明日、きみにプロポーズをする
「朝井、君が好きだ。俺と結婚してくれ」
ある日の朝、登校したら学校一のイケメンにプロポーズされた。
衝撃のあまり俺の肩からカバンの持ち手がずり落ちた。
同級生の雨夜は眉目秀麗、頭脳明晰、運動神経抜群という漫画の登場人物のようにハイスペックな男だ。入学当初から有名だった彼とは二年で同じクラスになったけれど、接点なんてない。もとよりモブキャラ同然の俺とは住む世界が違う人物だと思っていた。そんな雨夜が……何でだか分からないけれど突然俺にプロポーズしてきた。
「……は? え? なに? なんて?」
「聞こえなかった? じゃあもう一度言うよ。俺と結婚してくれ」
……なんて!?
意味が分からず混乱していると、雨夜は照れくさそうに頬を赤らめた。
「返事……聞かせてもらえないかな」
「へ、返事……?」
返事って? なんの? ……プロポーズの?
「い……いや、ちょっと待って……意味がよく分かんないんだけど」
「結婚っていうのは、配偶関係を結んでほしいっていう意味で」
「そっちじゃないよ! いきなり何言ってんの!? なんの冗談? それとも罰ゲームとか?」
「冗談なんかじゃない、俺は本気だよ」
雨夜は俺の手を取って跪いた。どこぞの王子のように様になっている。ただし、相手が俺でさえなければ。
「えっと……え? ちょっと待って、好きって何……?」
「好きっていうのは、俺が君に心惹かれているっていう意味で」
「だからそういうことじゃなくて!」
さっきもこんなやり取りしたよな!? わざとなのか!?
あわあわしていたら周りにクラスメイトが集まり始めた。やばい、なんか注目されている。
「と、とりあえず手離して……あと普通に立ってくれるかな……」
そう言うと雨夜は俺の手を解放し、少し残念そうな顔をしながら立ち上がった。向き合ってみるとその身長の高さと脚の長さがよく分かる。俺はその整いすぎた顔を見上げて言葉を探した。
「えーっと……俺達、話したこととかないよね……?」
「いや、あるよ。昨日、君に傘を借りたじゃないか」
昨日……。そういえば、昨日の帰り際、初めて雨夜と会話を交わしたんだった。
昨日は天気予報が外れて雨が降っていた。俺は委員会があっていつもより帰りが遅く、さっさと帰ってしまおうと小走りで昇降口に向かったら空を見上げながら呆然と立ち尽くしている雨夜を見つけた。遠目から見てもその横顔は彫刻のように整っていた。
「どうしたの?」
雨夜はいつも人に囲まれているのにこんなところで一人で何をしているんだろうと思い、一応声をかけてみた。彼はこちらを振り向き、困ったような表情を浮かべた。
「図書室で勉強してたら、いつの間にか雨が降ってきていて……でも俺、傘持ってないんだ」
「そうなの? じゃあこれ使っていいよ」
俺はたまたま置き傘として持っていたビニール傘を雨夜に差し出した。
「え……いや、悪いよ」
「俺んち、近所なんだ。走って帰れば大丈夫だから」
そう言って傘を渡し、返事を聞く前にダッシュで帰ったのだ。予備の傘は家にまだあるし、返されなくてもいいやと思いながら。
「ああ、うん……貸したね、確かに」
「そう、そして俺はあの時思ったんだ。これは運命の出会いだって」
どうしてそうなるんだ!? 意味が分からない。からかわれているとか……?
しかし雨夜の様子は真剣そのものに見えた。
「あの傘は俺と君とを繋ぐ架け橋のようなものなんだ」
全然そんなつもりなかったけど。
「さあ、返事を聞かせて」
「ええ……?」
そう言われても……はい結婚しますなんて言うわけがない。色々すっ飛ばしすぎだ。
「俺達男同士だけど……」
「うん、でも海外なら結婚出来るよ」
「いや……ええ……」
どうしよう、どうやって断ったらいいんだ……。はっきり言ってしまえばいいのかもしれないけれど、同級生相手にあまり角が立つような言い方はしたくない。言葉を選んでいるうちに雨夜はだんだん悲しそうな顔になってきた。
「……俺のこと、嫌い?」
「き、嫌いではないけど」
「良かった、じゃあ好きなんだね!」
ポジティブすぎるだろ! でも好きじゃないと言うのも気が引ける……。
「いきなりそんなこと言われても困るっていうか……せめて友達から始めるとか……」
「……友達になったら結婚してくれる?」
するか!
どうやら俺と雨夜とでは友達の定義が違うらしい。俺なんかよりよっぽど頭が良いはずなのに……。もしかして雨夜ってちょっと……いや、だいぶ変人なんじゃないだろうか。
気づけば俺達はクラスメイトに囲まれて事の顛末を見守られていた。まさかこんなに注目を浴びる日が来るとは思っていなかった。あんまり見ないでほしい。
「と、とにかく一回落ち着こうよ」
「俺は落ち着いてるよ」
「えっと……みんな見てるし」
「俺には君以外見えない」
そういう意味じゃない! 話が通じなさすぎる。怖くなってきた。
困り果てていたところでタイミング良く予鈴が鳴った。
「ほ、ほら! もうすぐホームルーム始まる!」
「残念。もう少し朝井と話したかったのに……。返事はあとで聞かせてね」
とりあえず助かった……。
雨夜は自分の席に戻ろうとして、一旦足を止めてこちらを振り返った。
「借りた傘はきれいに洗って返すよ」
ビニール傘洗って返す奴初めて見たぞ。
その後、ホームルーム中も授業中もめちゃくちゃ視線を感じた。俺の席は廊下側の一番前、そして雨夜は隣の列の一番後ろだ。目が合ったら勘違いをされそうで振り向けなかった。
昼休みになった瞬間、俺は教室を飛び出して隣のクラスの友人、昼岡のもとへ逃げた。昼岡は俺の顔を見た瞬間ニヤニヤと笑った。
「朝井、あの雨夜にプロポーズされたんだって?」
「な、何で知ってるの!?」
「めっちゃ噂になってる。多分もう知らない奴いないよ」
言われてみれば、ちらちら見られている気がする。さすが雨夜、やっぱり有名人だ……なんて感心している場合じゃない。
「ど、どうしよう、昼岡」
「どうって……何を悩んでるんだよ」
「そりゃ悩むよ! 断るにしても上手い断り方ってあるじゃん」
俺は今まで告白したこともされたこともない。しかも雨夜はファンクラブが出来るほどの人気者、下手に傷つけたら取り巻きから恨まれて俺の高校生活が危うくなる。昼岡は顎に手を当てて何やら考え込み、やがて口を開いた。
「ていうか、断っちゃっていいのか?」
「え?」
「朝井、誰かに告白されるの初めてだろ? これは人生初のモテ期かもしれない」
突然何を言い出すんだ、こいつは。昼岡は神妙な面持ちで続けた。
「これを逃したらもう一生恋人なんて出来ないかも……」
「いやいやいや……そんなの分かんないじゃん……」
「少なくともあんなハイスペックな相手から告白されることはまずないだろ?」
「そ、そうかもだけど……でも男同士だし、スペック違いすぎるし」
「好きならそんなん関係なくね?」
そ、そうなのか……? 解決するためのアドバイスが欲しかったのに余計に混乱してきた。
「まあ、すぐ答え出せないなら一晩考えてみれば?」
「うーん……」
まあ確かに、一晩考えれば上手い断り方も思いつくかもしれない。
「じゃあ……とりあえず保留にしてみる」
「うんうん。式には呼んでくれよな」
何で結婚する前提なんだよ。
そのまま昼岡と一緒に昼食を済ませ、恐る恐る教室に戻ると俺に気づいた雨夜の表情がぱっと明るくなった。
「朝井! 会いたかったよ」
三十分間教室を離れただけなんだけど……。まあいい、今はそれよりも時間を稼がないと。
「あ、あのさ、今朝のことだけど、明日まで待ってほしいんだ」
「明日?」
「ちょっと考えたいから……」
角が立たない断り方を。
「うん、分かった」
雨夜は小さく頷き、にこりと微笑んだ。本当にきれいな顔をしているな、と思わず見つめてしまいそうになる。
「じゃあ、明日もう一度プロポーズするね」
「いやそれは別にしなくていいんだけど……」
悪い奴ではないと思うんだよな……変人だけど。
その日、家に帰ってからネットで検索したり恋愛漫画を読んでみたりして断り方を考えたけれど、何も良い案が浮かばなかった。そもそも、あの話の通じなさは正攻法でいっても効果がない気がする。昼岡は頼りにならないし、どうしよう……と考えているうちに朝になってしまった。
「朝井、おはよう。俺と結婚してくれる?」
「お、お、おはよ……」
朝からいきなりかよとツッコみたくなるのをぐっと堪える。雨夜は期待に満ちた目で俺を見ている。困った……。
「えーと……実は、まだちょっと考えがまとまってなくて……もう少し時間が欲しいんだけど」
「そんなに真剣に考えてくれるなんて嬉しいよ」
真剣と言えば真剣だ。多分雨夜が思っているのとは違う意味だけど。
「そ、そういうわけだから、また明日まで待ってくれない?」
「うん、分かった」
雨夜は昨日と同じように小さく頷いた。問題を先延ばしにしただけのような気もするけれど、しばらくはこうやって乗り切るしかない。
「あ、そうだ。借りてた傘、持ってきたんだ。本当にありがとう」
雨夜から返されたビニール傘はきれいに折り畳まれていて、新品のようだった。几帳面さが表れている。
「俺もこれからは朝井を見習ってちゃんと置き傘を用意しておくよ」
「うん、そうして……」
「あ、でも朝井と二人で相合傘をするのもいいな」
やめてくれ。
それ以降も雨夜は毎日俺にプロポーズしてきて、俺は返事を先延ばしにし続けた。ファンクラブのメンバーに恨まれて上履きに画鋲でも入れられるんじゃないかと思っていたが、どうやら「雨夜の恋路の邪魔はしない」という会則があるらしい。謎の会則のおかげで助かった。
そうして一週間がすぎ、一ヶ月がすぎ……最初は物珍しげに俺達を囲んでいたクラスメイト達もそのうち気にしなくなった。なんなら風物詩とまで言われた。そんなもん風物詩にするな。
三年に進級して別のクラスになっても、毎朝正門の前でプロポーズされた。休日には電話かメールでプロポーズされた。一流大学の合格を蹴って俺と同じ中堅大学に進学した雨夜は、そこでも毎日プロポーズするものだから大学でも有名人になった。その後大手企業からの内定を辞退して俺と同じ中小企業に就職した雨夜は、さすがに職場ではやめてくれと言った俺の頼みを聞き入れたものの、毎朝アパートまで迎えに来て玄関前でプロポーズするものだからご近所でも有名人になった。
そしてそれから何年も経って──。
「朝井……朝井、起きて」
優しい声と共に肩を揺さぶられて、俺は重い瞼を開いた。
「んー……いま何時……」
「もうすぐ七時。そろそろ準備しないと遅刻するよ」
「うーん……」
欠伸をしながら身体を起こす。キッチンからは味噌汁のいい匂いが漂ってきた。朝食はパン派だった俺がご飯派に変わったのはいつからだったっけ。
「朝井、今日は俺と結婚してくれる?」
「んー……明日まで待って……」
「うん、分かった」
寝ぼけ眼で定番のやり取りを繰り返し、洗面台に向かう。顔を洗って歯を磨いたらようやく目が覚めてきた。
雨夜と一緒に暮らすようになってもう何年も経った。元は別々に一人暮らしをしていたけれど、毎朝迎えに来るくらいならいっそ同じ部屋で暮らしてしまおうということになったのだ。
高二のあの日から雨夜は毎日欠かさずにプロポーズしてきて、俺は毎日先延ばしにしてきた。もうとっくにキスもそれ以上も済ませているのにおかしな話だと思うけれど、俺には海外に移住する度胸はないのだから仕方ない。日本語しか話せないし。
そして、あれから明日でちょうど十年。なんとなく節目の年という感じがする。だからだろうか、心境の変化というか、ひとつの考えが浮かんだ。俺からプロポーズしたら、雨夜はどんな顔をするんだろうって。
やっぱり喜んでくれるかな、それとも驚きすぎて声も出ないかな。もしかしたら感動して泣くかも……なんて。
「朝井、ご飯出来たよ」
「うん、ありがと。今行く」
呼び掛けに答え、リビングに戻る。
いつもは雨夜が朝食を作ってくれるけれど、明日は少しだけ早起きして俺が作ろう。
そして雨夜を起こして、こう言うんだ。
返事待たせてごめん、結婚しようって。