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葛葉の澱  作者: 蟹むすび
二羽雀
9/13

キミヲツクル①

 決して安堵したわけではない。でも、落胆したわけでもない。姉との対面が先延ばしになった事実を只々静かな心で受け止めていた。

 心臓の鼓動だけが焦っているように走り続けていて、煩いくらいに耳に響く。


「そうですか……じゃあ、伝言をお願いできるでしょうか?」

「人数変更は必要ございませんか?」

「ええ。変更が出来ていないのはこちらのミスですし、仕方がないし別々の場所に泊まってもらいます。良いわよね、山雀やまがらくん?」

「……え?……ああ、はい、……大丈夫です」


 呆けている間に、宿泊は諦めて出ていくことに決まったらしい。

 夏那なつなさんはフロントマンへ軽く会釈をすると、僕の手を引いてホテルの出入り口へと向かう。この人に手を引いてもらうのは2回目だ。

 時刻は18時。日が沈み始めていて、気温は昼よりずっと涼しくなっていた。


「…………」

「……大丈夫?」 


 聞かれて、隣の夏那さんに顔を向ける。先ほどまでの朗らかな笑みは消え、涼しいクールな表情に戻っていた。

 すっと肩の力が抜け、心臓の音も収まっていき浅かった息も大きく吸えるようになる。

 笑顔よりも、こちらの見知った表情の方がやっぱり安心できる……気がする。

 するりとつないだ手が離される。抜けていく温度が、名残惜しい。


「……はい、大丈夫です。ちょっと……拍子抜けしちゃって……」

「そうよね。私も想定外だったから少しだけ焦っちゃったわ」


 そうだろうか。焦ったという割には堂々とデタラメを言っていたように思うが。

 

「でも……よかったんですか?出てきちゃって」

「いいのよ、そもそも予約変更を本気でするつもりじゃなかったし」

「……そうなんですか?」

「だって、確認であなたのお父さんに連絡がいったり宿泊料金が増えたりしたら困るでしょう?」


 確かに、それは困る。

 父に連絡されればこちらの言う"姉"なんてものは居ないという事がばれてしまうし、帰った後に父にどんな風に詰められるかなんて考えたくもない。

 宿泊料金も、持たされている金額で足りるかどうか。上手く人数変更出来て僕も此処に泊まれたとしても、後々領収書を見られれば一発アウトだ。


「最低限の目的は果たせたかな」

「目的?」

「お姉さんの存在を確かにしたかったのよ」

恭奈やすなの、存在……?」

「そう。肉体を得ていたようだから、それをもっと強めたかった。消えてしまっては都合が悪いし」


 肉体を、得る……。

 本当に今の恭奈は人として存在しているのだろうか。この目で見たわけでもないので、どうもまだ信じられない。


「私とあなたと紅葉こうようくう。それからホテルマンにもお姉さんの印象を強めたかったの。伝言を頼めば、きっとホテルマンとお姉さんとの間で会話が発生するはず。そうすればお姉さんを認識する者も増えるし、存在も強くなる」


 なる、ほど。言っていることは理解は出来る。

 形の無い煙を探すよりも人として存在する方が見つけやすいし、捕まえやすい。

 その状態を作り出すために、夏那さんは即興でデタラメを語ったわけだ。嘘も方便、というやつか。

 姉の声が消えてしまった。という漠然とした状況から比べると進歩している……だろうか。


「あれ……そういえば空は?」


 いつも主人の足元に控える大型犬が居ないことに気が付く。ホテルを出る直前までは確かに着いてきていたと思うのだが。


「空にはここに残ってもらうことにしたわ」

「え、置いて行っちゃうんですか?」

「ええ。お姉さんがホテルへ戻ってくるか、待機して見張っておいてもらうの」

「戻ってきたら……捕まえる?」

「いいえ、見張るだけ。変に刺激したくないから。」

「でも……置いていくのは可哀そうじゃ……」

「大丈夫よ、空は優秀な式神だから。食事や睡眠は必要としないし……お昼寝は趣味みたいだけれど」


 狐の窓越しに見た、星空を駆ける天狼の姿が脳裏によぎる。

 僕ら以外には視えない存在なのだから、見張りを任せるには適任なのだろう。


「だから、お姉さんを探すのは明日が本番になったわね」


 明日が本番……か。性急に感じるが、元より僕には時間が残されていないのだから仕方がない。

 明後日の午前中には小樽を発たなければならないことを考えると明日中には恭奈を見つけて…………見つけて、どうするのだろう?

 恭奈の声を取り戻すことが僕の目的だ。頭の中に戻ってきてくれさえすればいいと思っていた。

 それが今の恭奈には形があるらしい。出歩いて、人と接触出来る躰が。そんな姉を、どう受け入れればいい?

 そもそも、連れて帰ることなど出来るのだろうか。

 非現実の連続だったが、明日には現実と……姉と、向き合わなければならない。

 ……僕が、自分で考えて、言葉にして、決めなければいけない。


「今日は帰って明日に備えましょう」


 そう言って夏那さんはホテル横のアーケード街へと進んでいく。その背中を追いかけ僕もアーケードを潜る。

 心の中で、「頼んだぞ」と空に語り掛けながら。


「本当に、今日はもう恭奈を探さなくていいんですか?」

「タイムリミットがあるのだから焦るのは仕方がないけれど……万全を期すために、念には念を入れないとね」

「まだ、出来る事が?」

「もちろんあるわよ。同じことをするのよ、さっきのフロントマンにしたみたいにね」

「……恭奈の存在を認識させる?」

「そう、そうして明日までにお姉さんをもっと人に近づけるの」


 なるほど、念には念をとはそういう意味か。

 人に近づける……先ほど感じた不安が、また心に顔をのぞかせる。

 きっと夏那さんには恭奈を見つけた後の絵図があるのだろう。それを僕に見せてくれないのは相変わらずの言葉足らずなのか、それとも、意図的に僕には隠そうとしているのか。あるいはその両方か。

 どちらにせよ、明日になれば嫌でも現実と対面しなければいけなのだ。今はもう不安に構うのはよそう。ただ、恭奈を探し出すことだけを考えればいいんだ。


「具体的には、どうやって…?」

「あなたにお姉さんの事を教えてもらうの。たくさんね」

「……でも僕、さっき伝えたこと以外には……なにも、なにも分からないんです。恭奈のこと……知ろうと、しなかった」

「いいのよ、それで。みんなで作ればいいのよ」

「作る……?」


 恭奈を作る────

 小学生の頃に紙粘土で遊んだことが思い出される。ぺたぺたとちぎった粘土を重ねていく作業。細工棒で削り整形をしていく作業。頭の中でダメ出しをされながら、気が済むまで、その繰り返し。

 そうして完成した作品は学校の廊下に展示されたのだったか。何を作ったのかは覚えていない。


「粘土みたいに……?」

「ああ、良い例えかもね」


 ふむ。相変わらず姉の輪郭は想像出来ないが、やるべき事は理解できた……と、思う。


「帰りましょう」


 ほんのりと赤くなり始めた景色に、色素の薄い長髪が透ける。

 手を引かれながら歩いた道を思い出す。まだ声が聞こえなかった頃、幸福に満たされていた幼い記憶。

 温かなぬくもりが消えないよう、必死に手を握っていた。


 あの時あの人が口ずさんでいたのは、何の曲だったろうか。

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