それぞれの思い
「昨日の鑑識結果は以上です」
鑑識課員からの報告が終わると、課長の緒方が各々に指示を出す。
加害者と思しき男性、そして事件解決に繋がるかもしれない女性の割り出しが急務とされた。
「恨みを買うような人物ではなさそうですねぇ」
並んで歩く兼村に話し掛ける。
麻耶達は昨日午後から康平が通う大学関係者への聞き込みにあたっていた。
「今のところ怨恨の線は薄いなぁ。まぁ突発的な何かがあったら別やけど」
性格は温厚で直情的では無かったらしい。
受講態度は真面目で、交友関係でのトラブルも聞いた事がないと。
しかし、まだ捜査は始まったばかりである。
地道にひとつひとつ潰していく他はない。
これから友人の一人箕輪雄太を訪ねる事になっていた
「俺がいたらこんな事には」
一緒に釣りをする事が多いらしい。
緑地公園付近にもちょくちょく様子見に出掛けるとか。
康平も釣り場の確認に来ていたのだろうか。
「自分、昨夜はバイトが入ってたもんで」
悔しそうな表情。
「いつもお二人でいる事が多かったんですか?」
「もう一人、岳ってのと3人でつるんでます。あ、堀田岳です」
同じ大学の堀田とも仲が良い事は承知している。
「こいつです。今日はバイトですね、冬休みなんで」
スマホを取り出し3人並んだ写真を見せる箕輪。
康平達の後ろで微笑む女性、カウンターの中か。
「喫茶店ですか」
「ええ、いつもここにたむろしてます」
「綺麗な方ですねぇ……参考までに生田さんに懇意にしている女性とかは?」
兼村が変な口調で話しに加わる。
女性の足跡があった以上確認は怠れないが……。
「ん~そんな事まで聞くんですか?」
顔をしかめつつも答える箕輪。
「裕子さんと付き合ってたんじゃないかな?」
「この写真の女性?」
兼村……自重。
「いや、この人は喫茶店のママ……いや、お姉さんで恵美さん」
画面をスクロールさせ、女性のツーショット写真を見せる。
「恵美さん……小原恵美さんと裕子さん…えっと、苗字は加世田だったかな」
「連絡先とかわかれば教えて頂けますかねぇ?」
「え~?……本当に捜査に必要なんですか?」
「すみません~是非とも」
おい、エロ親父。
話しを聞き出すのはお前だ!と常々言っていたではないか。
話術鍛える必要があるし、何事も勉強やと。
それとも2人とも綺麗な女性だからか?あ?
麻耶の殺気を感知したのか、急にしおらしくなる兼村。
それでも連絡先はゲットするしたたかさ。
頼むから変な事には使うなよ。
気を取り直して箕輪に尋ねる。
「さっき釣りをされるって言われてましたけど、ナイフとかは使われるんですか?」
凶器に繋がらないだろうか。
「釣った魚を捌くのに小刀持ってる人もいますけど、自分達はラインカッター位しか持ち歩かないですね。」
釣り糸を切る為の爪切りのような道具で、皆ナイフは持っていないと言う。
さすがに刃渡り15cmの鋭利な刃物はないか。
まぁ、何cmだろうが正当な理由無く持ち歩くと銃刀法ではなく軽犯罪法に引っ掛かるのだが。
「近場でやれるルアーとか餌木がメインなんで軽装が基本なんです」
「エギですか???」
イカ釣り用のエビに似せた疑似餌だと助け舟を出す兼村。
釣りが趣味には見えないが、ちょっと見直した。
って、おい。
まだ女性2人の写真を凝視しているではないか。
十分堪能したのか、箕輪にスマホを返し麻耶の耳元で囁く兼村。
「162cmと168cmってとこかいな」
あ!……。
なんて食えない人だ、というかエロ親父とかゴメンなさい。
本当はすごい人なんじゃないだろうかとまた感心する。
変な方言も相手を油断させる為にわざとやっているのだとしたら、相当なしたたかものだ。
そう言えば、これまでもその片鱗を見て来たような気がする。
私がど素人過ぎて気付かなかっただけかもしれない。
寡黙ではない仕事の虫、実は褒め言葉だったのではないか。
飄々としているお目付け役を見つめながら、麻耶は少し身震いした。
箕輪に教えてもらった住所を尋ねると、写真で見たショートカットの女性が現れた。
「先程ご連絡差し上げたものですが、加世田裕子さんですね」
「はい」
言葉を選ぶようにゆっくりと話を続ける。
「生田康平さん、ご存知ですよね?」
「はい」
「最近会われました?」
「いえ、お会いしてませんが……康平君に何か?」
「ちょっと、事件に巻き込まれたようで」
「事件って何ですか?」
お茶を濁す麻耶に食いかかる裕子、気が強いところがあるのだろうか。
「怪我されましてね、それで今いろいろ調べているところなんです」
「怪我って、どの程度ですか?」
怯えの表情がよぎる。
「今のところ命に別状はないようですけど」
多少ほっとした様子を見せる。
「それで、私に何か?」
「交友関係を調べてましてね、一応こちらにもお邪魔させて頂いた訳です」
「アリバイですか?」
結構ストレートにものを言うな。
「いえいえ、慣例で回ってますんでお気になされずに」
いきなり警察が尋ねて来て質問攻めではさすがに相手も警戒するだろう。
精一杯の笑顔で相手の気持ちを和らげる努力をしつつ本題に入る。
「あのぉ、お二人はお付き合いとかされてたんですか?」
箕輪の話では結構親密だったらしいが、さて。
「いえ、以前はみんなと一緒にお酒飲んだりしてましたけど……」
「付き合ってはいなかった、と?」
「…………仲が良かったのは確かですけど、お付き合いはしてませんでした。」
おや?箕輪の話とは様子が違う。
「…………」
何かか思案しているような裕子、言い難い事でもあるのだろう。
「お互い恋愛感情は無かったという事ですね?」
直球を投げ掛けてみる。
「いえ……あの、これって、捜査に必要なんですか?」
「無理強いは出来ませんけど、お聞かせ願えれば有り難いです」
裕子を安心させる為にこう続ける。
「職務上知り得た秘密を他に漏らす事はありません。ご安心下さい」
地方公務員法第34条第1項秘密を守る義務、所謂守秘義務だ。
納得したようだ、重い口を開く裕子。
「昔彼に言われた事があるんです。好きだったって」
確かに自分からべらべら人に話すような内容ではないのかも知れない。
「で、断られたんですか?」
「私は彼より五つも年上ですし、その時はゴメンねって……」
結構若く見えるがそうなのか。
「因みに最後に会ったのはいつですか?」
「10月7日、私の誕生日にみんなと」
「箕輪さんや堀田さんですね」
「はい」
「わかりました。また何かありましたらお話を伺いに来ても宜しいですか?」
とりあえず今日のところはこんなものだろう。
特に妙な反応はないし、いきなり根掘り葉掘りもどうかと思われる。
「あ、はい。私でお役に立てるなら」
「有難う御座いました」
深々と一礼をし、踵を返す麻耶。
「もう一度、箕輪さんのところに行って見ましょう」
待ち合わせの喫茶店に入る。
ここが溜まり場らしい。
「てっきり付き合ってるとばっかり思ってました」
恐縮する箕輪。
その隣で相槌を打つ堀田。
箕輪が気を利かせて呼んだそうだ。
「飲み会の時なんかべったりだったんだけどなぁ」
首を傾げる箕輪。
「逆に言うと酒が入っている時だけだったような」
寂しげに笑う堀田。
「そうだっけ?」
「ああ見えて裕子さん酒癖悪かったしな」
こらこらといった表情で堀田を一瞥するカウンターの中の女性。
例の写真のお姉さん、小原恵美だ。
御淑やかだが芯が通った感じがする。
「言われてみれば……素面の時は結構距離置いてた感じだったし……」
何かを思い出すように天井を見上げる箕輪。
「最近一緒にはいなかったよなぁ」
「確かに、裕子さんの誕生日の時も余所余所しかった気がするな」
同意する堀田、徐に麻耶に問い掛ける。
「でも、これって何か関係あるんですか?」
「情報が少なくて苦労してるんです」
麻耶は自嘲気味に笑った。
箕輪達が店を出た後、カウンターに移り恵美に話を聞く麻耶と兼村。
この人は何か知っている、麻耶はそう感じていた。
案の定裕子とは旧知の間柄らしい。
「康平君言ってました。裕子と自分は水と油だって」
静かに語り始める恵美。
捜査の為とは言え、他人のプライバシーに関わる事を他言するのは気が引けると見える。
それが普通の反応だろう。
「でも、仲が良かったんでしょう?箕輪さん達の話では付き合っているように見えたとか」
恵美はクスっと笑った。
「私の想像でしかないんですけども……」
前置きするとサイフォンをセットしながら続ける。
「お互い惹かれあっていたのは事実かもしれません」
「でも、康平君は感じていたんでしょうね。二人がずっと一緒にいられない事を」
「加世田さんが年上だから?」
麻耶は尋ねた。
「康平君は気にしていなかったと思います。むしろ裕子かな」
「それに……」
思い出すようにゆっくりとした口調で続ける。
「あの娘……お酒が入ると弱さ露呈しちゃうところあったし、そんな時だけ康平くんが必要だったようなそんな印象もありましたね」
同じような事を箕輪達も言ってたな。
しかしなんだろう。
何もかも見透かしているような瞳。
吸い込まれそうになる感覚。
不思議な魅力。
上手く言えないがほっとする……そう、この女性を見ていると安らぐ。
「それで、何か収穫は有りました?」
苦笑いするしかない。
「あの子達の周りに変な人はいないと思いますよ」
この人が言うとそう思えてしまうところが怖い。
「まぁ、それでも仕事ですしね」
溜息混じりに言う。
「ほんま因果な商売ですわ」
それまで黙っていた兼村が一言呟いた。
気付くとそろそろ午後3時、康平への事情聴取が可能なはずだ。
まったりとした時間に別れを告げ、病院へ向かう事にした。
「お待たせしました」
多忙なのだろうが、嫌そうな顔も見せず現れる池田。
「それじゃあ行きますか、くれぐれも手短にお願いしますよ」
病室に入ると点滴の向こうに少し痩せた感じの青年が見えた。
その手前でキャリーに乗せたノートパソコンを叩く医師の姿。
パソコンを打つ手を止め池田に話し掛ける。
胸元に臨床研修医師・田原のネームプレート。
この人が担当医か、ベッドの桟に掛けられた札に名前がある。
事務局長もそう言っていた。
しかし、担当が書かれたこの札は面会者にわかるような配慮なのだろうか?
肝心の患者さんからは見えないみたいだけどいいのかな?。
要らぬ心配をする麻耶。
「血圧は67-110です。体温は36度8分」
その言葉に頷きながら康平に語り掛ける池田。
「少し生気が戻ったね」
そう言いながら脈を取る。
目覚めてまだ状況が把握出来ていないのだろうか、ゆっくりと周囲を見渡す康平。
麻耶と目が合った。
端正な顔立ちだなと思いつつ軽く会釈した。
「生田さん、聞こえますか?」
医師達が部屋を出たのを見計らって声を掛ける。
「はい」
乾いた唇で答える康平。
「警察の者です。少しだけお時間下さいね」
「…………」
「何があったのか、お話しを伺いたいんですが」
「…………」
「誰かに刺されたんですよね?相手は誰ですか?知り合い?」
「…………」
天井を見つめたまま動かない康平。
「刺された……?」
まだ朦朧としているのだろうか、根気良く聞き出すしかない。
「脇腹に刃物の傷があってそれで病院に搬送されたんですよ。なにかトラブルにでも巻き込まれたんですか?」
暫しの沈黙の後康平は答えた。
「男……知らない男に……いきなり」
「相手の顔は覚えていますか?」
「すみません、ちょっと混乱していて……」
「いいんですよ、ゆっくり落ち着いて思い出して下さいね」
「目出し帽……を被っていました……なのでわかりません」
「緑地公園の埠頭で刺されたんですか?」
「グラウンド傍です」
件の茂みの所だろう、兼村が微かに頷いた。
「いきなり前から?」
「はい」
「凶器は加害者が持ち去ったんでしょうか?」
「多分……そうだと」
「刺されて埠頭の方へ行ったのは?」
「また襲われないように男とは逆方向へ逃げた……んだと思います」
「あなたは緑地公園へは何をしに?」
「釣りが趣味なんで、海の様子を見に行く途中でした」
確かにあの場所は駐車場から埠頭へ向かう最短ルートだし、箕輪の話とも一致する。
「盗られた物とかは?」
「ありません……多分」
「ところで、その場所に他に誰か居ましたか?」
「いえ」
「あなたと加害者だけだった……と?」
「はい」
では、女性の足跡は一体?
「相手の特徴を教えて頂けますか。身長は貴方より高かった?」
「少し高かったと思います」
「痩せていた?肥っていた?」
「痩せ型だったと……あ!」
「どうしました?」
「スマホ……」
周囲を見回す康平。
これか、テーブル上のスマホを手渡す麻耶。
康平はちょっと苦しそうな表情で操作すると、怪訝そうな麻耶達に差し出す。
「こいつです」
兼村の丸い目がますます丸くなった。
そこには走り去る男の後姿が映し出されていた。
「入りますよ」
ノックと同時に入って来る池田。
「もうこの辺で宜しいでしょうか」
「ああ、すみません長居してしまって」
バツの悪そうな兼村、どう見ても演技です有難う御座いました。
「そうそう……被害届は……」
池田はいい加減にしろと言わんばかりに大きく横に首を振っている。
「まだ意識が朦朧としとるようですし、また今度にしますか」
聞きたい事、聞かなければならない事は山ほどあるのだが、無理強いは出来ない。
後ろ髪を引かれながら病院を後にした。
署に戻ると科捜研の職員が来ていた。
「ダイレクトPCRでは被害者と他2名のこん跡が確認されました、今後も確認は行いますけどほぼ間違いないでしょうね」
1日でわかるんだなと感心する。
「採取されたのはB型男性頭髪2種、O型女性頭髪1種」
足跡の3名か。
「それから……」
「B型男性とO型女性の体毛です」
つまり……どういう事?
「被害者の体毛は無かったという事ですかね」
麻耶より先に兼村が問い掛ける。
「ええ、今回の検査対称には含まれていませんね」
「それでですね……」
靴フェチ満井が遠慮がちに発言する。
「現場を最後に離れたのは被害者で間違いないんですが……」
問題有りげな顔つきで続ける。
「足跡の状況からするとその前が女性なんですよね」
そう言いながら数枚の写真を指差す。
注意深く見てみると、被害者の足跡が一番上で女性ものがその下、一番下にもうひとつと重なっているのが判る。
腕組みし、首を傾げる兼村。
「男が被害者を刺して逃げた。その後女性がその場を離れた。被害者が最後?」
「あるいは危害を加えたのが実は女性だったとか?」
そう言いながら康平が撮った写真を眺める。
満井が言った通りミリタリーブーツっぽい。
どう見ても男の後姿だ、ありえないな。
「被害者は写真の男以外見ていないという事でしたよね」
「はい」
緒方の問い掛けに答える麻耶。
「単なる勘違いなんか、或いは何か隠しとるのか……」
「いずれにせよ被害者の証言とは食い違う訳ですか」
眼鏡を外し眉間に指をやる緒方。
兼村が顎を撫でるのと同様の癖のようだ。
「残念ながら今のところ目撃情報はありません」
所轄の捜査員が申し訳なさそうに言う。
少し淀んだ空気を振り払うように響く緒方の声。
「わかりました、所轄・交通課は引き続き目撃情報の収集。兼村さん、佐内君は被害者の事件当時の状況再確認と交友関係の洗い直しをお願いします」
「それから……」
麻耶達に向かって続ける。
「現在は被害届を受理したわけでも告訴状が出された訳でもありませんので、被害者の意向も確認しておいて下さい」
多くの人が勘違いをしているようだが、被害届を受理したからといって捜査を開始しなければならないわけではない。
告訴状が出されていない今回の事件で麻耶達警察が捜査を続行しなければならない義務もない。
司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする。
と記された刑事訴訟法189条2項に倣って動いているだけに過ぎないのだ。
他にもやらねばならない事はある。
この件ばかりに構っているわけにはいかない。
軽く一礼し緒方の前を離れる。
「下手すると……打つ手無しで未解決事件やな」
兼村がぼそっと呟く。
「は?」
何を根拠に兼村はそんな事を?
「根拠は何でしょうか?」
少々むっとしつつ尋ねる。
こっちは早期解決に向けて一生懸命ない知恵を絞っていると言うのに。
「単なる勘や……」
この人の口から勘などと言う言葉が出るとは思わなかった。
いつも科学的に、客観的にと言っているではないか。
そんな麻耶の思いを知ってか知らずか、ゆっくり席に腰掛けると真顔で向き直る。
「明らかにせん方が良い事も世の中にはあるっちゅう事や……」
一体何を言っているのだろうか?
兼村は何を感じ取っているのだろうか。
麻耶には知る由も無かった。