第九話・ポトフと消せない記憶(上)
「え〜? そんなぁ」
兎の獣人が残念そうに肩を落とす。
その後ろで、ボールで遊んでいた少女が、ふさふさの尻尾を揺らした。
「なにちてるのぉ?」
「ん? お〜! 一昨日うちに来られたお客様! ワンピースとジャケットの合わせ方が素敵ですね〜。さすがっ」
「そうでちょ」
自慢げにポーズを取る少女をはやし立ててから、服屋の店長は小さな黒板を見やった。
食堂【リトトルカ】の看板を兼ねたそこには、『本日:臨時休業』の文字がある。
「すごーいっ!」
両目を輝かせて、リオは窓に頬をぶにっと押し付ける。
けたたましい音を立てながら、蒸気機関車が暗いトンネルから出た。
山と山の間に集落や湖が覗く。
大陸の東西を横断する汽車は、海辺の街・トモリを目指し、その黒い巨体を進めていた。
新聞を読んでいた青年が、幼女に笑いかける。
「トンネルは抜けた。窓を開けても大丈夫だ」
「本当?!」
興奮してるためか、いつもの敬語も忘れて、金髪の幼女は窓枠に手をかけた。
重たいそれにしばし奮闘し、なんとか半分まで押し上げる。
冷たい風が少女の顔に吹き付けた。
「ふわっ……すずしい……」
「席が空いてて幸運だったにゃ」
「全く」
不意に、三名の耳に明るい声が届く。
鳥系の獣人がワゴンを運んで来たのだ。
「お弁当にお茶、コーヒーはいかがですか?」
「すいません。メニューを下さい」
「はいどうぞ。良い旅を」
「ありがとう」
紅は受け取った紙面を、少女と黒猫に見えるように広げた。
「一応スープは作って来たが、量は無いから弁当を買った方が良い」
「うぅどうしよう」
「ん〜、俺はコーヒーとツナサンド」
「オレはから揚げ弁当で」
「お、お二人とも、決めるのが早いです……」
困ったように眉根を寄せていたリオは、ハッとある物に気が付いた。
華奢な指先でメニュー表を指差す。
「のりべん! のりべん下さいっ!」
「はい。トモリ街の海苔を使用しておりますよ」
彼らの目的地を上げ、車掌は笑顔で駅弁を差し出した。
支払いを済ませて、食堂の面々は各々食事を始める。
(汽車も駅べんも初めてだぁ)
わくわくしながら紐を解いて蓋をどかすと、鎮座するのは白身魚のフライ。そしてその下に広がる海苔が現れた。
箸で表面を割ると、間に挟まれたおかかが顔を覗かせる。
慎重に層を掬い上げて、そっと口の中に入れれば、醤油の香りが鼻に抜ける。
前世では理央の母がよく作っていた。
(知らないけど知ってるお味……)
青年の方はニンニクとショウガのきいたから揚げが乗っていた。
脂の多い部位とさっぱりした部位、両方がバランス良く入っている。
ツナサンドは箱から浮いて、黒猫の口元で咀嚼されている。
ツナとキャベツとマヨネーズが挟まったシンプルな物だ。
ふと、思い出したように青年が水筒を取り出す。
先ほど言っていたスープかと、リオが期待を込めた表情で見上げた。
大きな水筒の蓋に注がれたのは、ふわりと湯気を立てるポトフだった。
「色々入ってて美味しそうです!」
「良かった。汽車は冷えるからな」
渡された蓋に口をつけ、幼女はスープを飲み込んだ。
途中、キャベツがうまく吸えず、もぐもぐと口を動かすことになった。
柔らかなコンソメの味に、くたくたになるまで煮込まれた具材。
宝物のように隠れたウインナーを見つけて、少女はにんまりと微笑んだ。
「粒マスタードを入れても美味いんだよにゃあ」
「ほへぇ……」
そうこうしている内に、窓の外には海が見え始めた。
リオの鼻をわずかにベタつく風がくすぐる。
これが潮風だろうかと考えていると、汽車は線路を下ってトモリの駅へと入って行った。




