明かされる事実
事件発生から3日目。
捜査は始まったばかりだが、兼村の言葉が気に掛かる。
このまま暗礁に乗り上げてしまうんだろうか。
何か見落としはないだろうか。
麻耶は思案し、そして保管中の被害者のコートを仮出して来た。
康平の了解を得て持ち帰ったものだが、事務規定やら何やらで出し入れが面倒臭い。
「ん?どうするんそれ?」
怪訝そうな顔の兼村。
「何か見落としがないかと……」
「ふん……まぁ気の済むまでやったらええけど」
何か言いたげな兼村。
「なんですか?」
上目使いに尋ねる。
「課長から言われとんのと違う事やっとるやん」
確かに交友関係を洗えと指示があったばかりだ。
聞こえない振りでコートを高く掲げてみる。
刺された箇所にぽっかり明いた穴、付近には夥しい量の血痕。
右袖にも染みたような痕。
目新しい発見は何もない……いや……これは。
「擦れたような痕……血痕?そう古くないみたいだし……」
「どうした?嬢ちゃん?」
麻耶の挙動を不審に思った兼村が問い掛ける。
「微量ですが……血のようなものがここに」
染みこんだものではない、微かな筋の様なシミ。
「ん~なんぞ関係あるんかいな」
「わかりません、わかりませんけど……」
ビンテージ物らしくかなりくたびれているし、古そうな汚れもある。
特別重要ではないのかもしれない、鑑識が見落とすとは考えにくいし。
戸惑う麻耶の手からコートを拾い上げる兼村。
「おい、これ鑑識に調べさせといてくれ。大至急や。DNA鑑定もやぞ」
正直ちょっと嬉しかった、全面否定されるとばかり思っていたから。
差し出されたコートを苦笑いしながら受け取る相良。
「兼村さん、人使い荒いですよ」
いつも兼村の尻拭いをしている感がある。
「年寄り労わってや、葉月ちゃん」
息子程年の差がある相良を兼村はこう呼ぶ。
ちゃん付けはどうかと思うが、何かにつけ2人で飲みに行く事があるそうだし、なんだかんだで上手くやっているのだろう。
「さてと……」
素直におつかいに出る葉月ちゃんを見送ると、麻耶を促す兼村。
「ウチらは病院行きまっか」
「はい」
「やるべき事やらんと、課長にどやされるからな」
兼村は緒方を真似て眉間に指を当てた。
主治医の池田から許可は下りているとの事で、そのまま康平の病室に向かう。
「もう体調は良いの?」
エレベーターを降りると、スタッフルーム前で田原が若い女性看護師と話をしていた。
麻耶達に気付き軽く会釈する。
「それじゃ頼みます」
康平の担当なのだろうか、キャリーを押しながら病室に入って行く。
田原に面会する旨伝えると、患者を興奮させないようにとだけ釘を刺された。
「あ、そうだ……」
振り返る田原。
「刑事さん、ですよね?」
事件の事は何も聞かされていないのだろう。
ここで嘘を言うわけにも行かないので、ええまぁとだけ答える。
「殺人未遂事件なんですか?」
「申し訳有りません、職務上申し上げる事が出来ないんです」
残念そうに、だが納得した表情で答える田原。
「そうですよね、これは失礼しました」
同じような守秘義務があるから察するのが早いのだろう。
一礼し踵を返す田原。
研修医は激務だと聞くが自分達以上なのだろうか、ふと思った。
まぁ、どんな仕事も似たようなものか。
諦めムードで考えるのを止める。
康平の病室に入ると先程の看護師が手際よく点滴を交換をしていた。
機敏な動きには似合わない左手の絆創膏が初々しい。
康平はというと目を閉じて横を向いたまま動かない。
眠ってはいない様だが……
「生田さん、こんにちは。お邪魔します」
ゆっくりと体の向きを変える康平。
と、その顔が苦痛で歪んだ。
「あっ……」
看護師があわてて介助に入る。
「大丈夫、大丈夫です」
絞り出すような康平の声。
「本当に……大丈夫ですから」
看護師の手を振り払うようなしぐさ。
「申し訳有りません、お休みの所……」
「いえ、構いませんから」
無理して作った笑顔が引きつっている感がある。
当然ながらまだ痛むのだろう。
「様子見がてら2、3伺いに来ました」
「なんでしょう?」
麻耶達に気を使うように一礼し部屋を後にする看護師。
「気を悪くしないで戴きたいんですけど、生田さんの交友関係を当たってまして箕輪さん、堀田さんにお話を伺って来たんです」
「良い奴らでしょ?」
悪びれず答える康平。
「ええ、それから小原恵美さんと加世田裕子さんにもお会いしました」
空気を読まない兼村の発言に頭痛がして来た。
「お付き合いされてる方とかいらっしゃらなかったようですね。もてそうなのに」
なんとか取り繕う麻耶。
「もてないから一人なんでしょ」
自嘲気味に笑う。
「でも、そんな事まで調べるんですか……」
呆れたような溜息混じりの声。
「まぁ、仕事柄確実にひとつひとつ潰していかななりませんので。どうかご容赦下さい」
どこまで本気なのかわからないが深々と頭を下げる兼村。
「それでですね、確認したいのが……現場には他に誰も居なかったのかと言う事。もしかしたら誰か隠れていたとか……」
「……ないと思います」
断言する康平。
「なんていうか、その……気配は無かったです」
「そうですか、それで刺された場所に近付いた時はどうでした?声とか音とか」
「ガサガサいってたんで野良犬かなって思ったんです、あの付近結構いるんで」
「なるほど……」
「疑ってるんですか?」
「いや、例の写真の男が見つからなくて往生しとるんですわ。それでなんぞ見落としとる所はないかなと」
麻耶に代わってはぐらかす兼村。
「はぁ、ご苦労様です」
「ああ、いかんいかん。あんま長いするな釘刺されてましてん。また寄らせて貰う事もあると思いますけど堪忍して下さい。どうぞお大事に」
踵を返す兼村。
「そうそう」
ふいに立ち止まる。
「被害届ですけど、どうされます?通常は署で話を聞いて私らが書き取って内容を確認してもらって署名といった形式なんですけど」
「はぁ……」
いまひとつ状況が飲み込めないのだろうか。
「ご家族に来署して戴いても良いんですけど、安易に嘘の被害届を出すと自分が罰される事も有りますんで良くお考え下さい」
それだけ言うと兼村はさっさと病室を出る。
麻耶もお辞儀をして後を追う。
兼村としては被害届は出して欲しくないのだろうか。
警察に捜査の義務が生じないとは言え、面倒臭がる不逞の輩も少なくないと聞く。
加害者を裁いて欲しいのならば被害届ではなく告訴すべきなのだが、そのあたりの説明も無かった。
確かに被害届も告訴も「人に刑事又は懲戒の処分を受けさせる目的で、虚偽の告訴、告発その他の申告をした者は、3月以上10年以下の懲役の処する」という刑法172条の虚偽告訴罪が適用される。
単に釘を刺しただけなのか、はたまた。
「一度出したら撤回出来んからな」
麻耶の気持ちを察したのか、兼村が顔を近づけてぼそっと言う。
確かに何でもかんでも出せば良いというものでもないのだろう。
被害届を出さずに示談で済ませる事もあるし、盗難で被害届を出したら犯人が身内だったなんて事もあった。
でも、なんだかなぁ……。
兼村は何を気にしているのか。
麻耶は結論を出せず大きく溜息をついた。
「箕輪さんが振られたんですか?」
恵美の喫茶店。
堀田曰く、以前ここでバイトをしていた娘に一目惚れして告白したのはいいが、見事玉砕したらしい。
「お上の前で洗いざらい白状しろ箕輪」
「志保ちゃんがバイトで入ってた時コクって玉砕しました。って捜査に関係ないだろ?」
他愛ない世間話でも重要な情報に成り得るし、それで相手の警戒心を解く事も大事だろう。
と思う麻耶。
ふとこれって職業病?と思ったが今はまあいい。
「振られてからも通い続けてた健気な箕輪クン、泣ける」
堀田がちゃかす。
ただ、入院中の康平に気兼ねしているのか、少々元気がない気がする。
普段はもっと賑やかだったのだろう、そう思う。
「箕輪さんエエオトコやのに何で振られたんでしょ?」
兼村が話の輪に加わる。
「他に好きな人がいるって言ってました、ハイ」
神妙な面持ちの箕輪。
「生田さんとか?」
ふと思った事を口にする麻耶。
「ええええええええええええー!?」
それはないと首を横に振る二人。
「前にも言いましたけど、あの頃康平は裕子さんとべったりだったし」
と堀田。
「それに康平にとっては妹みたいな感じだったんじゃないかなぁ?どう思います?」
恵美に問い掛ける箕輪。
「どうかなぁ……」
急に話を振られて、ちょっと困った表情の恵美。
あれ?何か知っている?
少しだけ翳った瞳にそんな気がした。
「そんな事より、康平の見舞いに行っても問題ないですかね?」
ずっと気にしていたのだろう、堀田が尋ねる。
警察が捜査しているという事で、遠慮していたのかもしれない。
「そう……ですね、病院の許可さえ下りれば問題ないでしょ」
兼村も頷く。
「明日辺りならええんちゃいますか?今日は元気そうでしたしね」
「ありがとうございます!」
箕輪達は満面の笑みでお辞儀をした。
二人が店を出た後、思い切って恵美に尋ねてみる。
「康平君は……」
少し思案した後答える恵美。
「志保ちゃんが好きだったんじゃないかな?」
「女の勘……ってやつですか?」
兼村が尋ねる。
「たまたまだったのかもしれませんが、彼女がバイトの時に結構来てましたもの」
にっこり微笑む恵美。
ナルホド……でも、それだけだろうか?
「志保ちゃんの事は箕輪さんの手前遠慮していたかもしれませんね。康平君」
これは女の勘ですけどね、と兼村に微笑み掛ける。
親友を振った相手なら確かに有り得るか。
「それで、その志保さんは今?」
「3月末でバイトを辞めて以来顔を見てないですね」
「連絡先はわからないんですか?」
「電話番号もメアドも変えたみたいで。就職先は教えてもらってませんし」
項垂れる恵美。
「それから、康平君の元気が無くなった気がするんですよね。誰かを待ってるように、いつもドアの方ばかり見てました」
悲しげなその表情に、誰も来ないドアを見つめる康平の姿が見えた気がした。
「例の写真は見せなくて良かったんでしょうか」
喫茶店を出てすぐ兼村に尋ねる。
「手の内全部曝け出す必要ないやろ。加害者が知人の可能性もあるわけやからな」
「そうですよねぇ……目出し帽で顔がわからなかったって言ってましたしね」
「まぁ見たとこ写真とか同じような体躯の奴はおらんかったけどな」
それだけが救いか。
「兼村さんはどう思われますか?」
素直に尋ねてみる。
「ん?」
「現場にいた女性は誰なのか」
「そらぁ……わからんわ」
そう言うと思った。
「目撃情報は皆無やしのぉ……」
麻耶も声を張り上げたい気分だった。
その場にいたのは一体誰なのか?
康平の顔見知りなのか?
そもそも事件に関与しているのか?
真実はまだ見えない。
何の変哲もない男の後姿。
麻耶は康平が撮った写真をパソコンでぼんやり眺めていた。
ふと思い付いて使用したカメラ名や撮影日時などが詰まっているExif情報を覗いて見る。
12月5日0:25:00
「ア……レ……?」
何?この違和感……。
麻耶の五感が何かを訴えている。
捜査書類を引っ張り出し事件の経過を辿ってみる。
救急搬入が1:03
救急車到着が0:47
パトカーの現場到着が0:45
消防からの支援要請、救急車出動が0:38
119番通報が……0:35
最近の携帯は自動で時刻調整するようになっている。
極端にずれる事などそうありえないはずだ。
ならばこれは?
刺されてから10分後に119番?
変だ、何かがおかしい……
逃げながらでも電話は出来る。
ましてや写真を撮る余裕すらあったではないか。
執刀医と兼村には笑われたが、意識を失うぎりぎりじゃなくてもいくらでも電話は出来たはずだ。
それなのに何故康平は……?
手洗いから出て来たのだろうか、兼村が濡れた両手をしきりに振っている。
ハンカチも持ってないのか、と呆れる麻耶。
ふと雫が降り注いだ床に視線を落とした時、何かを感じた。
これって……
護岸の予備試験状況写真を机の上に広げる。
その中の1枚にそれはあった。
ほぼ一直線に並ぶ青白い小さな光。
ベンチ周辺の血痕とは明らかに違う、滴ったような痕ではない。
そう言えばあの時、警察犬はここを通った……!
「課長……」
実況見分調書を片手に恐る恐る挙手する麻耶。
「ん?どうした?」
「海底を探したいんですが」
「なんで海ぃ?」
兼村は露骨に阿呆かと言う表情を見せた。
相良も理解不能だと言わんばかりに問い掛ける。
「加害者と思われる男の足跡は、護岸付近には無かったんですよね。凶器を海に投げ捨てるのは物理的に無理でしょ」
「ですから……投げ捨てたのは被害者じゃないかな?……と」
「はぁあああ?」
理解不能といった感じの葉月ちゃん。
隣で顎に手をやる兼村。
「なんで被害者がそんな訳判らん事を」
そう言われると思った。
が、兼村が発したのは別の言葉だった。
「あの辺総当りになるやん。どんだけ手間隙掛かる思う取るねん。根拠ない事はでけんやろ」
ああ、やはりうすうすは感じ取っていたんだな。
普段なら呆れて目を丸くしているはずなのに。
兼村の目を真っ直ぐ見据えると、麻耶は立ち上がった。
「距離と方向はわかります」
それまで黙って聞いていた緒方の目が光った気がした。
緑地公園前の海上に潜水士を乗せた作業船が浮いている。
「ここですね」
兼村に立ち位置を指示する麻耶。
「んじゃいくで」
「こんなもんか?怪我してたら」
兼村が少々手加減して、刃物に見立てた浮体を投げる。
放物線を描き飛んで行くと、水面に飛沫が舞った。
「3~40mってとこでしょうか?」
「その辺にマーカーブイ落として」
兼村がハンドマイクで叫ぶ。
警察犬が通ったラインと予備試験状況写真の青白い小さな光のラインが交わるポイント。
ここで康平は凶器のナイフを海に投げ捨てた。
滴ったのではなく振り払ったから一直線になりこん跡も違う。
そう、康平が写真を撮ったのは刺される前。
逃げた男が加害者なら、凶器は持ち帰っているはずだ。
何かあって揉め合っている最中の事故だとしても、投げ捨てる理由はこの男にはない。
ましてや庇うべき相手の写真を公にするはずもない。
それに、自分で刺すのならあんな場所じゃなくていい。
考えられるのはその場にいた女性。
それが誰なのかはわからない。
康平が何故すぐに119番通報しなかったのかも。
ただ、なんとなく気になっていた。
ミリタリーブーツ、現場に残された男女の体毛。
もし、ここで想像通りのものが見つかれば……。
スキューバーダイビングのウエットスーツを想像していたら、かなりいかつい潜水服姿の作業員が現れた。
ドライスーツと言うらしく、冬場にウエットスーツとか拷問らしい。
「無限圧だし、船からボンベフーカーで潜りましょうかね」
専門用語ばかりで訳がわからなかったが、兼村がOKを出したので良いのだろう。
因みに兼村もわかっていなかったと言うのはオフレコである。
送気補助員と呼ばれる人の話では、送気ホースに有線電話のコードが付いていて、ダイバーと会話出来るそうな。
麻耶は感心しきりであった。
「ダイバーどうぞ」
「はい~、トップどうぞ」
「透明度と底質はどんなでしょうか?」
なにやらいろいろ会話しているのが陸上でも聞き取れる。
底はヘドロ状態で視界はそれ程良くないらしい。
ダイバーがいる付近の水面に泡が立っている。
「血痕の向きからするとこの方向やな」
「もう少し右ですね」
送気補助員に伝える。
「ダイバーどうぞ」
「はい~、トップどうぞ」
「フーカーを背に気持ち右向き前進願いますドゾォ」
「はい~了解~」
泡の位置を確認して送気補助員が誘導する。
「はい~そこでちょい戻しですぅ」
「了解~」
独特の話し方が可笑しかった。
有線電話のスピーカーからダイバーの呼吸音と泡の音が交互に聞こえて来る。
これで潜水作業員の存否もわかるらしい。
またも感心してしまう麻耶だった。
スーッ……長い呼吸音の後、ボコボコと言う泡の音の代わりにダイバーの声がした。
「トップどうぞ!」
「早く終わって助かりましたわ」
陸上に設置された風呂のようなものに浸かりながら、ダイバーが嬉しそうに言う。
「お疲れ様でした、有難う御座いました」
一礼し、引き上げたモノを見つめる。
「やっぱり……」
麻耶はこのタイプのナイフであろうと半ば確信していた。
回収されたのは刃渡り15cmのアーミーナイフ。
刃の形状からすると凶器と見做してほぼ間違いないだろう。
さすがに遺留物は採取出来ないかもしれないが、流通経路は特定出来るはずだ。
そこから犯人の姿を浮かび上がらせる事が出来れば……。
もちろん、この犯人とは康平を刺した加害者の事ではない。
ある意味、真犯人とも言えるその男。
回収したポイントにボンデンとか言う黄色いマーカーブイが浮いている。
距離にして35m。
麻耶には康平の必死な想いが垣間見えた気がした。
「嬢ちゃん、やるのぉ。ほんま見直したわ。真相も掴めてるんちゃう?」
感心仕切りの兼村が言う。
「まだまだですよ」
本音だ、被害者の意図がわからない。
「でも、ナイフ見て妙に納得してたやろ?」
こういうところは鋭い。
「心当たりがですね……」
言葉を濁す。
確定したわけではないし。
「例の暴行魔が絡んどるわけやな」
「そう……ですね」
やはり同じ考えだったか。
「いつから気付いてらしたんですか?」
「現場の遺留物でなんとはなしにな」
根拠がないから口にしなかっただけだろう、そういう人だ。
「兼村さんはどう思われます?被害者の行動を」
何故刺されたのか、何故ナイフを投げ捨てに来たのか。
思い切って聞いてみる。
「んなもんわかるか」
一蹴されてしまった。
「はぁ……」
力なく項垂れる。
落ち込む麻耶を気遣ってか、あくまでも仮説やけどなと話し出す兼村。
「女性が襲われとる現場を被害者が通りかかった。男は凶器持たんと逃げた。」
頷く麻耶、ここまでは同じだ。
「被害者はその女性に邪念を抱いた。そんで刺された。それを隠匿する為にナイフを投げ捨てた」
耳を塞ぎたくなった。
理論的にはおかしくない、でも……。
追い討ちを掛けるように兼村が言う。
「生田康平も仲間やったちゅう可能性もあるで」
だからなのか、被害届で釘を刺したのは。
そこまで考えていたのか。
確かに筋は通っている。
だけど、心の奥でそうではないと思っている自分がいた。
「いずれにせよ……」
想像でものを言ったことに後ろめたさを感じたのか、穏やかに語りかける兼村。
「わしらに必要なのは事実を見極める事、それだけや。真実を知る事やないし、ましてや人様の真実を白日の下に曝け出す事でもない」
いつになく真面目な横顔。
「事実も真実も同じじゃないんですか?」
少し笑いながら尋ねる。
「真の事実だから真実ですよね?」
「頭固いな」
麻耶を一瞥し鼻で笑う。
お前が言うかと内心むっとする。
「事実関係とは言うが、真実関係とは言わないだろ?何故だと思う?」
「…………」
正直考えた事など無かった。
「まぁええ。課長も言うとったろ、お嬢ちゃんの報告書やら調書は主観が多すぎるて」
確かに調書の件で御小言を頂いた事はあるが。
「書類はもっと客観的に、事実を明確に、君の主観は要らないから」
こんな事を言われた。
だが、それとこれとどんな関係があるというのだ?
「ま、そういう事や」
だから何がだ?知恵熱が出て来る。
客観、主観……事実、真実。
真実って一体何?
「麻耶、真実は人の数だけある。麻耶の真実が誰かの真実になるとは限らないんだよ」
ふと蘇る亡き父の言葉。
あれは嘘をついたのつかないだので幼稚園の友達と喧嘩してた時だったか。
「お友達は嘘をついたんじゃないかもしれないよ。勘違いって事もあるし、麻耶の思い違いって事もある」
そう言いながら頭を撫でてくれたっけ。
でも、子供には難しかったよ、お父さん。
「麻耶のお友達は嘘をつくような悪い子なのかな?そんなに意地悪なのかな?麻耶が誰を信じるかで真実は変わるんだよ」
父に飛びついた、意地悪なんかじゃないと。
友達を悪く言われた気がして、それが嫌だったのだと思う。
「大切なお友達でしょ、仲直りしようね」
泣きじゃくる私を抱きしめながら、最後にこう言っていたっけ。
「お父さんのお仕事に必要なのはたったひとつの事実なんだ。真実じゃないんだ」
訳が判らず見上げた顔は、少し悲しげだった。
すっかり黙りこくった麻耶。
冷えた缶コーヒーを片手に立ち上がり、兼村はぼそっと呟いた。
「真実はひとつやないねんて」
港に吹く風はいつしか冷たさを増していた。
「あ~、丁度良かった」
署に戻ると、葉月ちゃんが待ち構えていた。
「コートの痕は比較的新しいO型の血液、付着したのは事件当夜であろうとの見解です」
「O型言うと例の女性やな?」
「ええ、一致したそうです」
単なる想像が現実味を帯びて来る。
康平を刺したのはこの女性。
コートに血痕が付着したのはその時だろう。
「やはり被害者と謎の女性にはなんらかの接点、接触があったわけやな。」
「被害者が意識を失っている間とかはありえませんかね?」
相良が尋ねる。
「何の為に?」
不機嫌そうに問いただす兼村。
「いや、可能性として言ったまでで」
現場鑑識実施報告では女性の足跡はベンチへは向かっていない。
これまでの状況を考えると件の茂みで付着したと考えるのが自然であろう。
「結局の所、痴話喧嘩ですかね?」
三角関係の縺れで起きた傷害事件、相良はそう考えているようだった。