一話 懐かしい春の記憶
私達はずっと、片想いをしていた。
結ばれかけたその紐は、結局結ばれる事なくするりと解けてしまう。
それを何回も、何十回も、何年も繰り返し、やっと結ばれた。
しかし私の記憶が、その紐をまたすぐに解く。
私の記憶は、ある日を境に、この世から消えていった。
それはまるで、結ばれた紐がするりと解ける様に。
十数年前――。
家の近くにある公民館には、建物が二つある。
一つは私や姉が通っている書道教室があり、もう一つは健太が通っている剣道の道場だ。
家から歩ける距離にある公民館に、私達は手を繋いで幼稚園の頃から二人で一緒に通っていた。
「きょうは、かてるかな」
「けんたくんはかっこいいね」
私達の内容の無い会話を、いつも姉は微笑みながら後ろで聞いている。
「はやくおわったら、みにいくね」
「らんちゃんもがんばってね」
そう約束をして、私と健太は公民館の前で別れた。
小学校に入学する少し前。私達の家の近くに一人の少年が引っ越してきた。
その子も後から健太と一緒に剣道を習い始め、私達はそれから三人で過ごすことが増えた。
書道教室が剣道より早く終わる日、私はよく道場に行って健太達の練習を見学することが多かった。
「らんちゃんもやってみる?」
道場の先生に誘われて何度か竹刀を持ってみたけど、私はやっぱり見ている方が楽しかった。
三十分は見学していただろうか。あっという間に時間は過ぎ、健太達が帰る準備を終え、私の所にやってくる。
「きょうはなにかうの?」
「つかれたから、オレはアイスクリームかな!」
「ボクはジュースにする」
私達の会話はすぐ、帰りに寄る駄菓子屋の話になった。
自分のことを"ボク"と呼ぶその少年は、私達と同い年の空良だ。
公民館の帰り道に、三人で駄菓子屋に寄る。
そして、店の前の小さな公園で、アイスやお菓子を食べて帰るのが私達の日課だった。
「きょうはオレ、そらとたたかったんだ」
「どっちがかったの?」
「もちろんオレ!」
「そりゃ、空良はまだ始めたばかりじゃん」
私の姉は、空良の頭を撫でながらそう言った。
「つぎはボクがかつから、らんちゃんみててね」
空良も少し嬉しそうだった。
「後は気をつけてね」
姉はいつも、私達を駄菓子屋まで送っていくと、先に家に帰って行く。
そこからの三人で過ごすその時間は楽しかった。
小学校も一緒に登下校し、放課後の習い事も一緒に行く。
公民館も学校も、位置的に集合場所は空良の家だった。解散も空良の家だったので、駄菓子屋で食べてから空良の家の前で遊んで解散するというのがいつもの流れだ。
私たちはどんな時も、常に三人セットだった。
「蘭、聞いたか?」
「もしかして、また?」
小学校三年になったある日、健太が隣のクラスから勢いよく私に話かけてきた。
そう言う日の放課後は行動が決まっている。
放課後に、空良が女子から告白されているのを私と健太は影から見ていた。
最近この光景をよく目にする。
その度に私と健太は公民館の帰りの駄菓子屋で、空良にインタビューの様に質問していた。
そう、空良はとてもモテた。……それもかなり。
「空良さん!今日は放課後に告白されてましたね?心境をどうぞ!」
いつもの様に健太がおちょくりながら質問する。
「今回はOKしたんですか?どうなんですか?」
私もニヤニヤしながら健太に続く。
これに空良は照れながら
「やめてよ〜」
と嬉しそうに答えていた。
嬉しそうな空良の顔を見た健太は
「やめたやめた」
と自分から始めた話に後悔をしだした。
「なんで空良ばっかりモテんだよ」と。
「健太は無いよ。だってうるさいもん」
私は笑いながら健太がモテない理由を言った。
実際健太の顔はかっこいい気がするが、とにかくやんちゃで元気でうるさい。
「蘭だってモテてないけどな!」
健太に言われてしまった。
そう言う私もまだ、告白はされたことがない。
友達は男女問わず多いが、どうやら恋愛感情では無く友達止まりと言うやつだ。
私と健太のやり取りをいつもの様に、空良は微笑みながら聞いている。
「僕は健太も蘭も好きだけどな〜」
付け足したように優しい声で空良が言う。
「俺はモテるぞーーー!」
健太が叫んでるのを横目に私と空良は
「行こ行こ」
と合図をし、健太を無視して歩き出した。
「おい!待てお前ら!」
健太が追いかけてきて私達は肩を組みながら、三人で帰った。
高学年になっても、私たちは変わらず三人でいる。
少し変わったことがあるとしたら、私は書道を、健太と空良は剣道を本格的に打ち込んでいた。
その頃に一度だけ、隣のクラスの男の子から告白されたことがあった。
その日の帰り道の駄菓子屋では、久々に剣道の話からインタビューに変わった。
健太から
「今日の感想をどうぞ!」
と言われ、いつも空良にしていた質問が初めて私に向く。
話したこともなかったのでもちろん断ったが、初めての告白で私は気分が良い。
健太は
「あの蘭が告白されたことだし、次は俺だな」
と空良の時とは違い嬉しそうだ。
「空良、どうかした?」
「…別に」
その日の空良は、体調があまり良くなかったのか、それとも練習が上手くいかなかったのか、私達の話に中々入ってこない。
今日、告白してくれた男の子は、空良と同じクラスだ。
たから私は、空良に聞きたっかたけど、とても聞ける様子では無い。
こんな空良の姿は、思い返せば初めてだった。
家までの帰り道も、私と健太でずっと話をしていて、空良はずっと下を向いていた。
空良は元々、健太みたいに自分からいっぱい話す性格ではなかったが、少し気になった。
でも次の日の朝は、いつも通りまた三人で話ながら登校したので、昨日は剣道の練習で疲れていたんだろうと思った。
「私の初告白に、もうちょっと興味持ってくれてもいいのに」
と私は空良の後ろ姿に言っておいた。
私たち三人は、週五で剣道や書道の教室に通っていたので、実力もそれなりについてきた。
私はコンクールで賞を取り、健太と空良は剣道の全国大会に出るほどだ。
剣道の大会がある時は、私も一緒に行って応援する。剣道を見るのはずっと好きで、ルールや雰囲気なども分かり凄く楽しかった。
健太や空良が負けた時は、私も一緒になって泣いた。
「なんで蘭まで泣いてるんだよ」
と健太と空良につっこまれ、
「だって悔しんだもん」
と私は答え、三人で泣くのがお決まりだ。
六年生になり、最後の全国大会ももちろん応援に行った。
「全国大会の決勝で対戦しよう!」
と駄菓子屋で誓い合っていた二人に私は、
「どっちを応援しよっかな〜」
と言うと、二人は私の応援を取り合っていた。
でもこの時既に、どっちを応援するかは決めていた。
気付けばこの頃から、既に片想いをしていたのかもしれない。それでもまだ自覚は無かった。
結局は二人とも一回戦で負け、三人とも悔しすぎて涙も出なかった。
「絶対中学で日本一になる!」
と健太が自分に言い聞かせていた。
それを聞いて空良も
「僕も絶対にもっともっと強くなる!」
とニ人で、帰ってからの練習メニューやトレーニングについて話していた。
私はしばらくしてから、差し入れのジュースを持って二人の元に行った。
剣道の話で盛り上がっている時、私はふと思い出して空良に尋ねた。
「そういえば空良。試合前に後で話あるって言ってなかった?」
「……また今度」
空良は少し考えて、そう答えた。
丁度数日前にお母さんが
「空良君ってもう引っ越ししないのかな?ずっと一緒にいれればいいのにね」
という話をしたので、話があると言われた時は不安だった。
でも、健太とこれからのことを話している。
だから大丈夫だろうと、心の中で私は密かに安心した。
小学六年生最後の全国大会が終わり、私達は地元の夏祭りに行った。
そう言えば今年の夏祭りは、健太が密かに好きだったクラスの葵ちゃんと偶然会い、初めてと四人で回った。
と言っても健太と葵ちゃんを二人っきりにしてあげようという空良の提案もあり、途中から私は空良と二人で回った。
毎年恒例のスーパーボール救で対決し、私の好きなクレープを食べて、最後に花火を見てからいつもの駄菓子屋で話しながら健太を待っていた。
健太が遠くから歩いてくるのが分かったが、明らかにいつもの健太じゃない。
私と空良は、中学校の進路について話しかけていたが、すぐに立ち上がり健太の方に走って行った。
「健太どうだった?」
私は恐る恐る、明らかに落ち込んでいる健太に尋ねた。
「葵ちゃん、…他に好きなやつがいるってさ」
健太は笑いながら答えた。でもその表情は明るいものではなかった。
健太がそこまで葵ちゃんを好きとは知らず、私と空良は少し驚いた。
健太は
「告白もせずに振られたわ」
と悲しそうな声で言った。
そのあとは家に着くまで、健太を真ん中に三人で肩を組みながら帰った。
「私達がいるじゃん」
「そうだよ、僕は健太の事大好きだよ?」
「キモチワル」
やっと健太が笑顔になった。
健太が失恋をする、悲しい小学最後の夏祭りが終わり、ニ学期が始まった。
学校が始まってすぐ、私達は初めて喧嘩をした。
喧嘩の理由は中学校の進路だ。
いつもの様に練習が終わり、駄菓子屋でアイスを食べながら、私は進路の話を二人にした。
「そう言えば、青藍を受験する」
独り言の様につぶやいた私の言葉に、二人が固まる。
青藍とは少し離れた私立の女学校だ。
健太は
「またまた冗談を」
と話を流したが、なんで冗談だと思ってるのだろうと私は不思議だった。
「もう願書出したし、書道部もあるから」
と私は最後の一口を食べ終わり椅子から立ち上がった。
空良はずっと驚いたまま、こっちを見ている。
「…一緒の中学に通うもんだと思ってた」
「僕も…」
「なんで相談してくれなかったんだよ」
健太が少し強い口調で言ったので、私だって少し言い返した。
「いいじゃん別に。私の勝手じゃん」
小学生の喧嘩とは、些細なことから始まる。
その後は取ってつけたかの様に、今までに起こった出来事の喧嘩が始まった。
健太はお菓子を取られただの、私は書道の鞄を汚されただの、その時は怒っていなかったのに思いつくだけのお互いの嫌な所を言い合った。
空良はいつも、私と健太の言い合いを止めに入り、必ず私の味方をしてくれるのに、今日は違った。
止めに入らずどちらかと言うと健太の見方だ。
私はそんな空良の態度にも腹が立ち、次の日からの学校は入学して初めて一人で登校した。
一週間が過ぎ、流石に仲直りをしないとと思い校門の前で二人を待っていた。
無言のまま三人で歩いていたが、先に口を開いたのは健太だった。
「蘭が悪い」
と健太は言い張りその横で空良も
「うんうん」
と頷く。
私には何が悪いのか、仕方がないことではないのか?
女子高に健太と空良が入れるわけでもないのにと思いながらも
「ごめん」
と謝った。
私達の最初で最後の喧嘩はこうやって終わった。
一週間近く口を聞いて無かったので、私達の中では結構大きな出来事だった。
この喧嘩は、それぞれのクラスで少し話題になったくらいだ。
「あの三人組トリオが喧嘩した」と。
私は無事に青藍中学校に合格した。
健太と空良も、同じ時期に進路が決まった。二人は近くの中学校ではなく、県内で剣道の強豪校である南中学校だ。
私たちは別々の中学に入学する予定だ。
不思議な感覚だった。
常に一緒でずっと三人でいたのに、四月からは離れる。
それでも今までと何も変わらないだろうと。
部活が終われば、いつでも会えるだろうと。
そんな甘い考えを私達はしていた。
卒業式も無事に終わり、皆が外で写真撮影をしていた。途中でお母さんに呼ばれ、渋々健太と空良と三人でも写真を撮った。
「いつでも会えるし、いつでも撮れるじゃん」
そう言いながらも、いつもの様に肩を組んで、最高の笑顔で写真を撮った。
お母さんたちも、満足そうに写真を見返している。
「また、後で」
「終わったら、校門で待ってる」
私達もそれぞれのクラスのもとに戻った。
この学校には卒業式限定のジンクスがある。
卒業式の日に告白し、中学校入学と同時に付き合い始めると長く続くというジンクスだ。毎年最後のホームルームが終わり教室を出たあとから告白タイムが始まる。
空良は皆と違う中学校に通うということもあり、数名から告白されていた。
私も一人だけだが、実は告白された。
まぁ、好きな人がいる訳でも無いが、そもそもその人とは話した事も無かったので、
「ごめんなさい」
とだけ言って校門の方に歩いて行った。
健太が先に待っていた。
どうやら健太に告白は無かったらしい。
しばらく二人で空良を待っていた。
どれくらい時間が経ったのだろうか。何気なく校舎を覗いてみると、遠くの方で空良が話してるのが見えた。
しかも、相手は学年一モテていた女の子だった。
「あれ、空良が告白してるのか?」
健太が後ろから覗くように見ながら言った。あのニ人が話しているならそう思ってもおかしくない。なんて言ったって、相手は学年一だから。
私はその時、すごく表現しにくいモヤモヤとした感情が心に現れた。
この感情は今までにも何度か感じたことがあった。
その感情が"嫉妬"と知ったのは、中学に入学してしばらく経ってからだった。
「お待たせ!」
空良がやっと帰ってきた。
健太は、さっきの告白の内容を空良に聞きたいのを我慢して
「そう言えば俺らって六年間、同じクラスになったことないよな」
と学校生活を振り返った。
「三人とも同じクラスだったらもっと一緒に入れて、僕ももっと楽しかったのにな」
「まあ、またいつでも集まればいいじゃん」
今日は書道も剣道も休みだったので、
「このまま駄菓子屋行こうよ!」
と私が提案し、荷物を空良の家に置いて、駄菓子屋に行った。
日が暮れるまで、駄菓子屋の前の公園で私達は遊んでいた。
「何かあったら、ここに集合な!何もなくても週一で集合!」
そう言いながら、健太は右手を前に突き出した。
「うん!約束!」
私と空良も同意した。健太の手の上に右手を重ねて、私達は誓った。
私達は当然の様に、また会う約束をして空良の家で解散した。
健太と空良は同じ学校だし、すぐに会えるだろうと思ってあっさりバイバイをした。
これからの私達の関係が大きく変わる事も知らずに、あっさりと解散した。
六年以上の私達の絆は、深いはずだ。
それでもやっぱり、思春期と部活が邪魔をしたのだろうか。次に三人が揃うのには、少し時間がかかった。