竜宮城②
「粗茶ですが」
と、ホカホカと温かな湯気の立つお茶と、花を模った可愛らしい小さな紫色の和菓子を先ほど悲鳴を上げた狐顔の男に差し出される。
厚みのある陶器の湯飲みに入れられた緑茶には、ゆらゆらと茶柱が立っていた。
おお、茶柱の立ったお茶なんて初めてだ。感動して、素直に口に出す。
「わ、茶柱が……!」
「うん、立ててみたよ。縁起いいでしょ」
「…………」
素直な感動を返してほしい。……立てられるんだ、茶柱って。
まあ、善意なのだと有難く思おう。
湯飲みを持ち上げ、口をつける。温かなお茶が、冷えた潮風を受けていた身体を解す。
灰色の海岸から移動して、ここは小屋の中の座敷。
竜宮城の建っていた崖ほどではないが、それなりに荒れた崖路を上った先にあったのは一軒の古民家だった。古めかしいが、建物自体や辺りの木々は丁寧に管理されていて、いくつか設置された灯篭の灯が小さな旅館のような雰囲気を演出している。
案内されたのは如何にもな雰囲気の和室。黒塗りで高級感のある座卓に、床の間には水盤に生けられた花と掛け軸。
気品のある空間に少し緊張したが、もてなし役の男の飄々とした態度と、座卓の隣で骨を模った玩具をあぐあぐと咥え遊ぶ大型犬の姿が空気を和らげていた。
「朝顔の練り切り、可愛らしい」
そう呟いたのは向かいに座る夏那さん。
先ほどクリームぜんざいを平らげたばかりだが、甘いものが好きなのだろう。和菓子の乗った小皿を両手で持ち上げ、愛おしそうに眺めている。
「お嬢、好きでしょそういうの」
夏那さんを"お嬢"と呼ぶキツネ顔の男は細い目尻を下げ微笑む。
整った眉に細い吊り目、口角は常に上を向いており明るい印象。眉目秀麗、という表現がぴったりに思う。
髪色は明るく、後ろで10センチほどの毛束を結っており、白衣と紅い袴を身に纏う姿は神職を連想させる。
紅い袴というのは、男性では珍しいように思う。そういった色合いは巫女さんが着ているイメージだが。
しかしそれ以上に、非常に気になるのは……頭の上に生えた獣耳、だろうか。本来人の耳がある位置には何もなく、つるりとした肌とこめかみから続く髪の生え際が見えているだけだ。
「いやあーさっきは失礼したね」
絶賛和菓子味わい中の夏那さんの隣に座った男が、やはり飄々とした態度で話し出す。
「お嬢が人を連れてくるなんて初めてなもんで、驚いちゃってねー」
先ほどの驚嘆具合を思い出す限り、本当に心から驚いたのだろう。
今の涼しい風体からは想像のつかないほどの驚きの表情に、ビリビリと振動が伝わるほどの大声だった。
「オレはここの管理人の1人。紅葉って呼んでよ」
「僕は山雀です。山雀柳介」
管理人の1人、ということは他にも人がいるのか。……ヒト、という認識で、合っているのか。
どうしても、獣耳を目が追ってしまう。
作り物だと思うが、彼の言動に連動し生き生きと動くそれは作り物には見えないし、寧ろ表情よりも耳のほうが感情豊かなほどだ。
「りゅーちゃんはさ、なんでお嬢について来たの?」
「りゅーちゃん!?」
「あ、あだ名嫌いだった?苗字の方がいい?じゃあ"やまちゃん"かな?」
近い。近いです。
予想外の距離の詰め方にたじろぐ。
「いや……嫌ってわけじゃないんですけど……ちゃん呼びは……」
なんというか、気恥ずかしい。
あだ名なんて小さい頃に家族から呼ばれていたくらいで、それ以外にはあだ名をつけられた経験は無いのだ。
「どっちがいい?」
ずいっと、座卓に身を乗り出して問う紅葉さんの耳がモフモフと揺れる。
選ばなきゃいけないんですか、その二択から。そもそもあだ名は自分で選ぶものじゃないと思う。
「あー……」
いいだろうか……誤魔化しても……。
「……えっと、耳」
「ん?」
「本物、なんですか?それ……」
質問を質問で返してしまったが、特に気にする様子もなく紅葉さんは答える。
「あーこれね。まあ、見慣れないよね」
「見慣れないというか……」
「本物だよー。おくうと一緒!」
「おくう?」
「そうだよ、空ってかいて"くう"ね」
と言って、紅葉さんは頬杖をつきながら玩具を前足で抱える大型犬を指さす。
今更だが、このシベリアンハスキーの名前は空と言うらしい。響きだけ聞くとよくある可愛らしいネーミングだが、漢字を添えると僧侶のような風格を感じる。
なるほど確かに、どちらもよく似た三角耳だ。紅葉さんの耳の方が大きく、間の感覚が広いだろうか。
愛嬌は、空の方が上か。などと失礼な感想も浮かぶ。
「狐の耳よ」
「狐?」
対面の夏那さんがやっと会話に参加してきてくれた。
どうやら練り切りを食べ終えたらしい、満足そうな表情でお茶を啜っている。
言われてみれば、シュッとした赤褐色の耳は犬とは違った特徴を有している。よく見れば裏側は黒色だ。
「ここまで着いてきてくれたのだから、聞かれた事には答えないとね」
……質問に答えてない自覚はあったんですね。
「まあそうだねえ。で、りゅーちゃんはどんな面倒事を抱えているわけ?」
「え……さあ、僕にも分からなくて……」
どうやらあだ名は彼の独断で決定していたらしい。
……面倒事、なのだろうか。
”半端”だから"消える"としか言われていないのだ。ただ、それだけ。
それだけだけれど、半端の一単語だけで自分の無くしてしまったものに気が付いたから。
声が聞こえる前の僕には戻りたくないから──
「は、い?何も聞かされてないの?」
紅葉さんの細い目が開かれ、頬杖をついたまま鉄砲を食らったような表情で停止する。
「はい。ここが何なのかも知らないし……」
「ワァ~…………マジ?」
「マジです」
ギギギ。と音が鳴りそうな動きで紅葉さんは隣の夏那さんに顔を向ける。
「お嬢、ダメだよお嬢。せめて相手の状況だけでも伝えないと」
「あ、消えるって言われましたよ」
「それ説明になってないね!?急にこんな場所に連れてこられたら怖いでしょーよ!?」
なんと、飄々とした態度に反して意外にも常識人のようだ。
確かに彼の言う通りはじめは訝しんだし、信用していいのかと悩んだ。
でも……情けない言い訳しか言えない僕を、見てくれていたから。待ってくれていたから。置いていかないと、言ってくれたから。
なんというか、単純にも、惹かれてしまったのだ。薄縹夏那という人間に。
「だから、今説明しようとしているんじゃない」
お茶を啜っていた夏那さんがボソリと言う。
「お嬢が言葉足らずなのはいつもだけどさー、それにしても足りなすぎじゃないのかな」
「だって……」
「ん?なんか理由があるんだ?」
「……っない、なんでもない」
ばつが悪そうに夏那さんは分かりやすく眼を逸らす。
掛け合いを見る限り、二人はかなり親しい間柄のようだ。自分との会話では見せなかった人間らしい反応や声色を少しうらやましく思う。
そして、彼女が自分には増して言葉足らずな態度をとっている理由に心当たりがある。思い出すと、顔が熱くなるあれだ……。
「……いいから」
謝罪の気配を感じたのか、夏那さんはまたしても僕の発言を手で制して言葉を続ける。
「柳介くん、あなたが半端な状態になってしまった原因の話をしましょう」
ついに、本題だ。
僕の秘密を、話さなければいけない。
「自分で思い当たる事があるのでしょう?」
「…………はい……聞こえなく、なったんです」
二人は黙って僕の言葉の続きを待っている。
「…………声、が」
「声?」
紅葉さんが耳を揺らしながら繰り返し、続けて夏那さんが問う。
「誰の?」
自分にだけ聞こえる声。
8年間、一緒だった声。
「姉の声が、聞こえなくなったんです」




