新幹線大破の事件
座席に戻り、Mに「あの男、確かに太宰治のようだ。りんご失格って言ったら、怒られた」。
確証は他にない。もっと話を聞き出さないと。
「しかし、なぜ今ここに?」。Mが言うように、それが一番の謎だ。
「本物なら、マネージャーになって、テレビ局に売り込もう。ネットにも有料配信だ。」
お互いの顔を見合わせ、ニヤリとした。
「太宰さん、本当に太宰さんですよね?」
「違う」
スマホの画面を見せ、「この顔ですよね」。
「お前ら、特高か? オレはもう出頭したんだ。用はないはずだ」
「ただのプロレタリアですよ。まあまあ、お酒、どうですか」。りんご酒を渡した。
「嫌味か、馬鹿野郎。日本酒を出せ」
「あいにくビールしかありません。おつまみに東京かりんとうをどうぞ」
Mが「俺が飲もうと思ってたのに」。「太宰先生がご所望なんだ。お前がりんご酒を飲めばいいだろう」。
「ちぇ」と言いながら、Mはさっきから太宰の動画をスマホで撮影している。「すごい光景だ」。
「ところで、先生。どちらへ行かれるんですか」
「うまいビールだな。もっとくれ。オレは奈良へ行くんだ」
「観光ですか。案内しますよ。奈良公園や東大寺がいいですか」
「何を勘違いしている。あいつがいるだろ」
「あいつ?」。二人は頭を絞った。「明石家さんまや堂本剛なら、奈良にはいませんよ」
「そういえば、保田與重郎が奈良か」
車掌が足早にやって来て、「車内であまり立ち歩かないようお願い致します。声も控えめにお願い致します」。
「このお方をどなたと心得る。芥川賞落選2回の太宰治先生だぞ」
「存じ上げませんが、お静かにお願い致します。他のお客様のご迷惑になりますので」
太宰は酒を飲んでいい感じになっている。ここで引き下がるわけにはいかない。
新幹線はもうすぐ名古屋だ。
Mがメモ用紙を持ってきた。「サインをぜひください」。
太宰も鉛筆でスラスラとサインを書いた。初めて見た太宰のサインは、象形文字のようだが、わざとか?
「ちょっと、象形文字はやめてくださいよ。いかにもサインらしいサインを書いてください」
もっと飲まそう。5本、6本とビールを太宰に渡す。家族や友人もファンなんですーなどと言い続け、サイン30枚に達した。
しかし、酔っぱらった太宰のサインは、最後には判別不明になっていた。檀一雄と読めるサインもある。
そのサインをMが素早くオークションサイトに出品する。
名古屋駅まであと5分というところで、Mがリンゴ酒で赤らんだ顔をしながら、何か言いたそうにモジモジしている。
夜の栄の街で遊びたい、と。俺だって行きたいさ。でも、途中下車するのか? 金は? もう太宰のサインが即決で売れた?
Mは自分の荷物をまとめると、俺と太宰を見捨てて、駅構内の雑踏へ消えていった。
栄、いいなー。しかし、本物のサインだと信じる人はいるんだな。
「太宰さん、とりあえず、大阪へ案内しますよ。一泊して、奈良に行きましょう。保田與重郎さんを訪問するんですね」
「違う。奈良にいるんだろう、志賀直哉が。あいつを倒すためにわざわざ奈良なんて田舎まで赴くのだ」
奈良市の高畑というところに志賀直哉の別荘があり、画家などを集めて、サロンを形成していた。志賀を尊敬して奈良まで訪問する作家も少なくない。
「ラスボス、ですか」
太宰は右の義手を外して見せ、覗くと、そこから小型ミサイルが発射するようになっていた。
「ベルセルク、ですか」
着物の内側には大小様々なナイフが揃っている。
「あいつだけは、許せねえんだ。取り巻きを含めて全員倒す!」
そう言うやいなや、小型ミサイルを一発ぶっ放した。
新幹線は大破。線路から脱線。乗客の4割が死亡。その他重軽傷者が多数。
東海道新幹線は2日間に渡って不通。
見たことのないミサイル状の塊が見つかったことから、テロの仕業ではないかと国は厳戒態勢をしいた。
夜の栄の街も自粛していることだろう。Mの馬鹿め。