第二話・オムライスと古本屋(下)
――この世界は、東西南北の国に分かれている。
東国、西国、南部諸島連合、北共和国。
それぞれ異なる種族が暮らしており、また大陸の地下には、希少な魔法生物が生息しているという。
「ええと、その中だと、小人族は東国……であってます?」
「合っている。しかし、全体的に東国風というより、無国籍の創作料理が多いな」
「ええ、いつも楽しそうに書いておりました」
老父は親指で目元を抑え、こう続けた。
「妻が亡くなったのは一昨年のことです。周囲の支えもあって、私もようやく立ち直れましたが、今年の頭に……驚くことがあったのです」
「おどろくこと?」
「うちの暖炉に――火竜の卵が現れたんですわ」
「り、りゅうのたまご??」
少女が戸惑いながら紅を見上げると、くぐもった声が説明を始めた。
「魔法生物である竜の生態はよくわかっていない。ただ時折、様々な種族の居住区に、卵を置いていくことがある。幸福の暗示とも言われるているな」
「火竜は無事孵りましてなぁ、今はわしと同じぐらいですが、これからどんどん脱皮して、お嬢さんぐらいになったら空に飛び立つそうです」
「へぇー! ……す、すいません、じょうしきにうとくて」
「なぁに、長く生きとりますが、竜の卵は初めて見ましたよ」
からからと笑ってから、ふと古本屋は背筋を伸ばす。
ここからが本題のようだ。
「その竜が、悪気は無かったんでしょうがな、わしが棚の整理をしてる時、このレシピ本を突いてしまいまして」
「なるほど……お怪我は?」
「幸い火はすぐ収まりましたんで」
レシピ本の表紙を優しく撫でて、老父はどこか諦めたような表情を浮かべていた。
燃えて穴が空いてしまったのは『唐辛子とトリ肉』という料理のレシピだ。
他のページと同様に、淡い色のイラストが添えられている。
妻自身によるものだと古本屋は語った。
しばしの沈黙の後、紅は重々しく口を開いた。
「こちらにできる限りのお手伝いはします」
「ほ、本当ですかい?」
「はい。ただし、条件が一つ」
青年は指先を立てて、改まった調子で続ける。
「おすすめの本を数冊、買わせていただきます」
小人はその申し出に、一拍おいてから笑顔で頷いた。
古本屋は黒猫の背に乗って、手を振りながら去っていく。
カウンターの上には紅茶代が置かれている。
少女は小さくなる背中に向かって、丁寧に頭を下げた。
本日最後の応対が終わり、ふと息をついた瞬間――ぐぎゅるるると元気な音が響いた。
「あっ」
じわり、幼女の頬が熱くなる。
慌てて抑えた腹は、構わず空腹の訴えを続けていた。
そろそろと顔を上げれば、何かを堪えて震えている紅の姿があった。
「う、うぅ〜。こんなに大きく鳴らなくても……」
「今日も、忙しかったからな、当然のこと、だ、ふ、ふふっ」
「笑ってる! 笑ってるでしょう!」
「す、すまない。夕飯のリクエストでどうだろう」
「………………オムライスが食べたいです」
幼い少女は両頬を不満げに膨らませている。
青年は穏やかに目を細め、少女の頭を軽く撫でた。
厨房の片付けを始めた彼を横目に、少女は布巾でテーブルを拭いていく。
食堂【リトトルカ】は小さな店である。客用のカウンターとテーブルが二つ。
店員も三名しかいない。
少女は去年の冬、コックの紅に助けられ、この店のマスターに引き取られた子供だ。
つまるところ店主の養子である。
世話になってばかりでは心苦しいと、食堂の手伝いを申し出たのは彼女自身だった。
「んしょ、うんしょ」
布巾をきつく絞り、椅子の掃除へと移る。
店内の札──魔符の効果によって、服についた埃や汚れなどは残らない。
しかし食事中にこぼした跡などは、手動で拭く必要がある。
魔法はあくまでも補助装置。
マスターがリオにそう教えてくれた。
「そういえば、マスターはいつもどってくるんでしょう?」
「第三区はすぐ隣だ。多分もうすぐ戻る」
「おや? 俺の噂かにゃ」
黒い体がゆらりとカウンター上に現れる。
音もなく歩く黒猫に、青年は慣れた様子で口を開いた。
「おかえりなさい。こちらもそろそろ終わる」
「お疲れさーん。ん? どうしたよリオ」
(び、びっくりした……帰ってたんだ)
食堂【リトトルカ】の店主は、不敵な笑みを浮かべるこの化け猫だ。
居住スペースの台所で、紅はマスクを付け直した。
彼の目の前には、ケチャップライスを炊いている小鍋がある。
具はタマネギとベーコンで、ベーコンは事前に炒めておいた。
「リオは紅のオムライス初めてだにゃ?」
「はい。楽しみです!」
二名の嬉しそうな声を背に、青年はオムレツを作り始めた。
まず泡立て器で卵を混ぜながら、塩胡椒で下味をつける。
混ざりきったところで、ザルで液を漉していく。大事な一手間だ。
フライパンの上でバターを溶かし、滑らかな卵液を一気に流し込む。そしてフライパンを揺すりながら、まんべんなく木ベラでかき混ぜる。
(……これぐらいか)
卵が半熟になったのを見て、紅はフライパンを濡れ布巾の上に移した。
少し冷ましてから徐々に折り畳み、成型したところで一度裏返し、強火にかけて折り目を固める。
炊き上がったケチャップライスを皿に盛って、柔らかなオムレツを乗せれば、オムライスの完成だ。
三皿分作り終えた頃には、卓上の準備は整っていた。
堪えきれず足をぱたぱたさせる少女の前に、一番綺麗にできた皿を置いて、青年は慎重にマスクを外した。
「どうぞ、食べてくれ」
「いただきます!!」
「いただきま〜す」
リオはそぅっと黄金色にナイフを這わせる。
途端、オムレツがご飯を包むように開いていった。
(タンポポオムライスってやつだ……!)
少女は唾を飲み込んで、スプーンで卵とご飯をすくい上げる。
思い切って一口で舌に預ければ、まずトマトの風味が、次いでとろりとした卵の食感が口一杯に広がった。
熱さにひるみながら咀嚼すると、程よい塩気のベーコンに、甘いタマネギまで加わった。
こくりと細く薄い喉が上下する。
「すっっ……ごく美味しいです!!」
「それは良かった」
「よく熱々で食べられるにゃあ」
リオは匙を止められないまま、あっという間に半分まで胃袋に収めてしまう。
温かな満足感に包まれて、リオはコップを傾ける。
不意に、窓の外から笑い声が聞こえてきた。
「お、講義が終わる時間かにゃ」
「上の学生さんたちですね」
ここは西国の中心部に位置する、斜面に作られた町──オーストン。
高さで区が別れており、一番上の第一区には有名な大学がある。
ちゃんとした名前があるのだが、その長さから俗に「オーストン学園」と呼ばれていた。
楽しげに語らう声音を聞き、幼い少女は小さく呟いた。
「……いいなぁ」
彼女は年齢だけなら初等教育の真っ最中に当たる。
しかし、学園の付属小学校には通っていない。
寂しそうに外を眺めるリオに黒猫が口を開いた。
「ところでリオ、宿題の進みはどうだ? 明日採点するからにゃ?」
「う、うぐぅっ」
「わからなかったところは聞けば良い。気にするな」
「は、はい……」
ほぼ半分白紙のノートを思い出して、リオは視線を泳がせた。
満月が昇る夜。
リオは明かりを片手に廊下を進んでいく。
鬼灯型の布地には、魔符と同じ六角形が描かれている。火災を防止するためだ。
目的地の洗面所に着くと、明かりを壁にかけて、少女は置いてあったたらいに手を入れた。
「あ、あちっっ! 水、水!」
脇にある蛇口をひねり、水で湯を薄めていく。
その間に、リオは給仕服から寝巻きへと着替えた。
(水回りがしっかりしてるとべんりだなぁ。さすがに、じゃぐちからお湯は出ないけど)
着替えの途中、ふとリオは鏡に目をやった。
彼女は猿系の獣人族である。
本来ならば退化した短い尾があるのだが、どう見ても彼女の体には見受けられない。
リオのような獣人は「オナシ」と呼ばれ、あまり良い扱いはされなかった。遺伝的な疾患がオナシの理由だからだ。
この町は学園の啓蒙によって、オナシへの差別心は少ない方だ。
外を歩いていて石を投げられることもない。
そのことも含め、彼女は自分を拾ってくれた紅、そして受け入れてくれた店主に感謝している。
顔と髪を洗い終えて、リオはベッドに転がった。
まっすぐな金髪がシーツの上に広がる。
「ふぃー。さっぱりしたぁ」
しばらく毛布を堪能してから、彼女は渋々とノートを開いた。
そこにはマスターの丁寧な文字で、解説と問題文が並んでいる。
「『魔法とは、魔力によって空気にえいきょうをあたえる方法のことで、魔力自体はどの生物も持っている。しかし魔法を使えるのは、魔力を出力できる魔法使いだけである』……えっと、問題は『では魔符とは何か。知ってるはんいで答えよ』……」
初等用の教科書を広げながら、リオは懸命に鉛筆を動かした。
基礎知識に抜けが多く、辞書を引きつつなんとか解答を練るため、簡単な問題でもどうしても時間がかかってしまう。
三十分ほどすると、鉛筆の線が掠れ始めた。
体を起こして小刀を探る際に、壁掛け時計が目に飛び込む。すでに眠気は限界に近い。
「うーん……もうねよう! さいごまでやったもんね、一応」
明かりの火を吹き消し、少女は布団に体を滑り込ませた。
春先とはいえ夜中は少し肌寒い。
(昔も今も、べんきょうは苦手みたいだなぁ。嫌いではないんだけど)
脳裏に、先程の小人の姿が浮かぶ。
立ち直れたと語る老父は、少女から見ると、まだどこか寂しそうだった。
(おくさんの料理、わかるといいな)
真面目な表情のまま、くるくると丸い腹が声を上げる。
思わずリオの口から苦笑がこぼれた。
「どこにいても、おなかがすくのは変わんないや」
彼女には前世の記憶がある。
前世では、この世界の住民は皆物語上の存在であった。
かつての名前は理央。
偶然にも、今と同じ響きだ。
理央は日本という国で、恵まれた穏やかな家庭に育ち、十九歳でその命を落とした。
それを全て思い出した八つの時、リオは高熱で倒れ、代償にこの世界で生きていた頃の記憶を失った。
一欠片も残らず欠け落ちたのだ。
食堂に来る前、リオは小さな孤児院で暮らしていた。
院長から聞いた話だと、両親は地震で亡くなったそうだ。
オナシのため、嫌な目に合うこともあった。
しかし何より辛いのは、幸せな異世界の記憶と、今の自分を比較してしまうことだった。
理央が家族と手を繋ぎ、自然に語らい、時には喧嘩する記憶。
それらを否応無く直視させられるたびに、少女の胸にどろりとした感情が浮かび上がる。
自分は食卓を囲むことも叶わなかったのに、と。
(……でも、今は、コウさんとマスターがいるもの)
家族と呼ぶにはまだ気恥ずかしいが、大切な人達であることに変わりはない。
リオは熱くなった顔を布団で覆った。
(ふたりに嫌われたくない。まだ、わたしはここにいたい)
――だから、良い子にならないと。




