十六幕
セルダ家当主ルカスはライネス領の関所近くに滞在していた。セルダ領都から主要街道を通って隣国との関所までは乗合馬車で一週間ほどかかるが、停留所に止まらずに直通で進めば四日ほどだ。
「侯爵様、情報屋と連絡が取れました。こちらが報告書になります」
オルギン男爵から渡された報告書にルカスは目を通した。
「マリセラは旧姓を名乗っていたのか。それで以前の調査ではわからなかったようだな」
「はい、どうやら、追放者だとわからないようにしたようですね。調査当時、ベルティ家は没落していたので、調査対象から外されていました」
男爵が嘆息して頷く。
エミリアナの母親マリセラはメイドにしては所作が美しかった。会話してみると、教養もあってただの平民とは思われなかった。隣国で王太子による国外追放処分が騒がれていた時期だったので、もしやと思って身上調査をしたのだが、当時は空振りに終わった。
王太子の婚約者だったサラサール侯爵令嬢は末娘で上に三人の兄がいて、家族全員から可愛がられて育った。そのせいか、少々ワガママなところがあったようだが、高位貴族の令嬢ならばあり得る範囲だったという。
侯爵家は長男が跡取りで次男は騎士爵を得て独立し、三男は恩賞でもらった子爵位を継いでいた。
マリセラは三男と婚姻した直後に国外追放処分を受けた。恋愛結婚で夫と離縁することなく、苦労を共にしてこの国へ逃れてきたようだ。
夫は国境を越える際に発作を起こして亡くなった。もともと持病があって薬を服用していたが、平民落ちしたせいで薬が手に入らなくなったのだ。
男爵が補足説明を加える。
「隣国では『サラサール侯爵家は冤罪だったのでは?』と密かな噂になっているようです。
そもそもの被害者だという女性は平民の奨学生だったのですが、どうやら裏社会の人間と繋がりがあったそうです。侯爵一家は抹殺されたらしいと言われています」
婚約者を断罪した王太子は新たな婚約者を選ぼうとしたが、年の近い高位貴族の令嬢は婚約済みばかりだ。
十歳年下まで候補者の年齢を下げて選定中に被害者の女性が立候補してきた。
女性は婚約者を排除後に正式な側近となり、王太子と親密になっていたが、あくまで上司と部下として、だ。女性はやんわりと身分違いを理由に断られたが、納得しなかった。
婚約者候補たちが事故や事件に遭って軒並み辞退し始めて、王家で調査をしたところ、裏社会の人間が捕えられた。取り調べで側近の女性と裏社会との繋がりが明らかになり、女性は脅迫や暴行に詐欺行為などの悪事に関わっていたことが判明した。
「国外追放された侯爵令嬢は国境を超えたすぐ先の街道で強盗に殺されました。心臓を一突きでプロの殺し屋の手口のようだと検死報告があがっていました。
そして、捕えた裏社会の人間を尋問した後に王太子の病気療養が発表されたのです。
『侯爵令嬢も裏社会の人間の手にかかったのではないか。もしかして、口封じで殺されたのでは?』と、当時の事情を知る者は訝しんでいるようです。それが密かな噂となっていました」
女性官吏登用は軌道に乗ってきたところだった。王太子が側近の女性に騙されて婚約者と一族を死に追いやったなどと公にするわけにはいかず、病気療養で王太子を廃嫡するしかなかったのだと予測がつく。
ルカスがふっと口角をあげた。
「隣国の王家には後ろめたい負い目があるだろうな。サラサール家の縁者が我が国の王家と縁づいたら、面白い展開になると思わないか?」
「それはあの子の血筋が明らかな場合でしょう。侯爵が実子だと公言している限り、隣国の王家は静観しているのでは?」
「だが、サラサール家の縁者の可能性が少しでもある限り、隣国は放置できないだろう。我が国の立場が不利になった場合にはあの子供の血筋が大いに役に立つ。王家へ売り込むには十分な利益だ」
「では、念のためにもう少し情報を精査してみます」
男爵は腹黒い笑みを浮かべる主に恭しく礼をして退出した。
男爵は他者には見せられない報告書を整理しながら、眉間を思いきり揉みしだく。マリセラの娘を見つけてから、早馬を出して情報屋に命じた報告書にはベルティ家の調査書もあった。
ベルティ家は伯爵家でマリセラは次女だった。マリセラの母は後妻で、もともとは前妻の専属侍女だったという。亡き主人が残した子供を案じて後妻になったのだが、伯爵夫人ではなく侍女気質のまま長女の世話を焼いた。マリセラも妹というよりも姉の使用人のように扱っていて、姉妹には明らかな格差があった。
姉は子爵家の次男と婚約していたが、マリセラが侯爵家の三男に見初められると婚約者の交代を命じた。
伯爵家を継ぐ跡取り娘の自分のほうが侯爵家と縁づくのに相応しいと主張して、サラサール家の怒りを買った。
ベルティ家は報復されて没落し、マリセラは実家とは縁を切った。サラサール家の助力で遠縁の貴族家と名前だけ養子縁組してから婚姻したようだ。
マリセラはメイドにしては気品のある仕草で初めて見た時から気にかかっていた。元伯爵令嬢だというなら、納得だ。
オルギンがまだ男爵位を継ぐ前に、落とした書類を拾ってくれた縁で彼女とは言葉を交わすようになった。
マリセラのメモを見かけて美しい筆跡に他家への挨拶状の清書を頼んだことがある。彼女が控えめに間違いを指摘してくれたから、恥をかくのを回避できて教養の高さに驚いたものだ。
生い立ちを尋ねると、曖昧な微笑みで誤魔化されたが、あの笑みは淑女の笑みだった。きっと、彼女は没落貴族に違いないと思った。
ただのメイドにしておくのは惜しかった。いずれは専属侍女に召し上げても構わないと考えていたのに・・・。
オルギンは過去の己の過ちを思い出すと、深い後悔に襲われる。
侯爵が親族内の集まりでやり込められたあの日、執務室でやけ酒を呷る彼に付き合っていた。飲み過ぎを案じて密かにグラスを水増ししていたが、水差しが空になって、オルギンは補充のために部屋をでた。ちょうど、通りかかったマリセラに水差しを頼んで、タオル類をとりにリネン室へ向かった。
酔っ払った侯爵の体面を慮って、自分で動いたのがいけなかった。
夫人の侍女に声をかけられて、侯爵の様子を尋ねられるうちに少し長く話し込んでしまった。戻るのが遅くなったせいか、侯爵は執務室のソファで寝落ちしていた。水差しが床に落ちて割れていた。酔った侯爵が落としたのかと、使用人を呼ばずに片付けた。
後日になって、マリセラが夫人の機嫌を損ねて解雇されたと聞いた。紹介状もなく、着の身着のまま追い出されたと耳にして信じられなかった。まるで、罪人の扱いだ。
新入りのメイドが夫人を裏切ったと邸内で噂されていて、オルギンは青ざめた。
マリセラが酔った侯爵に無体な目に遭わされた上に、夫人に責めたてられての不当解雇だ。己のせいだと悔恨に駆られて領都内を探したが、彼女は見つからなかった。
南国と繋がる主要街道の町でマリセラによく似た少女を見つけて、彼女の娘だと直感した。
孤児院で詳しい話を聞いて、侯爵の子供なら産み月が合わないと思ったが、孤児のまま捨て置くのは気が引けた。
聞いたことがないスキル『隠れ家』も隣国の血筋だからと納得した。詳しく検証すれば、何か使い道があるかもしれない。有能スキル持ちとして囲い込んでおいたほうが主家のためにもなる。
裕福な平民辺りに養子にとらせようと考えていたら、報告を受けた侯爵が娘にすると言い出した。政略の駒にするつもりなのは明らかだが、孤児として生きていくよりもいい暮らしができる。安定した身分も手に入るのだ。
マリセラだって、娘の幸せを願っているだろう。彼女に罪滅ぼしはできない分、娘を幸せにしてやるのが償いだと思った。
オルギンは侯爵令嬢になるのがエミリアナの幸せだと信じて疑っていなかった。
己の罪悪感を誤魔化しているだけだと気づきもせずに、ひたすらマリセラのためだと思い込んでいた。
タイトルをつけるとしたら、『傍迷惑な大人たち』ですね。
ルカスはエミリアナを利用する気満々ですが、孤児にいい暮らしをさせてやるのだから、感謝しろとか思っている。
オルギンはありがた迷惑なお人で、エミリアナが望んでないのに彼女の幸せだと思い込んでいる。
なお、マリセラにバネッサのことを教えてくれた同僚が密かに私物を回収してくれました。マリセラに同情する数人のカンパがあったので領都から逃れたのです。




