りんご大好き
新幹線のぞみはゆっくり東京駅を出発した。
旅の同伴者Mは乗車してすぐトイレへ走った。うんちかな?
だいだい、トイレなら乗車前に済ませておくべきだ。段取りが悪いな。
東京は実に恐ろしいところだった。逃げるようにこれから大阪へ帰るのだ。
神田の古本屋街を一度は見物したいというのが二人の希望だった。
でも、すぐ迷子になり、周りは異文化の東京語を話す異邦人ばかりという恐怖。
俺たちは、はとバスに乗ってしまって、
スカイツリーにも登らず、下から見上げるだけ。あ、雨が降ってきた。
二人は走った。「これからどうする?」
「電車がややこし過ぎて分からない」
「バスガイドさん、初々しかったな」
「晩飯はどうするんだ」
「雨がきつい。もうあの店に入ろう」
マクドナルドに飛び込んだ。さすがマクドや。どこで食べてもブレない味や。雨とマクドと私、詩になりそうや。
さて、Mがやっとトイレから戻ってきた。ずいぶん興奮しているみたいだが…。
「おい、この車両の先頭に、太宰治が座っているぞ!」
「なんて? からかうなよ」
「本当だって。気持ち良さそうに寝てるから、覗き込んだけど、やっぱり太宰だった」
「そっくりさんだろう。なんで平成の世に」
「じゃあ、先頭行って、確認してみろよ。お前は太宰ファンなんだろう」
「いるわけないのに…。分かったよ。見てくる」
信じちゃいないが、おそるおそる、車両の先頭まで来た。
通路側のこの男かな。凝視するが、うつむいて寝ているので、よく確認できない。
だけど、服装がレトロだな。絣の着物なんて着ていて、戦前じゃないか。太宰がタイムスリップしてきた?
「すみません、太宰治さんですか?」。寝ている。「だ、ざ、い、さん」。周りから俺が変人と思われないか。
「津島修治さんでしょう?」。ダメだ。
さらに俺はこの男の耳元で囁いた。「りんご。りんご。りんご。りんご」。まるで呪文のように。おっ、男の体がビクッと動いたぞ。
さらに囁いた。「りんご、りんご、りんご、りんご、りんご」。男は小刻みに体を揺らしている。もう起きるんじゃないか。
「吾輩はりんごである」、「りんごは惜しみなく奪う」、「りんごだけが人生だ」。
「りんご百景」、「走れりんご」、「りんご失格」。
ついにむっくり男は体を起こした! 意外と大きい。「コラ―、オレの小説でふざけるな!」
この男、やっぱり太宰治なのか?