絵の具
「ひゃっ」
シャワーを浴びていると、足にぬめっとしたいやな感触を感じた。
下を見ると、赤や黄や水色や、様々な色が混ざって濁った色の液体が流れている。
振り返ると、妻の連れ子のあみこちゃんが、絵具の中身を流している。筆を洗った後の液体が浴室全体に広がっていく。
「なんだ。夏休みの宿題かい?」
「うん。そう」
下を向いたまま返事をする。そしてあらかた流し終ると、後ろ姿を見せながらどこかへ駆けていった。
妻に似て、幼いながらもきれいな顔をしている。ただ、それがどこか空恐ろしくもあるのだが……。
駅前のとあるスナックに、なかなかの美人がいるからと同僚に誘われて連れ立っていった先で、真美子と出会った。第一印象、たしかに綺麗な顔立ちをしていると思ったが、どこか浮世離れしているというか、感情の薄いその表情を見ているとなんだか不気味にさえなってくるような気がした。
世の中には関わってはいけない美人がいるというが、もしかしたらこれがそうなのかもしれなかった。
夫から暴力を振るわれている。夜逃げをするつもりだから、一緒に来てくれないか? そう言われ、思い切って彼女との同棲を決めたのはつい先月のこと。
すぐに籍も入れた。旦那さんとどうやって離婚するの? と、夜逃げの前から話してはいたけれど、ちゃんと考えてあるからと妻の反応は淡々としていた。
どうやったのか。なにか弱みを握っていたのか。気になったけれど、なんとなく妻にはきけないでいる。
どたどたっ! と、また足音が聞こえて、あみこちゃんが今度はバケツ一杯にはいった液体を抱えてきた。
バシャッ! 勢いよく浴室に流されたその絵具は、純粋な赤色……いや、少し黒く濁っているだろうか。
その赤い絵具には匂いがあった。
妻のにおい。むせ返るような香水のにおいと、到底塗料のものとは思えない、生々しいなにかが混ざりあっているようだった。
「びっくりさせてごめんなさい」
いつの間にか洗面台の前に立っていた妻の真美子が、意味深げな笑いを浮かべてこちらを見ていた。
「おい……。これ、まさか……」
妻は口元だけで笑みの形をつくり、空洞のような目でこちらを見つめている。
あみこちゃんが流した赤い絵具は、ゆっくりと時間をかけて排水溝のほうへ吸い込まれていった――。