表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

彼女の真実

麻耶は一人、ある女性の元を尋ねていた。

何度も何度も頭を下げる。

思い出したくはないだろう、見るのも嫌だと思う。

微笑みながら麻耶を窘めるその女性。

意を決しバッグから取り出した写真には、回収したアーミーナイフが鮮明に写し出されている。

頷く女性。

最後に大きくお辞儀をし、しっかりした足取りで麻耶は歩き出した。


女性に対し刃物を突き付けて脅迫し姦淫する、連続婦女暴行魔。

未遂含め4件。内親告1件。

回収されたアーミーナイフこそ、その卑劣な犯行に用いられたものであった。

箕輪の話では康平の物ではない、女性が持ち歩くとも考えにくい。

水中で網やロープに拘束された時に使うと、潜水士が見せてくれたダイバーナイフとは形状、大きさが違う。

こんな物持つのはミリタリーマニアだろうと言っていた。

そう、ミリタリーブーツの男こそが暴行魔。

ずっと、そんな気がしていた。

でも、兼村の仮説。

康平が刺された理由、ナイフを投げ捨てた理由。

そんな単純ではないと考えている自分がいる。

証拠隠滅の為なら、他に方法はあったのではないか。

わざわざ埠頭まで行かなくてもいい。

命を掛けてまで歩く必要がどこにあったのか。

康平は兼村が言うような、そんな卑劣な男ではない。

根拠などないが、恵美たちに接して感じた率直な気持ち。

だけど、状況は康平にとって不利かな……。

溜息が出る。

そう言えば康平の想い人は今頃どうしているんだろう。

ふと、気になった。

「志保ちゃんが好きだったんじゃないかな?」

勘が鋭い恵美が言うのだから、間違いないのだろう。

志保ちゃんが好き……。

だった……?

あれ?

心の奥に引っ掛かっていた裕子の台詞。

「昔彼に言われた事があるんです。好きだったって」

あの時、裕子は確かにこう言った。

好きだじゃなくて好きだった。

どうして過去形なんだろう?

あの時は聞き流していた、昔の事だからそう言ったんだと思いもした。

でも康平が「好きだ」ではなく「好きだった」と言ったのだとしたら単なる告白ではなくなる。

それが何を意味するのか、そして彼らにどんな影響を与えたのか。

今回の事件に関係があるとは言えない。

いやあるのではないか、康平が命を掛けた理由がそこに。

確かめる必要がある……。

麻耶は足取りを速めた、次に向かわなければならない場所へと。


「その時の事を詳しく教えて頂けませんか?」

「2月のお休みの日だったと思います」

「お昼頃康平さんが急に訪ねて来て、これ持ってるの辛いから返すってクリスマスに渡したマフラーを」

ゆっくり頷き尋ねる。

「それで?」

「どうして?って聞いたんです」

「そうしたら、ずっと好きだったから、もう忘れたいからゴメンって」

「だから私もゴメンねって」

康平にとっての真実は告白ではなく決別だった。

過去の事でしかなかった。

彼女の事を好きだったから、馴れ合いの関係でいる事に耐えられなかったんだろう。

「その事を……誰かに話されましたか?」

最も危惧している事を尋ねてみる。

「良く覚えてないんですが……志保ちゃんに絡んで言ってたって恵美から聞きました」

麻耶は息を呑んだ。

「それは、いつどんな風に?」

「康平君の誕生日に……」

「3月の25日ですね」

裕子は頷いた。

「酔って絡んで……康平君は私の事好きなんだって!取らないでねって」

だから、志保さんは康平さんの前から姿を消した?

「どうしてそんな事を?」

「見ちゃったんです……その日、康平君と志保ちゃんがキスしてるとこ……」

いろんな感情が押し寄せて来た。

康平の想い、志保の想い、裕子の想い。

「ヤキモチ……ですかね」

力なく笑う裕子。

「多分……その時気付いたんだと思います。自分の気持ちに……」

「違う、認めたくなかっただけだ……私も本当は康平君の事が好きだったんだって。みっともないなぁ」

少し潤んだ瞳で空を見上げる裕子。

どこで二人はすれ違っていたんだろう、知る由もない。


「ごめんなさいね、どうでもいい事まで話しちゃって」

悲しげな笑顔。

掛ける言葉も無く、首を横に振る事しか出来なかった。

裕子への想いを自ら断ち切った康平。

裕子の告白で狂った歯車。

彼女を責めている訳ではない。

彼女には彼女の真実があった。

だが、結果としてその事で志保が康平の前から姿を消したのは間違いないのだろう。

康平が志保への想いに気付いたのはいつ?

二人が親密になったのはいつなんだろう?

駄目だ……全部妄想だ、論理性のかけらもない。

キスしてたから親密とか短絡的過ぎるし、会えなくなったのではなく絶交したのかもしれない。

康平が志保を想い続けているなんてのも、思い込みに過ぎないのかもしれない。

志保にしたって、恨んだのか呆れたのか身を引いたのか。

でも、本当に好きだったのなら信じれば良かったのにと思う。

他の人に何言われようが動じる事などないはずだ。

擦れ違い、勘違い、思い込み……そして、優しさ。

悲しすぎるよ。

いろんな思いが迷走して気が滅入って来る。

志保こそが謎の女性なのではないか、そう考えている自分。

乱暴されたのが自分の想い人だったなら……。

二重の驚きだろう、その苦しみは計り知れない。

事件への関与を裏付ける物証はないと言って良い。

全て麻耶の推理、いや妄想でしかない。

でも、康平が命を掛けるとしたら志保しかいないと思っている。

何故刺したのか、刺されたのかもまるでわかってはいない。

それこそ兼村の仮説どおりという可能性もある。

性犯罪の被害者が名乗り出る可能性はさほど多くない。

このまま謎の女性が誰なのかわからないまま終わってしまうんだろうか。


恵美の店の前に来ていた。

志保の事を調べる為なのか、一人っ子の麻耶にとっては姉のようなこの不思議な女性のいる空間に浸りたかったからなのか。

意を決しドアを開け中に入る。

「いらっしゃいませ」

全てを癒すような笑顔がそこにあった。

悔しくなるほど、いや悔しさも感じさせないほど女性からも好かれるタイプだと思う。

「こんにちは」

入口の観葉植物の葉陰からちょこんとお辞儀する。

「そろそろかなって思ってました」

ダスターでカウンターを拭きながら恵美が声を掛ける。

私が来るとわかっていた?

予知能力者!?まさかね。

「私が来るのわかってらしたんですか?それじゃあ、何をしに来たかわかります?」

意地悪な質問をしてみる。

恵美はクスッと笑い、背後の引き出しから何かを取り出す。

差し出されたのは白い封筒、表書きに履歴書とある。

はっとし中を確認してみる。

可愛らしい女性の写真、名前は鳥居志保。

「!」

「バイトに入って貰う時に預かったものです。必要じゃありませんか?」

正直ぞっとした。

この女性は一体……。

「個人情報ですし、今はこの住所じゃ有りませんけどお役に立てばと思って」

立つ!立ちまくりです!

って、何もかも見透かされてる?

「恵美さんって……」

不安げな顔で問い掛ける麻耶。

「エスパー?」

よっぽど壷に嵌ったのだろう、口元を押さえながら笑う恵美。

「昨日聞かれてたでしょ?志保ちゃんの事。それに、さっき裕子からメールが来たから」

「!!!」

「刑事さんがまた来たって。志保ちゃんに絡んだ時の事話したって」

なるほど過ぎる……何がエスパーだ馬鹿な事を言った、と思ったが後の祭り。

警察がこんなんではいかんやろ~と兼村の声が聞こえて来そうだ。

穴があったら入りたいとは良く言ったものだ。

赤面し項を垂れる麻耶に静かに語り掛ける恵美。

「雄太君も岳君も、そして裕子も。康平くんの事を心配しています。もちろん、私だって」

そう言えば、裕子が言っていた。

志保に絡んだ時の事は恵美から聞いたと。

ならば康平と志保の事は裕子から聞いて知っていたはずだ。

昨日の翳った瞳はそのせいだったのか。

ゆっくり頭を上げると、慈愛に満ちた瞳がそこにあった。

ふと、思った。

康平と恵美には何も無かったんだろうか?

イケメンの康平とマリア様のような恵美ならお似合いなのになどと思っていると、

「弟みたいな存在ですから、康平君達は」

と機先を制す恵美。

ああ、そうか……

客商売でいつもヒューマンウォッチングしているから洞察力が鋭いのだ、そうに違いない。

そして、この女性の前だと居心地がいいのはあれだ……犬が飼い主に腹を見せるのと同じだ。

服従と安心感、これにつきる。

一人納得する麻耶。

ならば……飼い犬は使命を果たそうではないか!

それは違うやろ~と兼村の声が(略)

「康平君と……」

方向性が若干違うが麻耶の決意を感じたのだろうか、背筋を伸ばした恵美が深く頭を垂れる。

「志保ちゃんの事、宜しくお願いします」

けたたましい音で椅子から立ち上がると同じようにお辞儀をする麻耶。

「はい!」

先程までの暗い気持ちは既に消えていた。


「鳥居志保?」

「生田康平さんの元彼女らしいです」

兼村に説明する麻耶。

話せば長くなるし物証がないので敢えて元彼女らしいと伝えた。

「事件に関係ありそうなんか?」

そう言いながら恵美から預かった履歴書を手に取る兼村。

「…………」

なにやら難しそうな表情。

「どっかで見た気がするなぁ……」

「え?どこでです?」

同じように履歴書の写真を凝視する。

「女は髪型とか化粧とかで化けるしなぁ、よぉわからんわ。思い違いかも知れんし」

頼りないぞ兼村、それでも警官か。

自分の事は棚に上げる麻耶。

「まぁ、ガッコに行けば就職先わかるんちゃう?病院に行った帰りに寄ろうか、近いし」

願ってもない……って、今日も康平の所に行くのか。

「状況からしたら被害者が意図的に虚偽の証言しとるか、単にボケとるかやから今日はあの線でカマ掛けるつもりや」

なるほど、さすがに馬鹿ではない。

まぁこちらも遊びでやっている訳ではないし、そろそろ全容を把握したいところだ。

が、正直気が進まない。

あの線は特に……。

麻耶は重い足取りで兼村の後を追った。


「志保ちゃん?」

予期せず聞こえて来た名前、そして聞き覚えのある声。

声の方向に目をやると堀田と箕輪がいた。

病棟の廊下で先日の若い看護師と向き合っている。

「あ……」

堀田達の顔を見上げ驚く看護師。

「ここに勤めてたの?……って、康平にも会った?」

「あ……はい……」

何か居た堪れない素振りだ。

「志保ちゃんがいれば安心だわ」

箕輪も嬉しそうにしている。

その光景を見ながら、麻耶は目を瞑り下唇を噛み締めた。

この娘だったのか。

そうだ事務局長が言っていた、病棟ナースの鳥居と。

そしてベッドに掛かっている担当看護師の名前。

ここで見ていたんだ。

こんな近くにいたなんて、愚か者め……激しく自戒する。

しかし、先日の病室での態度は何故素っ気無かったんだろう。

知ってて知らないふりとか、意図的に無視しているような不自然さは無かった。

お互い気付いていなかった?

でも、病室前には「生田」って書いてあるし、志保の左胸にも「看護師・鳥居」と……。

麻耶ははっとした。

生田、鳥居……康平、志保ちゃん……

恵美や箕輪達はみんな名前で呼び合っていた。

見ていないはずはない、見ても気付かなかった。

お互い苗字を知らなかったから。

名前だけでも十分コミュニケーションは取れる。

箕輪だって裕子の苗字を即答出来なかった。

キスするような間柄でそんな事有り得ないと思えるが、もしそうだったとしたら……。

康平にはベッドの札は見えない。

顔を見て初めて気付いた、だから驚いた、だから表情が変わった。

介助に入った志保もそうだ、顔を見て初めて。

苗字も連絡先もわからない相手。

親友を振った相手。

康平は誰にも相談出来ずにいたのだろうか。

恵美なら良い知恵を授けてくれたろうに。

寂しげにドアを見つめる姿を思い浮かべる。

いや、いきなり音沙汰が無くなったらどうだろう。

私なら避けられていると感じて躊躇するかもしれない。

相手が嫌がっているのならと、迷惑を掛けないように想いを封じ込めるかもしれない。

また悪い癖だろうか、思い込みだろうか。

康平の病室に入って行く3人。

「志保ちゃんがいるって知ってた?」

堀田の問い掛けに答える康平。

「一昨日気付いてびっくりした」

やっぱりあの日か……

あれ???事件の翌日には担当になるようなことを事務局長が言っていたはずだが。

その日は気付かなかったのだろうか?

いや、あの日志保はいなかった。

ああ、そうか……。

念の為、看護師長に確認を取る。

「体調が悪いと言うことで休んでますね。今までなかったんですけど、声が聞いたこともないくらいか細くて」

その時のことを思い出したのか、心配そうに語る。

「若いのに患者さんから信頼されてますしね、元気になって早く出てきてねって伝えました」

単なる推測が確証に近付いていく。

いや、既に確信していた。

看護師長に礼を言い振り返ると、康平の病室に入って行く兼村が見えた。

おいおい!

「どうも~こんにちは。ん~お知り合い?」

堀田達に囲まれてちょっと困惑気味の志保を見ながら尋ねる兼村。

わかっているくせに……

「あ……」

間抜け顔の堀田、麻耶達に気付き軽く会釈する箕輪。

「以前、あの喫茶店でバイトしてた娘です」

「ああ、箕輪さんの……」

麻耶の余計な事を言うなと言う表情に気付いたのか、言葉を濁す兼村。

それでも志保のネームプレートを見ながらこう続ける。

「志保さん……鳥居志保さんですか。血液型はO型?」

なんという脈絡のない問い掛け!

このスカポンタン!!!!

この時ばかりは本気で蹴り倒すところだった。

そうしなかったのはいや出来なかったのは、志保が「はい」と答えたからである。


「お友達来てるし遠慮しときましょか」

この人にしては妙な気の回し様だ。何かある。

「なんですか?」

歩きながら尋ねる。

「お嬢ちゃん、気付かんかったんか?」

だから何を?

「身長153cm、O型、左手の甲に絆創膏、首筋とかに擦り傷。ちょっと怯えたような表情」

こっちはそれどころではなかったのだが……

だんだんイライラして来た。

「それで、何がおっしゃりたいんでしょうか?」

「嬢ちゃん……」

溜息混じりに兼村が言う。

「似たような感じの人と最近会ってま・せ・ん・か?」

それだけ言うと兼村は黙り込んだ。

麻耶も黙り込んだ。

そう、思い当たる節があったからだ。

いや、兼村に指摘されるより前に確信していた。

だけど、どうすればいいのか迷っていた。

「あの雰囲気やと、例の線はないっぽいな」

気遣うような兼村の言葉。

「根拠は何でしょうか?」

わざとつっけんどんに尋ねる。

「勘や、勘」

煩わしそうに、いや嬉しそうに答える兼村。

「さて、どうしたもんか」

不意に眉間に皺を寄せる。

「康平君、かなりの頑固者やで。一筋縄ではいかん、今の状況では特にな」

「兼村さんも同じ考えなんじゃ有りませんか?」

そう問い掛けたいのを押さえ、珍しく素直に答える。

「出来るだけ穏便に済ませたいところですけど……」

事件が事件だけに。

「それでも、事実を明らかにしなきゃならないんですよね」

真っ直ぐ前を向いたままの麻耶は気付いていなかった。

兼村の満足そうな、いや父親のような優しい瞳に。

「やるべき事はわかっとるんやろ?」

ふと立ち止まる麻耶。

「私がやろうとしている事は、被害者の思いを踏みにじる行為かもしれません。でも……」

麻耶は毅然と顔を上げ歩き出した。

「鳥居志保に任意で取調べを行います。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ