魔力適性を測定しますので、まず乳を出してください
入学初日。
「魔力適性を測定しますので、まず乳を出してください」
18歳以上の者だけが入学を許される王立高等魔術学院の大講堂で、白髭の学院長はそう言った。
誰も笑わなかった。
新入生たちは粛々と上着の留め具へ手をかけ、男性も女性も、順番に胸元を開いていく。
私だけが座ったままだった。
「どうしました、メルシェナ・ローディク嬢」
学院長が穏やかに尋ねる。
「どうしたも何もありません。魔力適性を測るのですよね?」
「ええ」
「では、なぜ乳を出すのですか」
大講堂が静まり返った。
隣の席の令嬢が息を呑み、前列の青年が胸を隠した。
学院長の手から、名簿が落ちた。
「今……なんと?」
「魔力と乳に何の関係があるのですか」
誰かが悲鳴を上げた。
壁際に並んでいた教師たちが、一斉に杖を構える。
私は反射的に両手を上げた。
「待ってください。質問しただけです」
「その質問を口にした者は、300年ぶりです」
学院長は震えていた。
感動しているのか、怯えているのかは分からない。
「300年前にも、同じことを聞いた者が?」
「いました」
「その人はどうなったのですか」
「禁書庫になりました」
「……人が?」
「はい」
何ひとつ分からなかった。
学院長は床へ落ちた名簿を拾い、咳払いをした。
「ともかく、測定を続けます。星導石の前へ」
講堂の中央には、人の頭ほどもある青白い石が置かれていた。
星導石。
魔力適性を測定し、火、水、風、土、光、闇の6属性を判別する、古代文明の遺物だと説明を受けていた。
最初の新入生が胸を張って石の前へ立つ。
学院長が星導石へ杖を向けた。
「測定開始」
石が光る。
空中へ、金色の文字が浮かび上がった。
『乳力 87』
拍手が起きた。
「素晴らしい。将来有望な乳力です」
「ありがとうございます!」
測定を終えた青年は、誇らしげに胸を張った。
次の令嬢は『乳力 42』。
その次は『乳力 96』。
乳力が何を基準に、何を単位として算出されているのかは、誰も説明しなかった。
星導石は一度も属性を表示しなかった。
「乳しか測っていませんよね?」
私が言うと、周囲の新入生たちは露骨に距離を取った。
学院長は聞こえなかったふりをした。
やがて私の番が来た。
「メルシェナ・ローディク嬢。星導石の前へ」
「上着は脱ぎません」
「正確な測定ができません」
「乳力を測る必要がありません」
「魔力適性です」
「乳力です」
「魔力適性です」
「では、属性を表示してください」
学院長は黙った。
星導石も黙った。
なぜか私が悪い空気になった。
仕方なく石の前へ立つ。
学院長が杖を向ける。
星導石が激しく明滅し、講堂全体が揺れた。
空中へ文字が浮かぶ。
『乳力 該当なし』
ざわめきが広がった。
「そんな……」
「無乳だ」
「いや、あるだろ」
「見た目に惑わされるな。星導石は絶対だ」
私は普通に胸がある。
しかし教師も新入生も、哀れむような目で私を見ていた。
学院長だけは青ざめていた。
「乳力該当なし……まさか、伝説の……」
「何ですか」
「尻を見せてください」
「帰ります」
私は踵を返した。
その日の午後、寮の部屋へ学院長と生徒会長が来た。
生徒会長は金髪巻き毛の公爵令嬢、ファルゼリア・ケルナートだった。
序列1位。
火属性の最上位魔術師。
そして学院最高の乳力を持つ女として知られているらしい。
本人が名乗った。
「あなた、午後の精霊契約式を欠席しましたわね」
「乳で魔力適性を測る学院の行事には、今後も出ません」
「何を言っておりますの。精霊契約に乳は関係ありませんわ」
「それは良かったです」
「必要なのは尻ですもの」
私は扉を閉めた。
すぐに外から学院長の声がした。
「メルシェナ嬢! 話を聞いてください!」
「聞いた結果、閉めました!」
「あなたの星導石測定は異常なのです!」
「石が乳力しか測らないことの方が異常です!」
「星導石は絶対です!」
「なら、私は該当なしでしょう!」
扉の向こうで2人が黙った。
しばらくして、ファルゼリアが低い声で言った。
「該当なしとは、乳がないという意味ではありません」
「でしょうね。ありますから」
「胸部に魔力適性が存在しないという意味です」
少しだけ話がまともになった。
私は扉を開ける。
学院長とファルゼリアが、真剣な顔で立っていた。
「では、魔力はどこに?」
学院長は私の腰から下を見た。
私は扉を閉めた。
その夜。
寮の窓から精霊が入ってきた。
手のひらほどの大きさで、薄い羽根を持つ美しい女性の姿だった。
月明かりをまとい、私の枕元へ降り立つ。
「見つけました」
鈴のような声だった。
「我らが契約者。伝説の無尻の乙女」
「あります」
精霊は私の言葉を無視し、恭しく跪いた。
「どうか我らと契約を」
「その前に確認します。なぜ尻で精霊契約をするのですか」
精霊は顔を上げた。
「なぜ?」
「はい」
「尻だからです」
「……理由になっていません」
「乳ではないからです」
「比較の話もしていません」
精霊は困った顔をした。
「人間とは、難しいことを聞くのですね」
「今のは難しくありません」
「では、契約を」
「しません」
「もうしました」
「いつ」
「先ほど、あなたが椅子へ座った時に」
私は椅子から立ち上がった。
座面に、小さな魔法陣が輝いていた。
「無断契約です!」
「尻を置きましたので」
「置いたのではなく座ったのです!」
「同じです」
「違います!」
翌朝、私が教室へ入ると、全員が立ち上がった。
教師まで立った。
拍手が起きる。
黒板には大きく書かれていた。
『祝 無尻の乙女 精霊契約成功』
私は黒板を消した。
「消すな!」
担任が叫んだ。
「事実ではありません!」
「精霊契約は成功しただろう!」
「無尻ではありません!」
「そこか?」
「そこです!」
私の机には、序列戦への出場届が置かれていた。
署名欄には、見覚えのない可愛らしい文字で私の名前が書かれている。
昨夜の精霊だった。
「出ません」
「出なければなりません」
担任は真顔だった。
「序列戦は、魔術師としての実力を示す神聖な儀式です」
「ようやく普通の行事ですね」
「乳力と尻力の総合評価で順位を決めます」
「魔術師としての実力はどこへ行ったのですか」
「乳と尻に現れます」
「現れません」
「現れます」
「昨日、胸部に魔力適性がないと言われました」
「だから尻力で勝てます」
「何に?」
担任は答えなかった。
答えられないのではない。
答える必要がないと思っている顔だった。
序列戦は、学院の中央闘技場で行われた。
全校生徒が観客席を埋め、王族や貴族まで来ていた。
巨大な掲示板には、出場者の名前と乳力、尻力、総合の3項目が並んでいる。
私の欄だけ、乳力が『該当なし』、尻力が『測定不能』となっていた。
「測定していませんからね」
隣に立つファルゼリアへ言う。
彼女は豪奢な戦闘服をまとい、堂々と胸を張っていた。
「測定不能と未測定は違いますわ」
「同じです」
「違いますわ。測定不能には夢がありますもの」
「ありません」
第1試合。
土属性の青年と、水属性の令嬢が向かい合った。
開始の鐘が鳴る。
2人は同時に杖を掲げた。
「大地よ、我が乳に応えよ!」
「清流よ、我が尻を讃えよ!」
地面が割れ、水柱が上がった。
普通に強力な魔術だった。
詠唱だけがおかしい。
青年が土壁を作る。
令嬢が水の刃で切り裂く。
観客席から声援が飛ぶ。
「乳力で押せ!」
「尻力が負けてるぞ!」
「もっと胸を張れ!」
誰も魔術を見ていなかった。
勝敗は、水属性の令嬢が尻もちをついた瞬間に決まった。
「見事な着地! 尻力加点30!」
審判が旗を上げる。
土属性の青年は、土壁を維持したまま敗北した。
私は帰ろうとした。
しかし門は閉ざされ、学院長が鍵を持って立っていた。
「あなたの試合は最後です」
「誰と戦うのですか」
「ファルゼリア嬢です」
隣でファルゼリアが微笑む。
「序列1位として、あなたの尻力を確かめますわ」
「言い方」
夕方。
最後の試合が始まった。
私とファルゼリアが闘技場の中央で向かい合う。
掲示板には、彼女の数値が表示されていた。
乳力『100』
尻力『100』
総合『王者』
最後だけ数値ですらない。
開始の鐘が鳴る。
ファルゼリアが杖を振り上げる。
「星よ! 炎よ! 我が豊穣なる双丘に集え!」
空が赤く染まった。
巨大な火球が、彼女の頭上へ現れる。
観客席が沸いた。
「出た! 大乳火球!」
「今年も乳力が育っている!」
「乳力は育つものなの?」
私は杖を持っていない。
魔術も習っていない。
逃げようとした時、昨夜の精霊が私の肩へ現れた。
「座ってください」
「嫌です」
「契約者の力を解放します」
「座る必要は?」
「尻なので」
火球が落ちてくる。
私は仕方なく、その場へ座った。
地面が光った。
闘技場全体に、巨大な魔法陣が広がる。
次の瞬間、火球が消えた。
ファルゼリアの杖も消えた。
観客たちの杖も、教師たちの杖も、学院長の白髭も消えた。
学院長が顎を押さえて叫ぶ。
「なぜ髭まで!」
精霊が胸を張る。
「尻はすべてを無に帰します」
「初耳です」
「今、決めました」
闘技場が静まり返った。
掲示板が激しく点滅する。
私の欄に、新たな文字が浮かんだ。
乳力『不要』
尻力『絶対』
総合『禁書庫』
歓声が爆発した。
「禁書庫だ!」
「人が禁書庫になったぞ!」
「300年ぶりだ!」
私は学院長を見た。
「説明してください」
学院長は髭のない顎を撫で、厳かに頷いた。
「禁書庫とは、書庫ではありません」
「知りたくありません」
「魔力の真理へ到達した者に与えられる称号です」
「では、建物の禁書庫は?」
「あれも人です」
学院長が闘技場の向こうを指した。
石造りの塔が、ゆっくりこちらを向いた。
窓が目だった。
扉が口だった。
塔が低い声で言った。
「乳は乳である」
私は立ち上がった。
塔が続ける。
「尻は尻である」
「それで?」
「以上」
私は精霊を掴み、塔へ投げた。
精霊が扉に刺さった。
塔が拍手した。
観客も拍手した。
ファルゼリアは涙を流していた。
「素晴らしいですわ。これほど見事な尻魔術、初めて見ました」
「私は座っただけです!」
「それこそが尻の本質ですわ」
「本質とは!」
その日、私は序列1位になった。
理由は分からない。
魔力適性も分からない。
精霊契約は解除できない。
禁書庫は毎朝、寮の窓の外まで歩いてきて、『乳は乳である』と言って帰る。
ただ1つ分かったことがある。
この学院では、疑問を口にしてはいけない。
疑問を口にした者から、説明する側に回される。
翌年。
私は新入生の前に立っていた。
中央には星導石。
隣には学院長。
そして名簿を持つ私。
応募者137人のうち、数学のみの入学試験を突破した13人の新入生が、緊張した顔でこちらを見ている。
この国では、数は神聖なものとされている。
私は深く息を吸った。
逃げ道はなかった。
「魔力適性を測定しますので」
一度、言葉を切る。
全員が身構えた。
私は目を閉じた。
「まず乳を出してください」
誰も笑わなかった。




