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葛葉の澱  作者: 蟹むすび
二羽雀
10/10

キミヲツクル②

 今日は同じ場所を行ったり来たりだ。歩道橋に始まり、アーケード街に、そしてこ、暖簾の先の竜宮城。

 この場所は時間が止まってしまっているのだろうか。

 潮位も、漂う磯の香も、石を転がす波の音も、辺りの仄暗さも、何も変わっていないように感じる。


 紙芝居の絵の中に入り込んでしまったような、無彩色の空と海を眺めながらため息を吐く。

 見知った場所に戻り気が抜けたのか、急に脚がズシリと重い。そこまで長い距離を歩いたわけではないが、帰宅部でインドアの僕には十分すぎる運動だった。


「んん────?なんだか、良い匂いがする……わ……!」


 唐突に、何かを察知した夏那なつなさんはピクリと動きを止めた。

 嗅覚に全神経を集中させているような、真剣な顔つきでスンスンと辺りの空気を調べている。

 僕も確かめるように鼻で探ってみる。確かに、磯の香りの奥、微かに油のような……食べ物の匂いが……する、ような?


「行きましょう、山雀やまがらくん。今日の夕食は……気合が入っているわ……!」


 言い終わる前に小走りで駆けていく夏那さん。慣れているからだろうか、よくヒールのある靴でこの石浜を走れるものだ。

 というか……。


「……ははっ!キャラが……変わっちゃっててるよ……夏那さんっ」


 耐えられず吹き出してしまった。

 なんだ、クールな人だと思っていたが、こんなチャーミングな一面もあったのか。

 こんな笑い方をしたのなんて、いつ以来だろう。恭奈やすなが冗談で笑わせてくることは度々あったが、こんな、ぬいぐるみを抱きしめたくなるような、腹の奥がぎゅっと満たされるような感覚は初めてだ。 

 

「置いていかないって、言ったのにさ……」


 どうも、僕よりも食べ物の方が優先度が高いらしい。そう思うとまた笑ってしまいそうになる。


(僕が……追いかければいいだけなんだ……追いかけて、いいんだ……)


 今日、何度も追いかけた華奢だが頼れる背中をまた追って、重い脚の事など忘れ僕も石浜を走り出した。

 




 小さな旅館ほどの広さの古民家でへ上がり込むと、料理の匂いが鼻腔をくすぐった。

 広い土間から上がった板の間には二階へ上がる階段と奥へと続く廊下、直ぐ横にはお茶を振舞われた和室がある。土間の奥側に閉じられた戸があり、隙間から明かりが漏れている。水の流れる音と、カチャカチャと食器を重ねるような音。

 台所で、誰かが食器を洗っているようだ。


(紅葉さんかな……?)


 夏那さんは台所にいる誰かを気にせずに、廊下の奥へと進む。照明がないので薄暗いく、足元からは歩くたびにギシギシと軋む音がする。

 いくつかある襖の一つを開く。広い続き間だ。

 中へ入ると、座敷を仕切る4枚立の襖の少し手前で、夏那さんは足を止めた。引手に手を掛けるわけでもなく、眺める様にじっと襖を見ている。

 いったい何を見ているのか。視線を追い僕も襖を観察してみる。

 まだ薄暗いのではっきりとした輪郭をとらえられないが、どうやら鯉が描かれているようだ。数匹の鯉が、鯉が────


「絵が、動いてる……?」

「面白いでしょう。ずっと前からあるのに、つい見ちゃうのよね」


 描かれた鯉が、悠然と襖の表面をたゆたっている。

 一匹を目で追う。赤い斑点のある鯉はすいすいと泳ぎ、隣の襖へと移動した。そうして端の柱にぶつかりそうになると、体をくねらせ回避し、また中央の襖へと音もなく泳いでいく。

 どうやら4枚の襖の外へは出られないらしい。

 薄暗さに目が慣れ、それぞれ模様の違う鯉がマイペースに泳いでいるのが分かる。

 確かに、これは面白い。どういった原理なのか理解できないが、仕掛け絵本に夢中になる子供のように鯉を目で追い続けてしまう。

 そもそも、原理などと考えるのは野暮か。これもまた、"そういうもの"なのだろう。


「まあ、今は泳ぐ魚よりも食べられる魚の方がいいわね」


 呟いて、夏那さんはやっと引手に手を伸ばす。襖が動くと、鯉たちは驚いたように柱側の襖へと逃げて行った。

 開かれた襖の向こうからは柔らかな光と、なんとも美味しそうな匂いが溢れてくる。

 そして、狐耳を盛大に揺らしながら紅葉こうようさんがこちらを出迎えていた。

 台所にいたのは彼ではなかったらしい。そういえば、管理人が他にもいると言っていたか。

 

「おっかえりーお嬢!りゅーちゃん!今晩は御馳走だよ~!」


 紅葉さんが両手を広げ示した大きな食卓にはたくさんの料理が並んでいた。

 具沢山の汁物、どんぶりからはみ出そうなほどに海の幸が敷き詰められた海鮮丼、脂の光る大きな焼き魚、色とりどりの野菜や山菜の天ぷら、可愛らしい飾り切りの施されたかまぼこ、エトセトラ、エトセトラ。


「わあ……旅館の料理みたいだ……!」

「そうでしょそうでしょお!」

「鶏を……丸々……?」

「半身だけどね、皮はパリッ中はジュワ~」

「蟹、大きい……!」

「今は毛ガニが旬だからねえ」

「トウモロコシの天ぷら、初めて食べるかも」

「今時期のトウキビは甘くて生でも食べられちゃうよ~」

「ウニ……!」

「オレが獲りましたッ!お嬢の大好物だからね」

 

 どの料理も存在感たっぷりで、目移りしてしまう。さながら竜宮城の宴会のようで、空腹を誘われる。

 待ちきれないと、今にも腹の虫が鳴きだしそうだ。


「美味しそうですね、夏那さん……!」


 クウゥゥ──ゥ────


 なんとも切ない声で鳴く腹の虫が、代わりに返事をした。

 宿主は無言で、こくりと小さく頷く。


(夏那さん……何故にキメ顔なんですか……?)


「あおくんったら張り切っちゃってさ、もう一品増やす!ってまた厨房に行っちゃったよ」

「あおくん……?」

「もう一人の管理人ね、もうすぐ来るよ」


 よく見ると食卓には大皿を除いて、料理や箸がそれぞれ4人分用意されている。どうやら紅葉さんの言う"あおくん"を含めて僕ら4人での食事になるようだ。

 ……ここに恭奈やすなもいれば、一緒にはしゃいだのだろうか。


 紅葉さんに促され座布団に座ったタイミングで、襖が開く。

 そこには白衣に浅葱色の袴を纏った、またしても狐顔の男性が料理を乗せた盆を抱え立っていた。

 たすき掛けされ露になった太い色黒の腕や、顎髭を蓄えた顔には傷跡が目立ち、線の細い色白の紅葉さんとは対照的で、ふと眉でがっしりとした体躯のワイルドな出で立ちだ。

 なかなかにインパクトのある第一印象だが、特に気になるのは……耳が、人のものだ。

 彼は紅葉さんとは違い、狐ではないのだろうか。


「おかえりなさい、お嬢。お客人。待たせたみたいで」

「いいタイミングだったよーあおくん」


 あおくんという呼び名は紅葉さんのつけたあだ名なのだろう。

 若干ぶっきらぼうに喋る男性は軽く会釈をすると畳に膝をつき、蓋つきの陶器の器を人数分盆から食卓へ移していく。


「どうも、自分は青葉あおばだ」

「あ……山雀柳介やまがらりゅうすけです」

「昼過ぎは自分は不在だったもんで、紅葉から事のあらましは聞いてる」


 空になった盆を横へ置くと、青葉さんは僕と夏那さんの向かいに座る紅葉さんの座布団に、丁寧な所作で腰を下ろした。

 傷跡のせいで近寄りがたい印象を受けるが、丁寧にまとめられた艶のある黒髪や、綺麗に揃えられた爪先を見るに几帳面な性格なのかもしれない。

 

「なら、ホテルでの出来事と明日までにやるべき事は食事しながら説明しましょう」


 なんだか落ち着きのない早口で言う夏那さんは既に右手に箸を左手に海鮮丼を装備していた。目は獲物を狙う野生動物のように爛々としている。

 

「お嬢が悲しい顔になっちゃう前に、始めようか~」

「そうだな」

(コクリ)

「……はい!」


 面倒をかけている側の僕までこんな贅沢をさせてもらっていいのかと、遠慮する気持ちもあるが……ここは有難くご相伴にあずからせていただこう。

 実は、隣の虫の音に紛れて、こちらの腹の虫もぐずり始めているのだ。


 全員、食卓へ向かい手を合わせる。


「いただきます」


 父以外と、こんな風に食卓を囲むのはいつ以来だろうか。

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