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 秋は深まり、もうすぐそこまで冬がやってきており、冷たい雨が落ち葉を濡らしていた。


 アルセイはモラガイン山の麓の道を進む商隊の警備を兼ねて、何人かの衛士たちとともに見回りに来ていた。

 アルセイの外套は冷たい雨があたっても、重くなることも、体温を奪うこともない上質のものであった。大きく吐いた息が白い、気温はどんどん低下している。傍らに立つ、衛士の顔が青白いことに気づく。他の衛士たちも顔色が悪く、疲労の色が見て取れた。

 商隊も自身で護衛を用意しており、アルセイたちはこの峠を越えるところ手前で町に戻ることとなっていた。峠はもうすぐだった。

 衛士の足音が重く、響く。アルセイは衛士を気遣い、馬上の指揮官に声をかける。


「もう、戻りましょう。ここまで来れば、大丈夫ではないでしょうか。商隊にも護衛はいますし、衛士の体力の消耗が気になります」


 指揮官はアルセイの声に眉を顰める。

「心配は無用。衛士のことは私に任せていただきたい」


 アルセイは想像通りの返答に、肩をすくめる。傍らの衛士が小さく、大丈夫です、ありがとうございますと呟いた声は、雨音に紛れ、アルセイにしか届かなかった。何事もなく、商隊がこの山を越えられるように願った。


 衛士の仕事は、国境と街の警備だ。街の警備は、盗難や窃盗、喧嘩の仲裁、迷子など多岐に及ぶ。呪術師であるアルセイは街の警備の仕事は免除されるが、アルセイは他の衛士と同じように、街の警備の仕事も請け負った。呪術を使う必要はない。しかし、アルセイはそんな仕事が楽しかった。

 その反面、国境の警備はとても厳しかった。


 この国と隣国の境には、人が越えるには困難な高い山脈がそびえたっている。


 この山脈を困難を承知で越えるのは、ごく一部の商人と、旅芸人くらいだ。

 モラガイン山は高く寒く、冷たい風が吹き付ける。植物も生い茂ることはなく、呪力も及ばない。

 山向こうは呪術師の術が使えなくなる。

 呪力は神が民に分け与えた力、その力が及ばないその山、その向こうに、民は神の加護がないとして、好んで立ち入ろうとはしない。

 その山に住むのは、獣人だけだ。



 ガサっと脇の木立が揺れたその瞬間、一頭の狼が襲い掛かってきた。

 大きな狼は荷を引く馬に牙をむく、傍らにいた護衛の者がとっさに刀を抜き、その刃を払う。けれども、それを見越したように狼は身をひるがえし、その刃を避ける。

 狼の襲撃に御者は、固まって動けなくなっていた、馬は興奮し、足を踏み鳴らし、息を荒くしている。

アルセイは駆け寄り、御者に声をかけるが、ひどく動転しているようだった。同じように駆け付けた指揮官は自らの手の鞭を振った、馬が大きく嘶き、荷馬車は一瞬にして速度を上げて勢いよく駆け出し、ぬかるみの泥水を跳ね上げて、走っていく。

指揮官はちらりとアルセイを見てから、荷馬車を追った。

「ここは食い止めろということか」

 アルセイは太刀を抜き、襲い掛かる狼の刃を受けた。


 他の護衛の者たちも慌てて刀を抜き、狼に振りかぶる。けれど、その姿は木立に消える。

 しかし、その気配は消えることなく、次々に姿を見せて、護衛に牙を剥く。

 ガサガサと木立が揺れ、狼の気配はみるみる増える、右から左から、ふってわいたように牙を剥いて、襲い掛かってくる。

鋭い前足の爪は衛士の体を易々と傷つけ、強靭な顎は衛士の腕や足を食いちぎった。狼に翻弄された護衛と衛士は、傷つき、一人二人と欠けていく。

「……」

 アルセイは太刀をしっかりと持ち直し、呪文を小さく口ずさむ、辺りには辛みを帯びた爽快な香りが広がる。そして、太刀を大きく振りかぶり、横に薙ぎ払う。

 ヒュと鋭い刀鳴りに続いて、木々がザザザ、と倒れていく。

 その太刀はあたりを広く切り取った。

 その刃の届かないところの木々まで、また、どんなによく切れる刃物であっても、決して一太刀では切ることのできないような樹木も、すっぱりと、一瞬にして切り払われた。

 アルセイは倒れてくる木々をさらに細かく薙ぎ払う。

 身をひそめる場所を失った狼たちは次々に飛び出してきた。

 アルセイは舞うように太刀を軽々と操り、狼を仕留めていく。その鮮やかな剣技に衛士たちは呆然と立ち尽くしていた。

 衛士たちは、アルセイが呪術師であると知ってはいたが、呪術を目にすることは初めてであり、その術に見入っていた。


「おい、しっかりしろ!ぼんやりするな、そこをどけ」


 アルセイの声に衛士は、ふと我に返り、襲い掛かる狼に刀を向ける。


 アルセイは狼の攻撃を受けながら、荷馬車を追う。

 峠の手前で、粉々に砕けた荷馬車が横たわっていた、馬はどこかに走り去ってしまったようで、姿は見えない。

 指揮官の馬は血だまりの上に横たわっていた、指揮官の身に着けていた外套がその横に見える。立っている者はいない。

 転々と横たわる衛士と護衛の姿に、アルセイは言葉を無くす。

 駆け寄って息のある衛士を抱き起すと、うめき声をあげて顔をしかめる。


「おい、しっかりしろ!どういうことだ?」

「熊が……」

「熊?熊に襲われたというのか?」


 ため息を吐くように衛士はうなずいた。

 荷馬車は無残に砕け、荷は持ち去られていた。

 この商隊の荷は穀物であった。

食料品の移送は獣人の被害に遭いやすい。まるで、食料を求めているようにアルセイは感じていたが、そのことに耳を傾けてくれる指揮官ではなかった。


 一軍で護衛の足を止めて、離れた荷馬車を待ち伏せた軍で襲う。それはありきたりの方法ではあるが、山に住む知性のないとされる獣人たちがそのようなことをするのだろうか。アルセイにはわからなかった。

 釈然としない気持ちを抱えたまま、アルセイは傷ついた者たちを背負い、山を後にした。




 国境警備のために、王都からこの町に来て、半年が経とうとしていた。衛士は町の警護も兼ねており、衛士の任に就いている者は多い。しかし、呪術師はアルセイ一人である。また、ここ数年、呪術師の派遣はなかったために、皆一様に、アルセイとの距離を測りかねているようであった。

 しかし、アルセイはそんな彼らに気さくに話しかけ、刃をつぶした太刀での訓練にも参加した。刀を合わせ、汗を流し、ともに食せば、自然と彼らとの距離は縮まった。


「アルセイさん、今夜は飲みに行くんですけど、一緒にどうですか?」

 黒目がちの丸い目の人懐っこい笑顔を浮かべるのは、衛士のロイだ。

「サンとマシュタと行こうって、川向こうのいつもの店なんですけど」

「おう、いいな。でも、ちょっと、報告書を仕上げないとだめなんだ」

「報告書ですか?」

「あぁ、青龍の宮長は、書面の報告を義務つけしたんだ。今まではそのようなことは、なかったんだが、そのな、ナラティス様はな、」

「低能の宮長ですか?」

「……知っているのか」

「まぁ、噂程度ですけど。見通しの術は長けていると聞いてますが、いまだかつてないほどに、呪力が足りないと聞いていますね」

「決して、低能ではない。ナラティス様より、呪力の強い呪術師はいない。これは間違いないんだ。しかしな、今までの宮長の呪力がな、ちょっと強すぎるんだ。少々、見劣りするのかもしれないな。こんなこと、俺が言ってたなんて、言うなよ!」

「わかってますよ、じゃ、先に行ってますね」


 ロイはニコリと頬を緩めて背を向けた。アルセイはその均整のとれた体を見つめる。ロイは不思議な男だった。しなやかな筋肉をまとった体に俊敏な動き。そして、とてもいい目を持っている。体術も剣術もほかの者よりも抜きんでている。しかし、その技術を生かし切れていない。守りの一辺倒で、ひらりひらりと相手の攻撃を躱し、息の切れた相手を軽く打つのだ。ロイは衛士としては、優しすぎるのであろう。衛士には向かないと話したことがあったが、ロイは困ったように笑って、守りたい人たちがいるからと言う。

 ロイは優しく、家族を大事にしていた。家族のいないアルセイを気遣い、家に招き、食事をふるまった。

 ロイの家族は祖父と母親と弟。そして、結婚し近所に住んでいる姉夫婦と子供たち。家族は皆温かくアルセイを歓迎し、子供たちも穏やかなアルセイの膝に乗り、無邪気な笑顔を見せる。出される食事はいつも温かく、家族そろって、食卓を囲む。他愛のない会話と微笑み、子供たちの泣き声さえも心を穏やかにさせた。

 青龍の宮に配されてから、実家とは疎遠になっていたアルセイにとって、とても暖かく、懐かしい時間だった。




 ◇◇◇◇




 ロイの笑顔を思い出し、アルセイは息を吐いた。

 囲炉裏端でうつらうつらとしてしまったようだった。


 真っ白な兎は見慣れた人の姿に戻っていた。

 レイの髪を撫でた。ランはぼんやりとその様子を見ていたが、小さな声で言う。


「私、今までに一度だけ、レイが兎になるのみたの。レイはどうして、兎になれるの?私もなれる?それとも、アルセイも兎なの?」

「ラン、兎になれるのはきっとレイだけだ。俺は兎にはならない、君もだ。人は弱い、いや、獣人、レイが強いのかな、同じような環境にあっても、レイは健康そのものだった。そして、俊敏な動き。ランは体も小さく、細い、そしてこんなにも弱い。個体差というより、種が異なると考えたほうがいい」

「レイと私は違うの?」

「違うと言えば、違う。でも、レイはレイだ。君の知るレイはどんな子だ?」

「レイ?レイは優しいよ、いつも元気で、いつも、笑ってる」

「そうだな、レイはランにとても優しいし、気づかいのできる子だ。元気で手伝いもすすんでできる。いい子だな。……獣人だからと言って、違うことなどないのだ。彼らも笑い、彼らも泣く」

「どうして、そんなこと言うの?」

「ラン、ほかの人はな。レイのように、人以外の姿になれる者たちのことを、獣人と呼ぶ。レイは兎だったが、ほかにもネズミや犬の姿をしている者もいる。そして、狼や、熊といった者もいる」

「ふーん」

 ランはよくわからないようで、小首をかしげているが、アルセイは構わずに話した。

「神様は本当に罪作りなことをなさる。なぜ、なぜ、獣人をこの国の民とお認めにならなかったのか」

 ランはただ、じっとアルセイの話に耳を傾けてる。

「ラン、この国の、この世界の始まりの物語を知っているか?」

 ランは小さく首を振る。


「この世界は昔々、一人の巨大な力を持った神様が支配していた。神様は優しく、この世界に暮らすすべての生き物を愛しまれた。そして、その神様には五人の子供がいて、神様はその五人の子供たちに力を五つに、そしてこの世界を五つに分けて、それぞれ、与えられた。力を得た子供たちはその神様の子供とはとても思えないような、暴虐の限りを尽くす、抗おうにも、子供には神の力が与えられている。この世界の生き物たちは嘆き悲しみ、たくさんの命が失われ,この地は荒れ果てていった。そのことを知った神様は、とてもお怒りになられた、そして、子供たちの力を奪い、粉々に砕かれたのだ。その砕かれた力はその国の民に分け与えられた。その力を使うためには、神の子供と、その力を持った者が、ともにこの国に尽くすと約束して、初めて力を使うことができる。神の力で、手と手を取り合って、この国をよりよいものにしていくようにと、神様は望まれたのだ。そして、神の子はこの国の王となり、神の力は呪力と呼ばれる。力を持って生まれたものは、呪術師を呼ばれるのだ」


「呪術師、あのお姉さん?」

「あぁ、そうだ。あの人は呪術師だ」

「レイは呪術師なの?」

 ランにしてみると、獣の姿に変わることも、高く跳びあがることも、不可思議という点において、同じであり、今一つ、区別がつきにくかったのかもしれない。

「いや、獣人と呪術師は違う、獣人からは獣人が生まれ、獣人はずっと獣人だ。しかし、呪術師は違う、呪術師の親から、呪力を持った子が生まれるとは限らない。呪力は貴賤を問わない」

「?」

「あ、お金持ちの者でも、貧しい者でも、男でも、女でも、呪力を持って生まれる。ただ、それだけなんだ。呪力を持って生まれる、ただ、それだけだ。そして、十歳までに王と契約を交わすことで、呪術師になるのだ。契約を交わすことなく十歳を迎えると、呪力は失われる」

「じゃあ、私や、レイも呪力があるかもしれないの?」

「ランには呪力があるかもしれない。それは十歳になるまでに分かる。しかし、獣人であるレイには呪力はない。獣人の呪術師は今までに一人もいない。神が、獣人をこの国の民として認めなかったといわれる理由だ。獣人に呪力を持つものはいない。なぜなんだろうな、神はなぜ、獣人をこの国の民と認めて、呪力を授けてくださらなかったのだ。彼らも人と、なんら変わりはないというのに」

「レイは呪術師じゃなくて、獣人なんだね」

「そうだ」

「獣人はこの国のために働かなくてもいいんだね。呪術師のお姉さんはとても辛そうだったもの。私、レイが呪術師じゃなくて、獣人でよかった」

「そうか、獣人でよかったか……、ランくらいだぞ、獣人でよかったなんて言うのは」

「そうなの?獣人は良くないの?体が丈夫で、元気で優しいのよ、とってもいいわ」

「ラン、レイだから優しいんだ。みんながみんな優しいとは限らない」

「そうなの?」

「優しい人もいれば、うそつきのやつもいる、ズルいやつも、残忍なやつもいる。獣人だからみんな優しいわけじゃない。人にもいろいろいるみたいに、獣人にもいろいろいるんだよ」


 アルセイの瞼にはまた、優しい獣人の困った笑顔が浮かんだ。





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