第十話・ポトフと消せない記憶(下)
海辺の街だけあって、住民の大半は人魚族だ。
水中に半分沈んだような住居が並んでおり、陸地部分は橋でつながっている。
ホームから出てすぐに、観光客へのお土産屋が軒を連ねていた。
歌姫からもらった地図を片手に、一行はトモリ街を散策していく。
(偶然の出会いってやっぱりあるのかも)
彼女の実家が塩の生産工場だと聞かされた時は、思わず三人とも自分の耳を疑った。
しばらく歩くと、小さな町工場が見えてきた。事前連絡の通り裏口から呼びかける。
「すいませーんっ!」
「食堂【リトトルカ】の者です」
「にゃ」
奥からぱしゃりと音がして、褐色肌の人魚が姿を見せる。
「おぅ! 待ってましたよ」
歌姫の父親である工場長が、豪気な笑顔を浮かべていた。
塩の副産物というのは「にがり」のことであった。
海水から塩の結晶を取り除いた際に、残される液体部分のことだという。
工場長によると、料理のアク取り用として、昔からご近所に売っているそうだ。
「あんたらみたいに、他所から買いに来るのは珍しいですがな」
「珍しいということは、買う方は他にもいたんですか?」
「ええ。昔から塩と一緒に買ってくださる小人族の方がいましたよ」
その言葉に三人はぴくりと反応した。
もしその小人族が、古本屋の亡き妻だとしたら、豆腐を作った可能性がぐっと高くなる。
燃えたレシピの再現が確実なものになるのだ。
買い値の相談をするということで、リオは隣にあった飴屋に行くことになった。
道中凝視していたのが青年にバレていたらしい。
「おじゃましました」
ぺこりと人魚に頭を下げる。男性は朗らかに声をかけてきた。
「お手伝いで来たのか? 偉いなぁ嬢ちゃん、ヒトデでも食うか?」
「ヒトデ??」
「うちの小さいのをからかわにゃいでくれ。まだ時期が早いだろ」
(た、食べれはするんだ……)
飴屋の店主である、人魚族の青年が少女に微笑みかける。
「いらっしゃい」
「あの、あめ細工……猫のやつをくださいっ」
「少々お待ちくださいね」
慣れた手つきで、店主は砂糖を溶かし始めた。
魔法で塊を一つちぎり取って、棒の先に巻きつける。
まだ熱い透明な内に、ハサミを駆使して形を整えていく。
「柄は何にしましょうか」
「うーん。黒猫で!」
丁寧な色付けが終われば、赤い首輪の黒猫がちょこんと座っていた。
猫の形の飴細工を舐めていると、ふと少女の目に大きな石碑が止まった。
先ほど来た時は気づかなかったが、何やら文章が刻まれている。
(なんだろう)
近寄って読んでみるも、まだ習っていない文字が多く、いまいち内容が読み解けない。
「地……波……?」
小首を傾げた幼女の後ろで、黒猫が尻尾を揺らした。
「『地震と津波で亡くなった死者達への哀悼の意を表明する』って書いてあるにゃ」
「マスター! 終わったんですか?」
「一応まとまったぜ。先に抜けて来たんだ」
石碑を見上げながら、店主は言葉を続けた。
「十年前、この近辺で大地震が起きてにゃ。トモリ街の特徴的な構造は、人魚族に合わせてるのもあるが、一度陸地の建物がほとんど崩れて流されたってのが大きい」
普段と違って、静かで優しい声音だ。リオは改めて周囲を見渡す。
陽気な港街が抱える傷跡は、きっとまだ消えてはいないのだろう。
その瞬間――奇跡は起きた。
『ねぇ、名前の候補は決めてくれた?』
甘やかな女性の声が、耳元を通り過ぎて行く。
思わず振り向けば、そこには赤ん坊を抱えて橋を渡る男女の姿。
しかし彼らの体はなぜか透き通っていた。
知らないはずの光景に、幼女の直感が叫ぶ。
――これはわたしの記憶だ。
前世の十九年分に入れ替わられてしまった、本来なら取り戻す術の無い、その一欠片。
それならば、今この視界に写っているのは、
(……わたしの両親?)
『それが全然絞れないんだ。どれもこの子には足りない気がして』
『気持ちはわかるけど、そろそろ決めないと』
『わかってるよ。ジャーダ』
『あ、笑った』
『えっ!!』
男は慌てて手元を見るが、赤子はあむあむと唇を動かしているだけだった。
見逃してしまったことがショックなのか、わかりやすく落ち込んでいる。
『これからいくらでも見れるわよ、紫蘭』
『うぅ、そうだよね。これから、たくさん笑顔になることが、この子に起きると良いな』
『本当に……愛してるわ。私達の宝物』
白昼夢のように彼らの光景は霧散する。
呆然と立ちながら、リオは指先を震わせた。
そうだ。
孤児院の院長から聞かされたことがある。
彼女の両親は地震で亡くなったのではなかったか。
「マスター」
「うん?」
「なくなった方達は、どこに、まいそうされたんですか」
「……ここから少し行った所にある、集合墓地だ。火葬式で、人魚族以外はそこに埋められる」
少女の焦りが滲んだ表情に、黒猫は穏やかに返す。
「行くか?」
数秒、ほんの数秒だけ幼女は俯く。
青年が工場から出てきた時、彼女は懇願するような顔で、力強く首を縦に振った。
墓地は他に誰もおらず、しんと静まり返っていた。
紅とマスターは出入り口のところから、リオのことを見守っている。
(ジャーダと、シラン……ジャーダと……)
墓標に書かれた名前を一つずつ確認していく。
本当なら管理者に聞いた方が早いのだが、ただ彼女自身がそうしたかった。
数列程歩いたところで、細い足が止まった。
(あっ)
どうやら彼らは同じ墓に入ったらしい。
今日初めて知った名前をじっと見つめて、リオはぽつぽつと話し出した。
「えっと、こんにちは、お父さん、お母さん」
それはどうも馴染みのない響きだった。
「わたし、今日までちゃんと生きていました……親に『ました』って変なのかな。今はね、紅さんとマスターにお世話になってて、あっ、紅さんってい、うのは、ね……」
徐々に言葉は尻すぼみ、少女は眉根を寄せて、片手の袖を握りしめる。
じわりと喉の奥から一つの言葉だけがせり上がった。
「――会いたかった。会いたかった。会いた、かった。あいたかった、のにっ!」
弱々しい、建前抜きの台詞を、小さな体は繰り返す。
どれだけ記憶の蓄積があろうとも、彼女はまだ十歳の子供でしかなかった。




