表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/16

第二話・オムライスと古本屋(下)

 ――この世界は、東西南北の国に分かれている。


 東国、西国、南部諸島連合、北共和国。

 それぞれ異なる種族が暮らしており、また大陸の地下には、希少な魔法生物が生息しているという。


「ええと、その中だと、小人族は東国……であってます?」

「合っている。しかし、全体的に東国風というより、無国籍の創作料理が多いな」

「ええ、いつも楽しそうに書いておりました」


 老父は親指で目元を抑え、こう続けた。


「妻が亡くなったのは一昨年のことです。周囲の支えもあって、私もようやく立ち直れましたが、今年の頭に……驚くことがあったのです」

「おどろくこと?」

「うちの暖炉に――火竜の卵が現れたんですわ」

「り、りゅうのたまご??」


 少女が戸惑いながら紅を見上げると、くぐもった声が説明を始めた。


「魔法生物である竜の生態はよくわかっていない。ただ時折、様々な種族の居住区に、卵を置いていくことがある。幸福の暗示とも言われるているな」

「火竜は無事孵りましてなぁ、今はわしと同じぐらいですが、これからどんどん脱皮して、お嬢さんぐらいになったら空に飛び立つそうです」

「へぇー! ……す、すいません、じょうしきにうとくて」

「なぁに、長く生きとりますが、竜の卵は初めて見ましたよ」


 からからと笑ってから、ふと古本屋は背筋を伸ばす。

 ここからが本題のようだ。


「その竜が、悪気は無かったんでしょうがな、わしが棚の整理をしてる時、このレシピ本を突いてしまいまして」

「なるほど……お怪我は?」

「幸い火はすぐ収まりましたんで」


 レシピ本の表紙を優しく撫でて、老父はどこか諦めたような表情を浮かべていた。


 燃えて穴が空いてしまったのは『唐辛子とトリ肉』という料理のレシピだ。

 他のページと同様に、淡い色のイラストが添えられている。

 妻自身によるものだと古本屋は語った。


 しばしの沈黙の後、紅は重々しく口を開いた。


「こちらにできる限りのお手伝いはします」

「ほ、本当ですかい?」

「はい。ただし、条件が一つ」


 青年は指先を立てて、改まった調子で続ける。


「おすすめの本を数冊、買わせていただきます」


 小人はその申し出に、一拍おいてから笑顔で頷いた。



 古本屋は黒猫の背に乗って、手を振りながら去っていく。

 カウンターの上には紅茶代が置かれている。

 少女は小さくなる背中に向かって、丁寧に頭を下げた。


 本日最後の応対が終わり、ふと息をついた瞬間――ぐぎゅるるると元気な音が響いた。


「あっ」


 じわり、幼女の頬が熱くなる。

 慌てて抑えた腹は、構わず空腹の訴えを続けていた。


 そろそろと顔を上げれば、何かを堪えて震えている紅の姿があった。


「う、うぅ〜。こんなに大きく鳴らなくても……」

「今日も、忙しかったからな、当然のこと、だ、ふ、ふふっ」

「笑ってる! 笑ってるでしょう!」

「す、すまない。夕飯のリクエストでどうだろう」

「………………オムライスが食べたいです」


 幼い少女は両頬を不満げに膨らませている。

 青年は穏やかに目を細め、少女の頭を軽く撫でた。


 厨房の片付けを始めた彼を横目に、少女は布巾でテーブルを拭いていく。


 食堂【リトトルカ】は小さな店である。客用のカウンターとテーブルが二つ。

 店員も三名しかいない。


 少女は去年の冬、コックの紅に助けられ、この店のマスターに引き取られた子供だ。

 つまるところ店主の養子である。

 世話になってばかりでは心苦しいと、食堂の手伝いを申し出たのは彼女自身だった。


「んしょ、うんしょ」


 布巾をきつく絞り、椅子の掃除へと移る。

 店内の札──魔符の効果によって、服についた埃や汚れなどは残らない。

 しかし食事中にこぼした跡などは、手動で拭く必要がある。


 魔法はあくまでも補助装置。

 マスターがリオにそう教えてくれた。


「そういえば、マスターはいつもどってくるんでしょう?」

「第三区はすぐ隣だ。多分もうすぐ戻る」

「おや? 俺の噂かにゃ」


 黒い体がゆらりとカウンター上に現れる。

 音もなく歩く黒猫に、青年は慣れた様子で口を開いた。


「おかえりなさい。こちらもそろそろ終わる」

「お疲れさーん。ん? どうしたよリオ」

(び、びっくりした……帰ってたんだ)


 食堂【リトトルカ】の店主は、不敵な笑みを浮かべるこの化け猫だ。




 居住スペースの台所で、紅はマスクを付け直した。

 彼の目の前には、ケチャップライスを炊いている小鍋がある。

 具はタマネギとベーコンで、ベーコンは事前に炒めておいた。


「リオは紅のオムライス初めてだにゃ?」

「はい。楽しみです!」


 二名の嬉しそうな声を背に、青年はオムレツを作り始めた。

 まず泡立て器で卵を混ぜながら、塩胡椒で下味をつける。

 混ざりきったところで、ザルで液を漉していく。大事な一手間だ。

 フライパンの上でバターを溶かし、滑らかな卵液を一気に流し込む。そしてフライパンを揺すりながら、まんべんなく木ベラでかき混ぜる。


(……これぐらいか)


 卵が半熟になったのを見て、紅はフライパンを濡れ布巾の上に移した。

 少し冷ましてから徐々に折り畳み、成型したところで一度裏返し、強火にかけて折り目を固める。


 炊き上がったケチャップライスを皿に盛って、柔らかなオムレツを乗せれば、オムライスの完成だ。


 三皿分作り終えた頃には、卓上の準備は整っていた。

 堪えきれず足をぱたぱたさせる少女の前に、一番綺麗にできた皿を置いて、青年は慎重にマスクを外した。


「どうぞ、食べてくれ」

「いただきます!!」

「いただきま〜す」


 リオはそぅっと黄金色にナイフを這わせる。

 途端、オムレツがご飯を包むように開いていった。


(タンポポオムライスってやつだ……!)


 少女は唾を飲み込んで、スプーンで卵とご飯をすくい上げる。

 思い切って一口で舌に預ければ、まずトマトの風味が、次いでとろりとした卵の食感が口一杯に広がった。

 熱さにひるみながら咀嚼すると、程よい塩気のベーコンに、甘いタマネギまで加わった。


 こくりと細く薄い喉が上下する。


「すっっ……ごく美味しいです!!」

「それは良かった」

「よく熱々で食べられるにゃあ」


 リオは匙を止められないまま、あっという間に半分まで胃袋に収めてしまう。

 温かな満足感に包まれて、リオはコップを傾ける。


 不意に、窓の外から笑い声が聞こえてきた。


「お、講義が終わる時間かにゃ」

「上の学生さんたちですね」


 ここは西国の中心部に位置する、斜面に作られた町──オーストン。

 高さで区が別れており、一番上の第一区には有名な大学がある。

 ちゃんとした名前があるのだが、その長さから俗に「オーストン学園」と呼ばれていた。


 楽しげに語らう声音を聞き、幼い少女は小さく呟いた。


「……いいなぁ」


 彼女は年齢だけなら初等教育の真っ最中に当たる。

 しかし、学園の付属小学校には通っていない。


 寂しそうに外を眺めるリオに黒猫が口を開いた。


「ところでリオ、宿題の進みはどうだ? 明日採点するからにゃ?」

「う、うぐぅっ」

「わからなかったところは聞けば良い。気にするな」

「は、はい……」


 ほぼ半分白紙のノートを思い出して、リオは視線を泳がせた。




 満月が昇る夜。

 リオは明かりを片手に廊下を進んでいく。

 鬼灯型の布地には、魔符と同じ六角形が描かれている。火災を防止するためだ。


 目的地の洗面所に着くと、明かりを壁にかけて、少女は置いてあったたらいに手を入れた。


「あ、あちっっ! 水、水!」


 脇にある蛇口をひねり、水で湯を薄めていく。

 その間に、リオは給仕服から寝巻きへと着替えた。


(水回りがしっかりしてるとべんりだなぁ。さすがに、じゃぐちからお湯は出ないけど)


 着替えの途中、ふとリオは鏡に目をやった。

 彼女は猿系の獣人族である。

 本来ならば退化した短い尾があるのだが、どう見ても彼女の体には見受けられない。


 リオのような獣人は「オナシ」と呼ばれ、あまり良い扱いはされなかった。遺伝的な疾患がオナシの理由だからだ。


 この町は学園の啓蒙によって、オナシへの差別心は少ない方だ。

 外を歩いていて石を投げられることもない。

 そのことも含め、彼女は自分を拾ってくれた紅、そして受け入れてくれた店主に感謝している。




 顔と髪を洗い終えて、リオはベッドに転がった。

 まっすぐな金髪がシーツの上に広がる。


「ふぃー。さっぱりしたぁ」


 しばらく毛布を堪能してから、彼女は渋々とノートを開いた。

 そこにはマスターの丁寧な文字で、解説と問題文が並んでいる。


「『魔法とは、魔力によって空気にえいきょうをあたえる方法のことで、魔力自体はどの生物も持っている。しかし魔法を使えるのは、魔力を出力できる魔法使いだけである』……えっと、問題は『では魔符とは何か。知ってるはんいで答えよ』……」


 初等用の教科書を広げながら、リオは懸命に鉛筆を動かした。

 基礎知識に抜けが多く、辞書を引きつつなんとか解答を練るため、簡単な問題でもどうしても時間がかかってしまう。


 三十分ほどすると、鉛筆の線が掠れ始めた。

 体を起こして小刀を探る際に、壁掛け時計が目に飛び込む。すでに眠気は限界に近い。


「うーん……もうねよう! さいごまでやったもんね、一応」


 明かりの火を吹き消し、少女は布団に体を滑り込ませた。

 春先とはいえ夜中は少し肌寒い。


(昔も今も、べんきょうは苦手みたいだなぁ。嫌いではないんだけど)


 脳裏に、先程の小人の姿が浮かぶ。

 立ち直れたと語る老父は、少女から見ると、まだどこか寂しそうだった。


(おくさんの料理、わかるといいな)


 真面目な表情のまま、くるくると丸い腹が声を上げる。

 思わずリオの口から苦笑がこぼれた。


「どこにいても、おなかがすくのは変わんないや」



 彼女には前世の記憶がある。



 前世では、この世界の住民は皆物語上の存在であった。

 かつての名前は理央。

 偶然にも、今と同じ響きだ。


 理央は日本という国で、恵まれた穏やかな家庭に育ち、十九歳でその命を落とした。

 それを全て思い出した八つの時、リオは高熱で倒れ、代償にこの世界で生きていた頃の記憶を失った。


 一欠片も残らず欠け落ちたのだ。


 食堂に来る前、リオは小さな孤児院で暮らしていた。

 院長から聞いた話だと、両親は地震で亡くなったそうだ。


 オナシのため、嫌な目に合うこともあった。

 しかし何より辛いのは、幸せな異世界の記憶と、今の自分を比較してしまうことだった。


 理央が家族と手を繋ぎ、自然に語らい、時には喧嘩する記憶。

 それらを否応無く直視させられるたびに、少女の胸にどろりとした感情が浮かび上がる。


 自分は食卓を囲むことも叶わなかったのに、と。



(……でも、今は、コウさんとマスターがいるもの)


 家族と呼ぶにはまだ気恥ずかしいが、大切な人達であることに変わりはない。

 リオは熱くなった顔を布団で覆った。


(ふたりに嫌われたくない。まだ、わたしはここにいたい)



 ――だから、良い子にならないと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ