あの日のトラウマを越えて
「......ナオ?」
高校からの帰り道、参考書を買うためにたまたま立ち寄った本屋で、数年ぶりに耳にしたその呼び名に古傷が疼き始める。
呼ばれてしまったからには逃げれられないと諦め、声のした方に目を向けると、予想通り見覚えのある女子生徒がこちらに視線を向けていた。
「レン......久しぶり」
平静を装いながら、絞り出すように過去何度も呼んだその名前を口にする。
彼女の名前は三崎蓮花。
小学校から中学卒業間際まで、ほとんどの時間を一緒に過ごした俺の初恋の相手。
当時の俺はレンと両想いだと勘違いし、告白しなくても気持ちが通じてるだろうと、何もアクションを起こさなかった結果、中学卒業間際に同級生のイケメンにレンを取られるというトラウマを抱え、レンが他の男と一緒にいる姿を見たくない一心で、高校進学と共に逃げるように距離を置き、それ以降一切連絡を取らず今日まで過ごしてきた。
「うん、久しぶり。ナオは元気だった?」
中学を卒業してから全く関わりがなかったからか、レンはなんとなく余所余所しさを感じさせる物言いでこちらの様子を伺ってくる。
「まぁ......それなり、かな」
過去の自分を思えば元気だなんて口が裂けても言えないけど、レンが他の男と付き合ったショックをずっと引きずってましたなんて思われたくない。
ただここ1年で少しずつトラウマを克服しつつある現状を鑑みれば、それなりと答えても差し支えないはずだ。
「そっか。私はね、あまり元気じゃなかった、かも」
そう口にするレンの表情には陰りが見える。
レンが落ち込む理由......俺が思い当たる節なんて一つしかない。
「......山田と別れたのか?」
山田真澄。
中学卒業間際にレンに告白して俺からレンを奪い去っていったイケメン。
いや違うか。
奪い去ったもなにもレンと俺は付き合ってなかったし、山田はレンに告白する前に俺のところにわざわざ来て「三崎に告白することを許してほしい」と断りを入れてきた。本当はそんなことする必要なんてないのにだ。
それを嫌だと断るよりも、口にする恥ずかしさの方が勝った俺が、どうせレンが断るだろうと高を括って「いいんじゃね」なんて軽く言ってしまった結果、見事に予想は外れ2人は恋人同士になり、俺は当時受けたショックを未だ消えることの無いトラウマとして抱えることになった。
結局、全ては身から出た錆で自業自得という訳だ。
「え、山田って、真澄くんのこと?」
「ああ、そうだけど」
レンが山田の名前を口にしただけで、当時の記憶が思い起こされ、胸を抉るような痛みが走る。
中学卒業後、街で偶然目にした2人のデート風景。
手を繋いで笑顔で語らう姿は誰が見ても恋人同士のソレで、その現実を受け止めることが出来なかった俺は逃げるようにその場から走り去り、当時山田の告白を許してしまった事、レンに自分の気持ち伝えなかった事を激しく後悔する日々を送った。
そんな俺の内情など露程も知らないレンは気にも止めず会話を続けるが、その先の内容は俺の予想に反したものだった。
「......真澄くんとは1年前、2年生に上がったぐらいに別れたよ。でもそれはいいの。私が別れを切り出したことだし」
「え......なんで?」
純粋な疑問が口から出る。
レンが山田と別れていた?
レンから別れを切り出した?
でもそれはいいって、じゃあレンの元気がない理由ってなんだ?
考えたって何一つ答えの出ない疑問に頭を巡らせる。
それが意味のないことだと分かっていても、頭は一向にそれを止めようとしない。
しかしその答えはレンの口からすぐに告げられた。
「忘れられない人がいたんだ。真澄くんと付き合う前からずっと好きだった人なんだけど、その人のことがどうしても忘れられなくて......」
レンが口にした心情は、過去に何度も可能性として考えていた事とはいえ、俺の心に少なくない衝撃を与えた。
だってそれは俺の理想だったモノで。
だけど都合のいい妄想だと諦めたモノで。
願っても叶わなかった願望で。
......あの日に切り捨てたモノだ。
それがどうして。
なんで今さら。
「......じゃあ、なんであの時山田の告白を受けたんだよ?」
その気持ちを知っていたら。
わかっていたら。
俺がレンに......
「......無理だと思ったから」
「え?」
「告白してもフラれると思ったの。私の片想いだったから。だから告白してくれた真澄くんと付き合おうって......」
「そんなこと......」
ある訳ない! そう叫びたかった。
でも、事実レンはそう感じていたんだ。
俺が伝わっているだろうと思い込んでいた気持ちは、レンには全然伝わっていなかったんだ。
「......でも真澄くんと付き合ってもずっとその人が忘れられなくて、それが真澄くんに申し訳なくて、別れて欲しいってお願いしたの」
それが一年前の話か......
「......それで真澄くんと別れたのはいいんだけど、今さらどんな顔して会えばいいか分からなくて今日まで来ちゃって......でも、やっと会えた」
最後のセリフに強い意思を乗せたレンは真っ直ぐに俺を見つめてくる。
レンがこれから口にする言葉。
何を言おうとしているのかは分かってる。
なら俺からもちゃんと伝えなきゃいけない。
今度はレンが勘違いしないのにハッキリと。
「ナオ、私はずっとナオのことが......」
「三崎先輩?」
「え?」
不意に耳に届いた少女の声にレンの覚悟が遮られる。
突然名前を呼ばれたレンは声がした方へ視線を向け......
「......若葉ちゃん?」
「はい、お久しぶりです。三崎先輩」
俺と同じ高校の制服を着用し、若葉と呼ばれた小柄な少女。
高遠若葉は、ここ1年間で多くの時間を共に過ごすようになった年下の幼馴染みだ。
若葉は清麗な佇まいで、レンに対してにこやかな笑みを浮かべ話しかける。
「三崎先輩とお会いするのは、先輩の卒業式以来ですね」
「え?あ、うん、そうだね......」
鈴を転がしたような声で話す若葉に対して、突然現れた若葉に言葉を遮られたレンは居心地が悪そうに対応する。
そんなレンの心境を知ってか知らずか、若葉はにこやかに会話を続ける。
「三崎先輩は何か探し物ですか?」
質問しつつ小首を傾げる若葉。
その仕草はお嬢様然とした容姿と相まって妙に様になっている。
「うん。そんなところ、かな......
そういう若葉ちゃんも何か探し物?」
受け答えに歯切れの悪さが残るレンは同じ質問を若葉に返す。
すると若葉は待ってましたとばかりに笑みを深め、俺の隣まで歩を進め......
「私は直琉さんと待ち合わせです」
言うが早いか俺の腕に自分の腕を絡ませる。
「え......なんで......」
そんな俺達の様子を言葉少なく唖然とした表情で見つめていたレンは、察しがついたのか悲痛に顔を歪める。
「そっか......そうなんだ......ごめんナオ。さっきのは、忘れて......」
「ああ、わかってる」
気持ちを押し殺すように言葉を絞り出したレンは、俺の返事を聞くと笑みを浮かべる。
「ありがとう。ナオ......さよなら」
目尻に涙を浮かべながらも精一杯作った笑みで別れを告げたレンは、俺達に背を向けると足早に立ち去っていく。
そんなレンの姿を目に焼きつけるように、俺はレンの消えた方向をしばらくの間ずっと眺めていた。
後悔はない。レンから聞いた真実はどうあれ、全ては今さらの話なんだ。
そう自分に言い聞かせ大きく息を吐き出す。
それと同時に組まれていた若葉の腕がスっと引き抜かれた。
「直琉先輩、勝手なことをしてすみませんでした」
若葉は俺に向かい深々と頭を下げる。
元々俺と若葉は待ち合わせなんかしていない。
偶然俺達を見かけた若葉が俺の意を汲んで動いてくれたのだ。
「いや、助かったよ。レンにも俺の気持ちは伝わったと思うし若葉には感謝してる。ありがとうな」
「......直琉先輩は、三崎先輩のこと、あれでよかったんですか?」
真意を探るような若葉の瞳がジッと俺を見つめてくる。
その瞳が若干揺れているように見えるのは、俺に対する若葉の気持ちを知っているからかもしれない。
「全然後悔はないといえば嘘になるけど、今の俺にはレンよりも大切だと思える人がいるから。その人を選ばない方がもっと後悔すると思うんだ」
一年前、同じ高校に入学してきた若葉はレンの事でずっと塞ぎ込んでいた俺に寄り添い、こんな俺の事を好きだと言ってくれた。
でも俺はそんな若葉の想いにまだ応えられていない。
レンとのトラウマで恋愛感情を持つことに恐怖心を抱いてしまっているからだ。
そして若葉はこんな臆病な俺でも構わないと、隣にいることを選んでくれた。
そんな若葉の気持ちを蔑ろにしてまでレンと一緒にいたいとは思えなかった。
俺は目の前で不安そうに瞳を揺らす若葉に優しく笑いかける。
「だから若葉、これからも俺と一緒にいて欲しい。
俺が好きになる相手は若葉以外にいないから」
「はい!私は直琉先輩の傍から離れません。
ずっと、ずっと、一緒にいます」
若葉は嬉しそうに微笑むと聞いてるこっちが恥ずかしくなるような事を口にする。
そんな若葉の姿に自分の胸が数年ぶりに高鳴りをみせたのを感じた。
その懐かしい感覚と目の前の少女を愛おしく想う気持ちに自然と頬が緩み......
「......なあ若葉、今からどこか寄ってかないか?」
「え......は、はい! 行きたいです!」
今まで一度も口にした事がない唐突な申し出に目を丸くするも、若葉はすぐに笑顔で答えた。
「なら、前に若葉が言っていた駅前の店に行くのはどうだ?」
「はい! 私、直琉先輩とずっと行きたかったんです」
「よし!じゃあ、いくか」
嬉しそうな笑顔を向ける若葉に手を差し出す。
「はい!」
これも今まで一度もした事がなかったことけど、今度はすぐに俺の手を取り、はにかみつつも幸せそうに微笑んだ。
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