空は夕焼けのような色だ。

 秋雨前線が来る頃には、雨ではないものも時々降ってくる。おでんの具が降った時は、箸を持って走り回ったものだ。


「ちょうどいいわ。たくさん集めて引っ越し祝いにしましょう」

「そうですね。では、五トントラックを借りてきます」


 待って、とよもぎさんが弱々しい声で言った。石のような顔色になり、息も絶え絶えだ。


「私はいらないわよ。あなたたちからのお祝いなんて」


 しかし逃げる間もなく、雲が厚くなってきたかと思うと、ごろごろと雷が鳴り出した。光が走り、四方に向かって弾ける。降ってきたのは果物の柿ではなく、貝の牡蠣だ。


「トラックなんて間に合わないわ」

「口でキャッチして食べればいいですよ」


 よもぎさんは逃げ出そうとした。ところが、降ってきた牡蠣が頭に当たり、ばったり倒れてしまった。その背中に次々と降り注ぎ、貝殻が割れて中身が飛ぶ。それをりん子が口で受け止める。つるりと柔らかく、濃厚な牡蠣だった。


「きゃ! おいしい!」


 りん子は飛んだり屈んだりして、よもぎさんから跳ねてくる牡蠣の身を食べた。スーパーの袋で受け止め、道行く人たちにも配った。みんなうまく取れなくて困っていたのだ。そうしている間にも、よもぎさんの上には貝殻が降り積もる。


「まるで集中豪雨ですね。よっぽど好かれているんでしょう」


 今や貝殻に埋もれてしまったよもぎさんを見て、月ノ介さんはしみじみと言った。


 そんな牡蠣の気持ちを知ってか知らずか、よもぎさんは気を失ってしまった。りん子と月ノ介さんは、両側からよもぎさんを担いで歩いた。生徒を食べてしまうお化けの学校や、空まで飛んでいけるシーソー、蜘蛛男の住む穴など、見逃してはいけない名所が山ほどあるのだ。


 町をぐるりと回り、大きな川沿いの道でりん子は足を止めた。深い霧が立ちこめ、向こう側へ渡るのは難しそうだ。


「帰りましょうか」


 月ノ介さんが言った。


「ここまで来れば十分でしょう。彼女もきっとこの町が好きになったはずです」

「そうね……」


 りん子はぼんやりと、川の向こうを見ていた。霧が揺れている。白い影が立ちはだかっている。小さな生き物がいくつも這い回っているようにも見える。まばたきの数だけ、目の中に影が入り込んでくる。白い、白い、白い、記憶。


「りん子さん!」


 月ノ介さんはりん子の腕をつかみ、川岸から遠ざけた。支えを失ったよもぎさんは、その場に崩れ落ちる。りん子ははっとして頭を振った。視界が暗い。ひんやりと、不吉な気配がする。


 川の水が突然、そびえ立つような高波を起こし、襲ってくるところだった。


 月ノ介さんはりん子を庇った。しかしよもぎさんは倒れたままだったので、波に飲まれてしまった。そのまま川に転がり落ち、丸太や棒きれと一緒に流されていってしまうかと思いきや、波が引いても変わらずそこに倒れていた。


 りん子はよもぎさんに駆け寄った。胸が上下しているのがわかり、ほっとする。生きてるわ、と月ノ介さんに言った。


「そうですか。頑丈ですね」

「でも重くなっちゃったわ。水を吸ったせいね」


 起こそうとすると、よもぎさんはカッと目を開いた。


「もう……たくさん……」


 低い声でつぶやき、起き上がる。

 しかし立ち上がるだけでは済まず、よもぎさんの体はむくむくと大きくなった。腕は太くたくましく、足はインド象のようになり、頭は遥か高く、木の梢を追い越した先にある。


「もうたくさんよ! 消えて!」


 よもぎさんが足を振り上げた。りん子は尻もちをつき、迫ってくるものを見上げた。石でできた巨大な足だ。よもぎさんは仏像に変身し、りん子を踏みつぶそうとしているのだった。ぎし、ぎし、と音が響く。本物の、動く仏像だ。


 扁平な足の裏が視界を覆う。助けて、とりん子は叫んだ。


挿絵(By みてみん)

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