ー【第三節】聖女の力の正体は慈愛にあらず、溜まりに溜まったストレスを捕食する黒い相棒
第三節 聖女の力の正体は慈愛にあらず、溜まりに溜まったストレスを捕食する黒い相棒
「あら、出てきたわね」
私は空いている左手で、その毛玉をひょいと持ち上げた。
見た目はただの毛玉だが、触るとほんのり温かく、低反発枕のような弾力がある。
私の膝の上に乗せると、毛玉は嬉しそうに『モフッ』と鳴いて、私の太ももに身を沈めた。
こいつは、私の相棒だ。
私が一人で飲み物を飲んでリラックスしようとする時だけ現れる、謎の存在。
名前はないが、私は心の中で「毛玉ちゃん」と呼んでいる。
「お腹、空いてるんでしょう?」
問いかけると、毛玉はわなわなと震えた。
どうやら限界らしい。
私は毛玉の背中(とおぼしき部分)を優しく撫でながら、聖女としての自分を振り返った。
世間では、聖女の力とは「慈愛」や「祈り」から生まれると言われている。
清らかな心を持つ乙女だけが、神聖な魔力を行使できるのだと。
「……ちゃんちゃらおかしいわ」
私は自嘲気味に笑った。
王宮の魔導師たちも、レイド殿下も、みんな勘違いしている。
私がかつて展開していた、王都全体を覆うほどの強力な結界。
負傷した騎士を一瞬で治癒する奇跡の御業。
それらの源泉は、「慈愛」などではない。
「ストレス」だ。
理不尽に対する怒り。
帰りたいという切実な願望。
殿下への殺意に近い苛立ち。
終わらない労働への呪詛。
私の体質は、これら負のエネルギーを魔力に変換するという、極めて特殊なものだったのだ。
だからこそ、ブラック労働であればあるほど、私の魔力は強大になった。
皮肉なことに、王宮が私を追い詰めれば追い詰めるほど、私は「最強の聖女」として君臨できていたのである。
しかし、ここ数ヶ月、私の聖女としての力が弱まっていたのは事実だ。
レイド殿下が「出涸らし」と罵ったのも、あながち間違いではない。
だが、その原因は魔力の枯渇ではない。
犯人は、この膝の上にいる毛玉ちゃんだ。
こいつは、私の負の感情が大好物なのだ。
私がストレスを溜め込むと現れ、それをペロリと平らげてしまう。
ここ最近、私は毎晩のようにこいつにストレスを食べさせていた。
「あー、ムカつく! 食べて!」と愚痴をこぼしながら、日々の鬱憤をこいつに与えていたのだ。
その結果どうなったか。
私の精神は、驚くほど健全になってしまった。
ストレスがないから、魔力が生成されない。
聖女の力の源がなくなってしまったのだ。
「おかげで追放されちゃったけど……まあ、感謝してるわ」
私は毛玉を撫でる。
こいつがいなかったら、私はとっくに過労死するか、精神を病んで王宮ごと自爆していたかもしれない。
「さあ、お食べ。今日は特大のご馳走があるわよ」
私は目を閉じ、自分の中に渦巻く感情に意識を集中した。
解放感はある。けれど、それ以上に深く沈殿していた、長年の恨み辛み。
今日という日のために熟成された、極上の「負の感情」。
レイド殿下への殺意。
側近たちへの侮蔑。
私を嘲笑った貴族たちへの嫌悪。
そして、理不尽な労働を強いた国そのものへの呪詛。
「全部あげる」
『モフゥ……!』
私の言葉に反応し、毛玉が大きく口を開けた(ような気がした)。
次の瞬間、私の体から、どす黒いモヤのようなものが立ち上り始めた。




