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赤字領地を押し付けられた無能文官、数字と仕組みだけで静かに成り上がる  作者: 煤原ノクト


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第8話 黒字一行

 月末。


 執務室に、いつもより多くの人が集まっていた。


 老執事。

 警備隊長。

 城下の商人代表と、農民代表。


 皆、緊張した面持ちで、机の上を見ている。


 そこにあるのは――

 一枚の、簡素な収支表だった。


「……では」


 俺は、静かに言った。


「今月の収支を報告する」


 誰も、口を挟まない。


 期待と不安が、混じった沈黙。


「税収は、先月比で一割増。

 取引所の利用料は、予想より控えめだが安定」


 商人代表が、息を呑む。


「水路修繕の効果で、作付け面積が微増。

 来月以降は、さらに伸びる見込みだ」


 農民代表の顔が、ほころんだ。


「そして――」


 俺は、最後の行を指で示す。


「支出を差し引いた結果」


 一拍、置く。


「今月は、黒字だ」


 最初は、誰も反応できなかった。


「……え?」


「黒字、ですか?」


 老執事が、信じられないものを見るように帳簿を覗き込む。


「金額は、小さい」


 俺は、正直に言った。


「借金を返すには、まだ足りない。

 だが――」


 俺は、顔を上げる。


「赤字じゃない」


 その言葉が、じわりと広がった。


「……はは」


 警備隊長が、思わず笑った。


「若様。

 この領地で“黒字”という言葉を聞いたのは、

 何年ぶりでしょうな」


 商人代表が、深く頭を下げる。


「正直に言います。

 最初は、疑っていました」


「それでいい」


「ですが……

 この数字を見て、もう疑えません」


 農民代表も、続く。


「来年は……

 畑を、増やせそうです」


 俺は、うなずいた。


 これで終わりじゃない。

 だが、確実に――一歩だ。


 会議が終わり、人が去った後。

 老執事が、静かに言った。


「若様。

 皆、本気でついて来るでしょう」


「まだ早い」


 俺は、収支表を見つめたまま答える。


「黒字は、“成果”じゃない。

 スタートラインだ」


 夜。


 一人きりの執務室で、帳簿を閉じる。


 赤字の数字に埋もれていた頃には、

 想像もできなかった一行。


 黒字。


 たったそれだけで、

 世界の見え方は、変わる。


(――次は)


 この黒字を、

 “偶然”から“仕組み”に変える。


 そうしなければ、また落ちる。


 だが今は。


 この一行を、信じていい。


 赤字領地は――

 もう、過去だ。

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