苦情処理係のカイゼン(人事管理)
野営所に金の渦が現れた。勇者が帰ってくると思っていたら、苦情処理係がついていた。
「お、ユリウス」
「ユリウス殿。してまた何ごと?」
「お師さま」
ユリウスは、ちょっと悪い顔をしているのだが、それに気が付くほど親しい者はこの場にいない。
「みなさん、お元気そうで何よりです。神の祝福を」
と、聖印を切ると、条件反射で膝をつく4人の頭に軽く手を触れ、後ろの従者にも祝福を与えた。
「よくお仕えしてくれているようですね、ありがとう」
従者の頬がほっこりと緩む。陰に生きる彼らが褒められることはごく少ない。
さすが神職は、どんなときでも神職なのである。
野営地には4張りのテントが張られている。従者たちはどうしているのかというと、焚火の傍でごろ寝ということらしい。ユリウスはこれにもちょっと眉をしかめる。
「お手数をかけて申し訳ありませんが、少し大きなテントはありますか?」
「はっ」
従者が緊急時の予備として持っている天幕を素早く張った。
「それでは、勇者殿、聖女コンチェッタ、ルーフリエン候、フォンタナ伯、どうぞテントの中に」
4人は何でしょうかねと訝りながらも、テント内で座った。
ユリウスは4人を見回して、テント内を明るくし防音結界を張る。
聖職衣の隠しから羊皮紙と細く削った固炭を紙巻にしたものを取り出した。
「さて、みなさん、皆さんはこの1年、休みなく旅を続けていらっしゃいましたね。
305日、休日なしです。
本来、宮殿に勤める者は、10日に1度休みを取る権利があります。化粧休暇という名前ですね。
さらに、家族に忌事やおめでたがあった時には、特別休暇を申請できます。
戦時にあっては、特別休暇は認められませんが、前線に出ずっぱりということはありません。交代制です。兵士の数次第ですが、最前線から後方に回され1日2日の休みがあるのです。
そうでないと体力も精神力も持ちませんから」
ユリウスが何を言おうとしているのか、王子と侯爵は気付いている。
「よろしいですか、勇者パーティーの4人は王宮からの命令で活動していますので待遇には王宮に勤める者の規定が適用されるはずです。ただし、戦時が準用され、特別休暇はない、この解釈でゴリ押ししましょう」
え? ゴリ押し?
「1年間、305日ですから、未消化の30日の休暇があります。
これを早急に消化することは、急務です! 労働基準法違背になって、王宮の人事が処罰されます!」
ええー! 何それ、なに? あるの?労基法? 未消化休暇? フツーそういうのは、魔王を倒してからまとめて……
いや待てよ、魔王を倒して、それで本当に休暇が出るのか? そんな約束はどこにもなかったではないか。
4人の頭の中に、魔王討伐のすぐ後に、各地に残った魔族を討伐する命が下るシーンがありありと浮かんだ。パレードやって、パーティーに出て、その場で新しい命令が出て、大拍手にごまかされ3日ほどでまた討伐かー、げんなりだ。
「わかりますか、わかりますね。
権利をもぎ取るのは、自分が有利であるときです! 今なら従者も黙って付けられるし、会計監査の申請もすぐに通る。チュニックだってあっという間だったじゃないですか。
討伐の後はどうなると思います?」
剣王もチュニックのありがたさは身に染みている。今なら要望通り放題なんだと納得させられた。
聖女はわりとどうでもよかった。彼女は祈りの場さえあればそれでよかったのだ。
「ワープだな、ワープを使うんだな」
勇者が突如ひらめいたようだ。
「だが、私のワープでは薔薇園宮には行けない」
「いや、問題ないでしょう。ちょっと小細工すればいいのです。
ワープは、見えるところならば陣なしでいけますよね?
公は王宮に陣をお持ちですよね。そこから普通に歩いて、警備があるところを小刻みにワープすればすぐですとも。
薔薇園宮に一度陣を貼りさえすれば、次からは直接行けますよ」
「あ、そうか」
「王宮の独身時代のご自分の部屋には、まだ陣を残しておられますよね。まず、そこにおいでになり、衣服を王宮風に改め普通にゆっくり歩いていくことをお勧めしますね。誰も気にしないでしょう」
「なるほどなぁ。王宮は出入りには厳しいが、たしかに、中を歩いている者をいちいち誰何するほど暇ではないな」
ここで王子もちょっと悪い顔になる。
「聖女コンチェッタは、修道院に陣を張っていますね?」
聖女の目もきらめいた。修道院の祈りの部屋は、聖女が花嫁として迎えられ香炉を授かった場所。神に感謝を捧げ、またこの先の加護を願うには最適の場所だ。そこから1年も引き離されて、どんなにつらかったことか。
「剣王はどこか行きたい場所は?」
マリアは顔を赤らめた。
「一応さ、恋人ってのがいるんだ。会ってくる」
「それはそれは」
4人分の暖かい視線が剣王に向けられる。
恋人に裏切られていたことを知って、戦闘が超絶激しくなることを知る者はまだいない。魔物には気の毒なことである。恨みは裏切った恋人にどうぞ~。
「候はどうなさいます?」
「そりゃ領に帰るさ」
「はい、なるほど」
「孫の顔と愛馬の顔を見てくるさね」
孫と馬を同列に並べるのもどうかと思うが、それよりも。
孫がいたんかい! そもそも妻がいたんかい! という突っ込みが一行の頭を占領した。
「はい、それでは皆様、こちらが、王宮の休暇申請です。
休暇の権利は30日ありますけど、とりあえず10日で。あとは小刻みに取りましょう。最初に大きく出ておけば、2日3日ならまあいいかということになりますから。 (腹黒)
本来承認の印が押されてそれで有効になる訳ですが、ハンコ突いてもらえるわけありませんよね。
ですので、強行しましょう。幸い今は夜です。王宮のポストに突っ込んでおいて、バックレちゃえばなんとかなるでしょ」
「ええー、それでいいの?」
「いや、いいわけないですけど、じゃあ、他に方法あります?」
「いやー、それは」
「でしょ?」
もちろん、軍規違反と言えばそうだ。勇者の旅は、ルートも攻略手順も極秘中の極秘、魔王城に準備させないように奇襲を狙っているのだから、目立ったことは一切できない。
だが、勇者も人の子、娘をもち、親となったことさえ知らされないとは。
そもそも、苦情相談室までワープを使っているのだから、昼は踏破した最前線を前に進め、夜は“おうち”に帰ってもいいくらいだ。“通勤勇者”と言われるだろうが。
奇襲ならば、勇者の準備が整ったところで、人族が魔王領へ一斉に攻撃を仕掛けてそちらに魔王軍を引き付け、空いた懐に勇者パーティーが突っ込むという戦法もあるだろう。
たった4人のパーティーだ。魔王軍だって情報収集の斥候ほどにしか思っていないだろう。だからこそ、今でも放置されているのだ。
休暇の10日やそこら、どうってことはない。リフレッシュ、大切。
というのがユリウスの考えだ。おそらくそれで勇者パーティー・メンバーの細かい苦情は全部解消されるだろう。
「ここの野営地はどうするのだ」
「え? 従者に任せましょう? それぞれご自分のテントに陣を貼って、そこに帰れば済むことですよ」
「なるほどねぇ」
「それじゃ、わたくしが従者をごまかしていますから、陣貼って行っちゃってくださいね」
「今からかいー」
「善は急げと言いますし」
「善―?」
「あ、コンチェッタ、ちょっと残ってもらえますか。わたくしワープが使えませんので、最後に相談室まで連れて帰ってくださいね」
コンチェッタの瞳は、師に対する信頼で輝いている。
「はい、お師さまのおっしゃるままに」
5人が天幕から離れ、パーティー・メンバーがひとり用テントに入っていく。話が終わったと判断して、従者が天幕を撤去しに来る。
「いえ、撤去しないでいいですよ。この天幕は従者用に使いましょう。焚火の傍でごろ寝とか、体に悪いです」
「いえ、神官さま、われらはそのような」
「うーん、では相談係の命令にしましょう。
勇者一行は、自分たちの為に働いてくれている従者が野天で眠っていることを苦にしています。せっかく天幕があるのだから、それを使ってほしいと申し出を受けました。
受け入れてくださいますね?」
「はは、ありがたく」
「ところで、あなたたちはワープを使えますか?」
「はい」
「それでは、順に休みを取りなさい」
「へ?」
「ですから、休みです。王宮の奉公人は10日に1日、神殿の剛力は7日に1日、休みを取ることができます。休みを取って、交代の者を遣しなさい。
魔王城攻略まで、どのくらいかかるかわかりません、その間ずっと出ずっぱりでは。
あなたたちにも家族があるでしょう。休みを取りなさいね」
あっけにとられてユリウスの顔を見あげる従者は、彼らの背後で3つのテントが赤、白銀、金に輝くのに気が付かなかった。
「では、また来ます。
わたくしもワープを覚える方が早いですねぇ。
さあ、あなたたちは天幕に荷物を運びなさい」
従者が、天幕に残された「勇者パーティーは、10日の休暇を取ります。その間神聖域結界は張られたままになりますので、安心して王都に帰ってくださいね」
というメモを見て、悲鳴を上げるまで……あと3分
To all Yushas, Granite
うふふ 楽しんでいただけましたでしょうか