第四話・チーズリゾットとおでかけ(下)
軽い昼食を済ませ、食堂【リトトルカ】のコックは厨房に立った。
卓上にはなんとか書き写した例のレシピがある。
幸い欠けた部分の多くは予想できたが、一つだけわからない具材があった。
豆を使うこと、そして四角形の何かであることだけが確かだ。
(それの作り方も書いてあったようだ。が、見事に焼け落ちてしまっていたな……とにかく、まずは試作品を用意しよう)
まず、まな板の上に鶏もも肉を広げると、一口大に切り分け、皮つきのまま揚げ焼きにしていく。
油が跳ねるフライパンの隣ではソースを作る。
ニンニクとショウガを油で炒め、そこにレシピにあった創作調味料を加える。
蒸したソラマメを潰し、塩麹と粉唐辛子、少量の味噌を混ぜて一晩寝かした物だ。
火が通った鶏肉を取り出し、ソースの鍋に粉唐辛子と山椒、大量の刻んだネギを入れて混ぜてから、隠し味の醤油を加える。
ソースと鶏肉を合わせて、数分煮込めば完成だ。
正体不明な具材の代わりに、豆とヨーグルトで作ったナンを添えておいた。
カウンターで宿題の採点をしていた二人が顔を上げる。
盛り付けられた料理を見て、幼女と黒猫はふと口を開いた。
「赤いですね」
「赤いにゃあ」
「赤いんだ」
唐辛子の量はレシピ通りだが、主食の進みそうな辛さに仕上がっている。
三人が皿を見下ろしていると、からんころんと鈴の音色が響く。
「こんにちは。この匂いは……」
約束の本を持ってきた古本屋は、突如懐かしい雰囲気に包まれた。
すぐに思い出は霧散してしまったが、シワの刻まれた顔に笑みを浮かべる。
「紅さん、それはもしかして」
「ええ、件のレシピに沿った試作品です。不明な点もあって、まだまだですが……試食をお願いしても?」
「そりゃあ、勿論ですわ」
黒猫と半竜族と小人が頭を付き合わせて、慎重に一さじ目を運ぶ。
念のため少女は様子見ということになった。真剣な眼差しで三名を見守る。
各々の唇が蠢いた数秒後、
「「「――――――かっっっらい!!」」」
小さな食堂が絶叫で震えた。
紅が珍しく焦りながら冷蔵庫を漁り出す。
「み、水、いや牛乳!」
「ふー、ふーっ、んにゃ〜、う、うにゃ〜……」
「ぐっ、辛、けほっ」
(そ、そんなに?)
恐れと好奇心の入り混じった顔で、リオは赤い料理を見つめる。
それに気づいたのか、マスターが魔法でスプーンを浮かし、鶏肉のところだけを差し出してきた。
一瞬悩んでから、少女はそれをぱくりと口に入れた。
最初は肉の脂もあってか、ちょっとした辛味を感じただけだった。
――額に汗がじわりと滲む。
確かな刺激が舌を突き刺し、爽やかな香りが熱さと共に鼻を抜ける。
慌てて飲み込むと、ほのかな痺れが喉を伝った。
(お、お肉部分でこれ……?!)
がっつりとソース部分を食べた年上勢は、必死に牛乳を飲み、ナンで中和を試みている。
しかし、全員の中で一つの結論が出た。
これはかなり美味しい。
それでもおそらく古本屋の妻のそれではない。
食べたことのある老父自体が、前述の反応になるのは奇妙だ。
ぽつりと小人が口を開いた。
「たしか、添えられていた……というより混ざっていたのは、ゼリーのような物でした」
「なるほど。食べる直前に混ぜて、溶かしていたんですか」
「いえ」
記憶を探りながら、老父は言葉を続ける。
「確か……鍋の中で一緒に煮てましたな。食感もゼリーより少し固くて、それに──溶けなかったんです」
「溶けなかったぁ? そりゃまた不思議にゃ」
食堂の面々は首を傾げる。そんな食材は聞き覚えが無かった。
「もっとしっかり聞いておけば良かった」
どこか呆れたような声音。
老父は寂しそうに微笑みながら続ける。
「紅さん。ありがとうございます。久々の辛さで驚きましたが、妻との食事を、少し、思い出せました」
小人の脳裏には、長年連れ添った伴侶の姿がかすめる。
ほんのわずかな間だったが、彼に取っては十分だった。
十分だと、自分に言い聞かせていた。
「……本当に、ありがとう。忘れていたよ。いつもこの料理は、夏が始まる頃に作ってくれたんだ」
酷似した別物の向こうに、彼は彼女との日々を確かに見た。
今はもうない本物が、頼りない脳内で遠ざかる。
きっと徐々に都合の良い脚色がなされ、別物の記憶になるのだろう。
固く両手を握りしめ、料理人は老父に声をかけた。
「力及ばず申し訳ない」
「なっ、何を言うんですか。わしはこんなにも満足しています」
熱くなった腹を撫でながら、古本屋は青年を見上げた。
「わしが、まだしがみついてるんですな。……こんなことでは、あっちに行った時、彼女に叱られちまう」
からからと明るく笑って、ふと、老父はその瞳を潤ませる。
「忘れたくない忘れたくないと思っていても、記憶は欠けてしまう。それが今は悲しいんですわ。自然の摂理でしょうにねぇ」
再び鈴を鳴らして、小人は自宅へと帰って行った。
今回は紅が送り役だ。
壁に取り付けられた棚には、状態の良い古本が並んでいる。
「……無理に綺麗にまとめなくても良いのににゃあ」
黒猫は静かに瞼を閉じて丸くなった。
リオは黙って俯いていた。何を言えば良いのか全くわからなかった。
少女の舌はまだ、ひりひりと痛んでいる。
居住空間の台所で、青年は夕飯の支度を始めた。
先程の名残を中和するために、今日はチーズリゾットにするようだ。
鍋でバターを溶かし、刻んだ玉ねぎを炒める。炒める。全体が香ばしいきつね色になるまで炒める。
(常々思うが…………これは狐のどの部位なんだ?)
米を加えるのと同時に、別の小鍋で手作りの冷凍コンソメを溶かし、牛乳を足してスープにしておく。
白米にバターがしみたら、スープをかけて弱火で煮込む。
この時、スープは二回に分けて入れる。
汁気が無くなってきたら削ったチーズとバターを投入。
それらが均等に混ざれば、チーズリゾットの完成である。
「よし、できたぞ」
「「わ〜いっ!」」
盛り付けてから、さらにチーズを削りかけ、コックはようやく席に着いた。
感謝の言葉を口にして、リオはスプーンを手に取る。
「んしょ、わ、ゆげがすごい」
「出来たてだからな。火傷には気をつけなさい」
念入りに息を吹きかけて、少女はゆっくりとご飯に口をつける。
柔らかな風味が舌を滑っていく。
しっかりとした弾力の米を、濃厚なチーズが包み込んでいた。
「おいひいれす……」
「それは良かった」
思わず彼女の肩の力が抜ける。どこか懐かしさを覚える優しい味だ。
少女の笑顔を見ながら、黒猫は冷たい牛乳を飲んでいた。
夕食後、幼女は食卓でノートを開き、黒猫は教科書を浮かせている。
「んじゃ、まず魔符についてにゃ。答えてくれた通り、魔法使いが肉体の一部……髪の毛一本くらいを代償に作った、一年は持続する魔法装置だにゃ。人魚族なんかは、鱗を使うこともある」
「ふんふん。じゃあ、半りゅう族もうろこを?」
「いや、そもそも、半竜族からは魔法使いが出たことがにゃい」
「えっ? そうなんですか?」
ふわりと空中に地図が広がる。
同じ形の大陸が上下に書かれ、上はそれぞれの国名が、下には『地下』と書かれていた。
「半竜族は他の種族とは違い、祖先は魔法生物の『竜種』のみ。主に北共和国で暮らしてるにゃ」
少女がノートを取り終わってから、黒猫は一つ質問をした。
「さて、ここで言う『のみ』という言葉と、魔法使いが産まれないことの関連性はわかるかにゃ?」
「え、えっとー」
「他の種族と、祖先という点で何が違う?」
「うーん…………あっ! ヒトがいないです!」
「正っ解!」
マスターは尻尾の先で花丸を描く。
「魔力を出力する臓器は、元々魔法生物の『ヒト』だけが持っていた。現在の種族の大元に彼らが混ざり、その血の先祖返りが魔法使いににゃるわけさ」
「えっと、たしか、ヒトはぜつめつしたんですよね?」
「そう。最後の一頭の死亡が、数十年前に確認されてる」
休憩を挟んで、次は読解の問題に取り掛かる。
リオは謎の『翻訳』で会話はできるが、識字は一からの状態であった。
記憶を失う前は、難しい読み書きすらもできていたと聞く。
孤児院も人手不足で、彼女への対応は疎かになっていた。
紅に拾われた後、店主の特訓によって、一ヶ月で長文が書けるようになったのだ。
住まわせてもらってることもあり、リオはマスターに頭が上がらない。
最も黒猫からは「そんにゃこと気にすんにゃ」としか言われないのだが。
「…………できたっ!」
「よしお疲れさん。採点しとくから休んでろ〜」
「はぁい」
ふと、少女の瞼が重たくなった。抗えない眠気に誘われて、こくりこくりと頭が上下する。
口からは無意識にあくびが漏れた。
ペンが紙に擦れる音を聞きながら、リオは眠りに落ちていった。
「んーリオ、ここ少し――お?」
堂々とした寝顔に苦笑して、マスターは青年を呼んだ。
夕飯の洗い物をしていた紅はすぐに飛んできた。
「寝てしまったか」
「そ、寝室に運んでやって。風呂前に起こせば良いでしょ」
「わかった」
幼女を優しく抱き上げる様子を見ながら、すっと黒猫は目を細めた。
「まだ諦めてないのにゃ。紅」
静かで控えめな声は、眠っているリオのためか、それとも青年への慈愛からか。
紅はゆっくりと、しかし明確に頷いた。
「好きにゃようにすると良い。でも、無理はほどほどに」
「わかっている……ありがとう」
少女の口の端からよだれが垂れる。
タオルでそっと拭いてから、彼は彼女を寝室へと運んで行った。
残された店主は体を大きく伸ばし、大げさにため息を吐く。
(……料理に関しては強情というかなんというか。それも若さ故かにゃ〜。うらやまし〜)
卓上で丸くなりながら、彼もまた大きなあくびをこぼした。




