からかい上手の
おたまに掬った味噌を、豆腐を崩さないように箸で溶かす。
濃さは、どのくらいがいいだろう。気持ち薄めにするのが良いだろうか。昨日の夕食の味付けを思い出しながら、味見をする。
うん、大丈夫……と、思う。あとは葱を入れれば完成。
豆腐の味噌汁、白米、焼き鮭、小鉢が2品の完璧な一汁三菜。これが本日の朝食の献立だ。その内の一品を僕が担当しているのである。
昨晩から世話になってばかりではいけないと、台所を訪ね、居合わせた青葉さんに手伝いを申し出たのだ。
まあ、既にほとんどの支度が済んでいたので、このくらいしか手伝える事が無かったのだが。
「ん、出来たか」
「はい。あの、味見してみてもらってもいいですか?」
「慣れた手つきだっただろ、必要ないと思うが」
隣で配膳準備をしていた青葉さんは、そう言いながらも、差し出された味見用の平皿を大きな手で受け取り、一口含む。
「うん、美味い」
「本当ですか……!」
「嘘なんかつかんさ」
元から、それなりの料理の心得はあったが、あの絶品な料理を作った人に褒めらえるのは素直に嬉しい。
夏那さんも、美味しいと思ってくれるだろうか。
……昨晩の、海辺での一件はどうか、無かったことにしてくれますように──などという、自分勝手な願望が叶うはずもなく。
夏那さんとは、食事を終えるまで目が合うことは無かった。
*
竜宮城の出入り口、洞窟前。
吸い込んでいるのか、吐き出しているのか。いまいち方向の定まらない風が身体を撫でて行く感触と、奥で揺れる白い暖簾の不気味さにはまだ慣れない。
「さて、見送り組はここまでかな」
言いながら、後方にいた紅葉さんと青葉さんは洞窟へと近づき、挟むように、それぞれ両端に控える。
仄暗い霧の中に、大口を開けた洞口。唸り声の様な風音。微かな潮の匂い。
鳥居やしめ縄が有れば、2人は神社を護る狛狐の様で、その風景は不気味と言うより、どこか神聖で、厳かな空気を感じた。
「では、お二人ともお気を付けて」
「いってらっしゃいませ。やっちゃんによろしくね」
「……はい。行ってきます」
またここに戻って来れるのかは分からないけれど、そう出来るのなら、きっと恭奈と一緒に。
願いながら、暖簾の海へ進んだ。
数枚の暖簾を超えると、辺りはすっかり暗闇だ。聞こえるのは、2人分の呼吸と足音だけ。方向感覚を失わないよう、顔面に纏わりつく暖簾を鬱陶しく捌きながら歩みを進める。
未だ、夏那さんとは目が合っていない。
会話はあれど、どこか素っ気ない受け答えで、また昨日の喫茶店での夏那さんに戻ってしまった。
正直言って、寂しい。そして気まずい。
柔らかな表情や言葉で接してくれていたのに。僕が調子に乗って薮をつついたせいで、怒らせてしまった。
今更ながら、コミュニケーションの何と難しいことか。
他者との触れ合いを避け、恭奈に依存していた事への報い、自業自得である。圧倒的経験値不足。距離感の測定ミス。余計な一言。
……今更後悔したって仕方がないか、こればっかりは。
ふと、先導する足音が途絶えた。布の擦れる音と、砂利音から察するに、立ち止まった夏那さんは、こちらへ振り向いたようだ。
「はい」
暫く待って発せられたのは、何かを差し出すようなニュアンスの、短い言葉。
何か渡されるのかと手元を見るが、暗闇で何も目視する事が出来ない。
仕方がないので、手探りしてみようと右手を前方へ伸ばすと、指先に細い物が触れる。
……指だ。
やはり、夏那さんもこちらへ手を差し出していたようだ。
何を渡されるのだろうと、彼女の手のひらを探るが、細い指と柔らかい皮膚に触れるだけで、何も見当たらない。
「……なんですか?」
「必要かと思って」
「何が?」
「手」
「…………?」
手?が、何なんだ?
意図が分からず、頭に浮かぶ疑問符。
……て……手。
……そう言えば、この場所で、同じようなシチュエーションが、あった、……ような。
「…………え、まさか……いや……」
「そのまさか。手を繋いであげないと、また泣いてしまうかと思って」
「──────ッ?!」
なんと、華麗なしっぺ返し。
そうだ、そうだった。何で好都合よく忘れているんだ。
いや、忘れたかったのか。
歩道橋での一件も、此処で半泣きになって、手を引いてもらったことも。
情けな過ぎて、忘却していた。
今朝だってそうだ。昨晩の海辺での事を無かったことにして欲しいと、身勝手に願った。
自分の失態は棚に上げて、いや、ゴミ箱に捨てて、”無かった事にしてくれていた”夏那さんの羞恥心を掘り起こした。
情けなくて、恥ずかしくて、固まる僕。
嗚呼、良かった、真っ暗で。
赤面して、若干涙目なのはバレていない。きっと。
「………ップ、ははは!」
暗闇から、少女の様な明るい笑い声。
触れたままの手と、漏れる息で揺れる暖簾から、フルフルと震えながら笑っているのが分かる。
「これでおあいこ、ね」
「…………え」
「大人気ないのはもうお終い。お互いに、気にするのは止めましょう。」
「あ、えっと……いいんですか?」
「わたし貴方よりお姉さんだから。大人がそれで良いって言っているんだから、いいの」
若干諭す様に言って、夏那さんは差し出したままだった手を引く。
なるほど、これが大人の対応というやつか。と、関心しつつも、なんだか母親に優しく説教をされた後みたいな気持ちだ。などと思う自分を、またしても情けないとなじる。
しかしまあ、この情けない思考も、己の至らぬ部分なのだと受け入れて行くしかないか。
ふうっと、止まりかけた息を吐き出し、腹を括った。
「……はい、じゃあ、お言葉に甘えて」
「ん」
夏那さんは再び振り返って、暖簾を割り進んでいく。
少しずつ遠ざかって行く気配を感じながら、腹を括った……もとい、開き直った僕は、正直また手を繋ぎたかったな。などと思いながら、その後を追った。




