九話 空良と初恋
いつかはお互いを好きになり、付き合うんだろうなと、そんな淡い将来を想像していた。
その先は分からないけど、幸せな未来が永遠に続くと、楽しい日々が待っているに違いない。
そう思い込んでいた。
昔はずっと、この時間が続けば良いのにと感じる時間が多かった。
でも一瞬一瞬の出来事が思い出に変わっていく。
幸せだったあの頃も、今となっては過去になり思い出に変わる。
私たちのそれぞれの選択は正解だったのか、今みんなの心は幸せなのか、正解は誰にも分からない。
後悔の無い選択は無理かもしれないけど、それでも後悔の無い選択をしたい。
空良に気持ちを伝えた事は、後悔していない。
電話で話した事は、後悔していない。
なのに、悔しくて涙が溢れてしまう。
しばらくは、目の前に流れる波と空を眺めていた。
夕陽が完全にピンク色の空に変わるまで少し時間がかかる。その間、何も考えずにただ目の前の景色を眺めていた。
今日の夕日の周りには、白い雲がいた。
そのお陰で、空が綺麗にピンク色になった。
その時、私の座っている横を剣道の竹刀を持った部活帰りの学生が、自転車で通り過ぎた。
無意識に私は、学生の姿を目で追いかけていた。
(ああ、こんな時に限って……)
私の涙は止まらない。
自転車に乗っている学生が、どんどん私から離れていく。小さくなった学生を眺めながら、色んな事が蘇ってきた。
空良が初めてこの町に来た日、私は健太と一緒に空良の家に行った。それが空良との出会いだった。
三人で過ごせたことは私にとっての幸運だ。
その日から今まで、たくさんの思い出ができた。
今度こそ空良と健太と本当に離れてしまうかもしれない。そう思うと涙が溢れてきた。
学生を眺めていると、目の前の視界が涙でぼやけた。
何度も何度も拭っても、涙は途切れなかった。
無意識に追いかけていた学生も、視界が元に戻ったら、気付けばいなくなった。
そして、学生の代わりに、遠くから誰かが走ってくるのが見えた。
何もない道。
きれいに塗装されたコンクリート。
真っ直ぐに、海と平行して続く道。
ピンクの夕陽が、その道を照らす。
段々と近づいてくるその人影は、
私の方に向かってきている。
すごく慌てて、私の方に向かってくる。
よく見ればその人影は、私が知る、私の見慣れた走り方だった。
ピンクの夕陽の中からは、いつだって優しい空良が必死な表情をしながら現れた。
私が、夕日の後のピンク色の夕陽を好きな理由は、ただ綺麗だからではない。
私達三人のイメージカラーを作ったのは、小学五年生の頃だった。
最終的に、私は少しくすみがかった花色と呼ばれるブルー、空良は淡く優しいとき色と呼ばれる薄いピンク、健太はパワーがみなぎりそうな鮮やかな蜜柑色と呼ばれるオレンジに決まった。
このピンクの空はまるで空良の様だった。
この空が全てを包み込んでくれる様な、優しい雰囲気が空良と一緒だった。
私は今、両方の"そら"に包まれている。
気付けば私は立ち上がり、空良へと足が勝手に動いていた。
半信半疑だった。
なんで空良がいるのだろう。
空良は怒って電話を切ったはずなのに。
そもそも今この町にはいないはずなのに。
それでも私は、遠くを走る姿が空良と確信した瞬間、空良の元にゆっくりと走りだしていた。
空良は何も言わずに私を強く抱きしめた。
凄く暖かかった。
そして顔を覗き込み、私の泣き顔を無邪気に笑う空良。
空良の目にも、うっすらと涙が溢れていた。
「今からでも遅くないよね?
僕の彼女になってくれる?」
もう一度抱きしめながら、空良がそう言った。
「はい」
私は涙を流しながら、それでも笑顔で返事をした。
「ずっと好きだった。ずっと待っていた。
僕がもっと早くに伝えれば良かったね。ごめんね」
空良の声は優しかった。
倒れた日から六年間。
私達はやっと素直に気持ちを伝える事ができた。
出会った日から十六年間。
私達の長い長い片想いが終わった。
六年前の誕生日の日。
あの日の私達の想いが、六年ぶりに実を結んだ。
あの日解けてしまった紐が、再び結んだ。
何度も何度もすれ違っていた日々が、やっと一つに重なった。
「空良、あの話を蘭にしてもいい?」
健太が空良に聞いている。
私は何のことか分からず、ただ二人を見つめていた。
今回は、すぐ健太に報告しようと空良と話した。
健太に電話したら、待っていたかの様にすぐ電話に出て、しかも実家に帰って来てると言い、すぐ海に合流した。
健太が来てからは、昔話で盛り上がった。
付き合ったと言っても、三人が集まれば、結局いつも通りだった。今までと何も変わらず、私達は昔話に花を咲かせた。
「あの話って?」
空良も何の事か分かっておらず、健太に聞き返している。
「空良が酔ったときにする話」
健太が話す途中から、私の横にいた空良が、
猫の様に健太に飛びかかっていった。
言い終わる時には、空良は健太の口を両手で押さえていた。
「何してるの?」
私は話の内容が全く分からず、健太の上に空良が乗っかっている状況を冷めた目で見ながら二人に聞いた。
「蘭、気にしないで」
空良が見た事も無いくらい慌てている。
この話は結局分からずに終わってしまった。
「それにしても、やっとくっついたか。
もう離れるなよ」
健太が少し呆れた様な口調で、私達の方を見ている。たくさん迷惑をかけ、たくさん支えてくれたから、健太には本当に感謝している。
「健太、ありがとう」
空良と私は、精一杯の感謝を込めて健太に伝えた。
「そろそろ帰るか」
「蘭、空良の語り聞きたい?」
「うん!」
「ダメ!絶対ダメ!」
「そんなに否定したら、余計気になるじゃん」
「今度呑みに行く時、空良にだけ酒を飲まそう」
「そしたら、聞けるの?」
「多分な」
「…今から行く?」
「行くのはいいけど、僕はもう語らないよ?」
「なんで?私も聞きたいのに」
「語らないでもよくなったからか?」
健太の質問に、空良は笑顔で頷いた。
この後私達は、海を後にし、空良の部屋で六年前の誕生日パーティーの続きをした。
自分の気持ちに素直になっていれば、早く気持ちを伝えていれば、こんなに遠回りをせずに済んだかもしれない。
好きだと言っていたら、こんなに泣かずに済んだのかもしれない。
永遠なんて存在しないと言うけれど、この恋だけは永遠だと、私たちの友情は永遠だと約束できる。
私たちの過ごして来た日々がその証だ。
初恋が、十六年越しに実った。
「ハッピーバースデー!」
クラッカーと共に、空良と健太がお祝いしてくれた。
「二人とも、ありがとう」
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
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エピローグが続くので、そちらの方もよろしくお願いします。