冬の花火
俺と太宰は大阪の心斎橋にいた。
日曜日なので人は多いが、外国人観光客が多い。
某大手チェーンの古本屋に入ると、太宰はとても珍しそうに、しかし、嬉しそうに、見て回っていた。
太宰は美容の本を手に取っているが、興味あるのか。若い頃はかなり美にこだわっていたようだが。
知人の女性が言っていた。「太宰が人気があるのは、顔がいいからだ」と。
他の作家の顔を思い浮かべると、肯くしかない…。
「太宰さんが主人公の漫画もありますよ」。「漫画なんて、女子供の読むものだろう。ふざけてやがる」。
太宰は「オレの本はどこに置いてるんだ?」と探しまわっているので、108円コーナーを教えてやった。
新潮文庫ばかり、少し日焼けした数冊が置いてある。
「なんだ、岩波じゃないのか」。
確か岩波文庫にもあったはずだが、太宰=新潮文庫だよなぁ。
っていうか、新潮に感謝しろよ。
「太宰さんの小説はほとんど文庫になってます。全集も出てますよ。あなたが拒否していた書簡集もある」
そう、借金を懇願する狂乱の手紙も、太田静子へ送った赤面する手紙もみんな書簡集に載っている。
「108円は高いのか?」
「安いです。この店の価格で一番安い」
「なんだと」
「例えば、ほら、この石川淳。こっちの石川達三とか、高い値段が付いてるでしょう」
「なぜだ。負けているつもりはない。許せん」
「あ、この高見順は珍しいから高額、こっちの火野葦平も高値ですね」
「侮られた!もう生きてられん!」
太宰はそう言うと、小型ミサイルが連射されたのだった。
古本屋は全壊になった。店内にいた客はもちろん、外の商店街を歩いている人まで死傷者が出た。
救急車、パトカー、消防車が数え切れないほど来て、心斎橋商店街は通行止めになった。
犯人は不明、太宰治がミサイルを撃っているとは想像できないだろう。
俺たちは千日前のパチンコ屋に身を潜めた。
「簡単にミサイル撃ちすぎ。本当に太宰治ですか? 太宰なら自死を選ぶはず」
「オレはもともと危ない男さ。ちょっとした侮りを受けても、激怒するんだ。力を得た今、もう我慢する必要はない」
厄介な事態になった。共犯者にされる。この男とは別れた方がいいだろう。
「全部が改造されたわけじゃないぜ。腹は減る。おい、遊郭に案内しろ」
また無茶な。確かに難波周辺にはたくさんあるだろうが…。
「金をくれ。今度、小説の原稿料が入ったら返すから」
まだ小説を書く気でいるのか。まさか文藝春秋に乗り込んだりしないだろうな。
太宰はキャバクラに入った。
1930年代のカフェを思い出す。指名で写真を見て、派手な衣装で化粧の濃い女を選んだ。
「貧乏くさい女は嫌だ。オレは地主の息子だぞ!」
ワインを飲みながら女性と歓談し、生き返って良かった、とつくづく思う。
「オレのことを知らない? 大作家だぞ。キスしてやるぞ。19歳? やっぱり若い女はいいなぁ」
「ねえ、シャンパン飲みたいな。プレゼントして」
「ああ、いいとも、いいとも」
「大先生にだけ特別、シャンパンタワーはどう?」
「ああ、いいとも、いいとも」
愉快だ。体が錆びるように熱い。
「今時の婦女子はどんな小説を読むんだ? もう吉屋信子でもあるまい」
「読むのは、BLばかりです」
「なんだそれは」
「ちょっと待っててね」。女は他の客の席へ行った。5分、10分と待つ。
イライラしてたら、やっと帰ってきた。「なんでしたっけ。ああ、小説の話。BLですよ。面白いですよ。先生も一度読んでみたら?」
「読んでみよう。だから、オレの小説も読んでくれよ。全集があるから」
「もちろん。絶対読みます。感想を言うのでまた来てね」
ボーイが「時間制ですので、いったんご精算をお願いしたいのですが…」
280万円と書いてある。
「筑摩書房に請求しておいてくれ。古田晃宛で請求すればいい」
「うちは現金かカード払いしか受け付けておりません」
「じゃあ、新潮の野平を呼んでくれ。彼が金を持ってくるから」
太宰はボーイに襟首を捕まれて、蹴りを入れられ、そのまま倒れ込んだ。「誰なんだよ、それは!」。ボーイは口調を荒げて、机を叩いた。
「すまん、手持ちは2万しかない。キスしてやろうか」
太宰は大型のサバイバルナイフを取り出し、起き上がるや否や、ボーイの首元をいとも簡単に切り裂いた。
「生まれたことが罪だから」
と意味不明の言い逃れをして。
そして、爆音と共に、天井を突き破って、空を飛んで逃げていった。
「作家って、飛ぶんだ…」。キャバ嬢はただただ見上げていた。
まるで冬の花火のような光を発して、太宰はどこか遠くへ消えていったという。