我逢人
小樽駅を出て直ぐ、中央通りと名のついた緩い勾配の坂道を下った先には空と港が迎えている。遠くからはミャアミャアとウミネコの鳴き声が聞こえ、どこか情緒的な光景が広がっていた。
こういった景色を楽しむのも旅の醍醐味の一つだが、今はそれを楽しんでいる場合ではない。
一刻でも早く、消えた姉の声を探し出さなければならないのだから。
「あ、ここですね予約のホテル」
坂を下り始めて2分程で予約されたホテルへと辿り着いた。
気が付かなかったが、先ほど夏那さんと入った喫茶店"麗庭"のあるアーケード商店街入口の直ぐ右横だったようだ。その時は景色を観る暇なんてなかったので仕方がない。
"セントラルタウン都通り"と名を掲げたアーケードの左横にはかつては郵便局であっただろう古めかしい建物。現在は洋服店のようだが、外壁には赤い郵便マークが残されている。
かつての人の営みを語る、時の証人としての役目を持つ建物が点在するのがこの街の魅力なのだろう。
目前のビジネスホテルはそう言った建物と比べると比較的新しい。白い外壁には"ホテル ニューみなと"と縦書きでホテル名が記されている。なんというか、全体的に細長い佇まいだ。
2人と一匹でホテルへ入る。
なるほど、本当に自分達以外には空の姿は見えていない様だ。普通であれば、ペット同伴可能でない限り首輪もリードも無い状態で犬の連れ込みなど、即座に追い出されてしまうだろう。
良く考えれば、喫茶店の時点で不思議に思うべきだったと、今更思う。
「チェックインして部屋に荷物を置いたらすぐ戻ります」
「ええ、ロビーて待っているわ」
フロントへ向かうと、フロントマンの男性が笑顔で出迎えてくれた。
一人でホテルに泊まるなんて初めてなので、僅かに緊張する。恭奈の声があれば、少しは気が楽なのだが。
「いらっしゃませ。ご宿泊の予約はお済でしょうか?」
「えっと、父が予約をしてくれているんですが……」
「では予約名をお願い致します」
「山雀雄一です」
親のフルネームを口にするのは、なんだか変な気分だ。
ホテルマンは「確認致しますね」と告げ手元のファイルをペラペラとめくり出し、程なくして名前を見つけたのか、文字を追っていた指と視線が止まる。
「……ああ、山雀様は既にチェックインがお済ですね」
「………………は?」
「お渡ししている鍵でお部屋にお戻りいただいて結構ですよ」
「いや……え?」
「お出かけ時に、フロントにお預けになりましたか?」
何を言っているんだ?
僕は今しがここにたどり着いたばかりだ。チェックイン済みだなんて、そんなわけがない。
「いや……でも……」
「と、申されましても。同じお名前でのご予約はありませんが」
ここまでホテルマンは笑顔を張り付けていたが、こちらを不審に思い始めたのか徐々に眉根を寄せ声色が冷たくなり始める。
ああ、やっぱり恭奈の声が無ければ何も言葉が出ないのか、僕は。
夏那さんや紅葉さんとは自分の言葉で語れていたのに。自分を知らない相手だと喋り方を忘れてしまう。自分の過去を知られるわけでもないのに。
「あら、お姉さん1人でチェックインしてしまったのね」
後方から鈴の声。
振り向くと、ロビーで待機していた夏那さんが柔らかな笑みを浮かべながら後ろへ移動して来ていた。
どうやら、フロントマンとの会話が聞こえてたらしい。
助け舟に安堵し肩の力が抜けたがその直後、背中にぞわりと鳥肌が立つ。
恭奈が────?
姿形の無い僕の頭の中の声だけの存在が、他人にひた隠してきた姉が、まるで1人で行動しているかの様な発言に若干の眩暈がする。何かがこみ上げてきそうで、口元を抑えた。
「ふたりで一緒に向かえば良かったのにね。そうすればこんな勘違い起きなかったのに」
「勘違い……とは?」
フロントマンが、眉をひそめて呟く。
僕も同じ事を聞きたい。意図が察せないので、今は会話を合わせるしかないか。
夏那さんは最初から決まっていたことのようにフロントマンに説明をし始める。
「予約人数はふたりなのだから、チェックインもふたり一緒の時の方が良かったですよね?」
「……いえ、ご予約はお一人でしか承っておりませんが」
「あらっ?……お父様が予約人数の変更をするのを忘れてしまったのかしら。元は山雀くん一人で小樽に来る予定だったから……」
「宿泊人数変更のお電話もいただいておりませんね」
少し困ったような表情を浮かべながら、ツラツラと僕の知らない情報を伝える夏那さん。
知らないというか、ウソなのだが。大胆にもぼくの父まで登場させて、一体どうするつもりなのか。
なんだかどんどん恭奈の存在が濃くなってきているような、肉づいていっているような……。
「今から変更は出来ないでしょうか?」
「当日での変更ですか……」
フロントマンは手元のファイルと、僕と夏那さんを順に見やり、今まででいっそう訝しげな表情で乱暴にファイルを閉じた。
「そもそも、そちらがご予約の山雀様だという確認が出来ませんので」
高圧的な態度にたじろぐ僕とは逆に、夏那さんは明るい声で続ける。
「ああ、身分証明書出来ればいいのね!山雀くん、なにか証明できるものは無いかしら?」
「ええっ…………あ、あります……」
急いでバックの中を弄る。
そうだ、初めからこれを見せておけば良かった。未成年である僕が持ち歩く、唯一の身分証明。
影茶色のポケット手帳を取り出し、一番最後のページを開き差し出す。
「……学生証ですか」
高校から発行される学生証。
学校名、クラス、名前、年齢諸々。高校生の僕に提示できる情報なんてこのくらいしかないが、僕が予約の山雀である事を証明するにはこれで十分だろう。
「……お名前は合ってますね……学校もご予約時にお控えした住所と同様の地区で……」
「良かった、確認できたみたいで!」
朗らかに笑う夏那さんに対し、フロントマンはなんとも微妙なバツの悪そうな表情で生徒手帳をこちらへ戻す。手帳を律儀に持ち歩いてはいたが、こんな風に役立ったのは初めてだ。
しかし、名前を確認出来たところでどうするつもりなのか。先の展開が読めず、促すように隣の夏那さんへ視線を移す。
相変わらずの笑顔。……ここへ来るまでにこんな笑い方は一切していなかった。社交的というか、猫かぶりというか、とにかく本来の薄縹 夏那の表情ではないのだろう。
そんな夏那さんを見ていると、なんだか他人みたいで少し寂しい。いや、今日会ったばかりの他人ではあるのだが。なんだって僕はこの人にこんなにも懐いているのか、自分でもよく分からない。
「フロントへ呼び出していただけます?」
一言で、僕の顔色は一段と悪くなったと思う。
「お呼び出しですか」
「ええ。このままではらちがあかないし、いつまでも此処でごねていてはホテル側に迷惑をかけてしまいますから」
「……お待ちください」
ホテルマン側もこの状況を早々に終わらせたいらしく、特にこちらの提案を否定せずにカウンター内の電話を操作し始めた。
ここに、恭奈が来る。8年間、声だけだった姉が。
うすら寒さと、胸の高鳴りを同時に感じる。会いたいけど、会ってしまったら何かが変わってしまうのではないかという予感。
「…………っ……はぁっ……」
息がしにくい。
呼び出し音が聞こえる。もう直に部屋の恭奈が応答するのだろう。そうして、ここへ降りてくる。
どんな容姿なのか。髪の色や髪型は?服装は?身長は?どんな表情で?
全てに想像がつかない。思い返せば、僕は姉の事を何も知らないんだ。……そもそも知りようがないけれど。
これから姉を、知れるのだ────
ガチャリと、受話器を戻したフロントマンがこちらへ向き直る。
「ご不在のようですね」
「………………」
肩透かしにも、程がある。
我逢人/Mrs. GREEN APPLE




