ACT02 影法師の師匠
暗闇の中に、黒い人影が浮かぶ。
闇の中に溶け込んだその姿は細部が判然としないが、身の丈六尺を越える大兵に見える。サキと対峙するその姿は、甲冑に全身を覆われた騎士の姿だった。だが、その手には長剣ではなく、握り拳ほどの分銅が先端にくくりつけられた鎖が握られている。
(こいつ……何者?)
いぶかしむサキに対して、その騎士は鎖を頭上で振った。唸りをあげて、騎士の頭上を分銅鎖が旋回する。
(危ないっ!)
サキは、反射的に身をかがめた。
頭上で、空気を切り裂いた音が鳴った。
握り拳大の分銅が先端に付いた鎖が、唸りをあげてサキに襲いかかる。
水平に円を描いた分銅鎖が、周囲をなぎ払う。
(何、この武器?)
奇妙な武器を前に、サキは戸惑っていた。
刀で鎖を受けると、軌道を変えた分銅がサキを襲う。
(やられる!)
サキは、反射的に分銅を大刀で弾いた。
鋼鉄が噛み合い、火花を散らす。
分銅が引き戻され、逆方向から水平に薙いできた。
分銅の鎖の間合いに、サキは翻弄される。
薄闇の中、黒ずくめの男が分銅鎖を操っている。サキは目をこらすが、敵の姿は薄暮に溶け込んだように判然としない。
(間合いに入るには?)
サキが逡巡した。
状況を判断している余裕さえない。
大刀が分銅を弾き、引き戻された分銅が再びサキを襲うまでのわずかな時間に、大刀の間合いまで飛び込めるか。
(間合いを一気に詰める?)
サキの両脚が、跳躍するための力をため込んだ。
今度は、分銅がまっすぐに石礫のようにサキを遅う。
(まずい、やられる!)
その瞬間、サキは跳ね起きていた。開け放たれた窓の外から、星明かりがサキの寝台を照らしている。
寝床の中にいたことに、サキは気が付いた。
「夢……?」
夢を観ていたことに、やっとサキは気が付いた。あまりに生々しい夢の光景だった。
(あたしが、影法師に同化していた?)
久し振りに、サキの夢の中に影法師が出現した。今までの夢と違うのは、自分が影法師と重なった夢だった。自分の肉体なのか、影法師の肉体なのか、サキには判然としない。
だが、間違いなく夢の中のサキは、影法師そのものだった。
「レオナ姫……今度は、何を伝えようとしているの?」
うなされていたのか、気持ちの悪い寝汗でびっしょりだった。
サキの刀術に、師はいない。
シドニア大陸西域にあるヴァンダール王国には、サキが使うような弯刀は存在しない。
はるか東方の騎馬民族が馬上で使うような、湾曲した大刀を扱えるものは、ヴァンダール王国には誰一人いなかった。
『その刀と、早く友達になりなさい。そうすれば、刀の操法はおのずとわかる』
サキが神殿の宝物庫から、この大刀を持ち出した時、神官長である祖父に言われたのは、ただそれだけだった。
それ以来、サキはこの大刀を唯一の友として肌身離さず持ち歩き、刀術を自力で身に付けた。一日中刀術の工夫をしているサキは、夢の中でさえ刀を振っている。夢の中に出てきた見知らぬ刀の操法に飛び起き、夜明けまで刀を振ってみるような日々が続いている。
サキの愛刀は、刃渡り三尺余り、柄の長さも含めれば軽く四尺を超える大きなものだった。
柳の葉のように湾曲した美しい大刀は、その大きさと重さ故に扱いは難しい。サキの華奢な身体では、下手に振ると身体ごと振り回されてしまう。
そんな中、毎夜のように夢の中に姿を現す影法師が扱ってみせる見知らぬ刀の操法が、サキの刀術の鍛練を加速させた。
刀の師といえば、その夢の中の影法師だけだった。
それが、どうやら愛刀の元の持ち主だった伝説のレオナ姫の亡霊だったらしいことに気が付いたのは、つい数ヶ月前のことだった。
サキは、窓から夜空を見上げた。
星の位置を見ると、まだ深夜だった。寝付いてほんの一刻くらいで、影法師の夢に叩き起こされている。
明け方には、まだ数刻ある。
「のんびり眠ってないで、鍛練しろってことね」
サキは、手探りで身支度を整えた。
枕元の刀架に横たわった愛刀を手に取った。ずしりとした頼もしい重さがサキの手に掛かる。
愛刀を、サキは腰に佩いた。
傍らで眠っていた白猫のティムが、不思議そうにサキを見上げた。開け放った窓から差し込む星明かりに、ティムの金目銀目が輝いた。
「寝てていいよ……あたしは、これから鍛練だから」
サキは、ティムの上から掛布を被せた。
物音を立てないように、そっと部屋を出た。
◆
足元を、夜霧が流れる。
この時期は、昼間は暖かいが、夜間になると急に冷え込むせいか夜霧が発生しやすい。
サキが足を運んだのは、屋敷にほど近い雑木林に囲まれた小さな広場だった。
サキは石畳の広場に静かにたたずみ、夢に出てきた分銅鎖の相手に思いをはせる。
騎乗した騎士が使うのか、騎兵を相手に歩兵が使うのか。
狙うとしたら、馬の脚を狙うのか、騎士の甲冑を狙うのか。
(分銅鎖ってのは……初めての相手だわ)
ヴァンダール王国のあるシドニア大陸の西域では見掛けない、珍しい武器だった。
甲冑に身を固めた相手を、甲冑ごと打ち倒すためのものだった。兜で頭部を保護していたとしても、あんな重い分銅が直撃したら無事では済まない。
だが、重装歩兵のような、集団戦には不向きな武器だった。密集隊形でこんな代物を振り回せば、敵を倒すどころか味方までなぎ払って同士討ちになる。単独で、大人数をなぎ払うような使い方だろう。王家の騎士団にも、重装歩兵団にもこのような奇妙な武器は見られない。
サキも、初めて見る奇妙な武器だった。
鎖を持って分銅を振り回し、分銅で相手を打ち倒す。鎖で武器を絡め取ったり、脚を払ったり千変万化の動きを見せるのは、鞭の使い方に近い。
(狭いところでは、充分に振り回せない……そうすると、広々とした野外戦の武器?)
考えているうちに、わずかな勝機が浮かんできた。
(屋内戦に持ち込む? 雑木林とか、障害物がある場所を選ぶ?)
分銅を振り回して加速させる以上、狭い屋内では使い勝手は悪い。だが、もしその狭い空間でも分銅鎖を扱える相手だとしたら、狭い空間ではサキの方にも逃げ場がない。
(障害物を盾にする?)
脳裏に、夢の中で観た分銅鎖の軌跡が蘇ってきた。
広場の傍らの雑木林の木々が、サキの目に入った。
(駄目だわ……障害物を使って回り込んでくるわ)
雑木林のように障害物が並んでいるならともかく、一本の木を盾にする程度では心許ない。
厄介な相手には違いない。
石つぶてのようにまっすぐに分銅が飛んでくるかと思えば、鎖を利用して鞭のような軌道で横から襲ってくる。
下手に鎖の部分を大刀で受けると、軌道を変えた分銅が回り込んでくる。直撃をかわせたとしても大刀を絡め取られたり、身体ごと絡め取られてしまう。
足元すれすれを薙いでくるか、頭を狙って薙いでくるか。
夢に出てきた分銅鎖の軌道を思い起こしながら、サキは腰の大刀を抜いた。
微かに腰を落とす。
両膝が力をためる。
(!)
周囲の雑木林の樹上で、眠りを破られた鳥が鳴き叫んだ。
大刀を構えたサキが発する殺気は、尋常なものではない。雑木林で眠っていた鳥達が、その殺気に驚き不安そうに鳴き騒ぐ。
だが、集中しているサキには、そんな物音も一切聞こえない。
脳裏に、先程の夢で見た相手が蘇ってきた。
(来る!)
足元を、幻影の分銅鎖が薙いできた。
サキは、その場で跳躍し、目に見えぬ分銅鎖をかわす。
だが、そこから先が続かない。せいぜい、一丈を詰めるのがやっとだった。
敵は分銅鎖の長さを巧みに調節し、サキの間合いに会わせて分銅鎖を振ってくる。
間合いの奥行きが広い武器だった。
手元に踏み込めば、つけ込めるどころか、かえって接近した方が分銅鎖の連続攻撃が早くなった。
今度は、頭の高さを狙って分銅鎖が薙いでくるのを、身を沈めてかわす。上段・中段・下段と立て続けに分銅鎖がサキを襲う。
恐らく、相手は短剣か何かを持っている。
手元につけ込んだとしても、その短剣に刺し貫かれる図しか思い浮かばない。
何度か、分銅鎖をかわす動きを繰り返すが、光明が見いだせない。
サキの脳裏で、幻影の分銅鎖が大刀に絡みついた。
大蛇が巻き付いたように、分銅鎖は引っ張ってもびくともしない。まともに力比べをすれば、サキのような華奢な体格では分が悪い。
(大刀を捨てる? 冗談じゃないわ)
愛刀を囮にして相手に接近したとしても、そこから先に続く技がない。ましてや、唯一の親友である大刀を手から放すなどサキにはもっての外だった。
風が吹き、周囲を覆っていた霧が晴れ、星明かりが戻ってきた。
サキの意識が、現実に戻った。
先程まで、脳裏にはっきりと見えていた幻影の分銅鎖も騎士の姿も消えている。
わずかな星明かりに照らし出される雑木林の中に、サキは立ち尽くしていた。
『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず』
サキの脳裏に、兵法書の一節の記述が蘇ってきた。
(そうか……あたしは、分銅鎖や鞭を知らない……)
見たことのない兵器を相手にすれば、一撃で倒されてしまうことは必至だった。相手がどんな悪辣な手段を使ってきても、それを臨機応変に対応する力量は、残念ながら今のサキにはない。
まだまだ、未熟だった。
(朝になったら、綱に重りをくっつけて、試してみよう)
相手の技を研究してみる必要がある。
分銅鎖にも、欠点があるはずだった。ましてや、あまり使われた記録がない分銅鎖には、何か致命的な弱点があるはずだった。そうでなければ、こんな危ない武器が廃れたりはしない。
どんな兵器にも、長所と短所がある。
鞭のような軟兵器は、使いこなすのに熟練が必要だった。
これに近い武器は……サキの脳裏に、バザールで見掛けた光景が唐突に浮かび上がった。
「隊商護衛の鏢師連中……確か、腰帯に鎖を巻いていたわ……あれって、この分銅鎖?」
腰に巻いたり、小さくまとめることが出来るのは、隠し持つには利点だろう。鏢師と呼ばれる隊商の護衛が愛用しているのもうなずける。
野盗の襲撃を撃退するのに、馬上で使っていたはずだ。広い平原での騎馬戦となれば、間合いの長い鎖状の武器は強大な力を発揮する。
◆
人が通る場所には、ゴミがいくつも落ちている。
角笛の尖端のように突き出た港にほど近い運河との合流点にある、岬と呼ぶには小さな場所だった。通称、” 角笛の岬”だった。
うっそうとした雑木林の先にある、その角笛の岬の先端には、航海の安全を祈念するため大きな神将像が奉納されている。
夜明けから、ベリア達は港湾地区から続いている海岸沿いの石畳の小径を掃除していた。掃除しているのは、王家の貴族の子弟を集め鍛える役割を持つ講武堂の若者達だった。
「これを落とした人は、どうやって自宅に帰ったんだろ?」
なんでこんな場所に、こんなものが転がっているのか不明なものまである。履き物の片側を拾い上げたベリアが小首を傾げた。
講武堂の若者達が街の早朝ゴミ拾いを始めてから、もう一月になる。講武堂に対する王家からの命令だから、否応もなかった。最初はやらされ感が一杯で嫌々やっていたが、そのうちその日課が楽しくなってきた。
今までのようなきつい軍事教練と退屈な座学漬けの生活よりも、毎日王城地区から外へ出て活動できる事が気分転換になった。
ベリア、ジェム、キーラ、レビンの四人は一つの班として、いつも一緒に行動している。もともと、仲の良い四人だった。色々としゃべりながらのゴミ拾いは、規律を強いられる厳しい講武堂の生活の中では息抜きになる。
「おい、ベリア! ありゃなんだ?」
ゴミを拾っていたベリアが、ジェムの驚いたような声に顔を上げた。
「?」
「ほら、あの雑木林の向こうの神将像だよ」
生い茂る雑木林の木々の向こうに、青銅の神将像が見える。街のあちこちに設置され、街の人間には見慣れた神将像だった。
木々の枝の間からのぞく神将像は、いつもと変わらぬ荘厳な姿をしている。
だが、ベリアは小さな違和感を抱いた。
「あれは……何かが吊されてる?」
「行ってみよう!」
ジェムが駆け出した。慌ててベリアとキーラ、レビンが走って後を追う。
その神将像は、石組みの台座を含めると、高さ二丈もある大きなものだった。
そして、その神将像に人が吊されていた。
「おい、吊されてるのは人だぞ……まだ、生きてるみたいだ」
神将像の腕に吊された人影が微かに動いた。
両腕を後ろ手に縛られ、ぐるぐる巻きにされた胴体から縄が伸びている。首吊りではない。明らかに、何者かに縛られた上に吊されている。
「見せしめか何かかな?」
大柄のキーラの肩に、ジェムがまたがった。キーラの助けを借りて、ジェムが神将像によじ登る。
「ベリア、下から手が届くか?」
青銅の神将像は頑丈な造りをしている。ジェム一人が登ったぐらいでがたつくようなものではない。
「レビン、下から支えておいてくれ」
レビンの肩に、ベリアが乗る。
ジェムとベリアの二人がかりで、縛られた男を抱え上げた。
綱を切り、ゆっくりと石畳の上に縛られた男を下ろす。
「おい、兄さん! しっかり!」
男が、微かに動いた。呼吸は安定してる。
「キーラ兄ちゃん、どうする?」
気弱なレビンが、不安そうな声を出した。
大柄な体格の兄弟だが、その性格は少し気弱なところがある。
「神将像は神殿警護官の縄張りだな……とりあえず、神殿に運んでお伺いを立ててみよう」
ベリアが、神殿の丘の方に視線を移した。運河を挟んで神殿の尖塔が、遠くの街の建物の向こうに見える。
意識を取り戻したのか、キーラが担いだ男が微かにうめいた。
「急ごうや……行きがかり上、見捨てておく訳にはいかないよ」
ベリアが、皆をうながした。




