第十一話・遠き故郷と、
涙を堪えて顔を赤くする少女を、黒猫の魔法使いは静かに眺めている。
その胸にあるのは、幼い少女への罪悪感。
×××
十年前、トモリ街付近の集落でのこと。
「こっちです! 担架を早く!」
本震の数時間後、救助隊の増援が遅れており、住民を交えての救助活動が進められていた。
校外学習に訪れていたオーストン学園の生徒も、軽傷の患者への治療等で貢献している。
魔法使いは原則として、自分に対してと、私有地以外での魔法の行使は認められていない。
このような緊急時は特例となるが、生徒達はまだ見習いの身。
重たい瓦礫の浮遊などは困難だった。
そんな時、茂みからがさりと音がした。
最初に気がついたのは、兎系と犬系の獣人だ。
「――魔法生物だ! でかいぞ!!」
「みんな気をつけて!」
「こんな時にっ……」
天災による混乱で、普段なら地上に来ない生き物が、ひどく興奮した状態で出現することがある。
生徒達は住民の前に移動し、簡易的な隊列を組んだ。
額に伝う汗がやけに冷たい。
獰猛な雄叫びが響いた直後、みしみしと木々が倒れ始める。
すぐに木の影は消え、それの姿が露わになった。
青色がかった鋭い体毛、足元の石を簡単に砕く蹄、そして血走った黒い瞳。
現れた六本足の大猪は、経験の浅い一年生に狙いを定める。
(は、早いっ)
迫る巨体に腰が抜けた瞬間、その女生徒は時が止まったような気がした。
鋭い牙が空を切る。
しかしその狙いは逸れ、大猪はすぐそばの岩を砕き散らした。
猪自体にも原因はわからず、混乱する頭上に、何かの影が現れた。
「よぉ」
逆立つ毛並みに、尖った靴の踵が食い込む。
「遊んでやろうか」
長い黒髪が翻り、赤いインナーカラーが覗いた。
大猪が体を大きく揺らすのに合わせて、彼はひらりと地面に降りる。
スカートの裾に付いたフリルが空に広がった。
彼はそのまま腰のポーチから魔符を取り出す。
様子を伺っているのか猪は動かない。
仮面で隠されていて、男性の表情は読めなかった。
パニエから垂れ下がる黒猫の尻尾の先が、バリバリと二股に別れる。
それを合図に大猪は突進し、長髪の男性は全方位に符を投げた。
「――法式解除」
土に触れた魔符から風の縄が伸びる。
それは絡み合い、猪を囲むように檻が組み上がる。
暴れる獣の身体を覆い、それはその場に固定された。
魔法の檻はふわりとその場に浮かんでいる。
無理に地面を蹴って、大猪の足が傷つかないようにするためだ。
呆気に取られていた生徒達は、次々に安堵の表情を浮かべた。
「せ、先生〜!」
「待ってましたぁ〜」
「はいはい。住民の救助優先。手伝って来い」
促されるままに生徒が振り返ると、先程まで道を塞いでいた瓦礫の全てが――軽々と浮遊していた。
思わず女生徒は両目を見開いた。
(さっき飛ばした魔符……これのためだったのか)
「俺はもう少し奥地に行ってくるから、全員無理はせず、集合は正午に駅前。良いにゃ?」
『了解!』
「良し」
満足そうに微笑んで、魔法実学の講師は走り出した。
その背中は突風のように見えなくなってしまう。
救助活動に戻った学生の一人は、ふととある魔符に目が止まった。
(これ、なんだろう。見たことない)
瓦礫から引き出された住民や、軽症で済んだ患者にも貼られているようだ。
生徒は首をひねりつつも、それが講師の物だとわかって、間違えて剥がさないように周囲に呼びかけた。
一方、街の郊外にある別の集落。
山道を駆け抜けながら、男性は経口魔力補給液を飲み下す。
(くそっ、もっと魔符を持ち歩いとくんだった!)
クラッシュ症候群が疑われる者には、血液浄化用の符を貼ったりと、想定外の事態でかなり消耗していた。
ポーチから魔符を取り出し、少し悩んでから、自分の胸に叩きつけるように貼った。
一時的な身体強化と疲労回復用の物だ。
さらに移動速度を上げ、道中も救助と治療を続ける先で、彼はとある一軒の住居にたどり着いた。
そこはすでに倒壊しており、中の様子を確認しようと近づいた時――
「ぅ……」
「!? おいっ! 救助に来た!」
瓦礫の隙間から呼びかけると、女性の声がした。
「ぁか、ちゃ……んを」
暗い隙間の奥から、眠っている赤ん坊が押し出される。
慌てて腕を伸ばして受け取った。袖が少し破れたが、そんなことはどうでも良かった。
赤子のくしゃくしゃの顔からして、泣き喚いていたのをずっとあやしていたのだろう。
「受け取った。大丈夫。この子に怪我は無い」
「ぁ、ぃぐぁとぅ……」
「待ってろ。今瓦礫をどか」
隙間から中を再度覗いた彼は、それが無意味なことだと悟る。
女性の上には、彼女を庇うように男性が覆い被さっており、両者共に柱で腹部を貫かれていた。
男の方はすでに息が無い。
くすんでいく瞳で、彼女は表情を歪ませた。
「よかっ、ぁた」
――「あいしてる」と口を動かして、赤子を見つめながら、女性は命の火を消した。
避難所の簡易テントは狭く、仮面の男は赤ん坊を抱っこしながら、避難者の列に並んでいた。
「ぅぃむっ」
「……あ、起きちゃったか〜」
ぎょっとした様子で固まり、幼子は黒猫の面をぺちぺちと叩く。
泣き出さなかったことにホッとして、男性はぼんやりと思った。
(当たり前だけど、戦争以外でも命は尽きるんだよにゃ)
慣れない手つきで赤ん坊を揺らしながら、彼は静かに昔のことを考えていた。
魔法使いに制限が生まれたのは、かつてあった大戦のためだ。
鎖国中だった東国を除く三国が、百年かけて争い、多くの爪痕の残した戦争があった。
そんな時代に「黒の猫鬼」と呼ばれた兵士がいた。
北風のように現れて、硝煙と共に去っていく。
たなびかせた黒髪を返り血で染めた、常勝無敗の死神。
北国の防衛の要だった彼は、国外でも自国でも恐れられていた。
女と見まごうしなやかな容姿で、常に変化体で仮面をつけて過ごしていたという。
種族は猫又とも、猫系の獣人だとも、明言されぬまま戦争は終わった。
王政だった北国で革命が起き、共和制になったのがきっかけだ。
(ま、この子の世代からすれば、お伽話みたいなもんだろうさ)
そう自嘲するように笑って、彼は恐る恐る幼子をあやした。
国を守るために戦い、そう命じた国が消えてから、男はずっと居場所を探している。
職場の学園とはまた別の、帰る家を求めているのだ。
赤子と同じく、彼も親を亡くしている。
そのためか、どうもこの子供の行く末が気になってしまった。
「お前は危ない道に行っちゃダメだぜ〜」
「ぁぶぶっ」
「何言ってるかわかんねって顔だにゃあ」
列は徐々に短くなり、彼らは避難所の中に入ることができた。
不意に、羊の獣人が声をかけてくる。
「あの……貴方のお子さんですか?」
警戒心を隠さずに男性は口を開く。
「いえ。ご両親が亡くなったので、避難所に連れて来ただけですが」
「あぁ、そうだったんですね」
悲しそうに目を細めて、彼女は言葉を続けた。
「その子、私に預けては頂けませんか」
「……はぁ??」
「実はこういう施設を運営しておりまして」
差し出された紙をちらりと見て、仮面の男は小首を傾げる。
「孤児院?」
「はい。これまで孤児は、親戚や地域の長が面倒を見るのが通例でした。しかしそれによって、スラムや人身売買に流れる子供達も少なくありません」
「それで、あなたが引き取って育てようって?」
「はい。正確には私だけではなく、成人したら就職を機に施設を抜け、また相性の良い育て親志望がいたら引き合わせたりします。まだ三軒しかありませんが、私どもはこの活動を広めていけたらと思っています」
呼吸の早さから、嘘は言っていないことはわかった。本当に善意でやっているらしい。
(いろんなことを考えるもんだ……)
実際このトモリ街は大打撃を受けている。つきっきりで子供達の面倒を見るのは難しい。
それが保護者のいない孤児となれば尚更だ。
(俺も子供のことは詳しくにゃいしにゃ)
ぱちくりと目を瞬かせる赤子に、男は仮面越しにぎこちなく微笑んでから、獣人の女性に子供を受け渡した。
その時、赤子の身体的特徴に気づいたのだろう。
微かな声で女性が「可哀想に」と呟いたのが聞こえた。
男性は、なぜかそれに苛立った。
先程出会ったばかりの、自分が両親を救ってやれなかった子供に、どうしてそうまで肩入れするのかはわからない。
女性の言葉は、悪意の無い同情心によるものだ。
それは仮面の男にもわかった。
わかったからこそ、苛立ったのかもしれない。
別れる前に、名前をつけてやって欲しいと頼まれた。
名付けなどしたことがなく、戸惑いながら自分の名前と、今の居住地の頭文字を繋げた。
「……リオ」
「リオ。古語で『食卓』ですね。暖かい名前」
(そこまで考えてにゃいんだが)
他にも数名の子供達を乗せて、馬車が遠ざかっていく、
ふと時計を確かめると、もうすぐ正午になるではないか。
講師は慌ててトモリ駅へと向かった。
歩きながら彼の姿は猫に変わっていく。
しかし、それに周囲が気づく様子は無かった。
黒猫は傷ついた人々や建物を通り過ぎていく。
どうしてか、あの赤子の顔が脳裏から離れない。
食卓と名付けた、確かに親に愛された子供のことが。
(……もうそろそろ隠居するし。そしたら、飯屋でもやるかにゃ)
それにはコックを探さねばと考えながら、黒猫は海辺の街を駆けて行った。
×××
ガタゴトと汽車の席が揺れる。
店主がぱちりと目を開ければ、正面に座った二人は眠っていた。
リオの方に至っては紅の腕にもたれかかっている。
独り黒猫は思う。
これを運命と言うのだろうか、と。
青年が小さく寝言を呟いている。
その美しい鱗を眺めて、マスターは穏やかに微笑んだ。
病気のことで暴言を吐かれ、作った料理を投げつけられているところを拾ったのが、彼との出会いだった。
自分がマスクを渡した時、世界が変わったようだと話す姿に、黒猫は確かに救われたのだ。
己のような戦うしか能の無い者でも、誰かを助けることができる。
それがどれ程、自分の息を楽にしたか。
紅は知りもしないだろう。
(……その紅がリオを助けるとはにゃ。とんだ連鎖があったもんだ)
帰る先まではまだ遠く、黒猫も静かに丸くなった。
当たり前に温かい食事があって、当たり前にそれの味がする。
そんな食卓を己が囲む日が来るとは、おそらくここにいる全員が思ってもみなかった。




