第六話・おにぎりとコンサート(上)
水中にある小さな収録スタジオ。
そこでは歌姫がマイクの前に立ち、未発表の曲を歌い上げていた。
振動を受けた針が震えながら、音盤に彼女の声を順調に記録していく。
強かな心を歌ったその曲は、凛とした彼女に良く似合っていた。
彼女が小部屋から出て、蜂蜜入りのスムージーを飲んでいると、マネージャーが気まずそうに近寄って来た。
「昨日は熱くなり過ぎてました。すいません」
「いいえ、私も言い過ぎだったわ。でも休憩時間中に追ってくるのはもうやめて。危うく、通報されるところだったわよ」
「えっ、えぇぇ!?」
「側から見たら当然でしょう。驚いてることが驚きよ」
デビュー当初から支えてくれた方が引退し、最近担当になったのが彼だ。
正直気が合っているとは言い難いが、スケジュールの管理は上手い。
歌姫がため息を吐くと、マネージャーは恐る恐る尋ねて来た。
「やっぱり、コンサートの仕事は断りますか……?」
「ええ。お声がけはありがたいけどね」
クラゲ型の日傘を持って、彼女はするりと泳ぎ、スタジオの裏口へ向かう。
「それじゃあお先に」
「お疲れ様ですっ!」
少数のスタッフ達の声を背に、水路の深部にある人魚族用の道を進む。
光の反射する水面に顔を出すと、眩しい陽光が照りつけた。
人魚は眉根を寄せて、ぽんっと日傘を開く。
日傘は良くみれば魔符でできていた。
水路の水が一部盛り上がり、彼女の半身を包むように固まっていく。
軽く傘を傾ければ、そちらの方へと水が運んでくれる。
(お昼はどうしましょう。そんなにお腹空いてないのよね)
わざと関係の無い話題で濁しても、脳内に昨日の言い争いが浮かび上がる。
どれだけ説得されようが、彼女は衆目の前で歌わない。
否、歌えない。
まぶたの裏に焼きついた光景が繰り返し、歌姫の体をこわばらせる。
「ちっ……」
一刻も早く忘れてしまいたい幼い頃の記憶。
そこから脱するように頭を振ると、不意に見覚えのある金髪が目に入った。
(あの子は……食堂の? 一人で何をしてるのかしら)
少女はどこか緊張した面持ちだ。
ちょっとした気まぐれで、人魚はこっそりと様子を伺う。
リオは大きく深呼吸をすると、店の窓ガラスをじっと見上げている。
彼女は首から下げた財布を抱きしめ、困り顔で体を左右に揺らし始めた。
「――ねぇ、どうかしたの?」
「みょにょわっ!?」
「あら鳴き声が独特」
「お、お姉さん……」
戸惑った表情の幼女に向かって、人魚は優しく微笑みかけた。
路地裏のベンチに腰掛け、リオはカチンコチンに固まっていた。
その隣にはリンゴを持った歌姫が並んでいる。
リンゴの中身はくり抜かれており、炭酸のリンゴジュースが注がれていた。
先程屋台で買った物だ。
二つある内の片方を少女に差し出す。
「はい、どうぞ」
「ありがとございままままままままぅ」
「大丈夫?」
「はひ……」
緊張をごまかすように、リオはストローの先端を咥え、ちるちるとジュースを飲む。
舌の上を薄い炭酸とリンゴの甘みが滑っていった。
弾ける感覚を楽しみながら、少女が目尻を下げるのを見て、人魚は安堵したように肩の力を抜いた。
「あそこで何をしていたの?」
「えっと、その、服を」
「服?」
「はい、あそこのお店がずっと気になってて、入ってみたいなって思ったんですけど……」
紙製のストローを弄り、少女はしぼんだ声音を吐く。
どうやら、あと一歩の勇気が出なくて店に入れなかったらしい。
しょんぼりと肩を落として、小柄な体がさらに小さくなっている。
「それじゃあ、一緒に行きましょう」
「へ?」
「ちょうど今日は時間が空いてるの。私の暇潰しに付き合ってちょうだいお嬢さん」
悪戯っぽく片目を閉じ、彼女は少女の手を取った。
リオが憧れていたのは、普段着ている愛らしい物とはまた違う、シックな印象の強い服屋だった。
マスターの買ってくれる服も可愛くて好きなのだが、本音を言うならそういう服が着てみたかったのだ。
人魚と手を繋いで入店すると、兎系の獣人が明るく笑いかけてきた。
パンツスタイルを可憐に着こなす、ここの店長である。
「いらっしゃいませ〜!」
「この子に似合いそうなの、何着か見繕って貰いたいのだけど」
「ふぇ?」
「腕が鳴りますね〜、お任せください!」
「んぇ??」
戸惑ってる間に幼女は小さな店内を案内された。
色とりどりの服がハンガーやマネキンに飾られている。
「スカートとパンツどちらが好きですか〜?」
「えと、パ、スカートで」
「そうですねぇ。これなんか涼しくて着やすいですよ!」
最初に提示されたのは、袖にレースのついた縦縞のブラウスと、黒いタイトスカートの組み合わせだった。
リオが興奮で頬を赤くしていると、続いて控えめなパフスリーブのブラウスが渡される。
胸元にはリボンタイのような装飾がついていた。
「こちらも素敵ですね〜。色違いもありますよっ」
客よりも楽しそうにはしゃぎながら、店員はラベンダー色のワンピースを持ってくる。
こちらはごつごつとした革ベルト付きだ。
鏡の前で服をあてがって、少女は瞳を輝かせながら服を見つめていた。
黙ってその横顔を眺めていた人魚は、穏やかな声音で少女に話しかける。
「一着好きなのを買ってあげるわ」
「えええええ!? そ、そんなのだめです!」
ちぎれんばかりに小さな頭が横に振られる。
思わず歌姫はくすりと笑った。
「暇潰しのお礼よ」
ぐっと黙り込んでリオは床に俯く。
善意による言葉だとわかってはいるが、なぜか胸がモヤモヤしていた。
なんとかそのモヤモヤの表し方を考えて、考えに考えて──彼女は顔を上げた。
「わ、わたしが買いたいんです。初めてこんなにほしいって思って、お金を数えて持ってきたから、自分で買うんです」
店長が嬉しそうに微笑む脇で、歌姫は静かに少女の台詞を聞いていた。
「……そう。せっかくの体験を奪うところだったわね」
慈しむような、胸を締め付けるような優しい声。
(――勝手に似てるなって思っちゃったわ)
そう反省しながら記憶を思い返していると、リオがもじもじと再度口を開いた。
「あの、お、お願いできるなら、歌を教えてほしいです。できたらですけど……」
一度だけ欲を出すならば、彼女はそれが良いと主張する。
あんまり慎重に言うものだから、人魚はつい喉奥から笑いがこぼれた。
パフスリーブのブラウスを嬉しそうに抱えて、少女は無意識に鼻歌を歌っている。
そんな帰り道で、不意に、歌姫が口を開いた。
「昔ね、学校で嫌われ者だったの」
「え……?」
なんでもないような表情で、淡々と言葉が続く。
「人と目を合わせるのが苦手で前髪を伸ばして、いつも下を向いていたから……格好の的だったんでしょうね」
よく物を隠されたり、団体行動で一人残されたりしたと、呆れたように彼女は言った。
ある日、学外で歌のコンテストが行われることがわかった。
どうしても参加したいと思って、一生懸命小遣いを貯めて、課題曲の楽譜を買いに行った。
当時まだ人魚族用の紙は高く、二度買うのは難しかった。
しかし、音楽室を借りようとしたのが、同級生に知られてしまったのだ。
破かれて踏みつけられた歌詞、歌ってみろと嘲笑う声、必死で拾い集める自分を見下ろす周囲の視線。
それら全てが体にこびりついて離れない。
バラバラの紙面を貼り付けて練習したが、コンテストは最下位だった。
たくさんの視線が自分に向けられると、なぜか震えて歌えなかったのだと、彼女は悔しそうに眉根を寄せた。
「今も、それは変わらないわ。だからコンサートはできないの」
「そんなことが、あったんですね」
「暗い話だったわね、ごめんなさい。早くどうにかしたいのだけど」
首を横に振って、リオはとあることを確信した。
この世界は、理央のいた世界とは多くの点で異なる。
その内の一つに、身体的に異なる多く種族がいる。
それぞれに合わせて細分化した医療技術は、ようやく近代になって確率したところだ。
(……やっぱり「とらうま」って知られてないんだ)
そのためか――心の医療はまだ提唱されていない。
それを模索する者は、この世界にもいずれ誕生するだろう。
しかし今この瞬間、歌姫の傷に寄り添う方法を、幼い少女はどうしても知りたかった。




