前編
駅の近くの雑貨屋へ行くと、月ノ介さんが来ていた。ほっそりとして背の高い姿は、お洒落な店内によく似合う。コーヒーカップやペン立てを手に取り、じっと見つめたり傾けてみたりしている。
「お買い物?」
りん子が近づいていくと、月ノ介さんはほっとしたように顔を上げた。
「隣の家に越してきた人がいるんです。何をプレゼントしたらいいかと思って」
「そうね。挨拶なら、タオルとかお菓子がいいんじゃない?」
「挨拶はもう済ませました。でもうっかり相手を怒らせて、口をきいてもらえなくなってしまったんですよ。どうにかお詫びができないかと」
りん子は驚いた。月ノ介さんは人当たりが良く、物腰も丁寧だ。初対面の人を怒らせるような失敗をするとは思えない。
「それ、相手の人が悪いんじゃない?」
月ノ介さんは慌てて首を振った。
「弟の風太を一緒に連れていったんです。そうしたら、鉢植えを落として割ってしまって」
「ああ、風太くんが」
りん子はくすりと笑った。それは容易に想像がつく。風太はいつも飛ぶように走り回っていて、人や物にぶつかっても、壊しても気づかない。いけねえ、と頭を掻いても次の日にはもう忘れているのだ。
「それで新しい鉢を探しに来たのね」
「いえ、鉢植えのことは許していただいたんですが……僕がつい、その人の目の前で風太を叱ったせいで、すごく雰囲気が悪くなってしまって」
「どんなふうに叱ったの?」
「鉈で真っ二つにしました」
りん子は唸った。そういう場合、少し時間を置くか、交流そのものをあきらめるしかないだろう。しかし隣に住んでいるのに、お互い全く無視というわけにもいかない。洗濯物を干す時や朝出かける時、顔を合わせるたびに気まずいのでは困る。
「どんな人なの?」
「二十代くらいの女の人です。髪は短くて、背は低めで、いつもジーンズを着て庭仕事をしています」
「じゃあ、ちょうどあんな感じね」
園芸グッズのコーナーに、そんな女性が立っていた。手袋とスプレー容器を持って、レジへ向かおうとしていたが、りん子たちに気づいて足を止めた。
「あの人です」
月ノ介さんは事もなげに言った。
女性はあたふたと商品を棚に返し、出口へ走っていこうとした。しかし、狭い通路を無理矢理移動したため、フックにかかっていた髪飾りやアクセサリーを肘で突き、落としてしまった。
りん子は駆け寄り、床に散らばったアクセサリーを拾い集めた。月ノ介さんが手伝おうとすると、女性は顔を背け、来ないで、と言った。
月ノ介さんは深々と頭を下げる。
「先日は大変失礼いたしました」
「いいから近づかないで!」
「次からはもっと優雅に、一発で仕留めるように気をつけますので」
女性はさっと立ち、アクセサリーを蹴散らして走っていった。出口近くのワゴンを倒し、マニキュアや化粧品がなだれ落ちてきたが、構わず走り続ける。りん子はその上を跳び越えて追いかけた。
「ちょっと、ちょっと待って」
女性は立ち止まり、こわごわと振り返った。猫背気味で、完全に怯えた顔をしている。りん子はイライラしながら言った。
「ねえ、少しは話を聞いたらどう? 彼、謝ってるじゃない」
「無理よ、あんな頭のおかしい人」
「隣に住んでるのに、ずっとそうやって避けるつもり?」
「もう引っ越すわ。こんなところで暮らせるわけないでしょ!」
女性はくるりと向きを変えた。店を出て、手をつないで歩いているカップルの間を割って通り、赤ちゃんを連れた夫婦を押しのけ、ずんずん走っていってしまった。
りん子が呆然と立ち尽くしていると、月ノ介さんが追いついてきた。
「すみません。りん子さんまで巻き込んでしまって」
りん子は両のこぶしを握りしめ、女性が去っていったほうを睨んでいた。
このままでは済ませない。そんな思いがふつふつとわき上がってきた。
「りん子さん、いいんですよ。トラブルを起こしたのは僕ですから」
りん子はゆっくりと首を振り、月ノ介さんに向き直った。
「この町はとてもいいところよ。きちんと誤解をといて、知ってもらわないと」
月ノ介さんは少し考え、そうですね、と穏やかに言った。
「思い知らせてあげましょう」