ー【第四節】巨大化した毛玉の咆哮、それは極楽浄土への片道切符となる一撃
第四節 巨大化した毛玉の咆哮、それは極楽浄土への片道切符となる一撃
私の指令が下った瞬間。
『モフーーーーッ!!!』
巨大化した毛玉ちゃんが、天地を揺るがすような咆哮を上げた。
しかし、それは物理的な衝撃波ではない。
精神世界に直接干渉する、特大の波動だ。
かつて私が味わった「南国バカンスの幻覚」。
あれを攻撃用に転用し、さらに出力を最大まで高めたもの。
名付けて、【強制成仏ビーム(ニルヴァーナ・ブラスト)】。
「な、なんだこれは……!? 頭が……頭がぁぁぁ!?」
レイド殿下が頭を抱えて絶叫した。
目に見えない波動が、彼を直撃しているのだ。
彼の脳内に、強制的に「極上の安らぎ」と「全ての執着からの解放」が叩き込まれる。
ドス黒い欲望、王位への執着、私への憎しみ。
それらが、圧倒的な「光」によって上書きされていく。
「や、やめろ……俺は王に……俺は……」
レイド殿下の抵抗は、数秒と持たなかった。
「あ……あ……」
彼の形相が変わっていく。
血走っていた目から険が消え、への字に曲がっていた口元が緩んでいく。
「なんて……なんて、気持ちいいんだ……」
彼の視界には今、何が見えているのだろうか。
おそらく、私が見たあの白い砂浜以上の、極彩色の天国が見えているに違いない。
「王位? ……ああ、そんなものもあったね……」
「金? 女? ……ふふ、どうでもいいよ……」
「世界は……こんなにも美しい……」
レイド殿下の口調が、憑き物が落ちたように穏やかになっていく。
そして。
ドサッ。
彼は、その場に膝から崩れ落ちた。
しかし、その顔は苦痛に歪んでいるのではない。
まるで、母親の胎内に戻った赤子のような、あるいは全てを悟った聖者のような、得も言われぬ恍惚の表情を浮かべていた。
「私は……貝になりたい……」
最後にそう呟いて、レイド殿下は完全に動かなくなった。
死んではいない。
呼吸はしているし、脈もある。
ただ、彼の精神(心)だけが、遥か彼方の「お花畑」へと旅立ってしまったのだ。
「で、殿下!? 殿下ぁぁぁぁ!?」
近衛騎士の一人が恐る恐る近づき、殿下の体を揺する。
しかし、反応はない。
ただ、ニタニタと幸せそうに笑みを浮かべて空を見つめるだけだ。
「殿下が……殿下が廃人に!?」
「バカな! 剣も抜かずに!?」
「ひ、ひぃぃぃ! 化け物だ! あいつは聖女なんかじゃない、魔女だぁぁぁ!」
騎士たちはパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
私はその様子を、冷めた紅茶のような目で見つめていた。
「ご安心ください。死んではいませんわ」
私はにっこりと、慈愛(?)に満ちた微笑みを彼らに向けた。
「ただ、現世のあらゆる煩悩から解放されて、植物のような心持ちになられただけです。これでもう、誰かを傷つけることも、騙すこともありません。ある意味、彼にとって一番の幸せかもしれませんよ?」
私の言葉を聞いた騎士たちは、「ヒィッ!」と短い悲鳴を上げると、泡を吹いて倒れた殿下の足を引きずり、一目散に逃げ出した。
二度とここには来ないだろう。
彼らの心には、「この修道院には関わってはいけない」という強烈なトラウマが植え付けられたはずだ。
遠ざかっていく土煙を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
「……ふぅ。これでやっと、静かになったわね」
足元を見ると、仕事を終えた毛玉ちゃんが元のサイズに戻り、満足げに『モフゥ』とあくびをしていた。
どうやら、レイド殿下の巨大な欲望を吸い尽くして、お腹いっぱいになったらしい。
「ありがとう、毛玉ちゃん。いい仕事だったわ」
私はしゃがみ込み、そのツヤツヤした体を撫でた。
空はいつの間にか、美しい夕焼けに染まっていた。
明日からはまた、平和なスローライフが戻ってくるだろう。
誰にも邪魔されない、私だけの楽園が。




