終章 まがいもの
結局、マテオ・エクトールが王都の霊的防御を破ろうと目論んだ理由も、影で糸を引いていた可能性のある黒幕の存在も、護民官の必死な探索でもわからなかった。ボルト師範が国王陛下の命令を受けて水面下で動いているものの、その探索も難航しているという。
喉に刺さった魚の小骨のように、そこだけがサキの脳裏に微かに不快感を残している。遅くない将来、また騒動が起きる予感がしていた。
『まぁ、またそのうち動きがあるでしょ。ウチら天狼も何かわかったら、知らせてあげるわ』
老虎のシェルフィンも、この事件が終わってないという見立てだった。
だが、事件はサキの手から離れてしまっている。サキ単独で、どうこう出来るような状況ではない。
とりあえずは当面の危機も去り、王都に束の間の平穏が訪れていた。サキ達神殿警護官は、後天祭の神殿警備に忙殺されていた。
まさに、明日から後天祭が始まろうかというそんな日だった。
初秋の晴れた蒼空を見上げると、どこからともなく心地よい微風が吹いていた。
今夜からの前夜祭の準備でバタバタしている神殿に、珍しい来客があった。
「大層、お騒がせいたしまして……何とお詫びして良いのやら、何と感謝して良いのやら……」
ダンとマオの前で、ゼメキスとライリーが小さくなっていた。
口を挟める雰囲気でもなく、サキは傍らでそのやりとりを眺めていた。
「金が絡むと大騒動になるのは、あなた達にとってはいつものことだけどね」
マオが、微笑んだ。
「でも、ね……二人とも、見栄と意地の張り合いは、ほどほどになさいな」
二人へのマオの説教が始まったのを右から左に聞き流し、サキは目の前に積まれた金の延べ棒とゼメキスとライリーを交互に眺めた。
これは、寄進という名目の迷惑料だった。一抱えもありそうな金の延べ棒が整然と机上に積まれている。それがどのくらいの価値があるのか、サキには現実感がない。
「まぁ、これで神殿の近くに神学校が作れそうね……でも、こんなに神殿に寄進して商売に響かないのかしら?」
「いえいえ……手前は、これでも商人の端くれでございます」
ゼメキスが、胸を張った。
割れた皿を目の前にした時の、ゼメキスが見せた絶望の表情はどこにも感じられない。いつもの、豪放磊落な大富豪ゼメキスの姿だった。
サキは、ゼメキスが完全に正気に戻り、皿が割れた衝撃から立ち直ったことを確信した。
「また、商売に精を出しますから……来年の先天祭には、これ以上の寄進を積んで見せましょう」
「そうだな、それがいい……また新しい宝が見つかるさ」
ダンが微笑んだ。
だが、それに対してゼメキスの言葉は意表を突くものだった。
「後天祭でも、慈善競売会はありますからね」
思わず、ダンとマオが顔を見合わせた。
「まさか……また?」
「もちろんですとも!」
ゼメキスが、恰幅の良い身体を揺すった。
懐から、慈善競売会に出品される品物の一覧が掲載された新しい目録を出して、ダンとマオに示した。
「次は、ランカ王国由来の伝説の壺です! カート! お前にゃ競り負けません!」
「ふーん、今度はこっちだって競り負けんよ」
苦笑を浮かべたライリーが、そう言って立ち上がった。
「ランカの伝説の壺は、価値のわからん貴様なんぞに譲らん!」
「おお、受けて立ってやる!」
ゼメキスとライリーがそろって、ダンとマオに深々と一礼した。
「それでは、皆様もご機嫌よろしゅう」
そろった声と共に、二人が神殿から去って行く。肩を並べて歩く二人の後ろ姿は、かつてサキが見たことがない親密な姿だった。
「悪友なのね……また、騒ぎを起こさなきゃいいけど」
全く懲りてないゼメキスに、呆れたサキが両親に視線を移した。
ダンとマオは顔を見合わせ、思わず小さく吹き出した。
「まぁ、収まるところに収まって幸いだ」
ダンが笑う。
◆
いつの間にか、陽が西に傾き始めている。
夏と違って、陽が沈むのが早くなっている。
収穫を祝う後天祭が終われば、直ぐに冬の気配が訪れる。そうなると、王都は冬支度に忙殺される。
ティムが厠代わりに使う砂箱を洗おうと、サキは部屋から水盤を屋敷の外へと出した。
水盤にもられた木屑を、肥やしにするために裏庭の畑に捨てる。自給自足に近い質素なシェフィールド家では、小さな家庭菜園も貴重な食料供給源だった。菜園で採れる野菜や果物は、サキ達の食卓を彩る大切なものだった。
サキは、水盤を洗うために、傍らの井戸から水をくみ上げる。
(まがいものの皿一つで、こんな騒動になるのねぇ……)
サキは、先ほどのゼメキスとライリーのやりとりを思い出し、眉間に皺を寄せた。
「もう、ほんものだの、まがいものだのって騒動はまっぴらよ」
サキは、不服そうに頬を膨らませた。
大騒ぎを引き起こした皿がまがいものだったり、石像に念が宿って動き出したのを本物の人間が扮していると勘違いして戦ったり。
サキには、何が本物で何が贋物なのかわからなくなってきた。
『美術品の価値はあってないようなものさ。価値があると思えば高値になるし、価値がないと思えば値が下がる』
不意に、サキの脳裏にリュードの言葉が響いた。
(そんなもんなのかしらね)
ゼメキスやライリーの美術品狂いは常軌を逸している。金持ちの考えることはよくわからない。
ただ、また騒ぎが起きるのはこりごりな気分だった。
そんなサキは、ティムの厠代わりの砂箱を洗おうと水盤に水を張った。
ふと疑問を感じて、サキは顔を上げた。
神殿と屋敷をつなぐ小径を掃き清めていたマオに、声をかけた。
「ねぇ、母様? この砂箱にしてる水盤って?」
「十何年も前に、バザールの古道具屋で買ったんだけどね……大きさも半端で使い道がなくて、物置に仕舞ってたものよ。ティムの砂箱にぴったりの大きさだから、物置から出してきの」
サキの眼は、水を張った水盤に釘付けだった。
夕陽を反射して魔法陣が水面に浮かび上がっている。本物の伝説の”傾国の水盤”は、水を張って光を反射する時だけ文様が浮き上がったと聞いている。
「まさか、ね」
サキは苦笑して、水盤の水を捨てて新しい木屑を水盤に盛った。
猫の砂箱と化した水盤を、自室の隅に置いた。
さっそく、新しい木屑が敷かれた砂箱にティムが飛び乗った。
「見なかったことしよっと!」
鐘楼で鐘が打ち鳴らされ、篝火に火が灯された。
それが、後天祭の始まりの合図だった。サキも、これから夜通しの神殿警護の仕事が待っている。
サキの刀の宝玉が、篝火を反射して紅く輝いた。




