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海辺の幻影

作者: 山中和樹

江ノ島に着いた頃には陽が少し傾き、海から吹く風が二人を包む

平日なので人影もまばらで、のどかな空気が流れていた

微妙な距離を保ちながら無言で歩いていた。

しばらく歩くと沈黙を破りたくなった男が女を振り返る。

男が振り向くのと同時に女は道のちょっとした段差につまづく


「危ない!」


あわてて女が転ばないように両手で受け止める男

相手の吐息が感じられるほどの距離になり、自然に合う目と目


江ノ島の東側、伊豆の山々に一秒毎に沈んでいく太陽が見える

これだけ綺麗に晴れていると富士山や丹沢の山々の陵線も鮮やか

自然の芸術とも言って良い、景色が作る空気感の虜になったよう


「何を考えているか分かると思ってたんだけど?」


女が静寂を破って語り掛ける


「昔、ここに毎週のように来ていた時に

 一緒だった色んな人の事ばかりが浮かぶよね

 あの人達と一緒に過ごしたのと同じ景色って事かな…」


「不思議だよねー、大勢でいた時は二人きりになりたかったのに

 二人きりになると大勢で賑やかに過ごした時が懐かしくなって

 実際に眼の前にいる相手以外の事ばかり考えるなんて

 そういえば、みんな元気? あの頃に一緒に過ごした人達

 一緒に温泉旅行へ行ったんでしょ?

 ちょっとした用事があって参加できなかったけど」


「し………だよ」


「え…?今何、何…て言った…の?」


男が沈痛な面持ちで絞り出すように小さな声で呟く


「ゲリラ豪雨が原因の土砂崩れで、みんな…亡くなった…」


「え?…嘘…だよね?」


今まで共有していた昔の思い出が

完全な過去のものとなった事を男が告白すると

重い重い沈黙が辺りを支配した…

その沈黙に耐えかねるように女が男を問い詰める


「嘘でしょ?」


男の表情で冗談でも嘘でも無い事を察した女には衝撃的だった


「……嘘じゃ、ない…」 消え入るような声で呟く男


「どうして…」


「旅行の帰り、バスが土砂崩れに巻き込まれた…

 家族も一緒に過ごした人々も

 体調崩して家で休んでた自分だけが…生き残った」


子供の頃の悲しいから泣くという感情が蘇っていた…

二人の片方だけが抱えていた悲しみを分かち合う涙。

東の空から下弦の月がおぼろげに現れる。


「落ち着いてきた…ありがとう」


「ううん、…何も出来なくて

 一緒に泣くくらいしかできなくて、ごめんね…」


「同じ夢を追いかけていた仲間や家族

 突然に人生が終わってしまった分まで生きたいって思った…

 でも、寂しくて、悲しいだけで駄目だった

 今まで一緒に描いていた夢が全て消されたようだ…


 そんな打ちひしがれていた時、思い出したのは君との時間

 どうしても会いたくなって、この町に来た…」


「……」


「もう一度、会えて一緒に過ごせて… 元気が出た、

 同じ思い出を辿る共感を分かち合ってくれるのは

 もう、君以外、誰もいない


 でも今、彼氏いるって言ってたよね。

 それなのに こんな風に二人きりで過ごすなんて

 今を一緒に生きている人への裏切りだよね申し訳ない…

 もし彼氏に何か言われたら直接謝る何も無い事を説明する」


完全に忘れていた今の自分の現実。

再会してから言った女の見栄からの嘘が男を縛りつけていた

一時の感情で、ついた嘘、罪悪感が少しすつ染み出てくる

時計は七時を回っていた、初夏とはいえ夜風は冷たい。


「寒くなってきたし、もう帰ろうか?」


「うん…」


二人きりで過ごした時間を惜しむように来た道をゆっくり戻る

先導するように女の前を歩く男、ふと歩きながら男が女に言う


「帰りのバイク きっと風がかなり冷たいから。

 これしかないけど上に羽織れば少しは違うと思う。

 ちょっと汗臭いのは許して」


少し肌寒さを感じていたので、男の言葉に素直に甘える女。


「ありがと、とっても暖かいよ…」


「よかった。じゃ しっかり つかまって?」


「うん…」


「じゃあいくよ!」


「このまま、時間をとめて一緒に…いたい」


小さな小さな声だった、自然と口からこぼれた言葉に

女は一人で顔を真っ赤にしていた。

バイクのエンジン音にかき消され男には聞こえなかったようだ

無言でスロットルをひねり続ける、海辺の国道を走る車はまばら

見慣れた景色が女の視界に入って気が付くと家の近く


女がバイクから降りて話しかける


「ありがと…すごく懐かしかった…それとね…」


女は嘘をついていたことを謝ろうと思った


「ごめん…嘘ついてたことを謝らないとね。」


「え…最後? 何で? これからも会えるじゃない?」


「みんなと旅行に行ったんだ、みんなと一緒だった…」


「え…どういうこと?」


女は言っている言葉の意味が分からず次の言葉を待った


「事故に巻き込まれて…今、長野県の病院にいる。

 信じられないと思うけど、もうすぐ死ぬ…自分でわかる」


からかわれているんだと思った女は少し頭に来た


「何、ふざけてんの!! 目の前にいるじゃないっ!!

 二度と会いたくないとでも言いたいの!!!」


怒り始める女、しかし男は語り続ける


「事故にあってからずっと意識不明の状態が続いていた…

 だけど、心の奥で もう一度 会いたいって思ってた…

 そうしたら、朝…この公園に立っていた、バイクと一緒に」


「………」


女は無言だった、言っていることが現実離れしすぎていて

全く理解出来なかった


「こんな展開、ほんとにあるとは思ってなかった…

 この体はきっと幻かなにかだと思う…

 でも、でも…最後に…会えて、よかった…

 迎えがきたみたいだ…幸せになって欲しい…」


男の姿が薄れてボヤケ、そして消えていく


気が付くと女は見知らぬベッドの上で寝ていた

ここはドコ?…体を起こし確認しようとする


「痛っ…」


頭に走る鈍い痛み。右腕に点滴がついている。病院らしかった


「何で病院にいるの?」


頭の痛みを無視し、点滴を無理矢理引き抜き、廊下に飛び出す


「きゃっ」部屋に入ろうとする母と衝突する女


「何やってるのっ、寝てなきゃ駄目でしょっ!!…

 点滴抜いたの?!何やってるの…」


「どうして…ここに?」


「公園に倒れていたのよ?…

 近所の人が救急車呼んでくれて  三日間、ずっと寝てたの」


女は涙ながらに母に訴える


「眼の前に現れた黒田が消えちゃったの…死んじゃうって…

 彼が入院してる長野県まで連れてってっ!!お願い…」


母は黙って首を振る


「誰が消えたの? 錯乱している気持ちはわかる…

 でも常識外れな事を急に言われても納得できない

 たしかに着ていた上着に黒田って刺繍がしてあったけど

 黒田くんの事なら調べておくから寝てなきゃ駄目」


「待てないっ!!連れてってくれないなら私一人で…」


母は言葉を遮り、諭すように女に語りかける


「あなたが言う彼が入院してる病院

 長野県って以外何もわからないんでしょ?

 そんな状態で どうやって探すの?

 でも、頑張って調べてみるから…

 わかるまで しっかり寝てるのよ?」


女は、うなずくしかなかった…そしてベッドに横たわる

一人で過ごしている病室に漂う虚しさから逃れるために…


ドアをノックする音に目を覚ます。時計を見ると午後七時

あれから数時間ほど眠っていたらしかった


母が戻ってきたのかもしれない、何かわかったのだろうか…

事実を知りたいと思う一方

最悪の結果な時、私は衝動的に何をするんだろう…


「どうぞ…」


力なくつぶやく私。開くドアの音、入ってくる男の人


「おいちゃん…」入ってきたのは酒屋のおいちゃんだった


「具合いはどうだ?」私の頭に手をおき優しく尋ねる


「駄目みたい…」


目に涙をためて力なく呟く私、こぼれ落ちるひとしずく…


「黒田の事だな?」


そういえば、おいちゃんは黒田の携帯の番号を知っていた

何か事情を知っているのではないかと思った


「おいちゃん…黒田の事、何か知らない?私、私…」


「確かに黒田の携帯番号を知っていた。

 あいつに何度も電話をかけたがつながんねぇ…」


私はおいちゃんに事の成り行きを話す


「そうか…そりゃ確かにしんじらんねぇ話だな。

 だけどこれでなんとなく…わかったような気がする」


「え?」


「こいつ」私の前にぬいぐるみを差し出す


「イテェヨー↓ツン、スワソウゴウビョウインツレテッテヨー、ナデナデシテー…ファー…ブルスコ」


「…これファービーでしょ?これがどうかしたの?」


「これ、バイク修理の礼にもらった奴なんだ」


「ってか舐めた口聞きやがるからぶん殴ったら動かなくなったんだよ。

 そしたらさっき急にこいつ動きだしてよ

 お前の名前を言うもんだからよ、持ってきたわけだ」


おいちゃんの言ってる言葉の意味が

いまいちわからなかったが黙って次の言葉を待つ


「こいつ、オウム機能付なんだよ…

 ていうことは、喋ってた言葉を真似するって事だよな?」


「あ…」と言うことは…


「諏訪総合病院…もしかしたらここにいるかもしんねぇなあいつ

 お前の話聞いてるとよ、普通は有り得ないけど

 ファービー使ってお前に知らせようとしてるのかもなって思った」


「私…行ってくる!!」


寝てなんていられなかった。一分でも一秒でも早く会いたい…

女を動かそうとしているのは そんな衝動だった


「連れてってやりたいのは山々なんだが…

 おふくろが危篤って知らせが来てな…

 このまま田舎に行かなきゃいけねぇんだ…

 方向が同じなら乗せていけるんだけど

 長野県と全く逆の田舎だから…すまねぇ」


「お母さんがそんな状態なのに…

 私のことは気にしないで早く行って…おいちゃん」


「いいって事よ、こいつ持ってきな」


ファービーと諭吉二枚を私に渡してくれる


「え?そんな…受け取れないよ…」


優しく微笑みかけるおいちゃん


「お前今すぐ行くつもりだろ?倒れて運ばれてきたってのに

 わざわざ金を病院まで持ってきてるとは思えねぇ。

 帰ってきたら返せばいいから気にすんな、持ってけ」


「ありがと…おいちゃん、必ず返すからね」


「あいつに…よろしく言っておいてくれ

 な?必ず…必ず会えるから…気を付けていけ」


「うん、うん…おいちゃんも気を付けてね」


「気にすんな。じゃあまたな、行ってくるぜ」


部屋から出ていくおいちゃん


辺りを見渡す、するとビニール製の巾着が壁にかけてあった

中にはTシャツとスエットとジーンズが入っていた。

手早く着替える、外は肌寒そうだが十分しのげそうだった

ファービーを巾着にいれ背負い、病院の外に走り出す。

駅までは走ればすぐの距離だったので一気に走り抜けた

頭の痛みも熱っぽさも感じなかった


上野に着く頃にはもう十一時を回っていた

新幹線は終電を迎えていたので夜行列車に乗ることにした

寝台に入り、女はファービーに語りかけていた


「おまえのご主人様は誰なの?」


「アノ ハゲオヤジ ジャナイコトダケハ タシカダゼ、フゥー」


「お口の悪い子ね」


「オマエハ カオガ ワルイナ プッ」


「…なんですって?」


「チョwww マジコワスwww ヌイグルミ アイテニ マジニナルナヨ オトナゲナイ」


「こいつマジムカつくわ…おいちゃんが殴って壊したの分かる

 どういう設定したのかしら」


「アイツ イツモ アイタイ アイタイッテ イッテタ」


「ほんとに?」とっさに顔が赤くなる


「ウソニ キマッテンダロ www アカクナッテンジャネェヨ www」


「…しばらくおとなしくしてろ」スイッチを切る


明日の朝には、長野県に着く。…どうなっているのだろうか

改めて考えてみれば状態は芳しくないのは確かなはずだ、

元気な姿に会える可能性は限りなく低いと思う

集中治療室に入っている弱々しい姿か、あるいはもう…

死んでしまっている遺体に会うことになる…のだろうか


カーテンを開けると辺り一面暗い灰色の雲に覆われ

強い雨が窓ガラスに吹き付けていた 女の心と同じ空模様だった

諏訪駅に着いた頃には9時を回っていた しとしとと降り頻る雨

女は諏訪総合病院の所在地を聞くために駅前の交番に立ち寄る


「あの…諏訪総合病院に行きたいんですけど

 場所がわからないので教えていただけませんか?」



年輩のお巡りさんが対応してくれた

詳しく説明してくれるお巡りさん、礼を言って交番を後にする


バスにゆられ約三十分、市街地を抜け田園風景が広がるその中に

諏訪総合病院はあった バスを降り、病院の入り口に向かう

やっと着いたという安堵感とともに

これから突きつけられるかもしれない現実への不安感

入り口に立ちつくす私…足が言うことを聞いてくれない

ほっぺたをぺちぺち叩き自分の体に喝を入れる

ここまで来て何もしないで帰ったらおいちゃんにも申し訳ない

勇気を出して病院に足を踏み入れる。そして受付に向かう


「あ、あの…ここに黒田っていう男の子入院してますか?」


「黒田さんですね?少々お待ちください」


かたかたとコンピュータで検索する受付のお姉さん


「あ…」お姉さんが小さな声をあげる


「え、ど、どうしたんですか?」


慌てて尋ねる女、もしかしたらもう…


「失礼ですがご親戚の方ですか?」


「いいえ、友人です…

 あの、ここの病院に黒田くんはいるんですか?」


首を降る受付のお姉さん


「…以前までは確かに当院に入院されていました…

 申し訳ありませんが、こちらに来ていただけますか?

 詳しいお話はこちらで…」


診察室のひとつに通される私

何をする気力も無かったけど促されるままに椅子に座る


「少々お待ちください、今担当だった医師を連れて参ります」


「お待たせいたしました…」


ほどなく白衣を来た若い男の医師が女の前に現れた


「私 黒田くんの担当医をしておりました、荒巻と申します。

 黒田くんのお知り合いと伺いました。

 黒田くんは転院してこの病院にはいません」


「てんいん…?」どういう症状なんだろうと一瞬考える


「この病院ではなく他の病院に入院しているということです」


「え?ということは まだ…生きているってこと…ですか?」


「はい、その通りです。

 うちの受付が誤解されるような表現を使って失礼しました

 最近は個人情報の管理云々でいろいろと難しいのです。

 本来なら入退院状況などお教え出来ないのですが…

 彼にとってあなたはとても大切な方と受付が判断し

 このような対応を取りました、何分彼の家族は…」


「ほんとうに、みんな事故で…?」


「ご存じでしたか…ええ…」 顔を曇らせる荒巻医師


「道路の土砂崩れに巻き込まれまして…

 お父様、お母様は即死、妹さんは運び込まれて亡くなりました

 黒田くんは重症ではあったのですが

 救急車に乗るまで意識があったそうです。

 救急隊員の話ではお父様、お母様、妹の惨状を見て

 錯乱状態に陥っていたと言っていました

 そういったショックがとても強かったこともあったのでしょう

 こちらに来てから三日前まで昏々と眠り続けていました。

 三日前、目覚めた時…」


荒巻医師は話を一度止め、かけていた眼鏡をはずす

ポケットから布を取りだし湿気で曇ったレンズを拭いた


「目覚めた時…どうだったんですか?」


尋ねると ふーっと一息つき辛そうに私に告げる


「今までの記憶が全て…なくなっていました…」


「それは…記憶喪失ということですか?」


「あまりにも外的にショックな状態が目の前で起こったため

 心を守るために辛い記憶を抹消しようという

 適応規制が強く働いたためではないかと思われます。」


「命に…命に別状は?」


「それは大丈夫だと思います、あの激しい事故の中

 奇跡的に内蔵や脳、脊髄の損傷がありませんでしたから」


「よかった…」


安心のあまり、地べたにへなへなと座り込んでしまう私。

無事と分かれば一刻も早く会いたかった


「黒田くんはどこの病院に転院したんですか?」


「彼には頼るべき親戚がほとんどいません…なので

 私の知り合いが経営する静かな山奥の集落にある、

 診療所に転院させました。ただ…」


「ただ…なんですか?」


「精神状態が不安定です…ご家族が亡くなられた今、

 あなたは黒田くんにとって唯一とも言える身近な人です

 根気強く、優しく接してあげてください…

 私からもお願いします、彼の心を救ってあげて下さい」


「はい、彼を…悲しみの中から救い出して見せますっ」


「是非お願いします、では院長には連絡をいれておきます。

 後これは、村への行き方です。タクシーを手配します

 どうぞ乗っていってください」


「そんな悪いです…自分でバスに乗って行けますから」


「わざわざ遠い神奈川から来て頂いたのですから…

 ターミナルに待っていますので乗っていって下さい」


すぐにでも向かいたかったので心遣いがありがたかった


「ありがとうございます…ではお言葉に甘えさせて頂きます」


荒巻医師に深く頭を下げ診察室から出る


生きているって、元気だってわかっただけで

この病院に来る前に比べ、心と体は格段に軽くなっていた

色んな事を思い込んでの強い決意を胸にタクシーに乗り込んだ


村に着くころにはもう日がだいぶ傾きかけていた

朝から降っていた雨は止み

青と白のコントラストが綺麗に空に映えていた

無人の改札から駅を出ると、ここちよい風

自然が出迎えてくれる風に揺れるススキ、山々の木々


「きれいなところね…」


山々に囲まれた駅の回りには店一つなく

バス停と自動販売機が二つおいてあるだけだった。

自販機でお茶を一本買い、バスの運行表を覗いてみる。

次のバスが今日の終バスで、あと十五分後にくるようだ


「危なかった…田舎は夜早いのね」


ベンチに腰掛け買ったお茶で喉を潤す

ふーっと息をつく。思えば遠くまできたものだった。

山奥の奥、もちろん今まで一人でこんな遠出したことはなかった


「もう少しで黒田に会えるんだ…」


来る前は何かを失う怖さのような感情しかなかった

しかし今は確実に生きているってわかった。

記憶喪失ということは、全く覚えていのだろうか?

今までの記憶はなくなってしまっているのだろうか…

記憶喪失で忘れられている事すら悔しかった


「忘れたなんて絶対許さない…あ…」


遠くからエンジン音が聞こえる、その音は近付いてくる

バスに乗り込む…もう少しで辿り着ける 旅は終りに近付いていた

バスを降り、しばらく歩くと小さな小さな集落に辿り着いた

山々の木々が夕日で赤さを際立たされていた


歩き出す。昔ながらの暖かい町並み、何となく心が落ち着く風景

ほどなく目的の建物を発見する、門の前には番をするかのように

柴犬がちょこんと座っていてこちらを不思議そうに見ていた


「こんにちは、わんちゃん」


喉をなでてやると尻尾を振り回して甘えるように頬ずりをする


「かわいい…」


ガラっ 不意に扉があいて院長さんらしき人が出てくる


「おや?こんにちは」


「こんにちは…」慌てて頭を下げる


「え~と…もしかして黒田さんの?」


「はいそうです」


「荒巻から連絡もらったネ

 私が診療所の院長、こっちの犬は龍って言うタネ」


「遅い時間に押し掛けて申し訳ありません」


「いやいや全然構わないネ

 あんまり忙しいわけでもないネ。じゃ中へどうぞネ」


「あ、じゃあ失礼します」


診察室まで通される胸の鼓動が早く高まっていくのを感じる。


「ま、どうぞおかけ下さいネ。」


「はい、ありがとうございます」 言葉に甘え椅子に腰かける


「ほんと遠いところから良く来たネ。

 で、彼なんだけど今はここにいないネ」


「え?!どういうことですか?入院してるって…」


「まぁ、こんなド田舎の診療所だからね、看護婦も一人しかいないネ…

 だから夕方には家に連れていって嫁に世話させてるネ」


「なるほど…ということはだいぶもう具合いはいいんですか?」


「体に関してはだいぶもう治って来てるネ

 右手にまだギプスしているけど回復力が素晴らしいネ」

 

「よかった…」


「荒巻から多少聞いているとは思うんだけど後は心の問題ネ…

 事故の惨状、ひとりぼっちになってしまった寂しさ、

 そういった事を心の奥底に閉じ込めて

 自分が傷付かないように守ろうとしてるんだと思うネ」


「あの…どういう状態の記憶喪失なんですか?」


「基本的に暗くなったり、暴れたり、怖がったりとかの

 性格の変化とかそういうのはないと思うネ

 今までの記憶がないってだけで。

 ただ時々…涙を流している時があるネ、

 どうしてか聞くと『わからない』って…言ってたネ」


龍の頭を優しく撫でる先生


「そうですか…」


「家族や仲間を失ってしまった今、無理に思い出させるより、

 のどかな自然でのんびり暮らすことで

 少しずつ心の傷を癒していければと荒巻は考えたらしいネ

 こんな田舎だから今は何でも見てるけど私は精神科の医師ネ

 それでここに転院することになったネ」


「……」


無理に私のことを思い出させようとすると、辛い思いをする…


女の心に、そんな想いが湧き上がり黙って、うつむいていた


「君は、彼にとって大事な人らしいって荒巻から聞いたネ

 あまり深く考えず彼に自然に、優しく接してあげて欲しいネ。

 それが彼にとって一番いいと思うネ」


黒田が自分を忘れてしまっているのは辛い

だけど、今は心の傷を癒してあげるのが一番大事だと思った

何より、生きていてくれたのだから…

生きてさえいれば いつか思いだしてくれる日もくると思った


「わかりました。お願いがあるんですが聞いてもらえますか?」


「どうしたネ?」


「しばらく集落にとどまって黒田くんの看病をしたいと思います

 どこか泊まれる所を紹介していただけませんか?」


びっくりしたようにこちらをみる先生


「ほんとうはこちらからお願いしたかったタネ

 でも仕事とかはイイのかネ?」


お母さんも わかってくれると思った


「はい。仕事より、大事なことありますから…」


「わかったネ、じゃ家に泊まって欲しいネ

 妻と二人で住んでるから部屋がたくさん余ってるから

 お客さんの一人や二人全く問題ないネ」


「ありがとうございます、お世話になります」


先生の厚意がとてもありがたかった

感謝の意を込め深く頭を下げる


「ただ、おうちと会社に連絡だけいれておいて欲しいネ。

 詳しくは説明するネ」


「はい、是非お願いします」


家に電話をかける、そういえば病院を抜け出して

ずーっと連絡を取っていなかった、お母さん、怒ってるかな…


「おかあさん、わたし…」


事の成り行きとしばらく会社を休んで滞在したいと告げる

意外なほどあっさりと了承される


「私は嬉しいのよ?」


「え?」意外な言葉だった、叱られるとばっかり思っていたから


「最近は人との関わりを嫌がっていたあなたが

 大事に思える誰かのために頑張ろうとしてる

 それは、とても良い事だと思うから

 にだけは気を付けて連絡はちゃんとするのよ?」


「うん、ありがとう…おかあさん…」


理解をしてくれる母の存在がありがたかった


「そっち銀行とかあるのかしら?お金もいるわよね?

 着替えも持ってってないでしょ?

 まとめて送ってあげるからお世話になる所の住所教えて」


「お願い、住所は……」


そして先生に代わってもらう


「くれぐれもよろしくと言われたネ

 会社に言っておいてくれるそうネ。荷物も明日届くネ」


「何から何まですいません、ほんとうにありがとうございます」


「全然構わないネ。じゃお茶一杯飲んだらうちに帰るネ」


戸棚から湯飲みを取りだし、急須にお湯を注ぐ先生

お茶の葉のほのかな香りがあたりを包む


「でも、どうやって何年も離れていた彼の事故を知ったのかネ?

 事故は地元地方新聞くらいでしか報道されなかったはずネ?」


「はい、実は…」 事のあらましを説明する


「…うそみたいな話ネ…でもほんとだから来れたんダネ

 イッツ愛ネ…今度学会の論文に著したいような話ネ」


「ウソジャネー コノ ヤブイシャ」


「…叩いていいかネ?」


「首元におもいっきりどうぞ」


「イッテエエエ!!」 響き渡る絶叫


「じゃ、そろそろ行くネ。

 片付けるからちょっと待ってて欲しいネ」


「私も手伝います、ごちそうさまでした」


お礼を言い私も片付けを手伝う


診療所を出る頃にはもう、夜の帳が完全に下りていた

空を見上げると、降り注ぐような満天の星空

東の空に現れた三日月は電灯の少ない暗い集落を照らしていた


前を歩く先生の後に続き、歩いていた


もうすぐ会える… だけど私を覚えていないのに

どういう態度を取ったらいいのだろうか…

この世からいなくなってしまうかもしれない

という絶望的な状況に比べれば

生きている、これからすぐ会えるという今は

格段に幸せなはずだった それでも怖かった、不安だった


「…くぅ~ん…」


女を気遣うかのように私の顔を見上げる龍。

いつの間についてきたのだろうか?


「ありがと龍、私大丈夫よ。だって会えるんだもんね」


龍の頭を軽く撫でる


よく考えれば黒田が消えてしまってから

とても長い時間が経ってしまった気がしていたけど

まだ五日くらいしかたっていない

それなのにとても長い間旅をしてきた気がする…

会いたくて会いたくて追い掛けてきた悩むことはない素でいよう


「いこ龍!」


女は歩く足を早め、だいぶ先に行ってしまった先生を追い掛けた


「着いた、ここネ」


古い造りだったけど平屋建てでとても大きな家だった、

武士が住んでいそうな昔ながらの日本家屋、そんな感じの家


「ただいまネ」


「おかえりなさい…あらあなた、そちらのかわいい女の子は?」


「黒田くんの彼女ネ。わざわざ神奈川から来てくれたネ。

 今日からしばらくうちに泊めようと思う。いいかネ?」


「もちろんですわ。遠いところ

 こんな田舎までようこそおいでくださいました

 何もないところですけどゆっくりしていって下さいね」


「はい…しばらくお世話になります、よろしくお願いします」


「わんっ!!」


「あら龍は とっても気に入ったみたいね

 この子とも仲良くしてあげてね」


「はい、私も龍大好きです」龍の頭を撫でながら答える


「じゃあ、こんなところでなんですから上がってください。」


「はい、お邪魔します」


靴を揃えてあがろうとすると端にきれいに揃えてある

ナイキのエアフォースワンが目に入り私の動きが止まる


「それ、黒田君の靴よ」


ドクン…高鳴る鼓動、上気する頬。

この屋根の下にいる様子を見て、奥さんが優しい声で問いかける


「…まず黒田くんに…会う?」 隣で先生も無言で頷く


「は…はい」 ニコリと私に微笑みかける奥さん


「こっちよ、ついてきて」


玄関から廊下を進む、突き当たり右の部屋。どうやらここらしい


「ここよ」


「はい…」緊張に唇が乾く


襖からわずかに漏れる明かり

それは中に黒田がいることを物語っていた 軽く襖を叩く奥さん


「黒田くん、入ってもいいかしら?」 返事がない、流れる沈黙


「黒田くん?入るわよ?」


襖を開く奥さん、音もなく開く襖。寝てる…


「私居間に戻って晩御飯の準備をしておくわ、ここにいる?」


「はい…」


「ご飯出来たら呼びに来るわ

 少しの間、黒田くんのこと見ててあげて」


そう言い残し部屋から出ていく奥さん


瞳からもう、涙がこぼれそうだった。


「無事で…ほんとに…ほんとに…よかった…」


右手にはまだ痛々しいギプスがはめられていたけれど

顔色もよく公園で会った姿と変わらない


「生きているぅ…」 滝のようにこぼれる涙。


女はずっと寝顔を眺めていた。

改めてまた明日、起きた時にゆっくり、話をしよう

そう思って席を立ち襖を開けて部屋から出ようとした時


「…こんばんわ」


「こ…こ、こんばんhdfrtyふじこlp…」


予期していなかった覚醒に思いっ切り焦る女 くすくす笑う黒田


「いつから起きてたのよ??!!」


「もしかして君は知り合い?」


「あ……」


やっぱり記憶…ないんだ…わかっていたとは言え少しショック


「そっか記憶喪失なんだ…昔、近所に住んでてく一緒に遊んだの

 しばらく私も先生のおうちでお世話になるの、よろしくね」


「なんだか、懐かしい感じ…でも、思い出せない。ごめん」


「無理して思い出さなくてもいいから」


「そうだね、よろしく」


「しばらく一つ屋根の下で暮らすんだから仲良くやりましょ?」


控え目に黒田が頷く


「何も覚えてない…だから今、心の中に誰もいない

 普通は身近にいる誰かが心の中にいるものなんだろうけど

 とてつもなく空虚だから誰かがいてくれるのは嬉しいよ」


記憶がなくなっても言葉からにじみ出る優しい丁寧な語り口

性格まで変わってたらどうしようって思っていたけど

杞憂に終わったみたいだった


明るい朝日が頬を優しくなでる

今日は朝から雲一つない、抜けるような青空

風はほのかに冷たく、秋の深まりを感じさせる朝だった

布団の中でうーんと伸びをしてゴロゴロ転がる。

朝これをしないと一日が始まる気がしない

よく考えれば布団でゆっくり眠ったのは久しぶりな気がする。


昨日は寝台列車、その前は病院のベッドと

落ち着かない所で寝ていたから

夜着を脱ぎ捨て昨日の服にまた着替える

今日の夕方にはお母さんから荷物が届くはず

同じ服を着るのはちょっと嫌だけどわがままは言っていられない


「おはようございます」


居間に入るとすでに誰もいなかった。

かわりに朝御飯とメモがおいてある。


 私たちは診療所に仕事に行くから

 ゆっくり朝御飯食べて天気がいいからおでかけでもしたら


という内容、時計を見るともう十時

かなり堕眠をむさぼってしまったようだった

まだ二人分の朝御飯がある

ということは黒田もまだ寝てると言うことらしい


「しょうがないな…もう」黒田の部屋の襖を静かに開ける


「いつまで寝るつもりなのかしら」 寝姿を見ながら思わず呟く


どうやって起こしてやろうか思案に暮れる

チューは、ばれたら怖いので却下、「う~ん…」

とりあえずほっぺたつっついてみよう ぷにぷに…ぷにぷに…

感触が心地よくて何度もつっつく ぷにぷにぷにぷに…


「ふぇ?」 まぬけな声を出して起きる


「おはよ、ねぼすけさん」


そのしぐさがなんだか可愛くて自然と顔がほころぶ私


「おはよう、ふわぁー」おっきく伸びをする


「わざわざ起こしに来てくれたの?」


「違うよ、部屋の前を通ったらうるさいいびきが聞こえたから

 止めようと思ったのよ」


なんとなく素直にそうというのが悔しかったのでむきになる


「うるさくて ごめん…」 シュンとなる


「いや別に構わないわよ、ほら朝ご飯食べましょ」


「わざわざ起きるまで待っててくれたの?感激」


…私も寝坊したとは何と無くいいにくかった


「そうよ…だからお腹空いたの、早く用意していきましょ」


「……」 なんだかニヤニヤしている


「なによ?」


「早く行きたいのはやまやまだけど

 そこにいたら着替えられない…着替え、みたいの?」


「見たいわけないでしょ!!先行ってるからね」


ご飯を食べ終る頃には もう昼近くになっていた

食卓にはお皿を流す水の音が響く

私がやるっていったのに手伝うって聞かない黒田

仕方ないのですすぎだけ任せる事にする 二人並んで立つ台所


「ねぇ、これ終ったら私この集落を見てみたいの。

 私より早くここ来たんだから私よりはここ知ってるでしょ?

 だから道案内してくれる?」


「診療所と先生のおうちの往復しか行った事ない…」


下を向いて答える黒田


「ならちょうどいいわ。せっかくいい天気なんだから

 龍を連れて一緒に散歩へ行きましょ?」


「足痛い…」


「なんか言った?」 じろりと黒田をにらむ


「…是非お供させてください」


「よろしい」


こんないい天気の日に家の中にいるのはもったいない


「わんっ!」


龍が嬉しそうに声をあげる いい天気

標高が高いこともあり空気も澄んでいる

私たちは川沿いの草むらに大の字になって寝っ転がっていた


「ほんとに気持ちいい日ね…」


「抜けるような青空、今日なら空飛べそうな気がする♪」


「んなわけないでしょ」くすくす笑う女


「わんわん」


「う…龍にも笑われた…」 ずっこける黒田


「龍もわかるのね」 再び青い青い空を見上げる

 ふと頭に浮かぶ歌、それを口ずさんでみる


「君と出会った奇跡がこの胸にあふれてる

 きっと今は自由に空も飛べるはず……


 誰の歌だか忘れちゃったけど、これだけ空が綺麗だと

 手伸ばせば届きそうだよね 黒田の気持ち、ちょっとわかる」


う~んと手を大きく横に広げる


「あっ…」


「えっ…」 のばした反動で不意に重なる私の右手と黒田の左手


「あった…かい」


「あったかい…」


どちらともなく握る二人の掌、しばらく手をつないだまま

頬をなでる心地よいそよ風と照らす太陽の光を満喫していた

半分意識が夢の国に飛びかけていたが体を起こし呟く


「…どうして こんなに優しくしてくれる?」


好きだからにきまってるじゃない …

と言うのが本心だけど、素直に言えるほど私は可愛くない


「う~ん、幼馴染みだし、一緒の所に住ませてもらってるし

 なんとなく…かしら? ちなみに、今、君は何が欲しいの?」


「誰かとの思い出が欲しい…」


「え?」


「今まで知り合った人達と共有していた想いが全て無くなった

 何も無い誰もいない空虚な心の中が寂しくて虚しい

 誰の存在も心の中に無い、先生としか会う事が無い。」


何と声をかけていいのかわからず言葉につまる…


「気付いたら 心の中に誰もいなかった…だけど君が来てくれて

 冷え切った心の温度が暖かくなってきた感じがする」


「本当はあなたを追ってこの集落まできたの…

 記憶を無くす前のあなたが、私の心を救ってくれたから

 だから、そばにいて力になりたいって思ってる」


「何も覚えていないこんな男のそばにいてくれるの?」


「記憶がなくてあなたが辛いなら

 助けてあげたい…ほっとけないっ…

 記憶がなくても変わず優しくて… 一緒に…いたい…」


「嬉しくて…涙出そう、一緒にいて欲しい…」


「うれ…しい」


にっこり微笑んでいた黒田の顔が急に険しくなる


「どう…したの?」


ただならぬその表情に不安を隠し切れず尋ねる

頭を抱えうずくまってしまう黒田


「…ぃお…」


「え?何て言ったの?」慌てて聞き返す私


「頭が…割れる、よう、にいたい、…」


「だ、大丈夫?!」 苦痛に歪む黒田の顔。ただごとではない


「くるしい…痛い…」


力なく私にもたれかかる黒田、私は必死に声をかける


「しっかりして!!」 私の問掛けに少しずつ返事がなくなる


「待ってて、すぐ先生の所に連れていくから!頑張って!!」


必死に背中に黒田を背負おうとするもなかなかうまくいかない


「龍、お願いっ…先生の所に行って連れて来て!!お願い…」


「わんっ!」


了解してくれたのか一目散に走り出す龍。

龍に頼ってばかりもいられない黒田を背負う事を試みる


「もう少しだけ頑張って…先生のところ連れていくからね?」


「……」


また、黒田がいなくなってしまうなんて私の心が耐えられない…

出来る限りの力を呼び起こし黒田を背負い診療所へ向かう。



鎮痛剤が効いて黒田は診療所のベッドの上で眠っていた

しばらくして龍が先生を連れてきて

先生が背負って診療所まで連れてきてくれた


「龍…ほんとうにありがとう、お前は賢いね」


頭をたくさん撫でてやり、ぎゅって抱き締める


「くぅ~ん」 甘えるように私の頬を舐めながら、尻尾をふる龍


「先生…どうなんですか?」 恐る恐る尋ねる私


「原因はまだちょっとわからないネ…

 ただ脳に出血があったりとか突発的な病気でない事は確かネ」


「じゃあ、命に別状とかは…」


「それは大丈夫と思うネ。

 多分記憶喪失特有の心の葛藤じゃないかと思うネ」


「心の葛藤…」


「記憶を思い出して社会的人格を取り戻したいと思う気持ちと

 その事故の記憶が心に与える衝撃を防ごうとする防衛本能が

 心の中で葛藤してるんじゃないかと思うネ」


「…私が、来たからですか?」


良かれと思ってここまで会いに来たけれど

私の存在で黒田の辛い事故の記憶が呼び戻されるのなら…

来なければよかったのかもしれないと言う不安でいっぱい


「ないとは言えないネ…けれど、いつか記憶は戻るものネ。

 いつか解決しなくてはいけないネ、君のせいではないネ」


どうしたら抱えた大きな喪失感を

紛らわしてあげられるのだろう…私じゃ、駄目なのか


「これだけ、思ってくれる人がいるって事

 家族をなくした彼にとってこれほど心強い事ないと思うネ

 だから彼も君と過ごした過去の記憶を取り戻したい

 そう思ったんじゃないかって考えてるネ

 気にしないで今まで通り接してあげて欲しいネ。


 人が誰かと同じ想いを抱えて共鳴するのは

 生きる意味とも言える事だからネ」



「…生きる意味…」


種田先生は集落の子供が急に高熱を出したと聞き

往診に出かけていった


床には黒田を守るように龍が座っている

椅子に座り黒田の寝顔を見つめていた規則正しく上下する胸

時折漏れる小さな寝息、その姿をみつめ私はふと呟く


「龍、私 何をすれば いい?」


「…くぅん?」


聞かれてもわからないよと言うように子首を傾げる龍

ゴーンゴーン…柱の壁時計が六回鳴り午後六時を知らせる


再び視線を黒田に戻す 相変わらずすやすやと眠り続ける黒田


「ねぇ、あなたのそばにずっといたい…

 今日、あなたもそう言ってくれた

 だけど、私も事故で無くした人達と同じで

 今の貴方の空っぽな心の中には? いない…の?

 ただ視界に入って人がいるというのが見えているだけ?」


寝ている黒田に問いかける、聞こえるはずは無いけれど


 空っぽになって自分一人で考えているだけな彼の心を救って…

 再び会わせてくれたことを感謝してるけど

 せっかく会わせてくれたなら… 幸せになりたい



・・・



ここはどこだ…? 目を開けると潰れて壊れた前の席が見えた

血まみれの細い手と力なく垂れた男の人の頭…

「…ちゃん」 微かに聞こえる人の声


「誰かいるのか?!大丈夫か?」


しかし、いくら声をだそうとしても声が出ない


「おにぃ、ちゃん…い、痛いの…助けて、く、苦しい…」


その声はシートに押し潰された間から聞こえてくる

必死に声のするほうに手を伸ばそうとする

痛っ…頭と腕に走る激痛、サイレンのけたたましい音

そして外から人の声が聞こえてくる


「大丈夫か?無事なら返事をしてくれ!!」


外から聞こえてくる呼び掛けに対し、ドアを叩く


「生存者がいるぞ!爆発近いぞ、急げっ!! 救助しろ!!!」


金属を切るような嫌な音があたりに響きわたる

不愉快な音に顔をしかめながらも

先程声が聞こえた隣の座席に手を伸ばす

頭の位置を動かすと顔中血まみれの女の子の顔が見えて目が合う

力なくさまよう二つの瞳


「おにぃ…ちゃん…無事だったんだね…」 必死でうなずく


「死んじゃうの?…血が出てるのに痛くないの…眠いの…」


必死に首を横に降る


「おにいちゃん…手、繋いでて欲しいな…

 手繋いでてくれたら怖くないから…」


震える細い手をゆっくり伸ばす女の子

必死に伸ばしその手を掴もうとする、重なる掌と掌


「おに…ぃ…ちゃ…ん」


急にその手から力ががくんと抜ける


「………??!」


誰…だ?お兄ちゃん?ていうか自分は誰なんだ?


ガタン 何かが外れる音、体が勝手に動かされる

その途端。顔に降り頻る雨の感触、灰色の空、回る赤いライト…

体が言うことをきいてくれなかった

寝かされる救急車の中、頭を整理し思い出してみようとする


「痛っ…」頭に響く激痛


「黒田さん、大丈夫ですか?」


黒田…それが自分の名前らしかった


「頭が割れるように…痛い…」


「すぐ病院つきます、大丈夫ですからね」


「みんなは…無事?」


「妹さんですね?あちらの救急車に乗ってます大丈夫ですよ」


「良かった…」 意識が少しずつ遠のいていく…


再び気付いた時、目の前に長い髪を まとめた女が立っていた


「……?」


頭に浮かぶ女の名前 その女はこちらを見て微笑んでいた


「黒田、ずっと会いたかったんだよ…

 ずっとずっと…やっと会えたね、私たち…」


そう…引っ越すことになって離れた女 ずっと会いたかった人…


「会いたかった…」


「嬉しい…」


走りよってきて胸に飛込んでくる 懐かしい暖かい温もり…


「みんなは元気?妹さんとか大きくなったよね?会いたいな」


妹…


「あ……」


その瞬間蘇るあの光景… 力なく伸びた母さんの細い手、

がっくりうなだれた父さんの顔、血にまみれたモルスァの顔、

爆発する車、冷たい雨… そうだった…

みんな、みんな事故で逝ってしまったんだった…

その事実を受け入れることできなくて、

心の中にその凄惨な光景閉じ込めてしまっていたんだった…


「どうして泣いて…いるの?」


涙を流してたみたいだった…やさしく涙を拭ってくれる女


「ひとりぼっちになってしまった…」


「え?どういうこと…?」


心底悲しそうな顔をして黒田を見上げる女


「みんな事故で死んでしまった…自分だけ、助かった…」


「そ…そんな」信じられないといった表情で黒田を見上げる


「心の中に閉じ込めていた、でも思い出してしまった全部…」


唇をきゅっと結び何かを決心したかのように黒田を見つめる女


「なら…少しでも和らげてあげれるように、あなたのそばにいる

 私じゃ家族のみんなの代わりにならないかもしれないけど」


涙目で必死に訴える女


「ありがとう…その気持ちだけでも頑張れる」


「…うん、悲しいことも辛いことも半分私に背負わせて…

 あなたと一緒に生きていきたい」


黒田を抱き締める女、抱き締め返す黒田


「一緒なら乗り越えていける…」


必死に笑おうとする女、しかし涙で顔がぐしゃぐしゃで

なかなかうまくできないみたいだった

涙で少しずつ背景がぼやけていく…



・・・



ゴーンゴーン…時計の鐘が七回なる

女は黒田の涙をハンカチで拭っていた

寝ているのに急に涙を流し始めた…

拭っても拭っても流れる涙、辛い夢でも見ているのだろうか…


「黒田…?」


心配になって女は黒田を呼び掛けてみる

相変わらず涙を流し続ける黒田、おもむろに目が開いて…


「大丈夫…?」恐る恐る問掛ける


「うん…?」 驚いたような顔で女を見つめる


「ここにいるよ、悲しい夢でもみたの?ずっと泣いてた…」


「夢…だったのか…」 ふぅと小さく溜め息をつく


「どんな夢を見たの?」


優しく問いかける女。体を起こし、私をじっと見て答える黒田


「思い出した…」


「え?どういうこと?」慌てて聞き直す


「記憶…戻った、事故のことも、家族の事も…全部」


「ほ、本当に?」身を乗り出して黒田に問いかける


「君が…夢の中で思い出させてくれた…」


「え?!」


「夢の中で助けてくれた…昔と同じように全てを共有して

 半分ずつ分かち合ってくれるって言ってくれた…」


「そんな私…夢の中まで行けないよ…」


「…好きだ、それが今の正直な気持ち…

 照れくさくて昔は言い出せなかったし

 一文字も言葉にして表現できなかった

 ずっと一緒にいて欲しい …」


「私…嘘ついてた事があって…言いだせなくて…あ、あのね…」


「彼氏いるって話?」


「え…え?なんで それを…何も言ってないのに…」


「あの海での色んな想いを共有した不思議な時間を過ごした時

 言葉にしなくても分かり合えた昔の感覚が取り戻せていた…

 何故か わからないけど君の心の中の声が全てが聞こえた

 君が抱えた全ての感情も分かったし、


 昔、”アタシはアンタじゃない”

 って叫びたくなるような衝動を抱えて離れて

 互いに過去の存在になりそうになってから

 後悔したのも知って本当に心苦しかった…


 相手に、そんな衝動を抱えるほどに

 相手を尊重する部分が無くなっていて…


 あの頃は自分の事ばかりで、ある意味

 相手の気持ちを無視していたんだ。ごめんね」


「全部…? 心の中全部?」


恥ずかしさと、今まで感じた事の無い奇妙な共有感を感じる女


「…表現している言葉にこめた感情から

 心の奥底に秘めたものまで全て、不思議な事だけどね。」


「もう、一人にしないでね… やっぱり一緒が…いいの…」


「いつか…この村で二人で暮らすのもいいと思わない?」


「うん…私、優しい雰囲気のこの村、とっても好きよ…

 自然がとっても綺麗だし…一緒ならどこでも頑張れる」


「先生に色々教えてもらいたいと思ってる…

 心が病んで悩んでいる人を救ってあげたいって思う…」


「……」


私は、何がしたいのだろうか?


もう一度、会いたいって想いと

昔、失ったものを取り戻したいという衝動だけで、ここまで来た


この先どうしたいとか考えてなかった


黒田と再会するまで、同じ事の繰り返しだけな毎日だった


互いに相手を大事に思える人と一緒に生きて行く。

一緒に笑い、泣き、喜び、悲しむ…

いつまでも変わらない美しきマンネリに人生を捧げる。

今は、そんな毎日を過ごしたいとすら思えていた。


夜空には丸い満月が浮かび、優しく縁側を照らし

重なる二つの影、初夏の優しい風が二人を包む

二人の未来を祝福するかのように


この二人きりの時間が手に入れるために

他の事に使う時間を全て無くしても良い

と思えるような感覚を抱いて二人の夜は更けていった。


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