吐露
なんて、恥ずかしい奴。
夏那さんへの憧れの正体を自覚した自分自身への所感は、その一言に尽きた。
つまるところ、今日出会ったばかりの見ず知らずの女性に、姉と母親を重ねて甘えたい気持ちを恋愛感情だと勘違いしていた訳だ。
ずっと前に居なくなってしまった母。
その原因になった姉までも、今は居ないのだけれど。
母は、姉を受け入れてはくれなかった。姉を内包する僕のことも、受け入れられなかった。
仕方がないと思う。
8歳の息子が誘拐された。それだけで母の心労はとてつもないものだったのだろう。
17日後に発見された息子は汚物にまみれて、ガリガリに瘦せ細って、あまつさえ存在しない姉を語る始末。
壊れてしまった息子を受け入れられずに去る母を、父は引き留めなかったらしい。
愛する母が衰弱していく姿を、見続けることが出来なかったのだろう。だから、僕から解放した。
母は僕から離れることで、心の安寧を取り戻すことが出来る。
僕は母を失っても、父がいる。そして父には僕が。
父の判断は正しかったはずだ。それが、これ以上誰も傷つく事のない、最良の選択だったはず。
「難しい顔してる」
不意に、眉間を突かれた。
今しがた、彼女に対する感情の正体を自覚をしたはずの脳とは裏腹に、単純な心臓がいそいそと心拍を上げる。
ちぐはぐな体内器官を情けなく感じながら、しわの寄った眉間を撫でる。
「……すみません、昔の事を、思い出してて」
「こんな状況だもの、当たり前よ。……さっき、自分が消えるかって、聞いたでしょう」
そう言って、夏那さんは視線を僕から海へと移す。
僕も同じく身体を海へと向けた。海の向こう側は霧が深く、地平線は霞んでいてよく分からない。
「消えるというのは、死んでしまうという事ではない。とは、説明したわよね」
「はい。でも、今のままではいられないって……」
「ええ、人に対して言うには相応しくないかもしれないけれど、パーツが足りない状態なんだと考えているの」
「僕を構築するパーツ、半身ですよね」
「そう。半分ものパーツを欠陥した機械を動かし続ければ、きっと……壊れてしまう。私は、貴方をそうしたくない」
なんとも嬉しい発言だ。が、今更なのだが、そもそも話になるのだが。
「どうして、夏那さんは僕を助けてくれるんですか?」
「…………言っていなかったかしら」
言葉足らず。説明不足がこの人の悪い癖なのだ。
はっきりと聞かずに、そのまま言われるがままだった僕も悪いが。
「すみません、ちゃんと聞かなくて……」
「いえ、いいえ。貴方は一切悪くないの。巻き込まれた側なのよ、貴方は」
「巻き込まれた……?」
片手で軽く額を抑えながらうなだれる夏那さんは、深めにため息をついて再び海を見る。
「……例の歩道橋のせいで、貴方はお姉さんと離れてしまったのだと思う。でもあれは落ちないだけで、離したり何かを具現化したりする力は無いはずなのよ」
「でも、僕は落ちましたよ?」
「……そこも有耶無耶なままだったわね。……言い訳ではないけれど、貴方が進路を決める大事な時期で、旅行中で、数日後には帰らなくてはいけないって事を聞いたら……忘れてしまっていたわ」
「はは……」
すみません。と、脳内で呟く。
今は謝罪よりも、夏那さんの説明を聞くのに徹するのが良いのだろう。
「貴方は落ちてしまったけれど、たぶん、お姉さんは落ちなかったのよ。」
「ああ、なるほど…!」
「さっき言った通り、あの歩道橋にはお姉さんを切り離すような力は無い。原因は別にあるの。歩道橋は、その原因の思惑に作用しただけ」
なるほど、相変わらず理屈なんてものは一切分からないが、僕と恭奈が離れた理由には合点がいく。
細かいあれこれは、"そういうもの"として、受け入れるしかない。
「……アレに、意思があるかなんて知らないけれど」
ポツリと、さざ波の音に混じって呟きが聞こえた。
恐らく僕に向けて発せられた言葉ではないのだろう。必要なのであれば、きっといつか教えてくれるはずだ。
気が付かれないように覗いた横顔が、愁いを帯びたような、怒りを含めたような、そんな表情だったのが気になったが、聞こえなかったふりをした。
「原因って、なんなんですか?」
「…………ごめんなさい。詳しくは言えない。……言えるけれど、言えない」
「……はい、そういうもの。ですよね」
フッと、漏れるような笑いが聞こえる。
今度は盗み見をしなくても、どんな表情をしているのか分かる気がした。
「その原因はね、悪戯をするの。些細なことから、由々しき事態に繋がるようなことまで、色々。私はね、その悪戯を止めたいの。止められなかったら、戻したいの」
なんだか、小さな子が恐る恐る話すような、たどたどしい独白じみた語り。
きっと彼女の、他者に触れさせたくないモノなのだろう。
「こちらが貴方達に悪戯してしまったから、それが理由。」
少しの間をおいて、示し合わせたように、視線を海からお互いに向ける。
「夏那さんって、昼よりも雰囲気が柔らかくなりましたよね」
「……んあ?」
「あ、ほら、そういうリアクションとかも」
「は……え……なにを…………?」
豆鉄砲を食ったような表情のまま、口をぱくぱくさせたまま固まる夏那さん。
少し、紅葉さんに似ている気がする。
「……………………私、そんなに意地悪な態度だった?」
「ええ?!いや、そうじゃなくて、もっとこう、……ツンとしていた?というか……?」
「…………………………………………ツン?」
「すみません、失礼ですよね……」
「いや、……いいえ、いいのよ。言われたことがあるから、それ」
どうやら、夏那さんを表現する言葉の一つとして、間違いではなかったらしい。
言われたことがる、という事は、基本的にはクールな態度で他者に接する人のようだ。
「意地悪、してるつもりだったんですか?」
「違うわよ!ただ、その…………か……しかったのよ」
「え?」
ごにょごにょと言葉が尻すぼったので、肝心な部分が聞き取れない。
「あの、なんて?」
「恥ずかしかったのよ……!!!!」
裏返った擦れ声が、浜辺に響く。
「だって……そうでしょう?!知らない男の子にっ……そのっ……くっつかれて、む、胸にっ!顔って……恥ずかしいっしょや!!」
普段、大声を出し慣れていないのだろう。言葉の所々が上擦ってしまっている。
聞きなれない語尾は、方言だろうか?
「普通に話せって言われた方が!難しいっしょ?!」
「……はい」
「んだべさ!?」
今までの彼女からは考えられない程の狼狽に、逆にこちらがうろたえてしまった。
いや、僕が悪い。どう考えたって、誰に聞いたって、悪いのは僕だ。
本人が"気にしていない"と言ったとはいえ、考えれば予想のつく理由だったろうに。デリカシーがないと怒られて当たり前だ。
もう、あの一件については掘り起こすべきではない。これで最後にするべきだ。
そう分かっているはずなのだが。我が単純なる18歳の脳ミソは冷静なはずの思考を無視して、あの鮮烈な出会いを再上映し始める。
向かい合ったまま、無言が続く。気の利いた言葉が見つからない。
まるで今の状況までも、昼間の喫茶店の再現みたいだ。
違うのは、目の前の彼女の様子。
昼間は無表情で、端的な会話 (のようなもの)しかしてくれなかった。
そんな彼女は今、潮風に乱れた髪を直すことなく、眉間にシワを寄せ、拳を握りしめ肩で息をしていて、頬や耳は、湯上りのように赤らんでいた。
今夜僕は、情けの無い脳ミソと心臓のおかげで、眠れそうにない。




