第八話・ハンバーグとお悩み
オーストン町の各区にある、小人族用の居住地。
それは一本の木でできていた。
枝葉の間に梯子が伸び、実の中にある住居からは朝食の煙が立ち上っている。
移動・連絡用のカラスが、彼らの頭上を飛んでいった。
「う、う〜ん……」
そんな景色に溶け込んだ古本屋の前で、店主の老夫が背伸びをしていた。
季節はすっかり秋めいて、涼しい風が葉っぱを揺らす。
店先をホウキで掃いて、道を塞いでいた枯葉を落としてから、彼は自宅へと戻って行った。
東国風の座敷に上がって、彼は店にある妻の写真を眺める。
おとなしい印象の、その実いたずら好きな女性だった。
家の中は整頓されているが、彼女が亡くなってからしばらくは荒れ放題だった。
しかし、最近はそうも言ってられない。
自分以外の面倒も見なくてはいけないからだ。
ちゃぶ台に貼られた魔符が、振動で細かく震える。
『グォォォォォンッ!!』
「あいよっと」
痛む腰を起こして、老夫は共用のエレベーターへと向かった。
滑車が回り、彼はあっという間に大木の根元にたどり着く。
それを察したのか――緋色の翼が広がる。
防火用の魔方陣に囲まれた火竜が頭をもたげた。
「通信越しでもでかい声だなぁ、お前さんは」
「グキャッ、グキャッ」
独特な笑い声をあげて、竜は甘えるように鼻先を近づける。
それをポンポンと強めに撫でて、小人は背負っていた袋から、重たい瓶を取り出した。
中身は経口魔力補給液だ。
本来は激務中の魔法使いや、魔力欠乏症の患者が摂取するものである。
竜種は属性に沿った物から栄養を取るが、魔力の薄い場所では欠乏症の対策をしなくてはならない。
「全く……老いた奴にやらせることじゃないわい……ほれ、たんと飲め」
瓶を傾け、竜の舌に液体を滑らせる。
喉仏が上下するたび、火竜は嬉しそうに尾をふるわせた。
(もし、息子でもいたら、こんな感じだろうか)
夫婦に子供はいなかった。
喜んでいるのか謎の動きを繰り返す竜に、老夫は無自覚のうちに微笑みかけていた。
――もう二度と。
もう二度と、抱きしめることは叶わない。
手を繋ぐことも、君の名前を呼ぶことも。
全ては遠き思い出になるだろう。
それが切なくて仕方ないことを、せめて今だけは許して欲しい。
願うことはただ一つ。
どうか、あなたが安らかに眠れていますように。
×××
とある夢を見る。
すでに終わったことの夢を見る。
その日、理央は電車を待っていた。
手袋を外してスマホの画面をいじる。
(ホーム寒いな……)
画面には両親からのメッセージが写っていた。
『おめでとう!』というスタンプの後に、『夕飯何が食べたい? 外で食べる?』とメッセージが続く。
控えめな笑みをマフラーで隠して、彼女は親指を動かした。
『どっちでも
中華が食べたい
今から電車乗る』
トントンと液晶を叩いていると、電車がホームに入ってくる音がした。
次の瞬間――背中への衝撃と、体が地面から離れる浮遊感。
コンクリートに落ちた液晶画面にヒビが入る。
ぐらりと回る視界で、何とか理央は現状を把握した。
彼女は線路に突き飛ばされたのだ。
迫る電車を横目に、少女は背後を振り向く。
そこにいたのは――全く知らない他人。
もしかしたら駅ですれ違っていたかもしれない。その程度の人だった。
さらにその人は、怒り狂った顔をしているかといえば、そうでは無かった。
両手を突き出し、肩を大きく上下させ、紅潮していた頬が徐々に青ざめていく。
まるで自分のしたことを、ようやく理解したような態度だった。
(は?)
疑問符が頭を埋め尽くされる。
走馬灯のような情報の波に襲われながら、彼女はただ一つの言葉を繰り返す。
(死にたくっ……死にたくないっ! 死にたくないよぉ!)
緊急停止は間に合わず、彼女は電車と線路の間に落ちて行った。
×××
がばりと金髪の幼女が体を起こす。しっとり濡れた肌が煩わしい。
ふと、朝日の滲む窓の方を見る。
恐る恐るカーテンをつまみ上げると、開業の準備をする半竜族や、散歩をする父子などが目に入った。
夢と――前世とは違う光景に、体の震えがおさまっていく。
そう、自分の日常はこちらだ。
安堵のため息を吐いて、窓枠に押し付けるように頬を乗せた。
生々しい死への恐怖と、生に対する執着を目の当たりにして、少女はただ体を縮こまらせることしかできなかった。
そのせいか、この日のリオはぼぅっとしていた。
店主の黒猫はそれを見て、今日は早く店を閉めることにしたらしい。
曰く、今日は『粉塵』で出歩く者も少ないからだという。
閉店後、リオがテーブルを拭き終えて二階に戻ると、紅が何やら書き物をしていた。
「コウさん。来週のメニューを決めてるんですか?」
「いや、例のレシピについてだ」
渡された紙を少女は覗き込む。
そこには未だに謎の具材について、現状でわかる特徴がまとめられていた。
「白い。ぷるぷる。やわらかくてなめらか。ソースの熱ではとけない……かん……えっと」
「寒天」
「かんてん! というよりはゼリーのような食感。ふへぇ……」
そこまで口に出して、改めて幼女も思う。
(この項目を満たす食材って、一体何だろう)
腕が良いと評判で、民族料理も作れる青年さえ知らないとなると、古本屋の妻の完全な創作料理なのだろう。
ふと、リオは思った。
自分の持っている十九年分の記憶は、何か役に立てるだろうか。
首をひねりながら、彼女はこれまでわざと距離を置いていた「理央」を直視し始めた。
実際には見たことも聞いたことも無い、異世界の記憶を淡々と漁る。
下ろしたまぶたの裏に、次々と現れるシーンを、これじゃないそれでもないと掻き分けていく中、とある一枚で思考が止まった。
初めて『唐辛子と鶏肉』を食べた時感じた、あの舌を刺すような辛み。
それが何よりのヒントとなった。
「あ――――――――っ! まーぼーどうふっ!!」
突然の叫び声に、床で寝ていたマスターが跳ね起きる。
「にゃ、にゃに事?」
「あぅっ、ごめんなさいっ」
無意識のうちに大声を出したとこに気づき、じわじわとリオの顔が赤らんでいく。
コックだけが冷静な表情で口を開いた。
「……まぁぼぅどうふ? 何かのおまじないか?」
少女は軽く俯いて、どうするべきかと頭を回す。
前世にまつわる話をして、彼らに心配をかけたくはなかった。
(だって、急にこんな話したら、へんな子でしかないよね?)
しばし悩んでから、彼女は一つ嘘を吐くことにした。
「と、豆ふっていう、この特ちょうが当てはまるものを、しょ、職員さんが作ってくれたな〜って」
「なんだと。それの作り方はわかるか?」
「う、うぅ〜ん。豆にゅうを温めて、なんか、えと、塩の副産物?? をまぜて、わくに入れてなんかこう固める……みたいな……」
「なるほど。塩の副産物とやらは凝固剤なんだろう。大豆だったらオーストンでも買えるな……リオ!」
「は、はいっ」
わしっと掴むように頭を撫でられる。
「お手柄だ」
台所の窓に、嬉しそうな紅と、少女の顔が写り込む。
その頬が嘘をついた緊張とは別の理由で赤いのは、まだ彼女自身も気がついていなかった。
場所を厨房とカウンターに移し、彼らは会話を続けた。
「紅は凝り性だにゃあ。ま、古参客は大事にしたいし、俺も手伝うぜ」
「ありがとうマスター、大豆はさやごと大量に仕入れる。頼んだ」
「もしや全部剥けと仰ってる?」
幼女は男性陣を横目にミルクティーを啜る。
くぴくぴと喉を鳴らしてから、角砂糖を二つ落とした。
厨房では、在庫確認を済ませたコックが、遅めの昼飯の支度をしている。
タマネギのみじん切りを、フライパンで薄茶色になるまで炒め、しばらく置いておく。
ボウルに挽き肉・塩胡椒・牛乳・パン粉と、すりおろしたニンニクに、前述のタマネギを加えて練るように混ぜる。
そこに余っていたキノコ類を刻んで、全体を混ぜ合わせればタネの出来上がりだ。
楕円状にまとめ、軽く空気を抜いてから、中央を少し押さえる。火が入ると中央が膨れるためである。
フライパンを温めて、片面が焼けるまで焼く。
この間にコーヒーを淹れて黒猫に出しておく。
裏返して数分蒸し焼きにする。
フライパンの上で細かく弾ける肉汁の様子を見て、青年は竹串を手に取った。
「よし。火が通った」
「ハンバーグですか!」
嬉しそうに覗き込む少女に、紅はこくりと頷き返した。
溢れた肉汁にバター、醤油と料理酒、ケチャップを足して煮詰める。
小さめのフライパンの方では目玉焼きが半熟で焼き上がった。
ソースをかけて目玉焼きを乗せれば、ハンバーグの完成だ。
『いただきますっ』
もたつきながらナイフで切り分けて、少女は肉の断面にフォークを突き刺す。
口一杯に頬張ると、肉の旨味を吸ったキノコに、東風の味付けのソースがよく絡んだ。
口元を緩ませ食べ続けていたリオがふと口を開く。
「それにしても、塩のやつはどこにあるんでしょうか……」
「海の方には伝手が少ないからな。すぐに手に入るだろうか。塩のやつ」
(……塩のやつで通そうとしてるにゃ)
凝固剤の入手ルートに悩んでいる最中、カランコロンと店の扉が開く。
「あら今日休み? って、何で皆口を開けてるのよ」
日傘を傾ける人魚の歌姫を見て、三名はわなわなと口を震わせた。
『いたぁぁぁぁああ――――――!』
「え何何何。虫? 虫でも出たの?」
一斉に見つめられた歌姫は、怪訝そうに眉根を寄せていた。




