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葛葉の澱  作者: 蟹むすび
二羽雀
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句史夢善哉

 小樽。アーケード街の一角、狭い階段を登った先。赤い絨毯が印象的なレトロな内装の喫茶"麗庭れいてい"。

 真夏の日差しを浴び疲れた身体を、少し離れたカウンターから健気に送られてくる風が撫でる。

 アンティーク調の椅子や机が並び、壁には額縁に収められた絵画やポスター、やや不釣り合いに感じる魚拓なんかが飾られている。


 そんな小洒落た雰囲気を醸し出す店内には僕達二人……と、一匹しかいない。


 テーブルの向かいに座る女性は『薄縹 夏那(はなだなつな)』と名乗った。目鼻立ちの整った美人で、皺のないシャツにタイトスカート、首元のシンプルなネックレスが似合ういかにも大人な女性という出立ちだ。


 一匹は大きな犬で、ピスピスと鼻を鳴らしながらテーブルの下で昼寝中。

 グレーと白の毛並み。狼を連想させる風貌。シベリアンハスキー、という犬種だったか。

 少し前に流行った犬種のようで、地元でも見かける事が多い。大きな体躯で威圧的な顔つきに対して、穏やかな性格のギャップが人気の理由なんだとか。あとは、とある漫画が人気の火付け役だったとか。


 入店してから十数分、名乗り合ってから会話は無い。

 無言の気まずさを誤魔化すために掻き回されるアイスコーヒーの氷がガラガラと小気味いい悲鳴を上げる。


 僕がアイスコーヒー責めに勤しむ間、夏那さんは黙々とクリームぜんざいを頬張っていた。

 少し黄色がかったアイスクリームにツヤツヤとした小豆やフルーツ、寒天が添えられている可愛らしいデザートだ。メニュー表には当て字で『句史夢善哉くりいむぜんざい』と洒落た表記になっている。


 夏那さんは華奢なスプーンでフルーツを口に運び、もにもにと咀嚼する。

 吸い込まれていくフルーツとアイスクリーム。スプーンは口に運ばれた甘味が飲み込まれる前に次のひと口を装填、ペースを崩さずに口とぜんざいを往復する。お上品なようで豪快な食べっぷりだ。


 吸い込まれるみかん。もにもに。もにもに。


 そういえばメニューに書いてあった、この喫茶店はアイスクリームが有名らしい。北海道で初めてアイスクリームを販売した店なんだとか。


 吸い込まれるバナナ。もにもに。もにもに。


 せっかくだから、自分もアイスクリームを頼めばよかった。餅入りの鍋焼きうどんもおすすめらしい。真夏でなければ注文してみたいものだ。


 小豆を道連れに吸い込まれるアイスクリーム。もにもに。もにもに。


 嗚呼、沈黙が続くほど、先ほどの痴態が思い出される。気を紛らわそうとしても、こうも会話もないと難しい。

 

 ──嗚呼。

 頭の中が静かだ。

 いつもは一方的に話しかけてくるクセに、こんな時に限ってなんと気の利かない……。


挿絵(By みてみん)



*数十分前

 

 まずい。と思う前に両足が地面を離れていた。


 浮遊感に支配された身体に冷や汗警報。

 目に映る全てがスローモションに。ぬるぬると生温い外気を掻き分けながら空中進行。

 すぐ横の駅に電車が到着したのか、ガタゴトと走行音。ブレーキ音がキンと響く耳鳴りに変わっていく。

 そうして貧血を起こした様に……消えていく……音、続いて視界が真っ白になって────

 いつもの声が、遠くなって──────


 ハッと、我に帰る。視界が、音が戻ってくる。

 長いようで一瞬の、走馬灯じみた何かを終え、やっと自分が危機的状況に陥っている事に脳が気がつく。


 歩道橋の階段を踏み外したのだ。しかも、一番上段から。

 未だ身体は空中。

 

(……まずい!)


 咄嗟に手すりを掴もうと手を伸ばす。このままでは顔面から階段を転げ落ちることになる……!

 ────はずだった。


 結果から言うと手すりは掴めなく、僕は顔面からダイブしてしまった。

 見ず知らずの、女性の、胸に。


(────あれ?)



 固い地面に顔面をぶつける予定だった僕は、衝撃と痛みがいつまで経っても訪れない事に気がつき脳内に疑問符を浮かべる。


(僕は、歩道橋の階段から落ちたんじゃないのか?)


 空中に置いてけぼりの感覚を呼び戻す。まだ身体がふわふわしている。ウォーターベッドに寝転がっているみたいに、地面が波打っている様な。脳が自分の状態を把握出来ていない。


 耳を澄ます。

 なんだか騒がしい。忙しない犬の鳴き声が聞こえてくる。そしてなんだか息苦しい。顔が何かに覆われているみたいだ。


 手を動かす。

 硬くてザラザラしたものに触れる。……地面だ。

 やっぱり落ちたんじゃないか。でも、本当に痛みが何もない。もしかして、あまりの衝撃に身体の感覚が無くなってしまったのか……?

 いや、地面の固い感触や夏の生温い外気を感じる事が出来ているのだ、それはないと思いたい。


 手のひらを地面に押し当て、腕に力を入れると身体がわずかに浮く。

 どうやら僕の体はうつ伏せに近い状態らしい。息苦しいのは顔を覆われているのではなく、僕が顔を埋めているんだ。


 ……はて、一体何に?

 さらに力を入れ身体を起こす。顔に解放感。何だか、柔らかいものが顔から離れ────


 目の前に、顔があった。

 大きな琥珀色の瞳に僕が映っている。ああ、なんて気の抜けた表情。

 長いまつ毛。小さな口。サラサラと揺れる長髪。もう少し近づけば、お互いの鼻先がぶつかってしまいそうだ。


「…………………………」


 追いつきかけた脳の処理が、再び遅延していった。

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