都市伝説口上委員会! 〜私の存在は都市伝説だった?〜
高校の入学式と聞いたとき、人はどの様な感情を持つのだろうか。漠然とした問いかけだろうけど、ある人は未来への希望を抱いたり、ある人は過去の胸の高鳴りを思い出したりと、幸せな話を聞かせてくれるだろう。
当事者である私は、少し違っていた。
父の転勤によって、家族三人で引っ越すことになり、高校も引っ越し先で受験をした。もちろん、地元とは遠く離れていたため、同窓生はいない。一人きりの受験を経て、一人きりの入学式。不安しかなかった。自身が人見知りだというのは自覚していたため、尚の事、不安しかなかった。集まった教室でも、式の最中も、誰とも目を合わせずに帰路に立ったことを憶えている。
そして初めての授業。運命に出会った。
隣の席に座る男子、名前を海。彼が使っていた筆箱が、何とも古めかしく、なんだろうとじっと見つめていたときのことだ。はっと気が付いた。あれは昔――父と母が子供の頃に流行ったアニメのものだと。
当時グッズの販売はあったものの、視聴率が悪く途中で打ち切りとなったため、知名度が低くマニアも注目しない陰に隠れた作品だった。
――それ、あのアニメだよね? お父さんが好きで、ビデオを持っていたから見せてもらったことがあるんだ。面白いよね、好きなの?
自分から話しかけるなんて、自分自身でも信じられないことだと思う。けれど、そのアニメを知っている人に今まで出会ったことがなかったから、恥ずかしさよりも嬉しさのほうが勝ったのだと思う。
彼は驚いたように目を見開きながらも、嬉しそうに思い出を語ってくれた。「亡くなった母が大事にしていたものなんだ」と、辛い過去を楽しげに話せるほど、その筆箱は大切な物なのだと解った。
高校生活で初めて、教師に怒られた記念日でもある。
それから一週間。彼とは時間が合えば一緒に下校する仲となっていた。アニメの話をしたり、漫画、プラモデル、ゲームなど、サブカルチャーの話題で盛り上がった。女の子らしくない趣味だなぁと、中学生の頃は笑われたこともあったけど、ファッション誌よりもゲーム雑誌を選んでいた経験が、今この時は役に立っていたのである。
そんな彼との楽しい下校のひとときは、今日はない。用事があるからと一足先に帰った彼を、名残惜しそうに手を振りながら見送ると、私は、視線を上げぬよう、ずっと俯いたままで準備を済ませ、教室を出た。
「冴えない男子と付き合う超絶美少女を確保だっ!」
「えっ、えっ、なに? なんなの!」
急に背後から腰のあたりを抱きしめられ、驚くままに頭を動かしてその存在を視界に捉えようとする。茶色く染められた頭がそこにあった。
この学校では髪を染めることは違反ではないため、色とりどりの頭髪を見ることが出来るけれど、私にはそんな度胸はなかったので黒いまま。長い髪がさらさらと揺れ動き、背中につかまるポニーテールを撫でている。
「えっと、えっと、お、同じクラスの、あの、えっと」
「あ、黛です。黛まゆる。趣味はピアノで特技は牛乳の速飲み。得意科目はありません。学力には自信があります」
「ご、ご丁寧にどうも」
さっと前に回って自己紹介を始める彼女に、後退りをしながらドアの前から離れていく。後ろに詰まっていた男子の顔が、ちょっと怖かった。
「すっごい。怯える顔も可愛すぎる。ねぇ、なんでそんなに可愛いの? 人魚の肉でも食べた?」
「いや、それは不老不死の話では?」
褒められているかどうか分からない話に戸惑いながらも、心の裡では、またかと冷めていく。
容姿にだけは、自信があった。自身でも分かるくらいに美しく、可愛かった。そのせいか、路上でもよく話しかけられる。幼い頃には母親や父親に手を引かれて歩いていても、可愛いねぇと話しかけられもした。それがとても怖くて、それがきっと、人見知りの始まりだったのだ。だから私は、この容姿があまり好きではない。彼のように、言い方は悪いかもしれないけど凡庸で、ちょっと冴えないくらいが丁度良かったのに、と。
「不老不死の話かと思うでしょ? ところがどっこい、人魚の肉を纏わる話には、別の側面があってね。人魚の肉は特殊な細胞で作られていて、それは目を通じて得られた情報を転用し、自身の見た目に反映出来るようになる特殊なシステムを搭載しているの。様々なソフトウェアを取り入れていくことで、どんどんと新機能を搭載してバージョンアップを果たしていけるわけだね」
人魚の肉からソフトウェアの話につながるとは思わなかった。ポカンとした表情を察したのだろうか。彼女は更に畳み掛けてくる。
「古くは宣教師がその肉を食べて、移動合体最強マシーンキョウカイーンを建造してね、悪の秘密結社オロチノヤマモリ団を倒して回ったのが有名だね」
有名ではないと思う。開いた口からは、飛び出ることがなかった台詞だ。
「うーん、楽しくなってきた。下駄箱に移動しよう。そこからが、我ら〈都市伝説口上委員会〉の本領発揮だよ!」
「え、ちょ、何? なんの向上委員会!?」
有無を言わせず腕を引かれ、やって来たのは下駄箱の前。昨日は彼と、靴の話で盛り上がった場所だ。「よく転ぶからヒールの高い靴って苦手なんだよね」という私に、「昔、ロールが入った滑る靴が流行ったよね。ああいうのはどう?」「すぐ転ぶ」などと笑い合った。
「この学校の下駄箱にも都市伝説があってね。上から三つ、左――廊下側から……うん、ここだね。この下駄箱にラブレターを入れると、妖怪カンチガイが喜びの声を上げるの」
「えっと、あの……」
「ん? なにかね。何か言いたいことが?」
「その、――ここ、あなたの下駄箱よね?」
「そうです。私が妖怪カンチガイです」
そんな往年のコントのように言わなくても。やはり、開いた口からは飛び出なかった。
「因みにあなたの――水色さんの下駄箱は何処?」
「えっと、そこだけど……」
何処も何も、教室では彼女は私の三つ前の席、苗字のあいうえお順だから、下駄箱も近い場所にある。見ればすぐに分かるのに問い掛けるのは、コミュニケーションの手段なのだろうか。
よく変わった苗字だね、と言われることがある。先祖が住んでいた地名に由来するようなのだけど、なんでその地名を苗字にすることになったのかは分かっていない。でも、好きな色はやっぱり水色? と聞かれると少し困ってしまう。本当に、その色が好きだから。苗字と同じ色だ、と嬉しくなって、カラーバリエーションがあるものはついつい水色を選んでしまう。けど、そう素直に言って、やっぱり、なんて言われるのが恥ずかしくて、ついついぼかしてしまうのだ。
「水色朱音さん。素敵な名前だよね。私ね、あなたの事が好き! 付き合ってください!」
最早、開いた口が塞がることはなさそうだった。けれど、そのままにしておいたら周りの視線が痛い。懸命に、自分の殻を破るように声を張り上げて、その場を収めるようにしかなかった。
「も、もう! またそんな冗談を言って! 毎回毎回どういうつもり?」
「あはは、ごめんねー。でも下駄箱で告白とか、なんか都市伝説っぽくない?」
ぽくない、なんて言葉は、恥ずかしさのピークにある私には言えない言葉であった。そして都市伝説とはなんなんだろう。それすらも分からなくなった混乱の中、ただ一つの思いは、此処から去りたい。視線を逃れるように、その場を去りたい思いだけだった。
「そ、そっか。じゃあ、私は帰るね? またね?」
「あ、ちょっと待って。来てほしいところがある。今までのことも謝らなくちゃならないし、お願い」
さっきまで笑顔だった彼女の、真剣な眼差しにあっさりと折れてしまう。こういうときに強く出れない性なのも恨めしいが、急に変わった雰囲気に疑問を持ったことも、付いていくことを決めた理由である。
下駄箱を離れ、同じ一階にある部屋へと案内された。ワンルームのようなその場所にはキッチンがあり、冷蔵庫や電子レンジも備わっていた。押し入れには布団が幾つか仕舞われており、今は防犯システムの進化により使われなくなった、宿直室なのだという。
そんな部屋には先客が二人。ピンク色の短いツインテールが可愛らしい、双子の女の子出会った。
「うっわ、本当にクラスで話題の美少女を連れてきた」
「もう男子と付き合っているって本当? うわー、入学して速攻付き合うとか、都市伝説みたい」
ここでもまた、都市伝説。聞いている話には都市伝説の要素を一切感じないのに、彼女達は都市伝説というワードを無理にでも入れ込んでいるように感じてしまう。
「二人とも落ち着いて。早く座布団とってよ。――さ、水色さん座って」
畳に置かれたフワフワの座布団を腰を下ろす。正座をしたのは緊張の表れだろう。
「実はね、あなたに似たような感覚を抱いたの」黛が語りだす。「あなたも、同じ中学の人がいないんでしょ? 私達もそうでね、でも自己紹介の時にはなんか恥ずかしくて言えなかった。同窓生がいないので、みんな仲良くしてね? なんて、恥ずかしいでしょ?」
話を聞いていた双子は、「解るー」と頷き合っている。おそらくそれは、この学校の特色が関係しているのだろう。比較的自由な校風である此処には、他県からも入学を希望する人が多いそうだ。服装に関しても、勿論ブレザーという制服がある。しかし校章を入れさえすれば、パーカーでもジャージでも自由に着ていいらしいのだ。――私にはまだ、そこまでする度胸はないけれど。
彼女達の色とりどりの髪色も、カラフルなヘアゴムも、この学校ならではのものだ。いずれ新しい生活に慣れたとき、服装も変わってくるのだろう。
そういえば、と自己紹介の時のことを思い出す。私とこの場の三人、そして海くん以外の人は友達と一緒に受験した事を語っていた人が多かった。そしてこんな趣味があるから一緒にどうか、と。私もあの時、好きなものを言っていたら良かったのだろうか。――そんな度胸は、私にもなかった。
「ずっと住んでいた場所でもないから、どんな話題を取っ掛かりにすればいいかも分からないし、もしも自分が好きだったものがローカルな話題だったら、ポカンとされて恥ずかしいし。でもこのまま友達ができないのも、と思って入学三日目。思い切って前の席だった双子に声をかけたの」
「都市伝説って興味ある? っていきなり訊かれたから、ポカンとしちゃった。でも折角のチャンスだと思ったのはあたしも同じ。だから頑張って、音楽室の肖像画とか? って、話を合わせたの」
赤い玉の飾りがついたヘアゴムをした双子の片割れが、苦笑を浮かべながら懐かしそうに答えてくれた。それは怪談ではなく? 都市伝説と怪談ってどう違うの? と疑問を持ったけど、話に割って入る勇気はなかった。
「それ、怪談じゃーん。って聞いてて思ったけどね」
青い玉の飾りがついたヘアゴムをした双子の片割れは、同じことを思ったようだ。しかしそれは、話し掛けた黛には思いも寄らないことだったようで――
「私はそれ、気が付かなかったなー。ぶっちゃけ話題になれば何でもいいと思っていたから。でも成功だった。何でもいいから不思議なこと、凄いこと、変なことを都市伝説として話して、盛り上がったの」
「それからあたしたちは――」
「お友達! あ、自己紹介がまだだったね。波村ゆかりとえにしだよ。赤いヘアゴムがゆかり、青いヘアゴムがえにしって憶えてね」
「よ、よろしく」
返事をしながら、彼女達の意図が伝わった気がした。私の事を案じてくれていたのだ。一週間経っても同じ男子としか話していなく、同性の友達がまだいないのではないかと。だから、変な話題をもとに近付いてきた。もしも普通に話しかけられていたら、私は逃げてしまっていただろう。普通の話題は、少しハードルが高いから。
一人寂しく帰ろうとしたのも、黛を動かす切欠となったのだろう。この部屋に入ったときの双子の反応から、私のことは前から話題に出ていたのだろうことは窺える。気が付かなかっただけで、俯いてばかりいたから気が付かなかっただけで、気に掛けてくれていたんだ。
「こっそり会話を聞いていたら、あの男子と、なんというか女の子らしくない話題で盛り上がっていたから、そういう話題は苦手なのかなって思っていたの。だから、このまゆる様が一肌脱いだのである!」
「さっすが委員長!」
「ない胸張ってる委員長!」
「余計なことは言わなでよ! ……あ、水色さんちょっと離れてね? 隣にいられると存在感で私が霞むから」
色々と、目立つ容姿で申し訳ない。
「ともあれ、あなたには是非、我が委員会に入っていただきたい! というか入会決定です! 〈都市伝説口上委員会〉へようこそ! 因みにこの部屋はね、担任の先生に頼んだら使わせてくれた」
おおらかな教師だと思う。おそらく、あの人からお叱りの言葉を受けたのはまだ、私と彼だけであろう。もしこのまま厄介になるのなら、一声かけたほうがいいのかもしれない。そう、既に私の心は決まっており、この会への参加を拒む理由はなかった。友達と集まって会話をする。それは引っ越してから初めてのことで、懐かしさを感じて嬉しくなってしまうからだ。
人との繋がりというのは、どんな切欠であれ、居心地の良い物だった。
「そっか、先生にもお礼を言わないと。三人とも、ありがとね。私のこと、気にかけてくれて」
「いいよいいよ。美少女と友達とか鼻が高いから」
「ゆかり、本当のことを言ってはいけません」
「双子はちょっと黙ってようか」
本当に入っても大丈夫なのだろうかと、邪な考えがあるのではないかと少し不安になった。
「水色さん、大丈夫だよ。もっと気軽に、足とかも崩していいから」
「胡座かいてー」
「パンチラしても大丈夫!」
「双子、ちょっと黙ってなさい」
はーい、という元気な声に隠れるように、お礼を言って足を崩す。胡座ではなく、俗に言う女の子座りだ。なるべく下着は見せたくない。どうせ、やっぱりと言われてしまうだけだから。
「あの、呼び方も、さんなんてつけなくてもいいよ」
「そう? じゃあ、一気に距離を詰めて、朱音って呼ばせてもらうね。私もまゆるでいいから」
「あたしも名前でいいー」
「あたしもー」
黙っていられない双子も同調し、なんだか場の空気が一層和やかになった気がした。この調子なら、と。思い切って自ら話をすることにチャレンジをする。
「ところで、都市伝説向上委員会って何をするの? 都市伝説を調査して、その地位向上に役立てるとか?」
「地位向上?」まゆるは疑問符を頭に浮かべた。「あぁ、違う違う。私達は『向上』じゃなくて、『口上』なの。ただ言うだけの口上。例えば――」
そうやって双子に目を向ける。
「はい! あたし、えにしは肉が好き!」
「はい! あたし、ゆかりは魚が好き!」
「双子なのに――」
「好きなものが違う! これって都市伝説!?」
あぁ、なるほど。解った? といいたげのまゆるの顔も合わせて解った。これは彼女が先に言っていたことだ。凄いこと、不思議なこと、変なことなどを都市伝説として面白おかしく喋ればいいのだ。
どんな話題がいいかわからない。趣味が合わないことかもしれない。そんなとき、都市伝説とつければ会話が弾むのではないか、という思慮であった。
「だから、私のことも都市伝説みたいって言ったんだね」
「そ。滅茶苦茶な美少女が、正直微妙な男子と仲が良くて、更には男の子みたいな趣味で盛り上がってる。なんか漫画みたいで都市伝説チックじゃない」
失礼な言い方なのだろうけど、彼の見た目を評するにはやはり、そうなってしまうのは仕方がないと思う。前髪が目にかかっているのも影響しているのだろうか。少し暗さを感じてしまい、あの話題がなければ私も話しかけることはなかっただろう。
第一印象って、やはり大事なことなのだろう。この出会いも、きっとそれが要因だろうから。
「みんなは、そういう漫画とか読まないの? 悪を倒す物語とか、正義のロボットが悪を倒す物語とか」
「悪を倒してばっかじゃない。私は、そうね。四コマ漫画を読むことが多いかな。可愛い絵柄とかが好き。双子は漫画はあんまり読まないんだっけ」
「昔は読んでいたけど、今はミステリー小説に夢中かな。ゆかりと一緒に犯人を当てながら読むの」
「当たった試しがない、というより途中から犯人当てそっちのけで読んでるけどね。ふふーん、文学少女双子探偵と呼ぶがいい」
これは都市伝説チャンスだろうか。オロオロとしながらまゆるを見ると、コクリと頷いてくれた。
「ま、まるで都市伝説みたいな探偵だね」
「でしょー。みずみずは解ってるね、ゆかり」
「だねだね。みずみずの反応も瑞々しい!」
「あははっ! 駄洒落かーい!」
賑やかな双子を見ていると、なんだかこちらの頬も緩んでくるようだ。彼との時間はドキドキしっぱなしで、楽しくも落ち着かない気持ちもあった。でも彼女たちとの時間は、まだまだ始まったばかりだと言うのに、どこか安心と気安さを感じてしまう。
こういう雰囲気に、私は憧れていたのだろう。中学時代の友達とも、こう言った下らない話題で盛り上がっていた。高校に入って、もうそういう関係は無理だろうかと、内心諦めてもいた。
ありがとう、まゆる。変な人だと思ってごめんなさい。
「青春って、いいよなぁ」
訂正、変な人なのは変わらない気がしてきた。
「で、そんな美少女探偵が切り込んじゃいます」赤い玉が揺れる。「二人は、付き合ってるの?」
「一緒に帰ったりはするけど、そ、そういう関係ではないと思う。まだ、その、こ、告白とか、そんな言葉とかは、なしい」噛んだ。
「なしい? ふーん、じゃあさ、じゃあさ、なんて台詞で告白されたい? 都市伝説的なものでどうぞ」
青い玉から無茶振りが飛び出した。
「え、えっと、その、溺れるような恋をしたい?」
「溺れる鯉の話?」
双子は駄洒落が好きらしい。そして、まゆるはそを聞くのが好きなようだ。
「毎度、テンポ良く出てくるわよね。でも、恋に溺れるってすごい表現じゃない? 恋って海かなにかなのかしら」
「恋という名の海に、アトランティスが存在するんだよね、ゆかり」
「そうだね、えにし。恋を知った人だけが、アトランティスに行けるんだよ」
急に都市伝説っぽい話になる緩急も、なんだか楽しく思えてきた。みんな、考えて話すなんてことをしていないのだろう。それが許される空気があるのだろう。自分ももっと、その中に踏み込みたいと思えてきた。
不思議な感覚だと思う。三人とも同じクラスの人だから、出会ってから一週間は経っている。でも会話をしたのはつい先程が初めてだったのだ。それでも、こちらから話を振りたいと思えるのは、おそらく初めての経験だった。それくらい受け身の性格だったのだ。
「あの、まゆるってそんな感じで喋るんだね。さっきと雰囲気が違うから、ちょっとびっくりした」
「距離を縮めるつもりもあるのかな、緊張もあるのかもだけど、つい砕けた感じになってしまうのよ。なに、朱音はああいう感じが好み?」
「えっと、その、素の感じのほうが、友達っぽくて好き」
「あら、私も好き」
巫山戯て抱きしめあえたらよかったのだけど、二人してそこまでの度胸はなかった。腰には抱きついてきたくせに。
「二人して親睦を深めてずるいー」
「ハムハムコンビが先に抱きついちゃうもんねー」
それに引き換え、陽気な双子は眩しかった。一歩踏み込むのに勇気がいるけれど、踏み込んでしまえばフルスロットルなのだろう。両腕をそれぞれに抱きしめられ、バランスを崩して後ろに倒れそうになる。足をバタつかせて、何とか体勢を保つことができた。
「あ、やっぱり」
密かな砦が壊されてしまったのなら、私はもう、彼女らに遠慮をすることはないだろう。高校生活は、きっと素敵なものになる。そう確信できる、大切な日になった。
※
一方その頃。
『コードネームシー。聞こえるか? 状況を報告してくれ』
黒いカーテンを開き、狭いアパートの一室に光を取り込む一人の男がいた。
「目標は始末した。後のことは頼む」
そう答えると、通信端末から了解を告げる声が届く。ついで、目的のものはどうだったかと問われる。
「〈オーパーツ〉は既に他所に回っているらしい。優しく訊いたら話してくれたよ。しかし、秘密結社の研究所をたらい回しにしているだけだろう。……秘密結社は、この街に拠点を置き、潜んでいるんだろう? いずれボロが出るさ」
そう答える彼のもとに、『若きエースは違うな』と端末の向こうで声が弾む。
彼は、幼い頃からある組織に属し、特殊な訓練を受けてきた。亡き母の仇を討つため、復讐に取り憑かれてのことだった。しかし、そんな彼に転機が訪れる。
――あの子は、ちゃんと家に帰れたのだろうか。
一般人には知る由もない危険に巻き込まれていないか。そんな不安を胸に抱くのは、初めてのことだった。仲間の内でも誰も知らないという、亡き母との思い出のアニメ。それを知っているうえ、更には好きだと言ってくれた彼女。あの笑顔は、彼の心に光を差した。
彼女があの笑顔のまま、健やかに過ごせるように。彼は緩んだ表情を引き締める。あの笑顔を思い出してしまえば、頬が緩むのは避けられなかった。
それを隠すように、髪をかき上げて特殊なマスクを顔に嵌める。その顔は、冴えない男子高校生のものだった。
「俺のためじゃない。復讐のためじゃない。俺はあなたのために、この街を、この世界を護ります」
これは彼女が一切関わることのない。彼女が知ることはけしてない。密かに続く物語である。