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 一つ息を吐き、狼は足を進めていく。

 狼は孤独感を持て余すと、必ず行く場所があった。

 森林の奥のひっそりとした場所。

 他の木よりも一際大きな木の下で、狼は体を横たわらせる。


 静かに、静かに。

 耳を澄まして。

 気配を空気と一体化させるように、景色に溶け込むように。


 余計な感情を全て切り捨てた時、狼の耳には木々のさざめきと共に一つの囀りが届くのだ。

 その音色は空気を切り裂き辺りを響かせる力強さと、なのに聴く者を虜にしてしまうような優しさを併せ持っていた。

 大木の上から奏でられるこの囀りに、狼は心地良さを抱く。

 耳から通る音色は心を緩やかに揺らし、蔓延していた孤独や虚しさを打ち消してくれる気がして。

 瞼を閉じて透き通る歌声に酔いしれるこの一時は、狼にとって至福の時間と言えたのだろう。


 勝手に囀りを堪能してから自分の住処へと戻るという流れが狼には定着していたのだけれど、この日はいつもと違っていた。

 辺りを響かせていた囀りが、ふいに止まったのだ。



 これまでにこんな事など、一度としてなかった。

 いつだって、大木の上で小鳥は鳴き続けていたのに。



 狼が疑問に思うと同時、背中に一つの感触が伝わってくる。

 視線を向けた事で、そこにある小鳥の姿に気付いた。



「……おい」



 咄嗟に漏れた声は、狼としての威厳など微塵も感じさせない程小さい。

 だけど、それ程までに狼は驚いていた。

 自分という存在は最早森の動物たちから疎まれるばかりで、逃げる事はあっても近付いて来る者など居なかったのに、と。



「何ですか?」



 狼の耳を突いた聴き慣れた声。

 短いそのたった一言にもやはり強さと優しさが備えられていて、普段よりも近い声は狼に動揺すら与えてしまう。



「……何ですか、は、俺の台詞だよ。何で俺の背中に乗るんだ」



 動揺を顔に出さずにおこうと思った理由は、狼の中にまだプライドが残っていたからだろうか。

「こんな小さな存在に驚かされるなんて格好悪い」と、そんな風に思ったのかもしれない。

 そんな狼の心を知ってか知らずか、小鳥はまた声を紡いだ。



「貴方の背中に乗ってはいけませんか?」



 質問で返された質問。

 一噛みで殺してしまえそうな小鳥にまで小馬鹿にされているのかと思うと、どうにも腹立たしい。



「駄目とは言わないさ。ただ、俺はお前を食べるかもしれないけど構わないのか?」



 クスクス、と。

 狼の耳に柔らかな笑い声が掠められる。

 決して大きくないハズのその声は、近い距離の所為でやけに鼓膜を震わせた。



「貴方は私を食べないでしょう?」



 あぁ、やはり馬鹿にされている。



 狼はそう思った。

 なのに言い返せない理由は何だと言うのだろう。

 小鳥の言葉が正しいと、自分でも理解出来ているからだろうか。



「貴方はいつも私の歌を聴きに来て下さるもの。だから貴方は決して私を食べない」



 凛とした声は狼の喉を詰まらせるようだ。

 事実、狼は何も言い返せずに。

 

 狼にとって小鳥は、いや、正確には小鳥の歌は自分を支える糧でもあった。

 胸にはびこる淋しさや虚しさを紛らわせてくれる。

 癒してくれる。

 その存在を自分からなくしてしまう事など、狼には出来ないだろう。

 


「最近来なかったから」



 ふいに聞こえてきた言葉。

 狼が意識をそちらへ戻すと、怯える素振りも見せない小鳥と視線が重なった。



「どうしてるのかと思ってました」



 パタパタと羽ばたいた小鳥が狼の鼻先へ移る。

 間近で映すその目には一点の曇りも見当たらない。

 すぐ傍にある小さな存在に、狼は言い知れぬ何かを感じ取っていた。

 見た目とは裏腹の大きな存在感だけではない、何か、込み上げるような感情を。



「ねぇ、狼さん」



 誰からも疎まれ続けるのだと思っていた。

 誰も自分になど見向きもしないのだと思っていた。



「貴方の背中、とても乗り心地がいいです。ご迷惑でなければ、これからはここで歌わせてはもらえませんか?」



 自分はいつだって「嘘」を吐き続けるのだから。

 獲物となる動物を捕らえる事もせず、ただただ真実を嘘にし続けるのだから。


 周りの反応は正しくて、当たり前なのだとすら思っていたのに。

 諦めていたのに。



「……好きにすればいいよ」



 嬉しかった。

 ただ、どう仕様もなく嬉しくて堪らなかった。



「ありがとうございます。では、これからはお邪魔させてもらいますね」



 自分が支えにしていた存在が、自ら自分を求めてくれたのだ。

 それが例え背中の乗り心地という点だけであったとしても、何だか認められたようだと自惚れてしまう。

 小鳥が自分の事を「嘘吐き狼」とは呼ばないから尚更に。



「……聞いてもいいか?」

「何です?」



 小さな存在に縋り付こうとする自分は、やはりみっともない。



 そう思いながらも、狼はどうしても訊ねてみたくなってしまった。

 許容を示して欲しくなってしまった。

 自分の欲深さに呆れながらも、それを止める事が出来ずに。



「これから……毎日ここへ来ても構わないかい?」



 狼の心臓が微かに鼓動を速めて、どこか冷静な頭で緊張を悟る。

 固く結び目を連ねていきそうな緊張は、小鳥の言葉により解ける事となった。



「ここは私の森じゃないですから。それは貴方の自由でしょう?」



 クスクスと笑う音色が心地良い。

 先程よりも嬉しさが増幅される中、狼もまた口元を緩めていた。

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